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バスの窓の外を流れていくのはいままであまりなじみのない風景だ。生まれ育った街とは違い、 落ち着きとゆとりがある。日射しは穏やかで、目はもう春の暖かさを感じた。 速水厚志は手にした戦車高校の入学案内にもう一度目を落とした。 三月四日、木曜日。午前八時四十五分集合。 簡素な通知が余裕のなさを表しているようだ。彼はため息をつき、それを無造作に折ると制服の ズボンのポケットに突っ込んで、外の風景に目を戻した。 これはまやかしの春、見せかけの穏やかさにだまされてはいけない、と思う。寮の部屋を出た 瞬間、日射しに不似合いなほどの冷たい風に身を竦ませたばかりだ。何より幻獣の出現は日常茶飯事 になっている。初夏の自然休戦期がやってくるまでは、たとえ桜の咲き誇る季節になっても心を 休めることはできないのだ。いま自分のいるのが防衛上要衝の地であればなおさらだろう。 もっともひどく絶望しているかと言うと、そうでもない。生来起伏の少ない恬淡とした性分の せいか、彼は学兵になるという事実を自分でも驚くほど冷静に受け止めていた。 だから生存率の高いパイロットを目指すという選択もできたのだし、もしかしたら彼は自分が 思っているより遙かに逆境に強い人間なのかもしれなかった。 それに 車窓の外を後ろに飛んでいく景色をぼんやりと見つめながら速水は心の中で呟いた。 いつもどうにかなっていたし。 速水は決して豊かすぎる環境に育った少年ではない。しかし、目立った欠乏も危機も、彼の これまで生きてきた十五年弱の人生には存在しなかった。だから、これからも同じように過ぎていく のだと感じていた。それはある意味傲慢なほどの思い込みだったが、その彼の凡庸さは類いまれな 強運にこそ護られてきたのかもしれない。 バスが停まり、速水は我に返る。戦車学校は停留所のすぐ近くだという。バスのステップを 下りながら右手に視線を振ると、交差点の向こう側に校門が見えた。建物は立木に隠されてあまり よく見えない。そのまま右手に曲がろうとした速水を、女の声が呼び止めた。 「速水厚志くん?」 ピンク色のスーツに身を包んだ若い女性は、戦車学校の教師の芳野と名乗ると、迎えに来たと 告げた。どことなく頼りなげな雰囲気を漂わせた芳野は、それでも極力教師らしく振る舞おうとし、 学校に向かいながら気負いを表に出して話しかけてきた。 「熊本はもう慣れた?」 「あ、はい」 慣れたも何も昨日着いたばかりなのに。 思わず笑いを漏らしてしまったが、芳野は気づかなかったようだ。相手に余裕がないせいもあるが、 速水の穏やかで無邪気な笑顔がプラスに働いたからだろう。もちろんいつも彼自身に作為はない のだが。 校門を通りすぎて、正面玄関に出る。話しながら建物の中に入り、売店や職員室の位置などを 芳野はのんびりと説明していった。 この尚敬高校は女子の戦車学校で、速水の通う学校は校舎のはずれに急ごしらえで建てられた プレハブに間借りをする形となる。敷地を共有してはいても組織は別個らしく、カリキュラムも独自と いうことだった。 本校舎の廊下を抜けると、みすぼらしい外見を晒しているプレハブ校舎が見える。もちろん校舎が あるだけましというものかもしれない。その裏庭のような開けた空間には校舎を左手に見ると、 右手に木造の小屋があり、芳野の説明ではそこはゆくゆく小隊設営委員長の執務室になるという。 もっとも速水にすればそんな先のことまで考える余裕はない。 ちょうど予鈴がなったので教室に急ぐと、すでにクラスメートと担任は顔を揃えていた。 戦車兵促成コースの面々は男女それぞれ二人ずつ。どういう基準で集められたものか、自分が そこにいることを考えると、決して厳しい選抜を通ってきた面々とばかりは思えなかった。 結局午前中は遅刻をたしなめられたことから始まって、兵士としての心構えなどをたたき込まれ、 終わった。 初めての昼休みに、彼は早速クラスメートに挨拶を済ませた。 女子はどちらもちょっと見には可愛かったが、実際に話してみるとかなり感じ方は変わった。 芝村舞はずいぶん変わった感じのする少女で、王侯貴族のような口をきいた。名乗るのに名前の 方を言ってから「芝村をやっておる」という自己紹介のしかたにも正直面食らった。もちろんこの 日本で暮らしている以上、国を牛耳る芝村という名前を耳にしたことがないとは言わない。 知っていればこそ芝村舞の「芝村」はその芝村なのだろうと察しがついたのだが、実際にその一族の 人間と接するのは初めてだったし、それ以上の感懐はない。そして生来のお姫様の高圧的で堅苦しい 口のきき方もきつい眼差しも、不思議なことに速水に悪印象を与えることはなかった。 もう一人の壬生屋未央は紅い袴姿で目立っていた。制服があるのに、とは思ったものの、 自分も送られてきた正規の夏服の半ズボンになじめなくて結局冬服のズボンを着用している。 それが許されているのだから、同じことだろうか。ともあれ、その壬生屋には開口一番お姉さんぶった 口調で遅刻をたしなめられてしまい、幾ばくかの苦手意識を持たざるを得なかった。 男子のクラスメートは滝川陽平といった。女の子たちとは違い、適当にかき集められたといった 風の少年で、たぶん速水と同じく少し前までは一般学生だったに違いない。ただ彼と違いパイロットに 憧れているようで、昔の航空兵のようにゴーグルを硬そうなくせっ毛の上に留めている。兵として 徴用されるにそれほど逡巡も不安もないようだ。 その滝川が売店へ誘ってくれたので、二人で昼に食べるものを調達しに走った。親切にも サンドイッチと牛乳をおごってくれ、彼は熊本に着いて初めての友人として色々なことを教えて くれた。 「それにしてもなー」 売店から戻りながら滝川はため息をついた。 「同じクラスに芝村のやつがいるなんて思わなかったぜ」 その呟きにこもった根強い反感を感じ取って速水は眉をひそめた。 「あの子、何か問題でもあるの?」 思わず問い返すと滝川は驚いたような顔をした。 「おまえ、芝村のこと、本当に知らねえの?」 「普通には知ってるよ。だから、芝村のお姫様がこんな戦車学校にいるなんて、びっくりした」 「……それだけ?」 今度は滝川の方が顔をしかめた。が、だからといってどんな反応を求められているのかも わからない。 「だって、あの芝村だぜ? 自分たち以外はクズみたいに思ってて、自分たちの思い通りにするために はどんな汚い手も使う連中だ。あの芝村舞ってのもそんな中で育ってるんだ、どうせ鼻持ちならないやつに決まってら」 「……う、うん……そうなのかな」 初日から変に人間関係をこじれさせたくなかったし、速水はうやむやに返事をした。自分では 芝村舞という少女に不快感を覚えたりはしなかったが、かといって滝川の言うことを否定するだけの 材料もない。いずれにしろ、芝村について滝川の言う通りかどうかはこれから判断する時間がある だろう。 芝村の話が済むと、あとはバカ話が続いて昼休みが過ぎ、気がつけば授業にはまたぎりぎりの 滑り込みになった。午後の受け持ちは担任の本田ではなく、男性教師、坂上だった。口調は丁寧だが、 その分底の知れないものが感じられる。速水自身がまだまだ軍という組織に馴染んでいないせいかも 知れないが。 初日とあって、実地訓練はなかった。授業が終わると学兵としての務めも当面は免除されるという。 実際に調整すべき機体がないから仕方がないこともあるだろう。ともあれ、兵士としての適性など 持ち合わせているとはまるで考えられない自分に、速水は少しでも力をつけなければいけないと 思った。帰宅は許されても命がかかっている以上、甘えるわけにはいかない。楽観的で穏やかな 気質の彼でもそのぐらいのことはわかっていたし、それぐらいの計算もできた。そしてその計算を、 彼はまず地道に体力をつけることから実践することにしたのだった。 もっともそれまで大して体を鍛練したことのない彼にとって訓練は身に馴染むものでなく、 結局宵のうちに疲労を見抜いた教師の坂上と一緒に帰宅する羽目に陥ってはしまったが。 戦車学校初日を、速水はそうして終えた。 戦闘訓練は二日後に始まった。 女子校のシミュレーターを借りて、ダミーのバルーンを相手に戦い方を学ぶ。相手が攻撃をして こない中での演習だが、初めて人型戦車士魂号を動かす緊張感で思わず動きが硬くなる。 速水は複座式の士魂号に芝村舞と搭乗することになっていた。本田教官の説明では、遺伝子レベルで 最高の相性なのだという。演習の順番待ちで控えている滝川や壬生屋がその言葉に反応したが、 実際のところ、速水にそのことを深く考える余裕はなかった。 ただ砲手は後部座席に座る舞であって、速水はもっぱら機動部分の担当だったので、それこそ パイロットとして操縦に専念していれば良かった。そして操縦自体は、特に機械に強いとは言えない 彼にもさほど難しいものではなく、何とかこなすことができた。 「どうにかなりそうかな」 降車してから後ろに続く舞に声をかける。 「当たり前だ。これしきのこと、芝村にできないわけはない」 表情をぴくりとも変えずに舞が返してきたのには驚いたが、そのあまりの自信家ぶりにはいっそ すがすがしいものを感じ、速水は思わず笑ってしまった。 「どうしてそこで笑う」 知り合ってからそれまでの三日間で、ぴくりとも変化することのなかった芝村舞の表情がそのとき 少しだけ崩れた。わずかに困惑するような色が一瞬よぎったのを見逃さず、速水は微笑みかけた。 「僕たちうまくやっていけるよね?」 混沌とした未来に微かな光が射したような気がして言うと、舞は目を逸らした。 「遺伝子レベルで合っているのだろう? それなら当然だ」 「よろしくね」 微笑んで速水が差し出した手を、舞は一瞬の躊躇の後にとった。照れを帯びた表情が、その内面の 柔らかさを表しているようで、速水は舞に関してひとつプラス材料を手に入れたことを知った。 |