だいたい女どもはミーハーでいけない。
バスケのことなんぞ全くわかってもいないくせ、ちょっとばかり今風のルックスの連中に黄色い声を
張り上げている。入学したばかりのときは静かに練習できたのに、昨シーズン上位に食い込んで
目立ったおかげでギャラリーがつき、落ち着いて練習もできない。
やれ牧だ、三井だ、諸星だ、と声援は騒々しく続くのだが、その中にオレ、河田雅史の名前のない
のも妙な話だ。いや、名誉にかけて言うが、「だから」気にくわないわけではない、念のため。
そして騒ぎは今年になっていっそう激しくなった。
これといってめぼしい推薦選手の入学しなかった年だが、とんでもない男が、こともあろうに
「正門」から入ってきたからだ。
そいつの名前は仙道彰。
二年ぐらい前の週刊バスケットボールで初めて名前を見て、その後で山王の後輩沢北から中学時代
対戦したときの印象を聞いた。まあ正直そのときは記者の買いかぶりぐらいにしか思っていなかった。
実際のプレーを見たことがないのだから、判断のしようもなかったのだが。
そしてその名前はいつの間にか高校バスケの世界から消えていた。よくあることだから、気にも
かけなかった。
だからそいつが一般入学生としてバスケ部に入ってきたときは驚いたが、同時にお手並み拝見と
思った。二年前のインターハイで湘北の一年坊主どもとやりあう前、唯一沢北がひっかかりを見せて
いた男だ。
だがそれほど部員のあふれかえっているわけでないこの部にもそれなりにランクづけがあって、
一般学生はしばらく別メニューで練習することになっている。そして、能力を認められた者は選手
予備軍として「格」上げされるのだが、仙道の場合もそのまれなケースだった。
最初のうち、故障上がりということでゆっくりとならしていったようだが、初夏に入り不安感も
消えたのだろう、飛ばし始めると推薦入学の連中も含め、同学年の誰も仙道を止めることができなく
なった。それはまさしく牧の言っていた通りだった。
仙道に勝てないのは上級生も同じことで、一対一をして何とか形になるのは、オレたち二年の
四人組ぐらいだった。だから、なのか、気がつくといつの間にかあいつのにやけ面がそばにあることが
多かった。
もともと人見知りしない性格らしく同学年の連中の受けも悪くないようだし、多少ルーズなところは
あるが上級生もあいつのことをなしくずしに認めてしまっている。ただ一人、三井を除いては。
その三井だが、仙道の何が気に入らないのか、やたらあいつを邪険に扱った。ほかの一年生には
無理してそれなりにいい先輩ぶりを見せているのに、一人だけ逆の意味で特別扱いだ。会話も
ぎくしゃくしているし、ときどきあからさまに避けるような行動をとっていた。
これは昔神奈川で何かあったか、という考えが直観的に閃いたが、何にしろいまのところ部活に
支障はないからいいだろう。いや、支障がない、というより……。
「すげえ……」
隣りでポカリを飲んでいた諸星が呟いた。コート上ではレギュラー組が三対三をやっている。
三井と仙道に三年の先輩を加えたチームと、三年二人に牧を入れたチームが対戦しており、三点
シュートを放つ振りをしてディフェンスをかわした三井がマークをはずした仙道にタイミング良く
パスを通して仙道がジャンプシュートを決めたところだった。
「ふだん仲悪いのにわかんないもんだよな」
ボールが宙高く舞い上がりリングのまん中を通り抜けるのを見て諸星は続けたが、すぐに笑って
付け足した。
「ありゃあ、仲が悪いってんじゃないか」
「三井が一方的に距離とってるだけだろ?」
オレの見たところ仙道は誰とも無難につきあっていけるタイプのようだが、なぜか三井だけは妙に
ガードが固く、言葉を交わしているところになどめったにお目にかかったことがない。まあそれで
仙道がどう思おうが構わないのだが、実は一度だけ当事者にあたってみたことがある。
「あいつ、昔仙道に襲われでもしたんじゃねえか?」
オレが言うと、諸星はポカリでむせ返った。しばらく苦しそうに咳こんでいたが、やがて少し
収まると涙目を向けてきた。
「……何だよ、河田、そいつは」
「三井のやつ、変に可愛いところがあるからなあ」
「おまえ、もしかしてそれ三井にも……」
「言ったらいまごろ憤死してるだろ。言ってねえよ」
オレはまだ軽く咳こんでいる諸星の背中をさすりながら続けた。
「でも仙道には言った」
「……」
諸星はオレの顔をしばらく見ていたが、実は興味津々なのはよくわかった。
「……で、仙道は何て答えたんだ?」
「『いやあ、まだ襲ったことはないっすよ、はっはっはっ』。……まったく、つかめねえやつだぜ」
「そりゃおまえだろ」
諸星は肩をすくめた。オレほどわかりやすい人間も、三井を除いてはいないだろうと言おうと
したが、ちょうどそこでオレたちの出番になったので話は立ち消えになった。見れば五分間の
対戦結果は十一対八で三井チームの勝ちだった。
* * *
夏休みに入ると練習は一段と厳しくなる。そしてさらにハードな練習に汗を流すことになるのが、
恒例になっている一週間の合宿だった。
それは避暑地にある大学の寮で行われる。大学などの施設が比較的集まっている土地で、深体大の
合宿所もそばにあった。もっとも前の年は合宿が重ならず、特に何もなく過ぎたが、今年は日程が
重なり、向こうの方から練習試合の申し入れがあったのだった。
そんな訳で合宿に入って五日目、オレたちはこうして深体大の体育館に乗り込んできている。
もちろんオレははなっから勝つつもりでいたのだが、それは根拠のない自信ではなく、現実に
対深体大戦初勝利が濃厚なところまできている。創部以来の快挙に三、四年生たちは大騒ぎを
していたが、試合終了間際のいまコートに出ている五人の顔ぶれを見れば、それも当然のことだろう。
ガードに牧、三井、諸星の三枚。フォワードが仙道。そして要のセンターがオレ。
手前味噌だが、これだけバスケ・センスと実力の備わったメンバーがいれば、いくら王者深体大とは
いえ、負ける気がしない。深体大には山王の先輩が多いので、しっかり恩返しをさせてもらうつもり
だ。
ガードが三枚とはいっても、三人ともインサイドに攻め込むこともできるし、アウトサイドは三井と
諸星のロングシュートがかなりの確率で決まり、まるでボディブローのように深体大の戦意を殺いで
いた。牧のゲームメークは攻撃的で容赦ない。
その上に、仙道が重要な得点源となっていた。
緊張感とは縁なしの普段ののんびりぶりが信じられない……と練習のときも思うのだが、試合に
なるともう一皮むけた感じになる。大胆さと緻密さの同居するスケールの大きなプレーは、沢北や
流川や桜木たちとはまた違った才能を伝えてきて、思わず楽しくなってコートの上で笑ってしまった。
まったく、敵にまわしたら厄介な相手だったろう。入試に受かってくれて本当に良かったと思う。
「河田、何にやついてる!」
間が悪くベンチから声がかかる。これは最後までコートにいられないかと思ったら、案の定交代の
声がかかった。まあいい。どうせあと一分だ。
現在点差は五。僅差というやつだろうが、後半にセンパイたちからゲームを引き継いだときには
十点負けていたから、まあまあの結果だ。……いや、まだ終わっていないからそう言ってしまって
はまずいか。
深体大ボールだが、センターがオレでなくともきっと残りの四人が守り抜いてくれるはずだ。
普段はまとまりのない連中でも、コート上での信頼感は絶大だ。
オレの想像通り、諸星が深体大のパスをカットし、すかさずボールを牧に回した。牧は強引に
切り込むように見せて仙道にパスをする。そこまでかなり点を稼いでいた仙道にはすぐに
ディフェンスが二枚つき、やつはコーナーへと追いつめられた。ラインを割るのは時間の問題に
見えた。深体大はスターターを引っ込めてはいたが、だてに天下の常勝軍団に属しているわけでは
ないということだ。が、そのときだった。
仙道のキープしているはずのボールが3ポイントラインの外側にいた三井へといつの間にか渡り、
高い軌道のシュートがリングの真ん中を射抜いたのだった。
いつの間にか、というのは、たぶん仙道のマークについていたやつらが感じたに違いないことで、
オレはしっかりこの目で見ていた。
三井が移動する先に、仙道が測ったように正確なノールックパスを、ほとんど隙のないディフェンス
をかいくぐるように決めたのだった。
「……へえ……?」
オレは思わず声を上げた。
二人とも相手の位置や意図をすっかり把握していたかのようだった。以心伝心という言葉があるが、
それを形に表せば、バスケではいまのような絵柄になるに違いない。これまで聞いたところ、二年前の
国体のときには合宿で顔を合わせたことがあったらしいが、一時的なことだし、大学に入るまで同じ
チームでプレーしたことがないとはとても見えなかった。まして普段の距離を考えれば奇跡に等しい
プレーだ。
試合では抜群のチームプレーを見せる選手同士が、コートやグラウンドを一歩出たなら犬猿の仲、
というのは聞かないことではないが、三井と仙道の間柄はそれとも違うように見える。角をつき
合わせるぐらいなら、まだとっかかりがあるものだ。
ともあれゲームの方はその三点シュートで決まった。残り三十秒を切ると、ベンチに引っ込んで
いたセンパイたちの腰が浮き始めた。あと十秒というところで控えの連中のカウントダウンが少し
遠慮がちに始まり、一つ数を減らすごと声は大きくなっていった。秒読みがゼロになった瞬間、
ベンチは空になった。周囲の出足の速さにオレは出遅れてしまい、出鼻を挫かれてそのままの位置で
構えていたが、おかげでまたも珍しい光景にお目にかかってしまった。
三井が仙道に抱きついたのだ。まるで飛び込むような勢いで一散に駆け寄って肩に乱暴に手を
まわし、あのツンツン頭をくしゃくしゃにかき混ぜる。抱きついたとはいってもその程度で、
荒っぽい歓喜の表現だったが、三井が浮かべているのは、それまで見たことのない最高の笑顔だった。
「……なんだあ? あいつ、仙道のこと敬遠してんじゃなかったのか?」
仙道も仙道で、深体大撃破を三井ほど喜んではいないようだったが、相手がそばにいることを当然と
受け止めているように見えた。
頭の中に違和感が膨れ始める。いや、答えはとうに出ているはずなのだが、なぜか簡単には見えて
こない。
考えをめぐらしている間にコート上の風景は変化し、改めてもう一度コート上のそのあたりに目を
向けると、すでに問題の二人は何ごともなかったかのように距離をとって勝利を喜ぶ渦の中にいた。
「はて……」
あの二人は仲がいいのか悪いのか。ひょっとして三井の態度は小学生並みの幼稚さからくるやつ
なのだろうか?
たとえば仙道が女にもてて、早くも追っかけギャルがつきはじめているのが気にくわないとか?
たとえば仙道を気に入っているから、かえって逆の態度をとってしまうとか?
たとえば……?
何となく答えが見えかかったところに牧と諸星が戻ってきた。
「やったぜ」
諸星が小さくガッツポーズをとる。牧はマネージャーの光岡からタオルを受け取って汗を拭うと
笑った。
「練習試合とは言っても、勝てば嬉しいよな。相手は天下の深体大だ」
「すごかったよ、全然負ける気がしなかったもの。ね、河田くん?」
光岡が同意を求めてきたところで背中を強くどつかれた。
「まったく、おめえはよ、自分だけ途中で抜けて楽してんなよな」
振り返ると、さっきのカワイイ笑顔はどこへやら、眉間に皺を寄せた三井一流の表情があった。
まあ、それもこいつの可愛さだとは認めるが。
オレは笑った。
「楽かあ……。そういや、おまえに技かけられるぐらい元気だな」
言うが早いか三井の腕を掴んで体を引き寄せ、体重が背中にかかってきたのを確かめて体を返した。
オレに比べれば数段華奢な三井の体は簡単に宙に舞った。この一年の成果で三井は咄嗟に受け身を
とる。もちろんオレも大事なシューターに怪我をさせるような投げ方はしていない。
「くっそ、河田、いきなり卑怯だぞ!」
体育館の床にぺたんと座り込むようにして三井は怒鳴ってくる。どんなに睨んでも迫力はない。
「大丈夫ですか、三井さん」
そのときすっと差し出された手を自然に掴み三井は立ち上がったが、立ち上がった後でそれが
仙道の手だということを確認して、決まり悪そうに小声で礼を言った。仙道は三井のそうした態度に
気を悪くした風でもなく言った。
「まったく、河さんは三井さんを可愛がりすぎなんですよ。チームにとっても大事な人なんですから、
あんまり荒っぽくして壊したりしないで下さいね」
「な、何だよ、仙道、これが可愛がってるって態度かよ!」
三井は当惑と怒りが半々といった態で喚いている。オレは仙道を見直した。冗談のわかるやつは
嫌いじゃない。
そんな風にコートサイドでわいわいやっていると、深体大のベンチの方から、見知ったやつが
やってきた。
「相変わらずだな、三井は」
未来の「全日本センター」最右翼が声をかけてくる。深体大は将来を託すのに赤木剛憲という男を
選んだわけだが、それは日本のバスケ界にとって絶対的な答えではないはずだ。
「賑やかだと思うと、いつも中心は桜木かおまえだ」
赤木が言うと、三井の眉がいっそう上がった。
「てめーも相変わらずゴリラだな」
くそまじめ丸出しのゴリラは三井の暴言にこめかみをひくつかせたが、結局自分の方が大人に
なろうと決めたらしく、何も言わなかった。この二人を見ていると、どうしてあんなバラバラな
チームに山王が負けたのかわからなくなる。が、それを追究し始めると不毛なことになるのでやめた。
そのうちオレは山王のOBにつかまって「どうしてうちに来なかった」と冗談半分で責められ
始めた。まあ、赤木という対抗馬がいたとしても、そっちの方が無難な道だっただろうが、たまには
大博打を打ってみてもいいか、と思ったわけだ。もっとも牧、三井、諸星の三人が入学を決めたと
聞いていたので、大博打というほどでもなかったか。
そういえば、沢北のやつは二年前のインハイで緒戦敗退してからアメリカ行きを延期し、この春に
深体大に進んでいた。進学に際しては引く手あまただったのだろうが、結局落ち着くところに
落ち着いたことになる。深体大が秘密兵器としてとっておくつもりなのかベンチ入りしていなかった
し、オレをつるし上げる山王OBの中にも顔が見えなかったので目で探すと、ベンチに一人で座って
いた仙道のところに行って言葉を交わしているのが見えた。沢北の不敵な表情と、人の良さそうな
仙道の笑顔が好対照だ。
面白い。沢北は流川と、ついでに中学時代からの引っかかり、仙道を蹴散らして渡米するつもりの
ようだ。だが、もちろん勝負は中坊のころと同じには運ばないだろう。果たしてあいつはアメリカに
行けるのか? 逃げるのが嫌いなやつだから案外難しいかもしれない……というのが、オレが仙道を
知っての感想だ。
試合後はしばらくそんな風に同窓会やら親睦会やらの様相を呈していたが、さすがに大人数過ぎて
合同の打ち上げなどはできず、オレたちは少しして合宿所に引き上げた。
合宿はあと一日だが、深体大に勝ったことが緊張感と高揚感をほどよく盛り上げ、最高の気分で
残り一日を迎えられそうだった。そして明後日は簡単な紅白戦をして、その後で秋以降の戦いに臨む
ベンチ入りメンバーの発表となるだろう。生き残れるか否か。合宿の個人的成果にとりあえずの評価が
下されるときだ。
* * *
一夜明けると、深体大に対する勝利も過去のものになっていた。
ただ「深体大にも勝てるチームにいる」というのはいっそうの励みになったらしく、恰好の緊張感を
持続して合宿の厳しい練習を全員無事に乗り切った。
帰京前夜は恒例の打ち上げで、宴会の幹事は二年生がすることになっている。こういうときどういう
わけかオレと諸星にお鉢がまわってきてしまう。まあ、はっきり言ってオレたちは目立つ方だし、
騒ぐのも嫌いじゃない。それに牧や三井はこういうことには不向きだから、好きなようにやらせて
もらおうかとも思うが。
そういうわけで、打ち上げの目玉は胆だめしということになった。月並みだが、けっこう人間性が
見えて面白いプログラムだ。
合宿所から十分ほど歩いたところにおあつらえむきの寺と廃校があるので、まだ日のあるうちに
一年坊主どもを走らせて、墓地の奥とその学校の旧理科室の二カ所に東京から持ってきた部員の名札を
置いてこさせた。
「なあ、仙道はやっぱり三井だよな」
二人一組にするためのくじを作っている最中、諸星がぽつりと言った。
「あの二人、組ませたら絶対面白いと思うんだけどな」
オレは諸星の顔を見た。
「……やるか?」
「おう」
「おっし、これぐらい幹事の特権だぜ」
オレたちは早速相談し、いかさまくじ引きの計画を立てた。
* * *
さて、夕食からなだれ込むようにして打ち上げの宴会は始まった。リベラルな雰囲気のわが
バスケ部の酒席はいつもなかなかいい雰囲気で進行する。プロレスの技を披露するのも余興の
ひとつだが、三井に逃げられて一年生に相手をしてもらうことになった。そしてあまり酒の
まわらないうちに胆だめしを実行することにした。
名札を二カ所に別々に置いた段階で二組に分けてあるので、それぞれのグループでくじ引きを行い、
別の組の同じ番号を引いた相手と組むという方法をとった。
諸星とオレで二手に分かれて集会室をまわり、くじを引かせた。
「おい、河田、胆だめしなんてガキくせえこと、本当にすんのかよ」
三井と牧のところまでまわって行ったとき、三井は少し不満そうに言った。
「何だよ、三井、怖いのか?」
笑いながら言うと、むっとしたように唇を尖らせる。
「そんなことねえけどよ」
そこで思いついたように言い足した。
「でも、オレも二年生だし幹事の一人だろ? だったら裏方をしなきゃいけないんじゃないか?」
「別に置いといた名札を取りに行くだけだから、裏方なんて必要ねえんだ」
「……おまえもやるんだろうな」
「当然だ。……何だ、おまえ怖いのか?」
オレが言うと、三井は言い訳で墓穴を掘った。
「……そんなことねえけどよ、だいたい女がいるわけでもねえのに、つまんねえだろ?」
「あら、聞き捨てならないわね!」
三井の言ったことを聞きつけて、斜め後ろに座っていたマネージャーのお姉さま方が眦を上げた。
「わたしたちは女じゃないっての、三井くん?」
男子バスケ部のマネージャーは粒ぞろいとの評判だが、鬼のようにきつく、部内ではもっぱら
「外面は詐欺」との声が潜行している。
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「いいわ、楽しみにしてらっしゃい。くじで一緒になったら、可愛がってあげるからね」
しどろもどろで答える三井にチーフマネージャーが言った。隣りでは光岡が笑いをこらえている。
オレはくじの入った袋を三井につきだした。
「……くじ運がいいことを祈ってるぜ」
袋は、実はうまいことすり替えてある。三井と仙道に引かせるときだけ別の袋とすりかえるという
寸法だ。それには同じ番号のくじしか入っていないし、本当のくじの袋からは当然その番号は除いて
ある。
三井は往生際悪く袋の中をごそごそとあさっていたが、ついに思い切ったように一枚を引き出した。
二つ折りしてある紙片を開く。
「七番」
ぼそっと呟くと、マネージャーの固まっていたテーブルから落胆のため息が漏れた。
「……はずれ?」
三井はおずおずと、だが嬉しそうに呟いた。
「そうあからさまに喜ばないの」
もう一人の先輩マネージャーが言って三井を睨んだ。だが、それだけでマネージャーたちは三井に
絡むことをやめた。何やかや言っても、三井を気に入って遊んでいるだけなのはよくわかる。三井は
同性から好かれるタイプだが、決して女に人気がないわけではなかった。光岡のことにしてもそうだ。
去年の夏、ちょうど合宿に入る前にあいつは何を考えているのか光岡を振ったらしいが、直後は
かえって振られた光岡の方が元気が良く、三井は変にぴりぴりしていた。まあ分不相応に光岡みたいな
娘を振ったのだ、暑さで頭がおかしくなっていたのかもしれない。
ともあれ全員がくじを引き終わり、あちらこちらで相棒を探す声が飛び交った。
「七番ー! おい、ラッキー・セブンはどいつだ?」
三井は偉そうに声を上げた。諸星のまわった方は一年生プラス女性組だったので、一年生の方に
足を向ける。
「あ、オレ七番です」
騒ぎの向こうから応える声がした。三井はその方に向かい、相手を確認して決まり悪そうな顔を
した。仙道が困ったように笑った。
「おう、三井、おまえは仙道とか。頼りがいのあるやつで良かったじゃないか」
三井が振り返るのに、オレは釘を刺した。三井は珍しく何も言わなかった。
胆だめしはタイムトライアルで行うことにした。前の組が出発して十分経ったら、次の組が
出発する。時間はかかるが、途中まず誰にも会わないので、その方が気分は盛り上がるはずだ。
幕開けのセレモニーはお決まりの怪談である。
「……外は雨が降り出した。音も立てずに宿直室を包んでいく。少し前の落雷のためか明かりが
つかず、真夏で暑いはずなのに鳥肌が立ってたまらなかった」
照明を消してたった一本の蝋燭の明かりで諸星が話す。仲間内でいちばんしゃべりが得意なだけ
あり、全員固唾を飲んで聞き入っている。
「そのときその教師と友人は不意に外の方から何か音が聞こえてくるのに気づいた。音は何かを
引きずっているようで、次第に彼らのいる宿直室の方に近づいてくる。うなじがぞくりとした。
別に何ということもない。あまりにも重いものだったら、引きずって歩いたって不思議じゃない。
何とか理性的に考えようとするのだが、正体の知れない不安感が背筋を這い昇ってくる。まるで
冷たい湿気が肌の上を撫でていくようだった。……やがて音は宿直室のすぐ前まで来て止まった。
緊張感は極点に達し、微動だにできなかった。窓の方を見てはいけない、見てはいけない。何かが
頭の中で強く訴えかけてきている。しかし心の別の部分が強烈な引力を感じていた。そして、彼らは
どうしても見ずにはいられなかったらしい。……二人そろって窓の方に目をやると、そこには……」
諸星の合図でオレは顔の下から懐中電灯の光を上向きにあてた。
「きゃあああっ!」
「うわーっ!」
絹やら木綿やらを引き裂くような悲鳴が上がって、部屋中大騒ぎになった。
「何だよ、河田かよ、おどかすなって」
「もう、心臓止まるかと思ったわよォ」
しばらくして口々にそんなことを言う。オレとしては少々不満だ。
「ま、いまから行く小学校の校舎にはそういういわくがあるとかないとか」
諸星が電灯をつけながら意味ありげな表情で言った。何を見たのかわからない以上、どうした
いわくなのかよくわからないが、雰囲気作りはこの上なかった。
「さあ、それじゃ始めるぞ」
みんな何のかんの言いながら、けっこう楽しんでいた。終わったペアはその気楽さから、より
いっそう待機しているペアの恐怖を煽る。三井・仙道組の順番がまわってくるころには妙な声が
聞こえてきたとか不審な光を見たとか、諸星の怪談に尾鰭がついていた。
「じゃ、行って来ます」
三井の隣りで緊張感の全く感じられない仙道が言い、問題の二人は出発して行った。