第4章
巫女−壱−
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「無理心中の清水碧海」
本屋を出たところでオレは、いきなりとんでもない呼び名で呼ばれた。
ギョッとして振り返ると、そこに立っていたのはクラスメートの神崎学(かんざきまなぶ)だった。
「誰が無理心中だよっ!」
「えーっみんな言ってるぜ」
もう少しで所はばからず怒鳴るところをぐっと我慢した。
「大嘘に決まってんだろう。まったく…」
オレは学を睨む。どうせそんな噂を流すのはこいつに決まっているんだから。どこでネタを仕入れたのか知らないけど、嘘を吹聴するな、嘘を。
「でも池で溺れそうになったのは本当なんだろう?」
「…だからなぁ」
こいつはどうしてもオレを噂の対象にしたいらしかった。そういうヤツだよ、お前は。
事の真相を話したところでこいつは信じないだろうし、オレの話に要らない付属品をつけて、また噂を振り撒いてくれるだろうから、話すつもりはない。
オレは学を無視して歩道へ出た。
あの事件があってからもう一年が過ぎた。
去年と違って、今年の夏は大した事件もなくあっと言う間に終わり、町はもう秋の色を濃くし始めていた。
あの事件の後、夏菜の消息は勿論、静川さんの居所も分からなかった。夏菜については自宅へ帰ってから調べたところ、彼女の話していたことがまるっきりのデタラメではなかったことが分かった。
夏菜の家は実際にそこにあったし、人も住んでいた。ただ、その家にいた夏菜は全くの別人だった。と言うのも大神夏菜(おおみわなつな)と言う女の子は10年も前に行方不明になっていたから。当時、16歳だったと言うから、あの夏菜と同一人物とは思えないよな。
まあ、あの夏菜も人じゃなかった事を考えれば、怖い話、有り得なくもないかも知れない…けど。
どちらにしても、どうやって転入して来たのか――オレには到底調べようがないけれど、どうせまともな方法じゃないに決まっている。
静川さんについてはフルネームすら覚えてないし、大学生とだけしか知らないからどうしようもないんだけど。ただ、さっき面白そうな本を見付けたんだ。
見付けたのはほんの偶然。
暇潰しに見て歩いていた書店の中で、迷い込んだ専門書のコーナーに置いてあったんだけど、著者・静川聖一、『日本の神話伝承――竜神伝説――』っての。偶然の一致にしては出来過ぎてるって気がするけど、でも興味深いじゃないか。
んで、オレはこの4500円もするハードカバーの単行本を、今月の小遣いはたいて買ってしまった。オレってもしかしてすっごい馬鹿かもしんない。
「そう言えばさ、葵翔(あおいしょう)って覚えてるか?」
オレは学の言うことをずっと無視していたけど、その名前を聞いてふと立ち止まってしまった。
「葵って…あの?」
「そう、あの優等生」
去年の春、転校して行った同級生をオレは思い浮かべる。
小柄で、その割に不思議なほど目につく、存在感のあるヤツだった。
「葵がどうかしたって?」
「この前、久しぶりに会ったんだ。彼岸の墓参りだとか言ってたけど」
彼岸って、随分前のことじゃないか。
こっちに家はなくなったけど、時々は帰って来ているのかと、何となく懐かしく思う。
「それでさぁ、聞いてくれよ。あいつ、すっげー美人と一緒に歩いてて、いとこだってごまかしてたけど、ありゃ、絶対に彼女だぜ」
色めきたつ学に、オレは聞いていたことを教えてやる。
「…葵は確か、いとこのお兄さんがいる家に引き取られるって言ってなかったっけ?」
「……えっ?」
学の目が点になる。
彼岸の墓参りで帰郷に同行するなんてほぼ間違いなく親類だろう。まったく。
考え込んでいる学をおいてオレはさっさと家へ向かった。
* * *