◆「すべての民が支配の歯車に組み込まれている」と指摘していますが、どのようなことなのか、もう少し具体的にお聞きしたいです(後半は次号)
◆「大企業でも、中央政治でも、そこにいるのはみな一般の人。戦士に変身しているのはわかりますが、悪事は彼らが構想を練っているのですか。それとも、誰かによって命令されたプランの、ただの実行者なのですか」(次次号)
◆「地球支配者を、世界人民が葬るには、ヤツらの弱みを突くことですね」(次次次号)
✪すべての企業にには、社会貢献より利潤追求が優位という判断基準がある
企業というものの性質を知る必要があります。
Aさんとして考えてみましょう。例えば中規模企業に勤めているとします。
どのような会社でも、企業は目的を持ち、それは定款に書かれています。社会の何々という需要に、あるいはそれを開拓し、その分野の労働を担当することで、社会をより多くの人びとの利益のためになる。そのような貢献をしたいとします。
社会への貢献はうたっていますが、企業であるからには、その仕事で利益を得て、少なくとも給料を払い、企業が維持できるだけの活動をします。
✪すべての企業は、利益を得るために、一円でも安く仕入れ、一円でも高く売るのを目標とする
実際に仕事を企業として請け負うということは、同業他社と必ず競り合うことになります。利益を多く上げるには、他社より安く値をつけないといけません。高い値をつければ、仕事は他社にまわります。
会社を維持するには固定費用があります。高く請け負えば利益になりますが、安く請け負えば利益は少なくなります。ここに、企業の不可避的な課題があります。
✪すべての企業は、なるべく楽して、まっとうな勝負を避けて、他社をしのぐことを考える
ここで、企業は他社との競合に勝つために、さまざまな策を練ります。なるべく楽して、確実に利益になることを考えます。
もちろん、それは違法な犯罪ですが、表立っては否定しますが、背後で行います。
仕事先と内通して、なるべくなら無競争で仕事を請け負えるようにするのが理想です。
仕事を出す側は、法的あるいは内規のルールを根拠にして、どこに仕事を出すかの競合を決めています。このルールを決める人を買収して、自社に好都合なルールを定めさせることもします。法を作るのは中央政治の政治屋です。だから、自社の有利に政治を動かしてくれる政治屋を育てたり、買収したりします。
✪すべての企業は、損失と苦労を現場労働者と下請けに負わせる
下請けの企業を作り、下請けの企業に「苦労」「損失」をしわ寄せする手もあります。
安く仕事を受ければ、利幅は縮小します。縮小した分を、企業はどこかにしわ寄せします。経費を減らすために、その仕事で使用する資材を、品質の最小限で安価なものにするのも一つです。ときにはドキュメントを改ざんして、許容範囲に達しない素材を使うこともします。
大きいのは人件費です。給与をさげるか、下請け企業への支払い額を減じます。
✪すべての企業は、「株主と銀行>経営者と管理職>現場労働と下請企業」の構図をとる
企業として利益といっても、近年の傾向は見過ごせないことがあります。それは、企業の構成人員が大きく三つに別れていることです。
会社の中にいる社長以下管理者と現場労働者です。管理職は会社機構の上から下へ命令と指示を出します。現場労働者は、命令と指示を実行するのが仕事です。現場労働は、多くは別企業に投げてやらせるようになっています。
管理職と労働者という会社と労働に直接関係する人達を、ほとんど外部から関与しているものがいます。それは株主です。その企業に資本と資金を出しているものです。
日々の経費に直結しているのは銀行です。一定期間の企業業績に関係しているのは株主です。銀行と株主は、普段は会社の業務とは無関係です。あくまで、業務での利益の動向にだけ注目している人達です。
企業の決算の際には、株主は、今では、ほぼ無条件に利益を取り上げていきます。場合によっては赤字でも、株主が確実にいってのカネをとります。
かつては、株主は経営者(管理者)に対して全面的な信頼をおいて、経営への口出しはしませんでした。ところが、近年は「もの言う株主」となり、経営に口出します。逆に経営者(管理者)は、社長でもただの高報酬の「社員」に落ちぶれています。
このように、①株主+銀行、②管理・経営者、③労働者+下請という階級で企業は機能しています。
一般に企業は①+②+③で成り立ってるとは言えますが、近年における権限は①>②>③が明確です。
✪すべての企業は、民を経営者や管理者にも配置して責任を負わせる
注目しなければならないのは、民が①にも②にも③にも深く関与していることです。まず、②管理・経営ですが、会社は必要と思えば、実際の能力や適正と無関係に、役職や任務として仕事を課します。労働者でありながら、係長だとか部長だとかの肩書を与えられ、責任はとらされます。
日本での年功序列はとうに消えました。外資がかなりの割合で関係してきています。日本的な独自の成長を遂げてきた日本型企業は、実力主義のベールを被った米流の金融第一主義に席巻されました。
民に役を与えるのは、ヤツらが役立つ人か、労働者を巧みに使いこなせる側の人かを、確かめ要請する意図があります。
民が①、すなわち投資側に関与するというのは、自社株を持たせたり、株式の売買に参加させることです。近年のNISAなどはわずかな定額の資本でも参入できるようにしたものです。当然ですが、大抵は、総じて小銭を収奪されます。さらに、年中頭の中に「カネ」を意識させる目的があります。
✪すべての企業は、金融資本の絶対的な支配のもとで動いている
企業役員の2年という短期の任期内に挙がる数字が、結果のすべてを決めるようになりました。五か年計画とか三十年計画などは基本的に存在しません。
最長2年という短期の任期中に、いかに過去以上の数字を挙げたのか、上げられるのかで、その幹部のすべてを評価していくシステムです。計画を命令するのは金融資本です。金融資本は「実現する」約束をしたものを経営者に任じます。まだ計画が始動していない時点で、金融資本への、相応額面の手形は約束されます。
この時点で、企業が100パーセント金融資本の意志で動くようになっていることが理解できます。
③の労働者は多くは「命令と指示通りに動くだけ」なので、現在は、それを正社員がすることはほとんどなくなりました。派遣などの非正規労働者か、外注され別の企業の人が賄います。
✪すべての企業は、現場労働と下請企業で実際の生産価値を産出している
以上が一つの企業内の姿です。これが、外注される企業に仕事が丸投げされ、請け負った企業から見ると、そこに同じ構造が存在します。
原発の労働で一時期話題にもなりましたが、八重の下請けなど普通です。マトリョーシカ人形のようです。実際に仕事をする末端の労働者だけが価値ある仕事をしていて、各下請段階の企業に働く労働者は、一円でも高く仕入れ一円でも安く下請けに仕事を流すことをしています。
そこで実際に得た利益は、どのレベルの会社でも、金融資本は、真っ先に、無条件に一定のカネを優先的に巻き上げていきます。
銀行+株主という存在が、世界中のどの企業にも深く関与していて、彼らの意志に相反する企業目標を掲げることなど、あり得ないことがわかると思います。その会社がたとえ、表でどのような立派な「企業目標」を掲げたとしても、金融資本の意志からは離れられない。同時に企業として利益の追求という、己の持つ束縛から離れられない。絶対的に、「利益追求>企業目標」の構図であって、この逆はありえません。
✪すべての企業は、民が自動変身した企業戦士の奮闘で成立している
家庭での良きパパ・ママという、普通の民が、企業の門をくぐると、企業戦士に自動変身するのは、資本主義社会においては当然の姿です。労働者が、自動変身に矛盾を感じていては、どうしても戦士としての姿勢は貫けません。つまり、会社での仕事が貫けません。
担った役割が果たせません。自動変身に疑問がわくことを、本能的に抑え込んでいます。
生きるために仕事に就く。仕事に疑問を持ては仕事はできない。生きるため、生活するため、自動変身への疑問は、無意識に封じ込める。けっきょく、生存本能として、社会的に強制させられているわけです。
家庭で、一人の民として、家族への愛情、友人知人への信頼と愛情をもち、その心配をしないような社会に貢献するという、本来の大事な命題を感じ、考えています。だが、会社の門をくぐったら、それを逆転させなければならないのです。
「下請けに一円でも安く外注する」「そのようにしないと、目標が達成できない」「職場で同じ努力をしている仲間の足引っ張りをできない」「部下や下請けに無理、無茶とわかっていても、やらせなければ、自分の職務が果たせない」という、職場についたら「戦士」をつらぬくことが仕事の基本になります。
この思いで自分の思考を満たせて、これと相反する家族や友や民の利益を思考から追い出します。
✪すべての企業は、企業戦士を相互監視とパワハラで稼働させている
職場での自分の評価は、決められた短期の期間中に、数値で表れます。上司からの監視下にあります。また同僚や部下からの点数が、考課としてシステマチックに出されます。ポイントになるのは、上司の阻喪をうまくカバーしてあげることです。上司の至らないところを、繕ってあげることです。
つまり、会社としての上の計画の破綻を補ってあげることが評価の大きな点数になります。上司へのただのへつらいではない、内容の伴った補填であればあるほと、上からの評価をあげ、いわゆる出世を手にできます。
会社での役職の階級が上に上がれば上がるほど、実入りも上がります。つまり、民としての普通のしあわせなどを捨てれば捨てるほど、一見上級国民になったような悦楽の錯覚を味わえます。下級国民のことは忘れた方が、実入りがよくなるのであれば、いっそ、はっきりとそちらの世界に足を踏み込んだ方がいいのではないかという、感覚に取りつかれるのは自然です。
✪プロレタリアート(労働者階級)を上級国民、ホワイトカラー、中間管理職、現場労働者、非正規労働者に差別分断して、対立させて見えなくした
会社に勤めて、生活のカテを得る、と割り切って仕事をすることは可能です。
それは、企業内でのあらゆる甘い誘いに目向きをしないことです。だが、就けるのは、常に、最下層の労働です。企業の正社員でありながら最下層の労働は極めて少なく、非正規社員=派遣か、何重をもの下請けの企業の現場労働しかありません。
これは「労働」という現代の概念のなかで、卑下されたりすることが見られますが、まったくそうではありません。プロレタリアートという言葉は現在では死語ですが、まさにこの労働者ことがプロレタリアートです。
ロシア革命と中国革命に衝撃を受けた地球支配者は、この世からプロレタリアートを無くすことで、マルクスやレーニンの革命理論を敗れると考えました。
当然ですが、無くすることなど社会的に不可能なのです。そこで、労働者を、先に説明したように、会社のあらゆる層(役職)にはめ込むことで、目くらましをしたのです。ときには実態は労働者でありながら、名ばかりの管理職にさえします。
✪すべての労働者は、企業の意志に背いて生きていくことができないように、縛られている
大事なことは、民のほとんどを中間管理職的な曖昧な役職にはめこんで、責任はしっかり負わされて、一円でも安く仕入れ一円でも高く売るということから離れられないようにしたことです。
そして、本来は、いつも傍に存在する家族、友人知人、同僚、近所を思考から遠ざけ、仕事中は彼らの利益や幸せを考えないようにします。最下層の現場で実際に実のある活動をする労働者をさげすみます。労働者同士を対立させるためです。
革命から教訓を得た地球支配者は、プロレタリアートを徹底的に分断しました。そして、家族や友や同僚や近隣への信頼や結合から、真逆の対立、不信に持っていったのです。
民同士の対立は、即、真逆のヤツらの利益です。それはヤツらの支配システムの強化です。民が民を支配するシステムという究極のシステムを実現したのです。
労働者層を曖昧にし、まるで社会にプロレタリアートは存在していないようにしました。
民が生きるためには、民の利益を民が損なうという、あってはならないシステムを作ったのです。
「ヤツらがシステムを作った」のは事実ですが、そのシステム作りに、人民自身が深く手をかしたのも事実であることを、人民は認めなければなりません。
✪すべての企業は、寡占化がすすみ、世界金融資本の影響下に置かれ、政治屋を育てた
世界人民が同時に同じ状態に悩まされています。苦しんでいます。だが、同時に支配システムに、あまりにもはっきりした、納得しがたい問題があることが浮上してきています。
現代の社会の構造は、経済活動では資本主義です。政治的には自由民主主義です。
資本主義は利益を至上主義とする企業の競争社会です。だが、効率を求めるあまり、優良企業は世界的規模の巨大事業体に膨れ上がります。市場は一元的に拡大し、地球の隅々まで影響を広げます。結果的に世界金融資本は、銀行と企業を地球的規模で配下に吸収していきます。
世界金融資本は、全世界の企業をカネで系列下に収め、分断支配の手段としての国の政治を手中にします。各国の企業は、自分らの経済活動に有利なように、その国に法律を作らせます。つまり、政治屋を育て、中央政治に送り出します。
企業が、建前として、自由や平等、社会への貢献をうたいますが、実態はその真逆というどろどろとしたものであることが、日常的にばれてきているのです。
✪すべての企業は、旧来の封建時代の支配者と結合した世界金融資本による世界政治支配に組み込まれた
世界金融資本は、地球全体をスムーズに動かすために、何千年来の封建的、奴隷制度的支配者であった王制や宗教組織と手を組みました。
そして、被支配者の民の目をごまかすために、政教分離・政経分離などといって、政治は「国民のもの」として、各国で選ばれた政治家によってなされていると装います。
現代に至り、政治の実態は、地球すべてが、地球支配者によって一元的に支配され、動かされていることを隠せなくなったということです。
第一に、各国に置かれた中央銀行は地球支配者直結の私的機関であることです。各国の政府や銀行に中央銀行が公的機関を装ってカネを貸し、利子として巨大な額のカネを吸い上げているということです。
第二に、世界金融資本の下の企業や個人は、民から吸い上げた巨額の利益を、タックスヘイブンを利用して隠していることです。納税で民に返すべきカネが収奪されたままになっています。
第三に、米国という大国でも、その他の世界中の国はすべて、民の利益を考えた政治などまったくされていないことです。中央政治屋が行う「政治」は、例外なく地球支配者の命令と指示でなされていることです。
全世界中の国が命令を受ければ、例外なく統一的に動くのは、新型コロナウイルスでのロックダウンや、ワクチン接種で証明された通りです。
第四に、民のためになる社会や未来は存在せず、地球支配者による支配の都合でしか動いていないことです。
(次号に続く)
5つの心構え
第一、人へ迷惑をかけない
第二、カネとモノのとりこにならない
第三、地球と未来に負荷をかけない
第四、戦争の根絶、安寧な生活
第五、人間としての誇りと尊厳