■ 秋風


「あらヒロくん、いらっしゃい」

 呼び鈴を押すと、ドアが開かれて、杳の母親が顔を見せた。まだ若いだろうにエプロンではなく割烹着姿の彼女は、寛也の顔を見ると屈託のない笑みを浮かべた。

「あ、あのー、杳、いますか?」

 慌てたように聞く寛也に、何が楽しいのかクスクス笑って見せる。こんな所は母子で良く似ているなと、つい思ってしまう寛也だった。

「いるわよ。今、勉強中とか言って部屋に籠もってるけど、そろそろ飽きてゲームでも始めてるんじゃないかしら。ホント、しょうがないんだから」
「は、はあ…」

 高校3年の夏休みも終えて、いよいよ受験勉強も本格化してきた時期である。就職も逃して、杳はようやく受験勉強を始めたらしい。もうすっかり浪人覚悟の寛也は、のんびり構えていたのだが。

「上がってちょうだい。ゲームしてるようなら、連れ出してくれてもいいから」

 そう言われて、返答に困りながらも、寛也は靴を脱いだ。どうやら彼女も息子の浪人は覚悟しているようだった。


   * * *


 杳の部屋は階段を上がって左手奥にある。以前に、どうして一人っ子の家に子供部屋が3つもあるのかと聞いたことがある。そうしたら、母親が子供は3人欲しいからと言って聞かないのでそうしたのだと、杳は笑いながら教えてくれた。ついでに、未だに諦めてないらしいのだと付け加えて、寛也を赤面させた。

 その部屋も、今ではそれぞれ翔と、東京から時々帰ってきた時に翔の兄が使っているのだと言う。

「杳ぁ」

 ノックをしてドアを開けると、ふわりと風が流れてきた。清々しい秋の陽気が心地よくて、窓を開けっ放しにしていたのだろう。寛也は部屋の中にいる人物を少し笑みをこぼして見やってから、そっとドアを閉めた。

 10月に入っても、しばらくは暑い日が続いていたが、週末に降った雨以来、風はすっかり秋の様を呈していた。田運風景の広がるここでは、窓から入る風も格段に心地よくて、稲刈りの稲の匂いが混じっていた。目を閉じれば、まるで草原にでもいるような気分になるだろう。そして、そのままその陽気に誘われるように、眠ってしまったのだろうか。

 机に突っ伏したまま、教科書の上で寝息を立てている愛しい人を、寛也は目を細めながら見やった。

「何だ。せっかく遊びに来てやったのに」

 呟く小さな声は、眠っている人を起こすでもなく、寛也は穏やかな寝顔を見つめる。それはとても気持ち良さそうで、その眠りを妨げるのはひどく気がひけたので、寛也はすぐ側のベッドに座って寝顔を眺めることにした。


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