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くまの日記 1月 |
| 1月××日 | |
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今日は新幹線で東京へ 富士山が良く見えました。 先週は 裾の方まで稜線がハッキリ見えましたが・・・残念。 車窓から。新富士付近。 | |
| 1月○×日 | |
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路上観察 その1 東京ではあまり見かけない 道路標識ですね。 左横の路地への進入に対して 右側の標識「一方通行終わり」の 意味するところが良くわかりません。この組み合わせが至るところにあります。 とにかく左折は出来ない。補助標識には「軽車両を除く」とあります。東京では「自転車を除く」が普通です。 やはり 荷車なんかですかね。 軽車両とは、自転車、荷車その他人若しくは動物の力により、又は 他の車両に牽引され、かつ、レールによらないで運転する車であって、 身体障害者用の車いす、歩行補助車等及び小児用の車以外のものをいう。 | |
| 1月×日 | |
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近所を散歩していたら 遠江塚というのがありました。 山内一豊のあと掛川城主となった 松平定勝の嫡子定吉が 慶長八年(1602年)19歳の若さで切腹したのを供養するため建てられたものらしいです。 切腹の理由は定かではないようですが 田宮虎彦が この事件をテーマにして 「鷺」という 小説を書いているそうです。 早速 その本を探しましたが 世界一?の売り場面積を誇る池袋じゅんく堂書店にもありませんでした。 というか 田宮虎彦の本は 代表作「足摺岬」が 一冊あるだけ。全集も全て絶版になっているらしいです。 完全に古本屋の世界の人のようですね。 葵のご紋が付いてます。 | |
| 1月△日 | |
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今日は、いよいよ掛川のシンボル 掛川城へ行ってきました。 もともと掛川は 今川氏の城があったところですが、その後 家康が領有し、秀吉が天下を取った後は あの 奥さんで有名な山内一豊に与えられ 一豊が初めて天守閣を築いたということです。 一豊は掛川城に10年位居ましたが 関が原の合戦の恩賞で土佐二十四万石に 栄転します。これも奥さんのお陰といわれています。いわゆる「笠の緒の文」というやつですね。 その後 徳川譜代の大名が 入れ替わり立ち代り城主となっていましたが、江戸後期に太田道灌の子孫の太田家が 城主になってからは やっと落ち着いたということです。 天守閣は 江戸時代末期の地震で壊れてしまい 平成になって再建されました。 木造で再建したというのが地元のウリです。 なかなか美しい姿です。石垣に張り出した床の穴から石をおとしたり槍を突き出したりして敵を撃退します。 石落し天守閣から富士山を眺める。 鉄塔が邪魔。天守閣のそばには 二の丸御殿があります。こちらは江戸時代の建物が残っています。 書院造の建物です。完全な形で残っているは 京都の二条城とここだけだそうです。 時代劇映画のロケに使われるようです。「伊能忠敬」の撮影風景が張ってありました。 二の丸御殿 御書院上の間。なんと中まで入れます。床の間の前で記念撮影OK。 | |
| 1月△○日 | |
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掛川グルメシリーズ第五弾です。 割烹の「やまと」です。 宴会に使う普通の割烹ですが メロンの季節になると タイミングがいいと メロン酒というのを出してくれます。 メロンを半分に切って 種をとったところに 日本酒をそそいだものです。 この辺はメロンの産地ですから マスクに疵がついたような商品にならない メロンが手に入ったときの 季節限定です。 ちょっと贅沢な気分になれます。
お城のすぐそばにあります。 | |
| 1月△日 | |
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今日は第三回 掛川くまサミットが開かれました。新年早々の開催です。 お正月ということで 東京から ちろとぴろが参加しています。 おめでとうございます。 | |
| 1月○日 | |
冬は 部屋の正面から日の出となります。 掛川の夜明けです。 | |
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