かくれた名作20 2001/7/28
短歌で読む新約聖書
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どうして聖書を短歌で読むわけ? この本はすごいよ。新訳聖書は27巻からなっていますが、27巻すべてに対して短歌を作っちゃってるんです。しかも章立てのある巻については全章にわたって何篇かの短歌をつくるという徹底ぶり。たぶん掲載した短歌の数は1000を優に超えているでしょう。でも、なんで聖書を短歌で読まなきゃならんの? ではちょっと引用してみましょう。 「なにげなく海上歩行なし給うイエスはまさに神でありたり」(マルコによる福音書第6章) ←「なにげなく」という表現がいいですね(^_^) 「ヨセフの子ヤコブの孫のキリストはアブラハムより四十二世代」(マタイによる福音書第1章) ←これって、短歌なの? 「はじめての弟子はアンデレ シモンにて 続くはピリポ ナタニエルなり」(ヨハネによる福音書第1章) ←だから、これってほんとに短歌なの? 筆者は瀬戸市に住む方で、現在、「聖句吟詠を研鑚」とあります。う、うん... これって「聖句吟詠」というんですね。 って、たぶん世界でこの方だけだとは思うけど>聖句吟詠研鑚中の方 で、なぜ聖書を短歌で読むのかというと、あげられているその唯一の理由は、「短歌で聖書を読んでゆくと何となく身近に感ぜられる」からということのようです(^_^) |
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