* * *
優勝決定戦の朝は強い雨の降る生憎の天気だった。梅雨寒の気候に、三井は長袖シャツの上に
薄手のジャケットを着込んだ。
前夜は結局三井のおごりの後に割り勘の二次会に突入した。ナチュラル・ハイの状態の三井は
アルコールが入ってますます気分を昂揚させていたし、牧は牧でやけになって盛り上がっていたので、
九十分ではとても収まらなかったのである。舞い上がった三井は牧を励ますつもりが湘北対陵南戦の
ことばかり話題にし、周囲の関心を煽った。
「人気あるなあ……」
三井の隣りでぽつりと言ったのは諸星大である。悪天候というのに、高校バスケ・ファンは最高の
決勝戦を期待して集まってきていた。三井と牧の神奈川県出身組に諸星と河田を加えたいつもの
四人は、体育館へと向かう人混みの中に身を置いていた。
「……中入ってみろ、親衛隊だか何だかでもっとうるせーぞ」
三井がそう言うと、傘の向こうで「愛知の星」の小さく笑う気配が伝わってきた。
「そういえば、去年の夏もすごかったっけな、湘北の応援は黄色い声と野太い声が混ざり
合って……」
「諸星……!」
三井は思わず足を止めて隣りを見た。目が合うや相手が声を殺して笑い始めるのを見てむっと
したが、諸星にかみつく前に河田が首を突っ込んできた。
「『炎の男、三っちゃん』だろ」
牧と一緒に先を歩いていたはずなのに、気がつけば余計な茶々を入れてくる。しかもにこりとも
せずに。
「河田、諸星……てめーら……」
恥ずかしい思い出をつつかれて一瞬言葉に詰まる。もちろん徳男たちの気持ちはいまでこそ
ありがたいと思えるが、恥ずかしいものは恥ずかしい。それが三井の正直な胸の内である。
頭に血を上らせて前を見た三井の視界に牧の震える肩が飛び込んでくる。咄嗟に癇癪が弾けた。
「おい、牧、笑うんじゃねー!」
「す、すまん、……でも、『三井応援団』はずいぶん目立ってたぞ」
不本意な話の展開に三井は拳を握りしめる。すると諸星が笑いながら言葉を継いだ。
「まあ三井、男に惚れられるやつに悪いやつはいないよ」
「……皮肉かよ、そいつは」
「男に惚れられる」後ろめたさに三井は歯切れの悪い答えを返す。
「そりゃ男に好かれるより女にもてた方がいいだろうよ」
すでに彼女持ちの諸星を睨んで恨みがましく続けると、いきなり背中を強く叩かれ思わず一歩前に
跳んだ。傘から落ちた雨水と水たまりの跳ね返りとで、ジーンズの裾が濡れる。振り返ると
またしても河田だった。
「てめー、何すんだ!」
「おまえは鈍感だからなあ……もてててもわかんねえべ」
憐れむように言われてまた短気が暴発しかかるが、河田の訳の分からない迫力にいつも負かされて
いる自覚がそれを押し止める。
「まあまあ。……とにかく今日もキャーキャーすごいだろうぜ。なにしろ流川親衛隊と仙道ファン
クラブの激突だからな」
牧がさりげなく話題を逸らして、三井も何とか行き場のない矛先を収めることができた。
「そういえばその仙道ってやつ、去年週バスで紹介されてたよな。いま思い出したんだけど、
珍しいくらい記事でほめてたんだ」
諸星が言うと河田も頷いた。
「あんときは結局代表にならなくて、プレーは見られなかったんだが……あ、湘北戦のビデオを
見たときにちらっとは見たか」
河田はうっすらと笑って三井に目を向けた。
「まあ、沢北が中学のときに当たって憶えてたんで、話は聞いた」
「中坊んとき当たったって、全中か?」
三井は思わず声を上げた。どうもそうらしいと河田が答える。
いまのいままで仙道には全国の経験がないものと思い込んでいたが、考えれば、鳴り物入りで
陵南にスカウトされた選手なのだ、全中に出ていたとしても何の不思議もない。背中をひやりと
したものが走り、次の瞬間、そのことを言わなかった仙道に腹が立った。
「どんな印象だったって?」
三井の揺らぎをよそに牧が関心を惹かれたように片眉を上げた。
「……てんで相手にならなかったとよ」
「そんなに差があるか……?」
承服しかねるといった表情で牧が言うと河田の笑みが大きくなった。
「山王でも入学したての沢北に一対一で勝てるやつはいなかったからな。あいつはもうほとんど
完成されてたぜ。それに……」
仙道の全中出場は二年のときで、レギュラーの退場したラスト五分しか出なかったらしいと彼は
補足した。
「でも全く相手になんなかったってんなら、どうして憶えてたんだ?」
諸星が口を挟むと、河田の足が止まり目が据わった。
「『下手くそなくせに油断してたら一度抜かれた。次の年に完全に止めてやろうと思ったら全国に
出てこなかった』……沢北はそう言ってたが、とりあえずあいつは力のないやつは相手にしねえさ」
河田は唇の端を微かに上げて再び歩き始める。しばらく四人はそのまま歩を運んでいたが、
諸星がぽつりと呟いた。
「そいつは楽しみだな。今日の試合も八月の全国も」
雨に濡れた路面を見つめる三井の口元が緩んだ。
見て驚け。あいつはオレも認めた大器だぜ。
もっともそう言いたいところを口では逆のことを言っていたが。
「仙道、仙道ってバカのひとつ覚えみてえに……。みんなあいつを買いかぶってら」
「お、三井はアンチ仙道派か?」
またも河田。
「そういうんじゃねえけどよ……」
それ以上つっこまれるのを回避するため、三井は話題を変えることにした。
「そうだ、今日はおめーらとは一緒に帰れねえからな」
急にそんなことを言い出した三井を三人は怪訝そうな目で見た。
「だって、湘北の優勝祝いがあるだろ?」
慌てて付け足した言い訳を聞いて、河田が答える。
「残念会にならなきゃいいけどな」
「なんねえよ」
そんな言い合いをしているうちに目的地が近くなった。しのつく雨のモノトーンの風景の中、
体育館は大勢の人を呑み込んでいく。三井たち四人も人の流れに乗って中に入った。
海南対翔陽戦の練習が始まるころには会場内は立錐の余地もなくなっていた。
四人が座った席は湘北の応援団の陣取った席に近く、観衆の中にはお馴染みの桜木軍団や流川
親衛隊がいたし、赤木の顔も見えた。その赤木の隣りにいる男は見覚えがなかったが、たぶん
深体大の人間だろう。
海南と翔陽の三位決定戦は、異様な熱気の中で始まった。客席は最初のうち集中していなかったが、
スピーディーで充実した試合内容に徐々に落ち着きを取り戻していく。名門同士の対決は両校の
歴史に恥じぬ熱戦で、結果的には海南大附属が勝利を収めたが、試合後双方に惜しみない拍手が
送られた。
そしてその余韻の醒めぬうちに、湘北と陵南の選手たちが姿を現した。歓声が上がり、期待と熱も
一気に最高点へと達する。神奈川が全国に誇る面々がコートに散っていくと、気に入りの選手の名を
叫ぶ声は混ざり合って館内を揺らし、昂揚感を煽った。
その歓声に戸惑いの声が混じるようになったのは、練習が始まってしばらくしてからだった。
客席に生まれた当惑はさざ波のように広がり続ける。
「おかしいな……」
牧は首をひねり、眉根を寄せた。
いまや、観客のほとんどの目は陵南サイドに向けられていた。ざわつきが空気を支配し、
不安が芽吹く。わき上がる疑問。アクシデントの予感。
紺色のユニフォームのチームに、当然いるべき人物がいなかった。
「仙道が見つからないんだが。……おい、三井、おまえわかるか?」
「いねえ……」
あのバカ。一番大事な試合の日に寝坊でもしたか。
奥歯を噛みしめ苦いものを飲み下す。だが胸の一部がささくれ立つように不安を覚えていた。
そしてその不快な感覚を裏打ちするように、陵南のメンバーのプレーは浮足だっているように見えた。
その印象は試合が始まるとさらに強まった。ちぐはぐなパス、あっけないシュート・ミス。
歯車の狂った陵南のプレーにあっという間に点差が開き、客席は静かになる。
といって陵南の選手たちが無気力というわけではなかった。投げ遣りな試合態度が見えたなら、
情け容赦なくブーイングが浴びせられただろう。
実際初めのうち何度か野次がとんだが、それも彼らの全力を注いだ動きに立ち消えた。
会場全体を覆っていた、仙道が遅れて来るかもしれないという淡い期待も、その頃には消えていた。
それでも最初のタイムアウトの後は福田のがむしゃらなオフェンスにガードの越野の動きが
うまくかみ合うようになり、陵南は万全の湘北に食い下がった。空回りしていた個々の闘志を
二人を軸に何とかまとめ、有機的な力を組織して「奇跡」と呼ばれたチームに対抗する。面白い
ように開いていった点差はそこで足踏みし、互いに試合の波を引き寄せようとする静かな戦いが
続いた。
仙道抜きの陵南は派手さこそないものの、前年より骨太になった感じがした。練習の量と質では
他校にひけをとらないと監督が豪語するだけあって、よく鍛えられ一段としまったチームになって
いた。
思いがけない滑り出しを見せた試合はようやく緊張感を取り戻していた。入れられれば入れ返し、
止められたら止め返す。一進一退の攻防に会場は目の前のコートに集中し、ある種の欠落感を
紛らわす。
そう、確かに欠落感はあった。
流川と桜木という湘北の二年生コンビは、今度は仙道を乗り越えられるか 。
進境著しい二人と、同じく上り坂にある天才プレーヤーは、ぶつかりあうやきっと核分裂のような
激烈なエネルギーを放散させるだろう 。
試合場に足を運んだ人々のおそらくはほとんどが抱いていた期待感は肩すかしをくっていた。
だが、中盤での陵南の頑張りには引きつけられるものがあった。
それは仙道を擁して全国行きを実現させたチームメートの矜持であり、館内にいる全ての人間に
まっすぐに伝わっていた。
しかし陵南の気力も尽きるときがきた。後半残り時間十分を切ったころから彼らの動きに
生彩がなくなり、桜木と流川のパワフルなプレーを阻止することができなくなった。
極度に張りつめていた陵南の選手たちは湘北の誇る二枚看板の力で押され続け、ついには修復の
きかない破綻を見せ始めた。我慢のディフェンスにも限界があり、とうとう一度も追いつくことなく、
大差で陵南は膝を屈した。
エースの不在という逆境の中で善戦を見せた彼らには温かい拍手と声が送られたが、それで
敗北の苦さが和らげられるわけではなかっただろう。悄然と肩を落とす選手たちを、湘北の面々が
初優勝の喜びもそこそこに見つめていた。
表彰式が終わると三井と牧は河田たちと別れ、OBとしてそれぞれの母校の面々のところに
向かった。三井が湘北の控え室のロッカールームに入ったとき、最優秀選手を含む三人の
ベスト5プレーヤーを出した優勝チームは意外なほど淡々と帰り支度をしていた。
「良かったな、おまえら。OBとしても鼻がたけーよ」
心の翳りを隠し、中に入ってそう言って祝うと、宮城が目を上げた。
「嬉しさも中ぐらいってやつっスかね」
力なく笑って肩をすくめる。
「本調子じゃねえ陵南に勝っても嬉しくねーっスよ」
仙道の不在は勝者の気分にも影を落としていた。試合後の全力を尽くした達成感など微塵もない、
奇妙な優勝風景だった。
そのとき、控え室の外を走る足音が近づいてきた。
「みんな、大変!」
体より先に声が飛び込んでくる。チーフ・マネージャーの女丈夫は、開いたままのドアから
姿を見せると先を続けた。
「仙道くんが入院したって!」
その言葉は三井の耳に入り込んでもすぐには意味をなさなかった。結びつかない単語がしばし
頭の中を飛び回ってからやっと意味のあるつながりをもっても、三井はどうにも事実として
とらえることができなかった。
「……入院って……昨日はあんなに元気に……」
口に出してから後輩たちの目と自分の言葉の不自然さに気づいた。
「……元気に試合出てたんだろ?」
思わず付け足して彩子を見ると、彼女は初めて三井の存在に気づいたかのように瞠目した。
そしてすぐに軽く頭を下げると彼の疑問に答えた。
「ええ。でも詳しいことは陵南の人たちにもわからないって。ずいぶん急なことだったみたいです」
彩子も珍しく戸惑っていた。宮城は荷物を肩にベンチから立ち上がった。
「どこの病院か聞いた、アヤちゃん?」
「えっと、野口総合病院って言ってたわ」
「野口……」
彩子の答えを三井は口の中で反芻した。三年前に彼が入院していた病院だった。仙道入院の
知らせは自身の入院の記憶とオーバーラップし、三井の頭の中に不快なうねりが生まれた。
それに圧倒され思わず一歩後ずさると、背中が何かにぶつかる。振り返った。赤木のごつい顔が
ちらつく視界の中にあった。
「ダンナ……」
現キャプテンは前任者を敬意をもって迎えた。未来の全日本センターは大学生にしても大人びて
いる顔に深刻そうな表情を浮かべている。
「仙道が入院したと? 何か詳しいことはわかってるのか?」
前キャプテンらしく即座にその場の空気を引き締めると、彩子に目を向けた。チーフ・
マネージャーはかぶりを振った。
「わかりません。彦一くんに聞いたんですけど、陵南の人たちはこれから病院に行くって」
「そうか……それじゃ今日は無理か」
一度持ち上げた荷物をおろし、宮城は腕を組む。
「……オレ、明日にでも練習前にちょっと見舞いに行ってくるわ」
しばらく考えて出した答えがそれだった。宮城にすれば、タイプこそ違え同学年のライバルとして、
仙道の入院には色々思うところもあるのだろう。
結局その日の祝勝会はお流れになった。それでも部員たちの健闘をねぎらうべく、近くの喫茶店に
寄って赤木と二人でささやかながら後輩たちにおごったが、まだ日の高いうちに三々五々帰路に
ついた。
そして三井は無意識のうちに野口総合病院に足を向けていた。
病院の玄関の近くまできたとき、三井はしばしためらった。
知っている病院だからふらりとやって来られたのに、逆に知っている病院だから敷居が高くなる。
やはり帰ろうかと思ったそのとき、胸ポケットにつっこんでおいたサングラスに気づき、それを
かけて腹を据え、自動ドアの前に立った。
受付のカウンターはすいていて、そこに座っている女事務員はすぐに三井に気づいて笑顔を
見せた。
「すみませんが、仙道彰くんの病室は?」
ぎこちない問いかけに事務員はにこりとすると、手元を確かめてから答えた。
「仙道さんは三階の三○二号室です」
三井は一瞬耳を疑った。
三年前に膝をやったとき、彼は同じ三階に入院していた。そこは整形外科の病室で、病人と
いうより怪我人が多く集まってきていた。特に医長がスポーツ障害では名の通った人物ということも
あってか、若いスポーツ選手の出入りが多かった。
ということは仙道は……?
不意に段差を踏み外したような感覚に襲われ、三井はカウンターに手をついて体を支えた。
現実をつなぎとめるため頭を振って視線を落とすと、目の前の相手が戸惑いの色を浮かべている。
彼は笑顔を作ってきびすをめぐらした。何も考えないようにしてエレベーターまで歩いた。
上向きの三角ボタンを押してから、奥の階段の方が騒がしいのに気づく。つられるようにして目を
やると、なじみの配色のジャージが見えた。焦ってエレベーターの階数表示を確かめると、
五のところを点灯させたまま動かない。その間にも陵南バスケ部員たちは三井との距離を
縮めている。彼は足早にエレベーターの前を離れ、正面玄関ホールに戻って壁際のソファに腰を
下ろした。
そこはささやかな喫煙スペースとなっていて、健全な高校生ならばまず縁のないところだった。
事実煙草の苦手な三井は、入院中も通院している間も近寄ることはなかった。もっとも彼が
その場所に追い込まれたのはなりゆきで計算があってのことではなかった。座ってから目に
飛び込んできた灰皿で初めて気づいたのだった。三井は思わず安堵のため息をついた。
陵南の一行は総勢七、八人というところだろうか。半分は前年の戦いで見知った顔だ。先頭を
切っているのは、仙道の話にも、越野や福田と並んでたまに出てくる小柄な弾け豆のような
二年生だった。それとなく様子を窺っていると、苦労性の副キャプテンは最後尾を丸刈りの部員と
一緒に歩いている。足どりも顔つきもどこかとげとげしくて、ひどく腹を立てているのだと知れた。
彼らは待合室を過ぎた出口の際でいったん足を止めた。
「そいじゃ、先に学校戻ってます」
関西風の抑揚の大声が三井の耳にまで届いた。下級生とおぼしき面々はそれをきっかけに
おのおの挨拶をして病院を出ていく。残されたのは現在の陵南の主力メンバーだった。
彼らは二言三言交わすと、あろうことか三井の方に向かってきた。ふと見れば、その喫煙スペースの
脇には公衆電話が並んでいる。三井は己れの失策を悟って惑乱したが、もはや逃げ道はなかった。
ただ顔を隠すサングラスに望みを託し、目立たぬよう顔をうつむけて座っていた。
複数のバッシュがリノリウムの床を噛む音が近づいてくる。ほとんど小走りに近いテンポだ。
三井は耳をそばだてた。
「なあ、越野、いい加減に機嫌直せよ」
電話のあたりで足音は止まった。続く沈黙がいまの言葉に対する答えらしかった。
「仙道だって好きで怪我したわけじゃないし、こうなっちまったものはしようがないじゃないか。
幸いそんなひどいことになりそうもないし……」
三井をどうにも落ち着かない気分にさせていた漠然とした不安は、その一言で霧が晴れたように
消えた。
「……福田も何か言えって」
こちらも答えはない。間に挟まった、たぶん植草という名前の坊主頭はなおも続けた。
「全国行きは決まったんだ、この一勝にこだわらなくたっていいじゃないか」
のたりとした口調のせいでそうそう切迫している感じはしない。相手は答える代わりに受話器を
取り、乱暴にボタンを押し始めた。話す間もなくテレカの戻る音がしたのは番号を間違えたせい
だろう。もう一度カードを入れ直し気短かにボタンを押す気配がする。
「なあ、越野……」
辛抱強く声がかぶさってくる。
これは逆効果だというのは、同じように癇癪持ちの三井にはよくわかった。案の定、
聞こえよがしのため息の後にとうとう無言を続けていた当人が口を開いた。
「だってな!」
胸中に渦巻いていただろう憤懣が堰を切る。
仙道が天才という称賛の上に胡座をかいているとまではさすがに言わなかったが、ふだんの
生活態度のことから何から、越野はため込んでいた不満を一気に噴出させた。
それは仙道の人となりを少なからず知る立場にある三井にとっては頷けなくもないことばかり
だったが、それでもあまりにも辛辣な言葉にいたたまれない気分になった。
エースプレーヤーはとかくチームメートの過剰な期待を背負っている。そのことは中学MVP
だった彼はよくわかっているつもりだった。すべてうまくいって何も考えずにいるときはそれも
追い風になる。しかし逆境に立たされると抗しきれない重荷になることもある。エースだって
天才だって、仙道のようにどんなにちゃらんぽらんな野郎だって人間だ。期待をかける者は気楽に
後をついてきて勝手に夢を見るが、それが裏切られたからといっていきり立つのはやめにして
欲しかった。
知らず拳を握りしめ、この抜き差しならない状況に彼は耐えた。
「だいたいあいつはいい加減なんだよ! ちょっとやればできるもんだからオレたちの気持ちなんて
まるっきりわかってなくて……!」
越野の言葉はそこで感情に追いつかなくなったのか、不意に絶たれた。沈黙が一瞬あたりを
支配する。それが重くのしかかり押し退けられない負担となる前に三人目の声が沈黙を破った。
「あいつだって一所懸命やってた」
ぽつりと漏らす。一切の無駄を省いた、意外に物静かな口調だ。
「そうだよ。仙道だって頑張ってたじゃないか」
植草が後を続ける。するとしばらくして越野は言った。
「……わかってんだよ。あいつだってオレたちと同じ練習こなしてたんだし……。でも……!」
息を呑むような音がして越野は再び沈黙する。やがて口を開いたときは、抑えたような低い声
だった。
「許せないんだよ。大事な試合の前の夜にふらふら出歩いて怪我するなんて……バカだよ、
あいつ!」
「それは、湘北に勝てなくて悔しいって気持ちは同じだけど……」
「そんなんじゃないって!」
じれたように越野は植草の言葉を遮った。
「……あいつ、いまが一番大切な時じゃないか。深体大からの引きもあるっていうし……夏の全国が
決まったってだけで満足していいようなやつじゃないだろ! それを……自覚がなさすぎるんだよ。
オレがあいつなら絶対こんなことになってない! じれったくてしようがないよ!」
三井は思わず顔を上げた。警戒心も何もなく、無防備に言葉の主を見てしまった。
バスケ選手にしては小柄な高校生は、顔を真っ赤にして渦巻く感情に耐えていた。
三井の中で、自覚もなくわだかまっていたものが消えた。何か胃のあたりからすとんと落ちた
ような感覚だった。
ああ、仙道が好きなのか、と思った。妙な意味でなく、素直な気持ちでそう思った。
越野は自分では追いきれぬ夢を仙道に見ていたのかもしれない。同学年の天才プレーヤーは
それだけの器を持っていた。
全く同じとは言わないが、三井が赤木という荒削りな壁にぶつかったときに感じた畏怖のような
ものを、彼は仙道の圧倒的な資質に感じたのかもしれない。
オレは往生際悪く残っちまってるけど……。
絶大な自信と同時に脆さも合わせ持った三井は、復帰以来己れの力に懐疑的になることがあった。
特に、体力的なコンプレックスは短かった高校バスケ生活を通じて彼の自信をしばしば覆し、
根を張ってきた。端からすると喉から手が出るほど欲しいバスケ・センスもシュート・フォームも、
ほとんど当たり前のように手にしていた三井には、ありがたみも何もなかったのである。
三井は再び顔を伏せた。幸い電話の前の三人は自分たちのことだけで精一杯で、ソファに
かけている不審な男になど気がまわらない様子だった。
「何やかや言って、越野は仙道のファンだからなあ」
植草の変わらない口調が今度は空気を和らげる。
「オレたちもそうだし。やっぱりすごいやつはすごいんだって素直に思うよ。変な言葉だけど
『憧れる』っていうのかな。……あ、福田、おまえ『一緒にするな』って思ってるだろ」
「別に……」
いきなり向けられた矛先に面食らったような声音だった。しかし言われた方に逆襲の暇すら与えず、
三井などから見れば最も影の薄い陵南のレギュラー選手はさっさと場を収めにかかった。
「さあ、早いとこ監督に連絡して学校に戻ろう。残念会でもやって気分転換したら後は全国が
待ってる」
その返事は聞こえなかったが、続いて電話をする気配が伝わってきた。越野は良きチームメートの
アシストで副キャプテンの義務を果たし、三人は病院を出て行った。