◆高レベル放射性廃棄物、地層処分、
高レベル処分政策の変遷

                                  (参考資料)
                                2003年2月17日 
                   放射能のゴミはいらない! 市民ネット・岐阜
                                   兼松秀代
<高レベル放射性廃棄物>

 使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムとウランを回収した後に残る究極の核のゴミ。強い放射線を超長期にわたり発し続けるため、極めて毒性が強い。ガラスと混ぜて固め、約5o程の厚さのステンレスの容器に入れ、30年〜50年間青森県六ヶ所村の日本原燃・高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターで冷却し、地下に埋めて地層処分するのが国の方針になっている。
現在の国内貯蔵本数は、貯蔵管理センターに616本、核燃・東海事業所に130本。超寿命核種の半減期は、プルトニウム:2.4万年 ジルコニウム:93万年 ネプツニウム:214万年など。

<地層処分>

 高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)覆うオーバーパック、粘土などの人工バリアを施した後、300mより深い地下に埋めて地層(天然バリア)で放射能の移動を遅らせ、人間環境に影響を与えないようにすることができるとの考えかた。
処分場の広さは約4平方キロメートルが必要と言われている。
2000年5月に成立した「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」に基づき、処分実施主体・原子力発電環境整備機構(原環機構)が同年10月に設立された。原環機構は2002年12月、市町村を対象にから処分場の公募を開始した。しかし、申し入れ方式を放棄したわけではない。
国は2020年代頃処分場の建設を開始し2030年代頃から処分開始をめざす計画。

<報告書ができるまで>

1962(S37)年


  原子力委員会は国土が狭く、地震があるので地層処分は適さないと考え深海底に捨てるつもりだった。
しかし、南極条約(1959年日本が署名)やロンドン条約(1973年日本が署名)で、海や氷の下に埋めることができなくなった。

1976(S51)年

  原子力委員会、地層処分を基本とする方針を示した。
研究開発の中核は動燃と原研が担当し、10年後の実証試験をめざす。

1980(S55)年

原子力委員会放射性廃棄物対策専門委員会報告で、次のステップで処分事業を進める計画を立てた。
   第1段階 可能性ある地層の調査  第2段階 有効な地層の調査
   第3段階 模擬固化体現地試験  第4段階 実固化体現地試験 
   第5段階 試験的処分

1984(S59)年4月

 旧動燃が原子力員会に、日本でも地層処分できることを示した報告書・『可能性ある地層の総合評価』を提出。報告書は全国25ヶ所の極秘調査に基づいてなされた。

1984(S59)年8月

 原子力委員会は動燃の報告を受けて、「明らかに適性が劣るものは別として、岩石の種類を特定することなくむしろ広く考え得る(地層処分は可能)ことが明らかとなった」と評価、有効な地層の調査を終了とし、「現在は処分予定地選定段階にある」とした。

1985(S60)年

 原子力委員会は、処分予定地の選定(第2段階)、処分予定地における処分技術の実証(3段階)、処分場の建設・操業(第4段階)と進める方針をたてた。
 ☆動燃は研究開発と処分予定地の選定をすることになった。

1986(S61)年

 核燃・東濃地科学センターはウラン探査から、高レベル放射性廃棄物地層処分の研究に事業内容を変更し、東濃鉱山や周辺で処分研究を始めた。
  ☆動燃は全国を対象に処分候補地選定作業を開始した

1987年6月

 原子力委員会は原子力開発利用長期計画で「動燃は処分場の選定事業を行わず、研究開発だけを行う」とした。こうして動燃の処分候補地選定事業は終了した。



◆核燃・東濃地科学センターと
             超深地層研究所をめぐる経過


1962(S35)年12月
 東濃でウランの露頭発見。
1965(S40)年 原子燃料公社(動燃の前身)土岐市に事業所を開設。
1973(S48)年 東濃ウラン鉱山の立坑(深さ 約130m 坑道の総延長約1300m)
1986(S61)年 東濃地科学センターの事業内容は高レベル放射性廃棄物地層処分のための研究に変更された。人工バリア材料腐食実験やボーリングなど地層処分の研究開始。核燃、土岐市にのみ事業内容の変更を報告。土岐市は県にのみ報告、市民や議会に説明せず。
1987年 ウラン探鉱終了。
1989年 核燃は東濃の花崗岩に本格的な地下研究施設を計画していた。
1991年 東濃鉱山に第二立坑完成。超深地層研究所のライフサイズモデル。
1991〜1992年 東濃鉱山を中心に8km ×7km × 深さ1000mの範囲の地下調査実施。
1992年以降 500m〜1000mの深層ボーリングを開始
1995年8月 超深地層研究所の計画発表。動燃所有地に直径6m、深さ1000mの立坑建設計画。計画期間約20年間。
1995年12月 岐阜県、瑞浪市、土岐市、動燃の4者協定締結。研究所の受け入れ。
1997年11月 核燃、処分予定地選定段階の調査と同じ内容の調査を計画。住民、議会の反対で中断。
1998年9月 県知事に対し科学技術庁長官の回答(確約書)。知事と地元が反対しているから処分場にしないという当たり前の事を書いたにすぎない。政策文書で、法的効力はない。
1999年 97年中断の調査を再開。
2000年5月 高レベルを処分するための「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」成立。全量再処理、プルトニウム抽出が前提。首長の意見は尊重されても、同意は必要としない。
2000年10月 処分実施主体・原子力発電環境整備機構設立。
2001年7月 研究所への道路が住民の反対で建設できず。瑞浪市長、研究所を瑞浪市有地に誘致表明。
2002年1月 研究所の移転に伴う、土地賃貸借契約とそれに伴う協定締結。
2002年7月 研究所の着工。着工を受けて瑞浪市と周辺自治体に原発交付金交付。
2003年夏  核燃、立坑建設開始(内径 6.5mと4.5m 深さ1000m)を計画。
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