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というわけで、湘北高校バスケ部関係者ご一行様である。
「センドーはオレが倒す」と気勢を上げて《ホーンテッド・マンション》に乗り込んだものの、花道の意気込みは最初のからくり部屋で少々出端を挫かれた。壁がのびていくところまでは緊張しながらも何とか笑っていられたのだが、部屋の中が真っ暗になり悲鳴が轟いたときに思わず震え上がってしまったのである。
しかしどんなに気が進まなくとも、扉が開けば先に進まなくてはならない。大きな図体を渋々前に運んでいくと、晴子が人の流れに弾きとばされてぶつかってきた。
「ハ……ハルコさん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう、桜木くん」
「こっ、恐かったら遠慮なくオレを頼って下さい」
「うん」
晴子はにっこりと笑った。暗いのでよくわからなかったが、少なくとも花道はそう思った。恋する男の気持ちはそれだけで奮い立つものである。
しかし晴子の問題は花道を頼る以前のところにあった。
ゴンドラに乗るため動くベルトの上に踏み出したとたん、バランスを崩して転んだのである。彼女の運動神経の切れ方たるや、まさに尋常ではなかった。
「ハルコさんっ!」
花道が飛び出し、事故防止のためベルトはいったん停止した。
「ごめんなさい……ホントにわたしってトロくって……」
「いや、そのよーな」
「いいのよ、みんなそう言うんだから。……運動神経みんなお兄ちゃんに取られちゃってわたしの分は残ってなかったんだって」
「ハルコさん、でも……」
キャストのお姉さんが咳払いをする。晴子が慌ててゴンドラに乗り込み、花道もその隣りに腰を下ろした。「憧れのハルコさん」と一緒で花道は幸せな気分になったが、ずっと先のゴンドラでも一時停止の恩恵に与っていた男がいたとは、さすがの天才も考えの及ばぬところだった。
さて、その男仙道と三井は千人目の住人になることもなく、幽霊屋敷から戻っていた。
「あ、オレ、便所行ってくるわ」
方向音痴の面目躍如で、もと来た道を自覚のないままにぶらぶらと戻ってきたとき、三井は言った。
「それじゃあ、オレは売店見に行ってきます。出たらそこで待ってて下さいね」
「おう」
二人はそれぞれ別の方に向かった。
仙道はいちばん近くのショップに駆け込むと目的のものを難なく手に入れた。レンズ付きフィルム、いわゆる「使い捨てカメラ」である。例の女の子たちの撮影を頼まれたときに思いついたのである。
なかなか会えない、電話で話すのも思うに任せない、とくれば、写真の一枚ぐらいあっても罰は当たらないのではないだろうか。
ひどい方向音痴とはいえ、さすがに目で見渡せる範囲ぐらいは仙道も迷わない。彼は三井の入ったトイレのところまで行くと、自分も用を足しておこうと考えた。ちょうど三井が出てくるところにばったり行き当たったので、外で待っていてもらうことにした。
その三井が血相を変えて飛び込んできたのは、仙道が手を洗い、水気を拭ったペーパータオルをダスト・ボックスに落とした時だった。
「やばいぞ、仙道!」
言うなり腕を掴み、いちばん奥の個室に走り込んで鍵をかけた。
「ど、どうしたんです?」
あまりといえばあまりに大胆な展開にさすがの仙道も慌てた。狭い個室に大柄な男が二人。行きがかり上抱き合うような形になっている。自制心は強い方だとは思っているが、不意を討たれれば欲求は速攻で顔を出す。しかしそれは次の瞬間トイレの中に響いた声で、生理的反応に直結しないで消えた。
「結局つかまえらんなかったなあ」
この声はもしかして……。
仙道が目を丸くすると三井が小さく頷き、口元に人差し指を持っていった。
仙道は声の主のことをすぐに思い出した。
小柄なポイントガード。片耳ピアス。現在の湘北バスケ部キャプテンだ。
「ふぬっ、運のいいやつだ」
これは赤い髪のセンターフォワード。
三井の逃げてきた訳を、仙道はやっとのことで飲み込むことができた。
「でも、本当に仙道だったのかあ?」
『えっ?』
宮城の口から自分の名前が出て、再び仙道は驚いた。三井も目を瞠っている。それからすぐにきつい目で見上げてきた。
『どこで尻尾出したんだ、てめえ』
『そんな、わかりませんよ』
『目立ちすぎなんだよ、だいたいおめえは』
互いの吐息がかかるくらい接近し声をひそめて交わす会話はどこか睦言めいていた。三井の心臓の鼓動が密着した胸に伝わり、仙道の鼓動まで速くする。まるで感染力の強い伝染病のようだった。
「洋平が見たってんだ、確かだぜ。リョーちんは知らねえだろうけど、あいつは遠目がきくんだ。連れがいたったことまでわかってんだからな」
桜木の言葉に三井が反応した。仙道は彼の背に腕をまわした。窺い見た顔は表情がこわばっていた。
「でも、どんな彼女なんだろうな」
三度仙道は驚いた。三井も狐につままれたような顔で瞬きを繰り返している。
「そりゃあ、もう、ハルコさんの足元にも及ばねえに決まってるぜ」
「アヤちゃんが月なら仙道の彼女はスッポンてところだな」
和やかな笑い声が響く。個室内でも緊張は目に見えて解消した。
『何勘違いしてるんだかわかりませんけど……』
仙道は三井の頭を抱くようにして引き寄せ、囁いた。
『このまま勘違いさせときましょう』
『……いいのかよ……妙な噂が立つともてなくなるぜ』
『妙な……って、陵南の仙道はホモだっていうのよりましじゃありませんか?』
自分で言っておかしくなってしまった。三井の肩口に顔を伏せて必死で笑いを殺す。三井は最初あたふたしていたが、最後には諦めたように仙道を受け止めていた。
すぐに三井の後輩たちの声はしなくなった。それでも用心のため少し個室の中で時間をつぶすことにした。さすがに一息ついてからは抱き合っていた体を離し、三井は便器の蓋の上に腰かけていたが、定員一名の個室に二人という状況はひどくいかがわしい雰囲気がして、仙道は取り返しのつかないことにならないよう、決勝リーグで顔を合わせるだろう湘北との試合を頭の中で全力でシミュレートしていた。そして、そのシミュレーションでダンクを決めたのを切りにしてドアを開いた。
思った通り、そこにはもう宮城と桜木はいなかった。
トイレを出る前に三井と仙道は慎重に慎重を重ね、地図を検討した。
一時は三井が帰ろうと言い出したのだが、せっかくのデートだし、そこで打ち切りにするのは惜しかった。それに、桜木たちがこれから《ビッグサンダー・マウンテン》と《スプラッシュ・マウンテン》を制覇すると張り切っていたので、最低向こう三時間はその周辺に縛り付けられることになるだろう。ということは、シンデレラ城を中心として反対サイドのファンタジーランド、トゥモローランドは安全圏だということだ。結局最終決定は三井が下した。
「よし。もう少しいようぜ。……ただし」
三井は仙道の胸を拳で突いた。
「並んで歩くの、なしな」
「ええっ、そんなのつまんないっすよ。それにはぐれたらどうするんですか」
三井は唇の片端を上げた。
「そうしたら一人で帰ればいいだろ。お互いガキじゃねえんだから」
そう言われた瞬間自分がどんな情けない表情をしたのか、仙道にはもちろんわからなかったが、三井が笑い出したのを見ると相当だったのではないかと思った。
「……っていうのは冗談としても、よそ見しなきゃ大丈夫だろ。五メートル……そう、五メートル後ろからついてこいよ」
言ってキャップを目深にかぶり直す。
「行くぜ」
三井は長い脚を踏み出した。とりあえず目指すはシンデレラ城である。
仙道は言われた距離より少し短い間隔で後を追った。
それは象徴的な状況だった。
三井の背を追う。彼だけを見つめて追う。時が来れば彼は足を止め、しばらくともに過ごしてくれるだろう。しかしすぐにまた先を行く。ずっと一緒に歩こうとはしてくれない。
それでも仙道は三井を追うことをやめられないのだ。
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