昔々、羽後ノ国の山奥に、三井と仙道という駆け落ち者が住んでおった。
二人は麓の山王の里で、仙道が作った笠を売って暮らしを立てておったんじゃが、
あいにく今日は仙道に持病の眠い眠いが出てしまってのう、仕方なく三井独りで雪を掻き分け里へと
向こうた。
三井はの、年の頃は十八、それは端正な顔立ちをした男でな、ま、いつもはこの顔に引き寄せられた
客を、ひとつ年下の仙道がやんわりとした接客術(ホスト経験あり)で絡め取っておったのじゃが、
今日は一人、顔とは正反対の口の悪さ(元ヤンキー)でせっかくのお馴染みさんとまで喧嘩して
しもうて、笠はひとつも売れんかった。
「どうすっかなー」
笠の代金で正月用品を買うつもりだったのによ。
帰り道の神社でくすねた餅を懐に、仙道への言い訳を考える三井じゃった。
ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら山の登り口まで来てみると、いつも見慣れた
お地蔵様の姿が目に入った。
この地蔵達は「山王ファイブ」と呼ばれておって、以前は籠球にえろう御利益があるとかで
遠くからも大勢のお参りがあったんじゃが、近年どこやらに似たような美形地蔵が出来てからは人気に
翳りが見え、今ではお参りする人もほとんど無く打ち捨てられておった。
「籠球……か……」
三井は十五の歳に相模ノ国最優秀選手になって、将軍さまの御前試合にも出たほどの籠球選手
じゃった。ところが十六の時にグレてしもうてな、結局二年ほどして籠球部に戻ってきたんじゃが、
ある日街でヤンキー時代の喧嘩友達に囲まれてしもうた。危うく連れ去られるところを、たまたま
通りかかった仙道が「金を払うから」と話をつけたそうじゃ。
「仙道……」
ほとんど面識も無い年下に助けられた恥ずかしさと安堵感から少しウル目で見上げる三井は、
何時にも増して別嬪じゃった。
「金はオレが勝手に払うと言ったんですから、三井さんは何も心配しなくていいんですよ」
「で、でもよ……」
「うちは貧乏御家人でアルバイトには慣れているんです、オレ」
「(それに三井さんがそんなことしたら危なくて)三井さんは籠球の事だけ考えてください、
せっかく復帰したんですから」
「けどな」
「じゃあ休日に籠球の相手をお願いしちゃおうかな」
仙道は学問所始まって以来の籠球の天才と謳われて、私塾を開いておった田岡に請われて江戸から
相模へ来ておったんじゃが、塾生とホストという二足の草鞋を履いたのにはこういう理由があった
そうな。
それにしても、甘い二枚目顔をにっこりさせてさりげなくお付き合いを始めるあたり、只の天才
ではないようじゃの。
籠球の相手は自分も楽しいからいいとして、三井はやっぱり仙道が負担してくれた金を返そうと
思ってあれこれがんばったんじゃが……、根がお人よし、甘い言葉にころっと騙されて大変な額の
借金をこさえた上に、田岡が大のお気に入りの三井と娘との縁談ばなしを持ち込んできて、
がけっぷちになった三井は仙道に手を引かれて国を出奔したんじゃ。
「オレが相模に来たのはね、御前試合で三井さんを見たからなんですよ」
「あの時の三井さんが髪さらさらさせながら3Pを打つ姿、オレ目が釘付けでしたよ」
おまけに綺麗でかわいくて、などと続けると殴られるに決まっているのでこっそり胸の内で
呟く仙道じゃった。
「あ、もちろん元服した今の髪型も男らしくて素敵ですよ、三井さんて元がいいから本当に
何でも決まりますね」
「いいなあ」
「決めたきゃお前のその髪型をどうにかすりゃいいんじゃねえの」
下がり眉をさらに下げながら短い茶髪へと伸びてくるちゃっかり者の手を叩き落とすと、
三井は悪態をつきおった。今のままでも十分仙道がもてるのはわかっていたんじゃが、
誉められて照れ臭かったんだのう。
「いやー、これはうちの御先祖がちょっと傾いてこんな髪型にしちゃったらしくて、
家訓で一族の男子は皆こうなんですよ」
家訓。
籠球以外のこいつのいかれた感性は突然変異だとばかり思っていたが、血筋か……。
にこやかに笑う隣の男のつんつん立った黒髪を横目に、仙道家恐るべし、と三井は思うた。
「それでね、この人と一緒に籠球をやってみたいと思ったんです。塾は違っても国が
一緒なら機会もあるからね」
「そして思った以上に楽しかった。だから試合よりこうやって三井さんと籠球できる今が、
十分過ぎるくらいオレにとっては幸せなんですよ。まあここはちょっと寒いから、
ホストは儲かるけど見つかり易いんで、春になったら熊打ちでも樵でも何でもして、
お金が貯まったら暖かい相模へ帰りましょうね」
「すまねえ、国を捨てて籠球の試合にも出られなくなって」
日課の1ON1の後で詫びた時、仙道はのほほんとした口調でそう言ってから優しく笑って話を
締めくくったんじゃが、それは嘘ではないが全くの本心とも違うと思うとる三井じゃった。
仙道との籠球は確かに楽しい。期待や駆け引き、高揚感、そして強い相手によって自分の力が
さらに引き出された時の陶酔感、時間が過ぎるのが惜しいくらいだったが試合でしか
得られないものがあるのも事実だ。それはあいつもよくわかっているはず。
そして何より仙道をもっと多くの人に見せてやりたい。
その天才ぶりを毎日目の当たりにしている三井は素直にそう思うのじゃった。
だが現実は……。
身から出た錆。
生きたことわざ辞典のような三井じゃが、仙道を巻き込んでしまった上、笠ひとつ満足に
売れない自分の姿に胸はツキツキしてしもうてのう、いつもは一文字の眉が歪んでおったのじゃ。
どれくらいそこにおったかの。
目を上げると山王ファイブから伸びる影も随分長うなって、今年最後のおてんとうさまの役目も
後少しのようじゃった。
帰るか……と立ち上がった背から売れんかった笠が落ち、拾い上げた三井の視界に雪だらけの
地蔵達の姿が入って来た。今の自分の気持ちに打ち捨てられた姿が重なって、せめてこれでも
被せてやろうと手にした笠に力を込める三井じゃった。
右端の地蔵の雪をきれいに払って笠を被せる。歪んでいた赤いよだれかけを付け直してふと見ると
何か書いてあった。
「深…津。名前か?なんか聞いたことがあるな」
三井は必死に記憶の網を手繰り寄せて五日前の会話に辿り付きおった。
「……三井さん、麓の山王ファイブにまつわる言い伝え知ってますか?」
囲炉裏端で正月飾りの注連縄を作りながら仙道が尋ねてきた。
「ああ?聞いたことねえぞ、なんだよそれ……。まさか塾の怪談みてえなやつじゃねえだろうな」
向かいで草鞋作りの練習をしておった三井は実は恐がりでの、もう顔を引きつらせとる。
「うーん、別に恐くはないんですけどね。今朝川へ洗濯に行ったら彩子さんが」
「彩子に聞いたのか?」
お気に入りの、顔も性格もはっきりした美人の名前に、三井の顔がぱっと明るくなりおった。
「三井さん、人妻を呼び捨てにしたら怒られますよ」
「いいじゃねえか減るもんじゃなし、ああいうしゃきしゃきした奴はその方がいいんだよ。
そっか俺も今度洗濯しに行くかな」
「やめてください、布が破れますよ」
なんだとー、俺は洗濯ひとつ出来ねえって言ってんのか?という目つきを向けてくる三井に
仙道は慌てて言葉を取り繕うた。
「だって三井さん綺麗好きだから洗い過ぎちゃうでしょ(本当は乱暴なんですけどね)。
そうだ、リョータさんだって『アヤちゃん』て呼んでいるじゃないですか」
「あいつは彩子にベタ惚れだからな、外ではすばしっこくて勇敢なマタギでも家では尻に敷かれて
んだろ」
小柄なさっぱりと男らしい性格のリョータの顔を思い浮かべて三井は軽く笑った。
「三井さんのお尻にならオレいくらでも敷かれたい」
「……」
「そうだ、オレのことはもちろん『彰』って呼んでくれていいんですよ、オレは夫ですから……
痛っ!」
始まった、ここで驚いたり怒ったら駄目だ、こういう時は無視が一番と冷たく聞き流して
いたんじゃが、煮過ぎた餅のようにダレた顔とタメを張るかのように、とんでもない事を
言い出しよった口に向かって三井は思いっきり拳を飛ばしておった。
「酷いれすよ三井さん、グーれ殴るなんて」
「だ、誰が夫だ!誰が!!」
「らって、駆け落ちしてきたじゃないれすか」
「お前とは一緒に逃げたけど駆け落ちなんかじゃねえ!もちろん夫にした覚えもねえ!」
肩をいからせ頭から湯気が出そうなほど真っ赤になった三井は、作りかけの草鞋を放り出すと
顔を押さえてうずくまる仙道を残して外に飛び出して行きおった。
「……ったくあの馬鹿野郎」
せっかく忘れていたことを、とプンプンする三井じゃがおかげで地蔵のこともしっかりと
思い出した。
「お前かー、冬至の丑の刻になると『ピョンピョン』喋るとかいう変な地蔵は」
そうは見えないんだけどな。
三井は両手で真面目そうな顔をした深津地蔵の口をこじ開けようとしおった。
ピョンピョン喋る地蔵。恐くねえのか? 三井。
「次はどいつだ? ……沢北。なんかこいつルカワの匂いがする」
ルカワというのはさっき話に出てきたリョータ夫婦が飼っている狐の名じゃ。
「こいつは苛めた奴に倍返ししてくれるんだったな」
ルカワのやつ、信じらんねえけど誰かに苛められて、油揚げくわえてお参りしてるのか?
ひょっとしてサクラギか……と山に棲む赤毛猿のやんちゃ顔を三井は思い浮かべた。
ルカワもサクラギもなんでかのう、動物好きの仙道には敵対心丸出しなくせに三井には
大層懐いておってな、騒がしいサクラギと普段は寝てばかりのルカワが、顔を合わせる度に
遊んでもらうのは自分の方だといわんばかりに派手な喧嘩を始めるのじゃった。
ルカワの匂いを嗅ぎながら三井は沢北地蔵にも仙道が編んだ笠を被せると次に移った。
よだれかけを手にする。
「お前は誰だ?」
「松本か。俺は誰だ?おう、俺は三井」
地蔵に名乗ってもしょうがないんじゃろうにな。
三井心と秋の空。
ついさっきまで沈んだ色をしておった瞳が今はきらきらと琥珀色に輝いて、いつものくるくると
よく変わる表情が戻ってきおった。
やっぱり三井には笑顔が一番じゃ。
笠の紐をしっかりと結ぶと湘北塾の塾歌なんぞ口ずさみだした、歌が上手になるという
松本地蔵のご利益を授かったかどうかさっそく試しておるんじゃろうか、気の早い奴。
にこにこしながら次の地蔵を見た三井は「うっ」となってしもうた。
なんかこいつの顔を見た途端息が苦しくなったぜ。
よだれかけには一之倉の文字。
「悪戯すると食いつかれて雷が鳴るまで離さねえ奴だったよな」
真冬というのに拳で額にじっとりと浮かんだ汗を拭う三井は、別名すっぽん地蔵に食らい
つかれて体力を吸われたかのようにヨロヨロしながら、やっとの思いで笠を被せ終える
のじゃった。
残った地蔵は一体、しかし三井の手にもう笠は残っておらんかった。
ポ○リが欲しい……。
雪に、ふらつく足を取られた三井は思わず最後の地蔵の厚い胸に縋り付いてしもうた。
冷たい石の感触が弱ったからだにはえろう心地良く、体力が回復していくように感じて、
柔らかい頬を当てるとそのままじっとしておった。
「わりい」
何故だかもっとそうしていたかったのじゃがバチが当たる、と心を残しつつ離れた。
他の地蔵とのこの態度の違いはいったいなんじゃろうか?
三井は腰に下げていた手ぬぐいを引き抜くと、笠の代わりに地蔵の頭に掛け頬かむりを
してやりながら、こいつ赤木に似てるなー、と学んでいた湘北塾同期のゴリラ顔を思い
浮かべとった。
「こいつの方が丸いよな、ま、地蔵だからな」
改めてその全体を見ると、不思議なことにこの一体だけはまるで磨き上げられたように
綺麗なのじゃ、しかも地蔵の必須アイテムのよだれかけをしておらん。
あの時の話にこの地蔵の事は出なかったから名前も言い伝えも無いんだろうか?
首が寒そうだなあ……。
「そうだ」
三井は邪気の無い笑みを浮かべながら帯に手を掛けスルスルと解くと、続いて着物をさらりと
脱ぎ捨てよった。
***しばし三井君の造形の美を想像してお楽しみ下さい***
細身ながらもしなやかな筋肉で覆われた白いからだの中央にはなにやら巻かれておった。
腹巻。
経的なものが多分にあるようだが、腹が弱い三井の為に仙道が犬の毛を紡いで
編み上げたものじゃ、しかも「三井寿」という名まで編み込んでの。「相合なんとか」のように
自分の名前も入れようとあれこれ画策しおったがそれだけは強力に拒んだ三井じゃった。
腹巻を脱ぐと三井はそれを地蔵の首にそっと巻いてやった。
「よだれかけよりずっとあったけえだろ?」
実は笠代わりにした手ぬぐいは厠で落としたりしてあまり清潔とは言えない代物での、
密かに三井は気にしておったんだ。得意げな顔は端から見ると美味しい御馳走のようじゃ。
磨くと何か御利益があるのかも……と今度は地蔵のからだを撫で摩る三井、仙道がおったら
よだれかけを着け慌てて走ってきそうな光景じゃのー。
クシュンッッ……。
同時に身震いが起こり慌てて着物を身に着ける。もったいないが風邪を引いたら
かわいそうじゃしな。
良いことをして心も軽く口も軽く
「今度仙道に魚を供えさせるからな」
三井は気楽に言うとダッシュして仙道の待つ山小屋へと向こうた。
「帰ったぞー」
走ってきた勢いのまま戸を開けたんじゃが中からの返事は無い、仙道はまだ眠っておるようじゃ。
いつもは夕食の匂いと一緒に「お帰りなさい三井さん、腹減ったでしょう」と前掛けに
たすき姿という仙道が迎えてくれるのじゃが。
弾んでおった息が急に静まってしもうた。
三井は上がり框に座って雪靴を脱ぐと仙道の傍に行った。布団からはみ出しておった
でかい足を蹴ってみたんじゃが起きる様子はない。今度は瞼をめくってみた。
「回復率五割か。この調子だと目覚めるのは明日の朝だよな」
……まさか年の暮れを一人で過ごすことになるとは思わなかったぜ。
「何かねえかな」
腹の虫の催促にあちこち探してみたんじゃが三井の手に負えるような食べ物はなんも無かった。
「仕方ねえ」
新年用にと思ってたのにな。
火をおこして懐の餅を取り出すと半分だけ焼いたんじゃが焦げてしもうた。
「苦げえ」
小さく文句を言うてみても宥める声はもちろんどこからも返ってはこんかった。
パチパチと囲炉裏の木のはぜる音が静かな部屋に小さく響く。抱えた膝に顎をのせてそれを
じっと聞いておる三井の瞳には飛び散る火の粉の煌きが映っておった。
仙道に地蔵の話を聞かせたらなんて言ったかな。
『それは良い事をしましたね、三井さん』とでも言って、馬鹿話して、明日は早起きして
初日を拝んで、餅焼いて……俺の分は食っちまったけど分けてくれるよな。あ〜あ、ろくに正月の
支度が無くても二人だったら楽しく新年を迎えられたのによ。
ちょっと恨めし気に布団に目を遣る三井じゃった。
三井は賑やかな方が好きな男で、人並み以上にデカい2人が寝起きするいつもは狭苦しい小屋を、
今夜はたいそう広く感じてしまうのじゃった。
ひとりではする事も特に無うて、腹を満たして火の始末をすると早々と仙道の布団に潜りこむ。
すると眠っている仙道が三井を抱き込んできた。胸に乗せられた腕の重さに後ろ向きになると
今度は唇がうなじに当たる。くすぐったさに少し身じろいでおったが、着物ごしに背に
伝わってくる肌の温もりに安心して目を閉じた三井は、しばらくすると昼間の疲れが出て健やかな
寝息をたてはじめよった。
三井が夢の真っ只中にいる頃、凍った月が照らす山道を登って来る一団がおった。
早く床についたせいか三井は夜明け前に目が覚めてしもうた。水が飲みたくなって
仙道の手をのけ、立ち上がった時じゃった。
何か聞こえる、歌声のような、何だろう?
普段なら恐くて布団を被ってじっとしておるのが精一杯な三井じゃが、あんまり良い声だった
ので窓をそっと小さく開けると、一面の銀世界の中、あるものが目に入ってきたんじゃ。
「地蔵だ、麓の」
何でここに移っているんだ?
そういえば子供の頃乳母に、親切にされた御地蔵様がおじいさんとおばあさんにお礼を
送ったという昔話を聞かされたっけな……。そうか!山王ファイブも笠のお礼に来たんだ。
そう思い至ると三井はもう嬉しくてのう、戸の前でうろうろしておった。やがてドカドカと
いう重いものを下ろす音が聞こえるや否や
「待ってましたいらっしゃいー」とばかりに勢いよく引き戸を開けよった。
戸の先には件の地蔵達。
「待ってたぜ、寒いのにすまなかったな。ま、中に入れよ」
ニコニコ顔の三井が声をかけるとすぐさま皆入ってきおった。
「おれこいつど大事な話があるんで抜けてもいいか?」
「かまわないピョン」
本当にピョンピョン喋るんだなーと、腹巻姿が意外とかわいい地蔵と話している深津地蔵に、
三井は感激した。
「こちらの事は俺達でちゃんとしておくから」
「すまねえな松本、おれのこどなのに、みんなもな」
「大丈夫」とか言いながら地蔵達は忙しく外の荷物を運び始めたんじゃ。
「深津さんこれどこに置きます?」
「床の間が無いから板の間でいいピョン」
「あ、お前は倍返し地蔵」
「おれは沢北っていう名だ」
沢北地蔵は語気荒く名乗ると嫌そうな顔をした、三井に似てどうもプライドが高そうじゃ。
「沢〜北〜。大事な人にそんな言葉使いすっどワザかけっぞ」
「す、すみません」
服巻地蔵が背中越しに低―い声で呟くと、沢北地蔵は担いでいた米俵を慌てて板の間に
置いて逃げるように外に出て行ってしもうた。どうもこの名無しの地蔵はかなりの実力者らしい。
「三井ちょっどいいか?」
「あ?ああ」
土間でぼーっと地蔵達の仕事ぶりを見ておった三井は腹巻地蔵と板の間に上がると、
相も変わらずぐっすり……という仙道の傍に座った。地蔵は照れくさいのかのう、言い出しにくい
のかのう、鼻をぽりぽりと掻いて黙っておる。三井はどちらかというと強面の部類に入る相手の
そんな様子が以外でな、思わずにっこりと極上の笑みを浮かべたんじゃ。それを見て地蔵は頬を
ほんのりと染めてしもうた。三井は、その顔を覗きこむようにしながら「俺に話ってなんだ?」と
聞いた。
「これすげえあっだけえな」
地蔵はまだ言い出しにくいのか、腹巻を撫でながら違う答えをしおった。
「そうか、役に立って俺も嬉しいぜ」
「ああ、本当に今日は色々と親切にしてもらっで助かった」
「いいっていいって」
こんなにいっぱいのプレゼント、俺の方が楽しい正月が送れそうだ、とひとりでに笑みが
零れてしまう三井。
「久しぶりのことでおれ本当に嬉しくで、なんかおまえの役に立ちたくでな、これはおれに
出来る精一杯の気持ちだ」
あまり何度も真面目顔で感謝の言葉を言われくすぐったくなった三井は、少し困ったような顔で
相手を見上げた。そんな様子を腹巻地蔵は驚いたようにじっと見ておった。
「河田これでいいか?」
「おお、立派に出来だな、十分だありがとうよ」
河田。河田って言うのかこの地蔵。
なーんだ、やっぱり名前があるんじゃねえか。後ろを向いて受け応えをしている地蔵の
丸い頭を眺めながら「か・わ・た」という三文字を三井は胸に刻み付けた。
「そういえば、お前なんで俺の名前知ってんだ?」
「おまえのこどならおれ何でも知ってるし何でも知りたいど思ってんだ」
何でも知りたい……。なんだか人気役者になったようで益々良い気分の三井は肝心の話が未だ
なことを忘れておるようじゃ。
狭い板の間にはいっぱいの荷物が、土間には仕事を終えた山王ファイブが並んどる。
「すげーな、これ本当にもらっていいのか?」
「ああ、全部おまえの物だ、ちょっど説明してやる」
三井は河田地蔵と一緒に綺麗に飾られた荷物の前に座った。
「酒と名物のあ○たこまちだろ、鴨に野菜、昆布と鰹節、それからこれは加賀ノ国の名産堅豆腐、
縄で縛ってあるのが珍しいだろ。するめに鮑に麻糸に扇。これは目録」
「冬至のお供えも持ってきたピョン」
深津地蔵が立派なかぼちゃを指差す。
嬉しそうに目を細める三井に河田地蔵が言った。
「じゃあ出掛けようか」
「え?どこへ」
「婚礼の席」
こんれいのせき? なんだそれは?
三井は思わず眉を寄せよった。
「みんな来るのを待ってるから」
待ってる?婚礼の席に主賓で御招待で御馳走ってのも付いてるのか、土産付きなら仙道にも
ご馳走食わせてやれるな。
「あ、でも俺そんな晴れがましい席に出るような着物が……」
口が悪くても育ちは良い三井、そういうところには気が回るのじゃ。
「大丈夫だ、こちらでちゃんと用意した。急で悪いがちょうど正月だ、めでたさも二倍と思っで、
いいだろう?」
「ああ、確かにな。でも俺どうしてもいかなきゃなんねえの?挨拶とか苦手なんだけどな」
「おまえがいねえど話になんねえ、おまえの祝言なんだからな」
「え??」
いつの間にか三井のすらりとした指は河田のごつい手にがっちりと握られておった。
部屋の隅では寝汗をかいた仙道がなにやら唸っている。悪い夢でも見ておるんかの。
何だ? 何だ? 何なんだ??
急に降ってわいた縁談どころか婚礼、しかも自分の。
「婚礼の席って、主賓で御招待じゃないのかよ!」
「違う、これからおれんどこ行っておまえの祝言を挙げるんだ」
話のなりゆきがさっぱりわからん三井はすっかり動転しておった。
「じゃあこのプレゼントはいったい……」
「結納だろーが、豪華九品目におまけ付きだぞ。あ○たこまちはもちろん給金の三ヶ月分だ」
呆れたように河田地蔵は告げた。
結納!!
三井は思わず目をこすった。
「な、なんで、なんで」
急にそんな事になるんだと心臓はバクバクじゃ。
「何でっでおめえがお願いしたんじゃねえか」
身に覚えの無い事を言われて結納から河田地蔵へ視線を転じると、地蔵は腹巻を掴んでおった。
「おれの首にこれ巻いただろ。男だし腹巻だし、どうしようかど思ったんだが……」
「あ?何のことかさっぱりわかんねー」
「何の事っで……、山王ファイブの言い伝えだよ」
「それってお前には無いんだろ」
河田地蔵は目を瞠いた。
「え、じゃあおまえ知らなかっだんか? おれの言い伝え」
コクコクと激しく頷く三井を横目で見る土間の地蔵達はの、少し涙ぐんだ顔がかわいいと思う
とった。
「おれには年頃の娘が自分と恋人の名前を書いたよだれかけを奉納するど一緒になれるど
いう言い伝えがあるんだ」
だからこいつにはよだれかけがなかったのか……。
「相手がいない娘は自分の名前だけ書いたのを奉納するどぴったりの相手が見つかるって
言われでて、願いが成就するどお礼にからだを磨きにくるんだ」
「へー、なかなか良い言い伝えだな。それでお前は他の地蔵より綺麗だったのか」
そんなに感心しとってもな、三井よ。
「で、三井寿の名前入り腹巻だろ、これは女だけの言い伝えだから正直おれ困ったんだぞ。
でもな、おまえ男だけどえらく綺麗だし、なんか儚げで、まだ願いも成就してないのに
一生懸命からだ磨いてくれたから、本当は規格外で却下なんだけどな、ああこいつはどうにか
しでやりたいと思ったんだ」
儚げ。どうやらフラフラしておったのがそう見えたらしいの。
「笠ももらったしな、腹巻も暖かかっだ、嬉しかったっでおれ言っただろ。それで特別に婚礼まで
準備したんだ」
そうか、そうか、それで俺に嫁を紹介しようとしてるのか、こいつ。それで結納か。
ということは婿養子なのか?俺。
「ところでおまえはどういう奴が好きだ?」
「う〜ん、俺ナイスバディではっきりした子がいいな」
お気に入りの彩子を思い浮かべてにっこりする。
「そうかそれはよかっだ、ぴっだりだ」
「そうなのか?」
「ああ、年は2つ下だ。背は一尺(約30cm)ほど違うかな、スラッとしたお前と並んでぴったり
くるナイスバディだ。色白だしな。性格はどちらかというど内気なんだがおまえにはそのほうが
いいど思うぞ、頼られるの好きだろ? お似合いだ、久々の3Pシュートってとこだ」
常勝の王者のように自信満々な河田地蔵。三井も小柄で可憐な山王美人が白い頬を染めて
恥かしそうに自分に寄りそう姿を想像して満更でもなさそうじゃ。
「名前もいいぞ。おまえの『寿』もめでたい名だよな」
「俺の名?確かにそうだな。それでその娘なんて言う名前なんだ?」
「み・き」
みきこちゃんかな?
思わず身を乗り出す三井。
「お」
「は?」
耳に入った予想外の音に三井は首を傾げよった。
「美紀男」
「……」
「美しくで筋道の通った男っていう意味だ。すっきりして良い名だろ」
「それって……誰?」
「俺の弟だ。あ、俺は雅史っで言うんだ。雅は雅やかっていう字だ。いかにも名は体を表す
っで感じだろ」
自分の相手が男という肝心なことも忘れ河田地蔵を上から下までじろじろと見てから、
こいつの弟の話も当てにならんと思う三井じゃった。
横からすかさず地藏達が合いの手を入れてくる。
「美紀男は将来の山王を背負って立つ男だから安心していいぞ」
「良かったピョン。いい夫が見つかって」
「いやー、羨ましいな」
「三井は色白でキリッとした顔立ちだから絶対似合うよ白無垢に綿帽子」
禍福は糾える縄のごとし。
「似合うぞ白無垢に綿帽子」という言葉で現実に戻った三井は、ショックで硬直したからだが
堅豆腐よろしく紅白の水引でしっかりと縛られるのを感じておった。
「結納の品もうひとつ忘れてた」
あわてて松本地蔵が三井に手渡した物は蕨の塩漬けと……褌?
河田地蔵がポンと手を打って説明を始めよった。
「そうだっだ、おまえも知っでっだろ、海南塾の牧。あいづが優勝祈願に奉納しだ革褌、
異国の物で珍しい……」
い、いらねー。
牧もなんでこんな物……あいつん家は相模でも飛びぬけて裕福だからな、金持ちの考える事は
よくわかんねえ。優勝祈願って籠球以外に相撲もやってんのか?
あの体格だと不思議じゃねえが。
三井は同国で見知った牧の浅黒くえろう大人びた顔や帝王と呼ばれるプレイぶりを思い浮かべる
ことで手にしている物を放り出したい気持ちを誤魔化すことにしたようじゃ。
「それど、河田家の嫁になる大事な男だから、悪いが身上調査をイチノにしてもらっだ」
「洗いざらい調べてきたぞ」
こっそり革褌を下に置く三井に向けてきらりと目を光らせた一之倉、どうやらすっぽん地蔵の
異名は調査にも遺憾無く発揮されたようじゃ。それにしても素早い。
「三井、おまえは国元に大きな借金作ってここに逃げて来たんだな、それで……」
河田地蔵が横に置いていた風呂敷包みをほどくと、中からは結び切りされた金銀の水引の上に
寿の字が鮮やかな祝い袋が貼られた千両箱が出てきおった、ふたを開けると山吹色の小判が
ぎっしりじゃ。
「お前……この金いったい……、まさか土蔵破りやったのか!」
人、いやいや、地蔵の心配よりおのれの心配をしろとさっきから云うてやっておるじゃろうが。
河田地蔵はジロリと横目で睨めつけよった。
「馬鹿言うな、河田家は代々総領が地蔵職を継ぐ由緒正しい家柄だぞ。これは埋蔵金だ」
「埋蔵金!」
「代々総領だけに伝わる秘密で詳しい事は言えねえけどな、けっしで怪しい金じゃないからな」
そう言い切ると、今度は真剣な顔を三井に向けてきおった。
「おれからのお祝いだ。これをそこの連れに国へ持って帰ってもらっで借金をキレイにしてもらえ。
手間賃としてこれを持たせで」
いつの間にか傍に来ていた松本地蔵が河田に渡した物。それは庄内竿という三井は知らんかった
がえらく有名な釣り竿じゃった。
「なんで……」
そのころには驚愕という台風の上陸に機能停止しておった三井の脳もなんとか活動を
始めておった。
俺は寒いだろうと思って腹巻を巻いてやっただけじゃねえか、結婚ばなしなんて冗談じゃねえ!
こいつの胸倉を締め上げて思いっきり文句をぶちまけてやる!と意気込みかけとったんじゃが、
そこに借金の事を指摘されて思わず言葉も動きも止まってしもうた。
仙道のあの手はこんな山奥で笠を作るために有るんじゃねえんだ。
借金が無くなったら仙道は相模でまた大好きな籠球に打ち込める。御前試合に出場して注目を
浴びることだって可能だ。金が貯まったら相模に帰ろうと言っていたが、その金額はあいつが
たとえNO.1ホストを十年やっても返せるものじゃないんだぜ。籠球選手でいられる時間はそう
長くねえのに。
それは昨日も思い出したがチクチクと痛む、三井の心に刺さった棘じゃった。
俺のことが好きだとか籠球を一緒にやれる今が幸せだとか仙道は言うが、離れた方がよっぽど
あいつの将来の為になるんじゃねえのか?
いや、本当のことを言うと俺の心が楽になる……。
「わかった、そうする」
「仙道に手紙を書くから待ってくれ」と物入れから硯箱を取り出して千両箱の上に乗せる。
墨をするその横顔は喜怒哀楽の激しい三井のものとは思えんかった。
時間をかけてしたためた手紙を千両箱の上に置くと、三井は外出の支度を始めよった。