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 熊本に来て初めての日曜日は、部屋の掃除でもして持ってきた荷物をきちんと片づけるつもりだった が、滝川が訪ねてきて果たせなかった。
「へえ、意外にきれいにしてんじゃん」
 遠慮もなく上がってきて、彼が開口一番漏らしたのがそんな感想だった。
 端からどう見えるかは知らないが、速水は家事が得意だ。だが、男だから、女だから、と役割を 振り分ける時代ではなくなっていても、それはやはり同じ年頃の友人たちには奇異に映るらしい。 もっとも彼にすれば戦車の操作などより、よほど性に合っていると思う。そう、殺し合うことより、 遙かに建設的で有益なことではないか。悲しいかな、この時代にあってはあまり顧みられることのない 能力だが。
「おまえ、熊本には来たばかりだって言ってただろ? だから、色々案内してやろうと思ってさ」
 得意げに言ってくる滝川に急かされ、速水は半ば苦笑を抑えるようにして支度をした。もちろん 相手の好意は素直に感謝している。右も左もわからない土地を案内してくれるというのは、やはり 嬉しいものだ。制服姿でやってきた滝川に合わせ、速水も制服に着替え、なけなしの現金の入った 財布を胸ポケットに突っ込んで部屋を出た。
 二人が最初に向かったのは、今町公園という市民の憩いの場だった。
 陽射しの暖かさが快い日曜日で、誘われるようにやってくる人々は案外多かった。緑を通して降って くる光は穏やかで優しく、いまが戦争中だなどとはとても信じられない。中には木陰で弁当を広げて いるカップルもいて、知り合ってからずっと「彼女が欲しい」と言い続けている滝川は公園をめぐる 足を止め、それを羨ましそうに見つめていた。
 速水はそんな滝川をそのままにして、少し先まで歩いた。広すぎるというほど広い場所ではない ので、はぐれる心配もない。
 春先の太陽は生命を育む優しさを持っている。否応なく戦いへと集中させられる速水の心も、 ほんの少し癒されるような気がして、ほっと息をついた。そのとき視界の隅を何かがかすめた。 気になって視線を横に振ると、ほんの数メートル隔てただけのベンチに一人の青年が座っているのが 見えた。背もたれに片腕をかけ、ぐったりと体を預けているさまは、単に座っているというより、 疲労しきった体を休めているようだ。
 その青年は速水よりほんの少しだけ年かさだろうか。ジーンズに包まれたすらりと長い脚、 シンプルな綿シャツから覗く腕のしなやかな張り、肩に預けた横顔を飾る髪の色の明るさ、閉じた目元の 瑞々しさ。それらは確かに彼の若さを証明していた。だが、漂う空気には何とも言い切れない違和感があった。速水にはそれが何かうまく説明する言葉は見つからなかったが、あまりの生気のなさに、不意に本当に生きているのだろうかという不安感が浮上する。彼は思わず一歩踏み出した。
「速水ー!」
 大声にびくりと振り返ると、滝川が走ってくるところだった。
「ひっでーよ、置いてくなよー」
 非難するように言うので、速水は苦笑を漏らしながら謝った。
「ごめんよ。でも、あんまり集中してるから、邪魔しちゃいけないって思って」
 そこで速水はもう一度ベンチの方を窺った。青年は滝川の大声に反応していた。生きていたのだ。 ほっと息をついたところで、そろそろと頭を動かした青年と目が合った。
 その目の何とも言えないぎらつきに速水はたじろいだ。端正で甘いといっていいマスクはいまだ 疲れ切った色を見せているのに、目だけが異様な熱を帯びている……そんな風に見えた。何かを 引きずったまま緊張感が解けないのか、速水との間の空気にもそれが伝わってくる。周囲に強い 静電気でも起きているかのような、体中の産毛が逆立つような感覚。
 だが、次の瞬間にそれは跡形もなく消え去った。青年は目を逸らすと一度大きくのびをして、 ベンチから立ち上がって悠然と背を向けたのだった。
 まるで夢から醒めたときのような気分で速水はその背を見送った。非日常は、セッティングされた テーブルからクロスだけを引き抜いたかのように、忽然と姿を消した。余韻はある。皿やワイングラス がわずかに平行移動してその位置を変えているのと同じような印象で。
「……やみ……速水!」
 五感の全てを持って行かれていたのに気づいたのは、背後で滝川の呼ぶ声に現実に引き戻されて からだった。
 目の前にはのどかな日曜の公園の風景。木漏れ日が地面にまだら模様を作り、鳥のさえずる声が 聞こえる。豊かな土の匂いに心地よい微風。遊びに興ずる子どもたちの笑い声。何もかもありふれた 道具立てだった。ゆっくりと去っていく青年の後ろ姿さえ、何ら奇異なものではない。
 あれは……何だったのだろう。
「何ぼーっとしてんだよ……」
「……あ、あの……いま変な感じしなかった?」
 夢見心地で言うと、滝川は憮然とした表情になった。
「変な感じって、おまえが一番変じゃねえの、野郎に見とれてるなんてさ」
 滝川は本当に何も感じていなかったようで、理解不能と顔に大きく書いてある。だが、それを 引きずらないのが自称親友の長所かもしれなかった。
「もう公園はいいよな。新市街にでも行こうぜ」
 滝川があっさりと公園の出口に向かうのに気づき、速水は慌てて後を追った。数メートル行って から、こっそりと背後を窺う。
 すでに目当ての背中は見えず、ほっとしたようながっかりしたような複雑な思いで速水は前に 向き直った。
 目に見えないものは信じないと言いきるほど想像力のすり切れた大人ではないし、訳のわからない もの全てを魔法と信じ込むほど無邪気な子どもでもない。自分が確かに肌で感じていた何かを表す 言葉を知らず、速水はもどかしい思いのまま滝川に続いた。


 日曜の残りは図書館、新市街とまわるうちに暮れていった。
 公園で経験した妙な感覚も、滝川につきあって話しているうちに薄れてきて、帰るころにはすっかり 気のせいとまで思えるようになっていた。
 なじみのない土地に来て、慣れない勉強や訓練をして、自分で思っているより参っているのかも しれなかった。何にせよ滝川との休日は確かに気分転換にはなったし、部屋の中が完全には片づいて いないことに目をつむれば、また始まる一週間も何とか乗り越えられそうな気がした。


 そうして迎えた週は戦闘訓練に時間を割く毎日だった。
 本田教官から戦車の細かい操作や状況に応じた対処の仕方を学んだ。ダミーは撃ち返してこないが、 それでも緊張するのは止められなかった。ヘッドセットで遮断された空間で、耳の内部を脈打つ鼓動と 呼吸音に圧倒されるようだった。
 彼と芝村舞の乗る複座型にはミサイルランチャーが搭載されているので、できるだけ多くの敵を 射程内に引きつけてダメージを与える役割がある。突撃様式と称される所以だが、本物の幻獣を眼前に したとき、臆せず敵のまっただ中に飛び込むことができるだろうか。いまの速水に答えは出せない。 というより、そうしなくてはいけないことをわかっていても、実際に体が動くかどうか自信がないと いうのが本音だ。もっとも本番では否応なく首筋から薬がぶち込まれ、恐怖心は和らげられるらしいが。
 効率的に戦闘技術をたたき込むやり方は、まるで野菜か何かの促成栽培のようだ。自分のことを 消耗品だとは思いたくないが、きっと死ねばすぐに補充がきく部品なのだろう。
『速水! おめえ何考えてんだ!』
 ヘッドセットから直接流れ込んでくる怒声は、練習での戦闘司令、本田のものだった。一瞬思考が 流れて動きが止まったのを目敏く気づかれたらしい。
『いいか、集中力を切らすな。全方向にアンテナを張れ。敵の位置や状態を見極めて、迷わず判断を 下せ。実戦じゃあ、一瞬の迷いが命取りだ』
 本田の指摘は厳しい。学兵だからといって容赦ない。というより、学兵だからかもしれないが。
「わ、わかりました」
『「了解」でいい!』
「……了解!」
 スコープ越しの視界の端をダミーがよぎった。速水はもう余計なことを考えず、敵を追って動き 出した。


「おまえらの場合、まず体力と気力が絶対的に足んねーんだ。だから集中できない。下手したら そいつが命取りになるかもしれないぞ」
 訓練を終えて帰路につく前に本田は全員を集めて言った。
「実戦にかり出されるときになって力が足りないじゃ、言い訳にもなんねーからな。自覚しとけ。 技術の方は、ま、できるだけのことは教えたつもりだ。後はおまえたちの努力次第だな」
 そこで本田は四人全員の顔を一人ずつ見つめた。
「まずは明後日にやる試験の合格を目指せ。後のことはそれから考えろ」
 一週間かそこらの訓練で一人前の戦車乗りと認められるのは幸せなのかどうか。自分の意志とは 関係なく流れていくプログラムに、速水は置いていかれそうな心細さを覚えていた。


 翌日は戦闘訓練はなかった。次の日に行われる技能試験への最終調整のためだった。いつものように 授業を受けてから各自思い思いの準備に入る。速水は落ち着かない気持ちをもてあますように訓練に 専心した。本田の言葉がある意味道しるべになっている。
 体力と気力をつけること。
 そうすれば集中力が途切れないし、判断も的確に下すことができる。敵の射角をはずした安全な 移動と、確実な一撃。それさえあれば、確かに坂上教官の言う通り、無傷で生還することもできるかも しれない。
 速水は心優しい少年だが、後ろ向きになって逃げたい気持ちを抑えつけるだけの毅さは持ち合わせて いた。いままでの流れに疑問がないではなかったが、家事が好きで、そういうことにしか自信の なかった自分にも何かできることがあるのだとしたら、やってみるしかなかった。


 試験当日は、いつもと同じように軍用トラックの荷台にクラスメート三人と一緒に乗せられて、 訓練場に向かった。
 幻獣との戦いで荒れてしまった道路はでこぼこが激しく、初めて疾走するトラックに乗って通った ときには死ぬ思いをしたのを覚えている。乗り心地でいったら、士魂号の方が予測のつく分だけ まだましな方かもしれない。だが、連日荷台で揺られているうちに、その揺れにも馴れた。舞と並んで 座りながら、複座型を共に駆る少女の横顔を見て、彼の気持ちは徐々に凪いでいった。
 舞の目は透徹した色をしていた。涼やかに整った目元が確固たる未来を示唆している。その細い肩で 受け止めるべきる重荷にかけらほども動ずる気配がないのは、芝村としての誇りのせいかもしれない。 それでも、舞が毅然としているのなら、速水も弱音は吐けなかった。一度深呼吸をして再び舞に目を 戻せば、彼女も速水の方に目を向けてきた。屈折感のない視線は彼の弱いところをまっすぐに突いて くるようだったが、痛みより爽快感を覚えてしまう。出会ってから流れた十日という時間は、 短いようでいて長く深い時間なのかもしれない。
「私に任せればよい。戦車技能を取ることなど、たやすいことだ」
 ぶれることのない自信で舞は言い切った。速水は唾を呑み込むと、小さく頷いた。


 試験は所定の時間内でダミーを全滅させるという内容だった。
 これまでさんざん繰り返してきたことも、試験という枠がはめられると途端に硬さが加わって しまうが、それでも最初のころよりだいぶ広がった視界でダミーの動きを確認しながら、敵陣深くに 切り込んだ。複座型は全方向ミサイルを搭載し、敵の戦力を大きく削ることが期待されている機体だ。 射程内にできるだけ多くの幻獣を引き込んでなぎ倒す。そのために速水は敵の密集するエリアに死角を 見つけ出し、飛び込むのだ。
 舞がミサイルを発射すると、前後左右に群がった幻獣のダミーが一掃される。速水はタイミングを 見計らって、素早く敵の射程内から離脱した。
 ダミーは物理的ダメージを与えてくることはないが、攻撃の態勢には入り、被弾した場合は シミュレーターの警報が反応することになっている。そうすると減点につながり教官から厳しく 叱責されるので、「足を止めるな」という鉄則を彼らはたたき込まれていた。二人で操る複座型は 連携が大切になるわけだが、狭いコックピット内での舞との関係は、学校での日常会話より数段 滑らかだった。その鮮やかな呼吸で、ミサイルだけで屠ることのできなかった敵も、速水の機動力と 舞の射撃とで危なげなく消滅させていく。壬生屋と滝川もそれぞれに善戦し、結局幾分かの余裕を 残してダミー全てを撃破した。
「やったー!」
 機体を停止させ降車すると、すぐ近くにいた滝川が早速小躍りしながら走り寄ってきた。
「これで俺らも戦車兵だぜ!」
 親友は喜色満面で飛びついてきた。二人ともウォードレスを着ていたせいで、ひしと抱き合うと いうことにはならなかったが、その分滝川は乱暴に速水の頭を抱き込むと、これまた乱暴に髪を かき回した。
「滝川ぁ」
 手荒い喜びの表現からやっと解放されて、速水は相手の名前を呼んだ。自分としては嬉しいという より、安堵したという気持ちの方が強い。
 生まれてからずっと武器を持って戦うことなど考えたこともない彼だったから、こうして戦車兵に なるのは、それこそ考えの埒外だった。最初のうちはとうてい不可能ではないかとも思っていたし、 本音を言えばいまだって戦いたくない。だから、滝川のように手放しで喜べないのだ。そして、 無事教練を修了できてほっとしたと同時に、さらに大きな不安がわき起こっている。その不安は 茫漠としたものだったが、以前より確実に近づいてきていた。
 困惑の中、ふと視線を感じて振り返れば、舞が目を向けてきていた。その瞳の中に喜びの色はない。 当然のことと思っているからなのか、これから起こることを予期してとても喜んでいられないという ことなのか。それでも目が合って厳しい表情の和む。それを見て速水の口元にも笑みがのぼったが、 当の舞はやってきた壬生屋の方に向かい、速水の笑顔は行き場を失ってしまった。
 全員が無事戦車技能を取得し、本田教官は喜んでくれたが、反面少しつらそうだった。たぶん 最前線に配属された彼らの近い未来を慮ってのことに違いない。実際そんなことを言われたし、 試験後に本物の焼き肉をおごってくれたのも、教え子を死地に追いやる教師のはなむけのつもり だったのかもしれない。
 ともあれ、彼らを中心に据えた小隊がこれから編成されるらしく、週明けにも人員が赴任してくると いう。
 またも変化する環境に、緊張の解けない日々が続くのだろう。部隊の形態が整えば出撃はいつでも あり得るし、文字通り、生きるか死ぬかの毎日が始まるのだ。






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