* * *

 シンデレラ城で《ミステリー・ツアー》にひっかかり、トゥモローランドに入ったときには、食欲旺盛な二人はもう腹を空かせていた。
 死んでも《ビッグサンダー・マウンテン》のあるウェスタンランドや《スプラッシュ・マウンテン》のあるクリッターカントリーに迷い込むことのできない三井と仙道は、シンデレラ城の後は発射台に立つロケットのような外見の《スタージェット》を目標に歩いていたのだが、ちょうど通りかかった巨大なファーストフード・レストランの前で三井の足が止まった。しばらく周囲を見まわした後、彼は斜に構えて振り返り、顎をしゃくった。「近寄っていい」の合図に、仙道はスパイごっこを楽しむように三井の元に悠然と近寄る。実際離れて後を追うのは尾行しているような刺激があって、思ったほど無味乾燥でもなかった。
 彼は三井の前を通り過ぎ、横に並ぶようにして足を止めた。
「腹減ってねえか」
 三井は聞いてくる。
「減ってます。……あ、先に入って安全確認しときましょうか」
「おう、頼むわ」
「了解」
 視線をはずして小声で言葉を交わすと仙道はレストランの中に入った。ざっと全体を見渡した限り、赤い坊主頭は見えない。こんなときあの元気者は便利な指標である。すぐに彼は後戻りし、三井を呼び込んだ。
 そこで二人は再び一人前以上のハンバーガーやらポテトやらを平らげることになった。あらかた食べ終わり、後はポテト少々と飲み物だけになったとき、仙道はちょっと信じられないものを、三井のずっと後ろに見た。
「……ひゃあ……」
 思わず口走った言葉に三井の紙コップを持つ手が止まった。
「何だ?」
 ぎくりと体を緊張させて三井は言った。
「三井さん、そのまま! ……振り向かないで。うちの監督です。……あ、見つかっちゃった」
「陵南の監督だって? おい、やべーよ、どうすんだよ」
 田岡は家族連れだった。何度か自宅に招かれたことがある仙道は監督夫人とも面識があった。それに息子が二人。確か小学校高学年で少年サッカー・チームに入っているという。
「オレから挨拶に行きますから。大丈夫です」
 仙道は立って、十五メートルほど先のテーブルに出向き、挨拶を済ませて、同行者は久々に東京に出てきたいとこであると言い訳した。田岡監督は練習を休みにして家族と一緒に遊びにきているところを見られてばつが悪いらしく、仙道を早々に無罪放免にした。
 とはいえ、監督一家の方が出口に近いテーブルに陣取っていたため、いくら居心地が悪くても、三井と仙道は席を立つことはできなかった。まさか後ろ向きに歩いていくわけにもいくまい。
 進退窮まって動けずにいると、しばらくしてやっと田岡一家は立ち上がった。が、何を思ったか、田岡は妻子をテーブルに残し、仙道の方にやってくる。
「……三井さん、帽子で顔隠して、寝た振りしてて下さい」
 小声で指示を出すと、三井は恨みがましい目を向けてきたが、すぐにさりげなくキャップのつばを鼻の下まで引き下げて腕を組み、椅子の背に体を預けた。仙道は立ち上がって田岡を迎えた。
「仙道」
「何ですか、監督」
 彼なりに心は戦闘モードになってはいるのだが、のんびりと聞こえる気楽そうな口調は、変わらない。
「大丈夫だとは思うが、ちゃんとトレーニングはやっとるんだろうな?」
「もちろんです。今朝も走ってきましたし」
 田岡は少し表情を緩めた。
「そうか、ならいい」
 そこで、キャップをかぶって狸寝入りを決め込んでいる三井に一瞥をくれる。
「あ、すいません、監督。ちょっと疲れて眠ってるんで……そっとしといて下さい」
 すかさず仙道が言うと、田岡監督は目を上げた。
「……本当にな、この大事な時期に女の子とちゃらちゃら遊び呆けているようなら、そんな余裕もなくなるぐらい練習量をふやしてやるところだが……まあ親戚の用事ならしかたないだろう。引き締めてかかれよ」
「はい」
「じゃあ、オレは行くからな」
 それから田岡がどのアトラクションがいいかと尋ねるので、《ビッグサンダー・マウンテン》と《スプラッシュ・マウンテン》をプッシュした。なるべくなら、三井を知る人物はそばにいてほしくない。このままだとまた帰ろうと言い出しかねないからだ。
 それから田岡は背を向けたが、そのまま動かず、考え込むように首を傾げた。そしてしばらくして振り返った。
「……ところで仙道、おまえのいとこ、三井に似てないか?」
「え? 三井さんって?」
 田岡がわざわざそのテーブルまで足を運んだのはそれを言いたかったかららしいが、そらとぼけるのは得意である。
「決まってるだろう。去年痛い目に遭ったのを忘れたか? 湘北の三井だ。……三井がうちに来ていればあんな思いをするはずが……」
 田岡茂一はまたも三年間に渡るリクルート失敗の無念を掘り返し、発酵させようとしていた。
 スカウトに失敗した三人の中でも田岡は特に三井に執心していたらしく、ことあるごとに彼を獲得できなかったことを嘆いていた。
 思えば仙道が三井に目を向けたのも、もともとは監督のこの思い入れに端を発しているのかもしれない。そしていまは彼の方が深く三井にはまっている。
 仙道は三井に目をやった。キャップの下で彼は冷や汗を流しているだろう。
「湘北の三井さん? いいえ、監督の気のせいですよ。全く似てませんてば」
 きっぱりはっきり否定する。
「……そうか。……バスケはどうだ? やってるのか?」
「え? あ、いや、してないんじゃないかな?」
 この上「陵南にスカウトする」などという話に発展しても困る。
「もったいないな」
「いえ、タッパはあっても運動神経全然ないらしいですから……たっ!」
 眠っている「いとこ」が向こう脛を蹴る。大胆に動いたのを田岡が見咎めなかったのは不思議だった。
「どうした?」
「いや、ちょっと寝違えちゃったかなあ……なんて」
 仙道は首筋に手をやって笑った。田岡は渋面を作った。
「どうでもいいが、休み明けの練習には引きずらないようにな。おまえもキャプテンなんだ、部員の士気を挫くようなことはするなよ」
「わかってます」
「魚住のときはこんなに心配しなかったんだが、どうにもおまえは掴みどころがなくてなあ……」
 やることはきちんとやっているのに、いや、力を抜いたことがないとは言わないが、ともあれ帳尻は合わせているのに、どうしてわかってもらえないのか仙道には不思議だ。しかし彼が応答に窮したのは三井の腹が震えたのを見たからだった。このまま三井が笑い出したら大事だ。別に三井と一緒にいることがばれても仙道は痛くもかゆくもないのだが、三井が秘密主義だから、ついそう思った。それを田岡は誤解したのだろう、言葉を濁した。
「いや、なに……まあ、それじゃあ、気をつけてまわれ」
「はい、監督も」
 そこで一言つけ足す。
「……ここで会ったことは部員のみんなには内緒にしときますね」
 田岡はむっとしたような表情を見せた。
「余計なお世話だ!」
 そう捨て科白を吐いて仙道のそばを離れ、妻子の元に戻ると早々にレストランを退散した。
 三井はそれからしばらくは寝た振りを続けていたが、仙道に言われて顔の上からキャップを取った。
「ふう……今度こそ駄目かと思ったぜぇ。どうしてこんな時に限って知ってるやつに会うんだ?」
「三井さんに引力があるんじゃないですか?」
 半ば本気だったのだが、三井は眉をひそめた。
「てめえ一人が見つかってて、何言いやがる。オレの責任にすんじゃねえや」
 思い切り不満げに言う。
「だいたい、そのでけえ図体だけで目立つのに、その頭じゃねえか、もう少し目立たねえ工夫ってもんを……」
「ミッキーマウスの帽子、かぶりましょうか」
 窓の外を行き交う人々の中に必ずと言っていいほど混じっているイヤーキャップ姿を親指で指し示して仙道は言った。三井は一瞬の沈黙の後、小さく吹き出した。しばらく声を殺して笑い、その後でしかめ面を作ろうとして失敗した。
「まったく、おめえってやつは……」
 その先が続かない。深く息をついてテーブルに頬杖をつき、何も言わずに見上げてくる。どうしてそんな風に見つめられるのかわからなかったが、好きな相手に見られるのは悪い気分ではなく、仙道は笑みを返した。
 やがて三井は立ち上がった。
「さ、いくか」
「え?」
「いつまでもここにいたってしようがないだろ? 次は《スペース・マウンテン》だ」
 そう言って背を向ける。いきなりだったのと、例の「五メートル・ルール」を思い出して、仙道は足を動かそうとしなかった。すると二歩目で三井が振り返った。
「来いよ。もう離れてなくていいから」
「ほんとですか?」
 嬉しくて一足飛びに近寄って肩を並べる。
「一緒にいたってばれねえときはばれねえんだよなあ」
 手にしたキャップに目をやり、それから仙道を見た。
「……おまえが目立つってんなら、桜木のやつはもっと目立つだろうし、第一これだけ広くてこれだけ人がたくさんいて、出くわす方が珍しいことかもしんないし」
 三井は再びキャップを目深にかぶった。
「けど、ミッキーマウスの帽子をかぶるなんてイカレた真似しやがったらそこでさよならだからな」
「三井さん」
 尾行の真似事も思ったほどつまらなくはなかったが、やはり一緒の方がいいに決まっている。やっと口元に微かな笑みをのぼらせた三井に、仙道の気分も高揚した。
 待ちに待ったデートなのだ。こうでなくてはいけない。

* * *

 外に出るとすでにパレードが始まっていた。この間、パレードの進行を妨害しないよう、進路に沿ってロープが張られるのだが、二人のいるエリアはまだところどころで横断可能だった。落ち着いて地図と現在位置をつきあわし、目的の《スペース・マウンテン》の建物の前にたどり着く。この時間帯は、パレードのおかげでこころもち待ち時間が短くなっていた。
 いかにも近未来的な建物の入口はチューブのようなエスカレーターになっている。地上を這う列の先頭の人々がそのチューブに吸い込まれていくのを見て、彼らはその列の後ろに並んだ。仙道が手持ちの使い捨てカメラのことを思い出したのはそのときだった。
「そうだ、三井さん、さっきこれ買ったんです。どこかで写真撮りましょう」
 肩から下げた簡単な布製のナップザックの中からフィルムを取り出して三井に見せた。彼は嫌悪をあらわにした。
「オレはやだぜ。……記念が欲しいなら、オレがおめえの撮ってやるから貸しな」
「えっ、別に自分一人のが欲しいわけじゃないっすよ」
「なら、くまのプーさんとでもきれいなネエチャンとでもツーショットで撮ってやる」
「……三井さん、オレはね……」
「形に残さない方がいいことってのもあんだよ」
 遮る言葉の硬さに仙道は少し驚いた。三井ははぐらかすように笑顔を見せるとフィルムを仙道のナップザックに押し込んだ。
「いいじゃねえか、いまが楽しければ。なっ?」
「あ……そうですかね」
 そこで列が大きく動いたので、写真の件は体よく忘れられた形になった。
 すぐに二人はチューブの中をエスカレーターで上がったが、そこから先も長く列がつながっていた。列に従って少し行くと、下方へ傾斜した暗い通路に入る。途中モニターが設置され、種々の注意を喚起していた。
「心臓と血圧かあ……大丈夫かなあ」
 改めて警告されると不安になるのが人情であるが、三井は鼻で笑った。
「心配する方がおかしいぜ。てめえの心臓には毛が生えてら」
「確かに妊娠はしてないよなあ。……三井さんは大丈夫?」
「バ、バカヤロッ! どうしてオレが妊娠……!」
 三井は仙道の耳たぶを掴んで引っ張り、声を荒げたが、途中で誤解に気づいたらしく、オレンジがかった照明の下でも赤面したのがわかるような困惑の表情を浮かべた。
 三井の指が耳から離れると仙道は耳をさすりながら苦笑いして否定した。
「違いますよ、心臓とか血圧とか」
「……大丈夫に決まってんだろ。バリバリの体育会系なんだぜ!」
 羞恥に下を向いたまま三井は強気に言い放った。仙道は無言で目を逸らした。
 通路の側面はガラス張りになっていて、外には星の海が広がっている。時折猛スピードでその海を通過する蛍光グリーンのラインはジェットコースターの車輌なのだろうか。期待と緊張が徐々に高まってきた。
 やがて通路は宇宙港とも言うべき空間に達した。ジェット・コースターは頻繁に発着し、乗降は手際よく行われる。二人は今度はいちばん後ろの席に誘導された。乗るべき車輌が前の旅から帰還し、乗客を降ろすとまず三井が、それから仙道が座席に収まった。荷物を足と足の間に置いて少しすると、車輌は動き出した。スタート後ほどなく急な上り坂に入るのは常道だが、閉鎖された空間では屋外とはまた違った感覚が神経回路を走っていく。上方からは赤い光とともに霧が降ってきた。その圧迫するような空間を抜けたとき、広がるのは永遠の夜空だった。
 夜空の天井で二人の乗った宇宙船は緩やかに前進を始めた。そこはただの闇ではなく、星の散る海だ。急激にスピードを上げ始めるともうその勢いは止まらず、猛然と旋回を繰り返していく。闇とスピードに慣れぬ目には次の動きの予測が立てられない。気持ちは翻弄されるばかりだ。脳天から抜けたような女の子の悲鳴が前方の闇で生まれ、尾を引いていく。三井の声も聞こえたが、これは歓声だった。いつしか仙道も声を上げて笑っていた。

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