かくれた名作13 2001/3/3

神の正体U
 浅利幸彦(1985年 時の経済社) 


 あの浅利幸彦の代表作?

 浅利幸彦氏は、たけしのテレビタックルで急に有名になりましたが、以前から著作活動を続けていました。第1作は『神の正体』、本書はその続編で、氏の第2作目の著書にあたります。そして、私の評価では、本書が彼の代表作ではないかと思います。本書は、氏の他の作品に比べても、格段におもしろいのです。


 ノストラダムス版「水素製造法」

 かんべむさし氏の「水素製造法」という傑作短編をご存知でしょうか。
 入社試験に「水素の製造法について説明せよ」という問題が出され、携帯を許されている国語辞典のみから、水素の製造法を探索していくという小説です。誇張ではなく笑いがとまらなくなる話なので、まだお読みでない方は、ぜひとも読んでね。
 それで、本書で浅利氏が行うノストラダムスの解釈が、まさにこれなのだ。氏は、ほとんどフランス語辞書とラテン語辞書のみからノストラダムスの詩を解釈してみせる。詩に出てくるすべての単語について、その意味を、各々何個も並べてから、それらを適当に結びつけて文章をつくってみせるのである。その際、品詞はおろか、多少の綴りの違いも無視してしまう。
 例えば、「seulは、独りの、単独の、ただ一人の、一人で」
 「assisは、座っている、在る、であるが、assise(会議、集会)と考える。」
 (ほら、「水素製造法」を読んだことがある方ならわかると思うけど、この言い回しなんて、そっくりでしょ(^_^) )
 ノストラダムスには強引な解釈がつきものだが、辞書だけから強引に解釈していく人は、世界広しといえど、浅見氏をおいて他にいないだろう。
 どうしてこんなことが可能となったのか?普通の解釈者たちは、ノストラダムスを解釈するために、膨大な歴史書を携え、その詩が歴史上のどの事件にあてはまるかの考察に、かなりの労力をはらっているはずなのに。
 浅利氏の解釈はこうである。ノストラダムスの詩は、(浅利氏が執筆した時期から見て)今後起こることに限られているのだから、その詩を、あれこれの事件にあてはめて解釈している者たちこそ、ナンセンスなことをしているのだ。

 なるほど!(^_^)
 しかし、浅利氏の前提に立つと、ノストラダムスの予言は、まだなにも成就してないってことになるんじゃないの。他の解釈者たちと違って、浅利氏の立場からは、ノストラダムスの予言があたったという実績もなく、そもそもノストラダムスの予言があたるという根拠もないようだがなあ。

 と、当時楽しく読ませていただきました。現在、けっこう有名になったのは驚きだなあ。

次ページ 前ページ かくれた名作 HOME