■ 蛍
「な、ホタル見に行かねぇ?」
寛也は、次の教室へ向かおうと準備している杳に、そう声をかけた。梅雨に入ったと言うのに、晴天の続く午後のことだった。
寛也の声に、ノートや教科書一式を抱え上げて杳は振り返る。
「ホタルなら、家の裏の川に時々飛んでるけど?」
差して興味なさそうに、そっけなく返してきた。
「そんなんじゃなくてさ、もっといっぱい飛ぶのを見に行こうぜ」
「えー」
露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「夜だろ?メンドーだし」
「いいじゃん。明日は土曜だし。お前、夜は平気だろ?」
食い下がる寛也を横目で見やってくる。本当に興味がないのだと分かったが、それでも今日は諦めたくなかった。
「今夜、見たいテレビあるのに」
「録画しろよ」
「そこまでして見る番組じゃないし」
「だったら、いいじゃねぇか」
「…」
しつこい寛也に、杳はとうとうそっぽを向く。そのまま無視して教室を出ようとするのを、慌てて引き留めた。
「たまにはいいじゃねぇ?俺に付き合えよ」
「何言ってんの。それはヤダって言ってるだろ」
「その意味じゃなくってぇ」
既に公然のことなので、人目をはばからない。
寛也は去年の秋、杳に告白して、フラれた。が、諦める気はまるっきりなかった。機会をうかがうことに決めただけだ。杳の拒絶は本心ではないと感じていたから。その証拠に、その後も杳との仲は疎遠になることもなく、それどころかより深まっていると寛也は感じていた。
あとは、杳が「恋人」の意味をどう捕らえていくかだけが問題なのだと思っていた。
だから、積極的に機会を作るのは良いことだと確信していた。
「杳は結崎と行くのが嫌なんだってさ。諦めろ、諦めろ」
と、横合いから鬱陶しい声が聞こえた。クラス委員の佐渡亮(さわたりりょう)だった。
「関係ねぇだろ」
寛也は舌打ちして返す。こいつこそ、杳に徹底的にフラれたくせに、未だにまとわり付いてくる。鬱陶しいったらなかった。
「今夜、車で迎えに行くからさ、俺と一緒に行こうぜ」
そう言って杳の肩に手を置こうとして、佐渡は思いっきりその手を叩かれた。
「委員長と行くくらいなら、ヒロと行った方がマシだ」
「な…?」
唖然とする佐渡を押しのけて、寛也は杳の手を取る。
「よし、決まりだな。7時に迎えに行くから、飯、ちゃんと食っとけよ」
それだけ言うと、寛也は次の授業のある物理室へ向かって、一目散に駆け出した。杳に拒否の言葉を吐かせない為に。
強引に言い切った方が勝ちだとは、杳と付き合い始めて得た技法だった。無理やりにでも約束を取り付ければ、杳は破ることをしないのだ。佐渡が話に入って来てくれて、寛也にとっては、かえってラッキーだった。
多分、悪態をついているだろう杳は、生物室へ向かう。佐渡と同じ選択科目と言うのが寛也には気に入らないが、選択科目がひとつも一致しない状況で、3年生になって同じクラスになれたことだけでも、幸運だと思うことにしていた。
運はまだ、自分にあると。
* * *