殴られるかも知れない。そう思ったが、身体が勝手に動いていた。

 寛也はそっと杳の身体を抱き締めた。

「え…?」

 驚いて振り返ろうとする杳を抱きすくめる。そして、僅かに「力」を放出する。

 竜の力――自分の内にある炎の力を、ほんの少しだけ送り込むように。抵抗すると思っていた杳は、意外にも大人しかった。余程寒かったのだろうか。

「あ…」

 ふと、杳が声を上げる。

 見やると、柔らかな炎のオーラに誘われるかのように、川向こうの薮の中から1つ、2つとほのかに光るものが見えた。

 それは、二人の見ている僅かの間に、川全体に広がっていった。

「すごい…」

 乱舞と呼ぶにふさわしい光景だった。暗闇の中、幾百と言う蛍が明滅しながら舞い上がった。

「どうだ?お前んちの裏の川とは違うだろ?」
「うん」

 杳は小さくうなずいて、寛也の腕をゆっくり引きはがす。

 川辺に寄って行くのかと思ったら、杳はじっと寛也を見上げてきた。

 杳も差ほど背の低い方ではないのだが、180を越えている長身の寛也とは頭半分以上の差があった。

「ヒロ、あのね…」

 杳は小さい声で、耳打ちしたいのか、寛也の肩を掴んで引き寄せようとする。されるままに、寛也は顔を近づけた。

 瞬間、唇が触れてきた。

 すぐ目の前に、杳の目を閉じた顔があった。

 何が起こったのか理解する間もなく、すぐに杳は身を引いてしまった。

「あ…あの……」

 唇が離れてから、ようやくその感触が感じられた。

 心臓が思いっきり跳ね上がる気がした。

 見やる杳はうつむき気味で、どんな顔をしているのか、この薄暗い中では到底見えなかった。

「ヒロ、今日、誕生日なんだろ?」

 言われて、驚く。別に、話して何かをねだる気もなかったので、黙っていたのだ。

「夕方、潤也に聞いた。だから、時間がなくて、何も準備できなかったから。…ヤだったら、ゴメン」

 多分、白い顔を朱に染めて、精一杯言っている。見なくても、分かる。


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