■ ring
「おい、葵っ!」
葵翔は終業ベルと同時に駆け出した。クラスメイトが背後で声をかけるのも聞く気はなかった。
今日は彼の人の誕生日だ。平日なのが恨めしい。学校なんて行っている場合じゃないって言うのに。だけど、つい先頃、学校の授業をサボってバレンタインデーのプレゼントを渡しに行ったことがばれて、さんざん怒られた。なので、今回は予めクギをさされていた。
授業をサボってやって来たら何も受け取らないと。
カバンを抱えたまま竜玉を天に掲げて、翔はふっと小さくため息を漏らした。
たった9ケ月だけ年上の翔の思い人は、去年の春、先に大学生になってしまった。今は東京のマンションに住んでいる。去年の秋口にようやく追いついたと思っていた年の差は、ほんの3ケ月でまたひとつ開いてしまった。毎年、この日が来なければいいと思っていた。
2月末の短い夕方、竜体に身を変えて移動し、東京のマンションの前に立つ頃には、既に辺りは薄闇に包まれていた。
郊外にあって都心への乗り継ぎは不便だが、大学に通うには地下鉄一本でいいのだと、彼の人はここへ越して来た時に笑ってそう言った。春から大学生なる翔が、実の親ではない杳の両親にやっぱり気を使って地元の国立に通うことになったので、家からはものすごく不便だと言ったら、いつでも泊まりにおいでと子ども扱いされたのはつい先日。
そう、いつまでたっても彼にとって翔は『弟』でしかなかった。そのまま追いつけない年の差は、あっさりと恋敵に横からさらわせることを余儀なくさせた。
見上げたマンションの部屋に明かりが灯っている。今は、別の人と住む部屋。
「よしっ」
翔はそう声に出して、一歩足を踏み出した。カバンの奥にしまい込んだプレゼントの中身がカラリと音を立てた。
* * *
「何だ、また来たのか」
呼び鈴を押して、顔を出してきたのは結崎寛也だった。いつもは寝ているか起きているのか分からない格好でいるのに、今日は上着を着込んでいる。
「ヒロ兄、どこかへ出掛けるんですか?」
「あ、いや…」
聞かれて寛也は言葉を濁す。
「ヒロ、お客さん誰?」
と、部屋の奥から声が聞こえて、ひょっこりと顔を出す人。
「杳兄さん」
翔の姿に、杳は半分驚きながらも笑顔を浮かべた。いつも変わらない、優しい笑み。翔の、思い人。
「遅くなってごめんね。学校終わってからだったから」
急いで靴を脱ぎ捨てると、翔は寛也を押しのけ部屋へ上がった。
と、背後でドアの再び開く気配がした。
「ヒロ?」
振り返ると寛也が翔の代わりに靴を履いて部屋を出て行こうとしている所だった。
「悪ィ。この埋め合わせは絶対にするから」
寛也は顔の前で両手を合わせて拝むように頭を下げてから、脱兎のごとく飛び出して行ってしまった。
「ヒロ兄、どうかしたの?」
「んー、コンパだって。同じ予備校の友達と。大学にようやく合格したからって、最近、遊んでばっかり」
「そうなんだ…」
チャンス。心の中でつぶやいた。
大体、恋人の誕生日にコンパの予定を入れるなんて、終局も近いってことではないか。あの逃げっぷりと言い、これは日常茶飯事と見た。ここで一押しすれば、運がよければ…。
翔は寛也を見送る杳の横顔を見つめながら思った。
* * *