* * *
仙道は羽毛布団の下で三井の浴衣の細帯を解いた。手を滑らせて襟元をはだけると、
行燈を模した枕元の明かりに照らされ、薄めだがきれいに筋肉ののった胸があらわになる。
三井は困惑したような顔をしていた。着ているものを脱がすところから始める行為は、
風呂場のときにも増して淫靡な匂いがした。
いま三井はおとなしくしているが、誘ってから布団に入り込むまでがまた一騒動だった。
膝に座っていたので抱いて行こうとしたら容赦なく拳を飛ばし、「オレは女じゃねえ」と
悪態をついてへそを曲げたのだ。仙道にすれば「恋人」を大事にしたい気持ちの表れで
女扱いしているつもりはなかった。事実女の子を腕に抱いてベッドに入るなどという真似は
一度としてしたことのない彼だ。同じように、三井の意志をついつい確認してしまうのも彼の
決定を尊重したいからだった。ところがそのどちらもが三井の癇にさわってしまう。
いわゆる「そっち方面」の経験がいくら豊富でも、結局あまり役に立たないのかな、などと、
太平楽を並べているように見えて実は仙道の戸惑いも大きいのだった。
それでも何とかなだめすかし、やっとのことでここまで持ち込んだ。手のかかる相手は
まっぴらなはずだったのにえらい豹変ぶりだと自分でも半ば感心している。
だがすぐに手の出る一学年上の口の悪い彼のことを諦めることはできなかった。
仙道は三井の左顎の縫い傷を指でなぞった。
宮城が残した傷だと聞いた。そこだけ脆弱な皮膚がなんともなまめかしい。
これが不良時代の名残だというなら、またずいぶん色っぽい勲章をもらったものだ。
仙道がその痕を軽く舐めると、三井はぴくりと反応した。逃げていく顔を追わず、
こころもち頭を上げてみると、勝ち気な目はきつく閉じていた。その表情が少し幼くて可愛くて、
いつの間にか見とれていたら、瞼が上がり、不審げに目を向けてきた。
「……何だよ……。終わりにすんなら離れろよ」
「まさか」
「だったら意味もなく人の顔見んじゃねえ」
睨みつける目のきつさがたまらない。
「意味はありますよ。オレ、三井さんの顔見るの好きだから……」
三井の腕に力がこもったが、しっかり押さえつけていたのでぴくりとも動かなかった。
「趣味ワリイぜ」
そう言って反抗的に顔を背けると、今度はキスを誘うように首筋があらわになった。
三井の自由を拘束していた手を離し、そのなめらかな皮膚にそっと触れてみた。体が小さく、
だが鋭く反応し、眉根が寄せられる。瞬間引き結んだ唇が微かに開いたとき、下半身が重くなった。
彼はうろたえた。この突然の暴走が信じられない。コントロールしながらゆっくりことを
進めるつもりが、先刻の初めてのときより余裕がなくなりそうだった。
仙道は横向きになった三井の頬に手をあてた。
「三井さん、口、使えますか?」
目の前の顔がこころもち彼の方に向き、怪訝そうに目を見開いた。仙道は苦笑いした。
「……一度出しちゃいたいんですけど」
何のことかわからないと言いたげな感情の空白地帯だった面に、ぱっと認識の灯が点った。
「ガキ」
三井の唇は憎まれ口を睦言のように放つ。
オレがガキなんじゃなくて三井さんがそそるからです。
心の中で呟いたことは、声に出さない方が無難だろう。とりあえずこの聞き分けのない分身を
何とかしないことには、先に進むものも進まない。
仙道はもう一度言った。
「ちょっと計算外のことが起こっちゃったんで、三井さんの口で面倒見てもらえたらなあ、
なんて……」
「いやだ」
にべもない返事だった。はねつけられたことが何だかショックでしばらくそのままでいたが、
やっとのことで仙道は三井の頬から手を離し、そのまま己れの下半身に持っていった。
しようがないから自分で処理しようと下着を下ろしたところを三井の手に阻まれる。
彼は渋面を作っていた。
「口でなんて一度もやったことねえよ。……そんな気色わりいことできっかよ」
「えっ、彼氏ともやったことなかったんですか?」
あまりの意外さに、気がついたときには素直に疑問を発していた。すかさず三井の手が上がり、
思いきり後頭部を平手打ちされた。
「彼氏じゃねえよ、彼氏じゃ。おめえと違ってオレはノーマルなんだからよ」
「すいません」
オレだってノーマルです、なんて言えばまた平手打ちに見舞われるだろう。
一言多くてろくなことはない。
「ったくよ。てめえにしろ鉄男にしろ、考えるこたぁみーんな一緒だぜ」
三井の相手の名前がぽろりとこぼれ出る。しかしそのこと
をどうこう思うより先に、細く長い指が仙道の分身に絡みついてきた。
「やってやるよ。情けねえツラしてこそこそ始末すんじゃねえ」
その言葉が耳に入った瞬間自分がどんな顔をしたのか、仙道にはわからなかった。
ただ三井の目が笑ったので、とんでもない間抜け面をしたのだと感じた。
「ただし、テクの方は保証できねえからな」
彼はそう続け、手を動かし始めた。甘い感動が仙道の全身に走る。
実際のところ、上手下手は問題ではなかった。相手の見せた意外な歩み寄りに不意を打たれ、
本当にあっけなく仙道はのぼりつめた。
最愛の恋人には少しくらいは冷たいままでいてもらった方がいいのかもしれない。
少なくともしばらくの間は。
三井の手と腹を汚した余韻に浸って、息を整えながら考える。
当の三井は体液まみれの手を目にして眉をひそめ、その手を着崩れた仙道の浴衣の胸元で
拭っていた。その行為をじっと目で追っていると彼は視線を上げた。
「何だよ。てめえのだから文句なんか言わせねえぞ」
「いえ、別にそういうわけじゃ……」
さも汚いもののように扱われてまた軽い落胆を覚えただけだ。
仙道は三井の前髪を掻き上げた。
「三井さん、こういうこと嫌い?」
きれいな唇が少し尖ってから開く。
「好きなわけ、ねえだろ。男同士でやって何が楽しい」
「じゃあ何で鉄男って人と続いてたんですか?」
予想外の質問だったのか、三井は一瞬怯んだ。しかし今度も真面目に仙道の問いを受け止めた。
「鉄男とのことはな……あれは罰だ」
「罰? 何の?」
「好きなものに素直じゃなかったからだろ」
他人事のように言ってまっすぐな目を向けてくる。
「そりゃあ、こういうことしてりゃ、馴れて溺れることもあるさ。でもな、
そうなればなるほど後の気分は惨めなもんだったぜ」
三井は唇の片端を上げた。彼の持つ様々な顔の中のひとつ、大人の顔だ。普段は子供のように
無邪気でわがままで単純なのに、ときおりこうした表情を見せる。それが遠回りしてきた
道のりの長さを忍ばせるものであることに気づいたのは、彼の告白を聞いたいまが初めてで、
仙道は胸が苦しくなった。
知れば知るほど好きになる。本人が悔いている過去もいまのこの三井につながっているなら
自分にとっては正しい。
「ギシギシ音のするベッドに寝転がってよ、絡み合って脚開いてつっこまれていっちまえば
それでおしまい。……鉄男もオレも気持ちなんざ二の次だった。それでもあのアパートは
放課後に居場所のなかったオレにとっては落ち着ける場所だったけどな」
仙道は三井の頬に手をあてた。
「……けどその惨めさがあったから戻ってこれたんだぜ、きっと。……あいつとのことが
なかったら、一生自分のバカさ加減がわからなかったかもしんねえ」
傷があってなお際立つ容貌がある。同じように一度曲がったからこそ強くなる、
まっすぐで前向きな力というのがあるのではないだろうか。三井の意表をつく毅さに
仙道は完全につかまっていた。
「じゃあ三井さん、その人が罰なら、オレとのことは何?」 顔を近づけて問いかけた。
「……気の迷いだろ」
目を逸らさないで、すかさず三井は答えた。仙道の喉元に笑いがこみ上げてきた。
ずいぶんな答えだが、確かにその通りだろうなと思う。
彼は中断していた行為を再開した。
適温の暖房が熱く感じられるようになり、布団をはねのける。薄明かりの中、
仙道はひれ伏すようにして三井の体じゅうにキスの花を散らした。きめの細かい肌がしっとり
汗ばみ始める。邪魔な下着をおろし、微かに反応を示し始めた三井の若さを口に含むと、
頭の方で息を急激に呑むような音がした。
こういうことをするのは初めてだが、不思議に抵抗はなかった。自分がされていたときの
ことを思い出して、仙道は三井を追い上げた。三井は抵抗するように仙道の髪に指を埋めてきたが、
押しのける力は弱々しく、すぐに快楽に屈して切なそうに息を乱し始めた。
そうして欲望が育つと、限界を迎える前に仙道は顔を引いた。
先刻は余裕があるようでなく、三井の最後の瞬間を目におさめることができなかった。
今度こそはその顔を見てみたい。
中途半端なまま放り出された三井は、切羽詰まった表情で目を向けてきた。
仙道は一度額を撫で、安心させるように唇を合わせると、相手の快楽の中心に手で触れた。
三井は震え気味の息を小さく漏らし、顔を背けた。だが仙道はそれを許さず、
力で自分の方に向かせた。
「てめ……」
精一杯強いところを見せようとしているその顔がかえって征服欲を刺激するのだと、
彼は果たしてわかっているのだろうか。
「三井さんのいい顔、見せて下さい」
三井はその一瞬何を思ったのだろうか。侮辱されたと言いたげな表情が浮かんだのは束の間で、
すぐに諦めの色をのせて口角を上げた。皮肉めいた笑みだが、決して仙道を拒絶しているようには
見えない。
「……ったく、どいつもこいつも……」
前にも誰かに似たようなことを言われたりされたりしたことを言外に匂わせて、
三井は目を閉じ眉根を寄せた。
その誰かとは男で、たぶん鉄男というやつだろう。直観的に仙道は認識した。
彼は三井の雄に触れた指を動かし始めた。一度顎が跳ね、すぐに苦しみに耐えるように
引き寄せられる。
鉄男って人に気持ちはなかったって三井さんは言うけど……。
目の下で三井は唇を噛み、目元をうっすらと潤ませている。本能的に逃げようとする顔は、
仙道の手に阻まれその場に縫い止められて動かない。
……それってたぶん思い違いだと思いますよ。
顔も知らない男の気持ちが、仙道には何となくわかるような気がする。
自分勝手な欲望の処理ならほかにも色々やり方はあるだろう。
なにより、黙って落ち着ける場所を空けておき、そのくせ縛るようなことを何も言わない
というのは、ちょっとやそっとの気持ちではできないような気がした。
ふらりと舞い込んだ翼の傷ついた鳥は、いつかまた仲間の元へ戻っていくとわかって
いたのだろうか。美しすぎる想像だが、目の前の青年の、はすっぱな口をきく割には
汚れきっていないナイーヴさを見ているとそう思える。
やがて三井は耐えきれず唇を開き、荒い呼吸を刻むようになった。
「……も……いい加減に……」
とぎれとぎれの言葉も、懇願より強気に聞こえる。一度きつくつむった後薄く開いた目が
涙で鈍い光を放っているのを見たとき、高いプライドと快楽の狭間でもみくしゃになる
三井の心をかいま見たような気がして、たまらなくなった。そして三井のその瞬間の顔が
見たかったのに、思わず自由な片腕で抱きしめていた。
すでに傾いている仙道の気持ちがさらに傾く。やばい傾斜角度だった。
やがて三井の解放を誘う動きをしていた手指を温かいものが濡らした。頭を三井の肩口に
埋めていた仙道の左耳が、不規則でせわしない呼吸の音をとらえる。空唾を呑み込む音の
混じるのがどうしようもなく気持ちを煽った。
仙道は顔を上げ、三井の表情を見た。頬を上気させ、余韻と脱力感に身を任せているが、
どこか苦しげだ。
注がれる愛情に馴れていて、そのくせ人一倍愛されることに臆病で鈍感な彼は、
もしかしたら人の手で与えられる陶酔の全てに嫌悪感を抱いていたのではないだろうか。
罰だなんて、思っちゃいけないですよ、三井さん。
仙道は相手の弁護をするつもりはなかった。しかし、三井がその男との過去に抱いている
こだわりは何らかの形で昇華させてやりたかった。そのためには敵にワン・ゴールくらい
決めさせてやってもいい。結果としてそれで試合を失うことになってしまうとしたら……。
さあて、どうしましょうかね。
詰めの甘い自信家は、今度も負けた自分の姿が想像できなかった。
「三井さん」
名前を呼ぶと瞼が上がり、まだ潤んでいる目を向けてきた。
「オレね、鉄男さんって人の気持ち、ちょっとだけわかる気がするんです」
三井の視線が揺れた。「生意気言うな」の一言とともにまた手が飛んでくるかもしれないと
思ったが、実際には三井は手をあげようともしなかった。
「信じて下さいよ、オレの言うこと」
彼は戸惑ったように目を逸らした。
「嫌いだったらそばになんかいてほしくない。面白半分なら続かない。ただのおもちゃなら
手垢がつく。……でも三井さん、口で言うほどスレてないじゃない」
三井の頬に手を当てる。
「……だからそのときは惨めな気分だったとしても、いままで引きずることないですよ。
……もうちょっと自信を持って。その人、きっと三井さんのこと大事にしてたはずだと
思うんですよね。……じゃないとオレの立場がない」
仙道は微笑んだ。部屋の中は静まり返り、自分の抑えた声しか聞こえない。
次の言葉は確信犯で口に出した。
「……大事な初恋の相手なんですから」
「……大勘違い野郎、初恋ってやつはなっ、うまくいかねえって相場が決まってんだ!」
目を逸らしたまま赤い顔をした三井が案の定言葉のつぶてを投げる。
「ものごとに例外はつきものですよ」
言いながら笑みがとめどなく広がっていくのがわかった。
可愛くてしようがない、と言われて喜ぶ男もいないだろうが、それに似た想いが胸の奥で
尽きることなく湧き出すのを感じる。
「オレが多数派になるか、それとも恵まれた少数派になるのかは、三井さん次第なんですけどね」
三井の体から目に見えて力が抜け、それから彼は一度深く息をついた。
「ホモのカップルが恵まれてるって言えんのかわかんねえけどよ……」
唇をつんと尖らせて独特の表情を作ると続けた。
「……もうごちゃごちゃ考えんのはめんどくせーや。そんなに言うなら、
しばらくはつきあってやるよ、てめえの悪趣味にな。ただし……」
と三井は耳元に囁いてきた。
「こんなオヤジみたいなだらだらしたやり方はやめろよな。しゃべるかやるかどっちかにしろ」
「それじゃあ、おしゃべりは後ということで」
仙道は今度こそ全面的に本能に従った。三井の快楽と己れの満足を追求するため動き始める。
夜はまだ浅い。
離れの部屋はそれまでにも人目を忍ぶカップルを懐に幾度も迎えてきたが、
その夜もとりわけ異彩を放つ二人連れを優しい沈黙で包み、見守っていた。