第2弾:オルガニスト・米沢陽子さん  

聖グレゴリオの家、アーレントオルガンの前で
今回は日本オルガン研究会で私がお世話になっている、オルガニストの 米沢陽子さんに
お越し戴きました。
2000年4月29日 横浜みなとみらい Buco Di Muro にてインタビュー
隊長: どうも、こんにちわ!あれ、米沢さん、髪の毛短くされたんですか?
何か心境の変化でも?
米沢: えっと〜。あるパーティで、オルガニストのS女史と調律師のK氏が、
「野放し状態の髪だ」と言うので、そろそろ枝毛が増えてきたところだったし、
「切りたければ切って良いよ」と言ったら本当に切られました。
人間、お酒が入ると大胆なことができるもんですねえ。(笑)
でも、斜めに切ってくれちゃったりしたので、同じくオルガニストのM女史が
きれいに切り揃えてくれました。
隊長: 現場を見てみたかったですねぇ。  
それはさておき、どこか近くでお食事でもしましょう。
どうぞ、お好きな処で…
米沢: へっへっへ、待ってました、お腹を空かせてきたんですよ〜。   
あ、ここにしましょう。ここなら外の景色も楽しめますし
美味しいワインも飲めますので。うふふ。
隊長: それでは何から伺いましょうか?
米沢さんはオルガニストの傍ら(?)主婦でもあるんですよね?
もう、ご結婚されてどの位経ちますか?
米沢: 1989年5月14日!   
目黒の聖アンセルモ教会で酒井多賀志先生の奏楽により式を挙げました。
花嫁入場のマーチは、酒井先生の即興演奏。パーセルのヴォランタリー風のね。
当時は今のノアックのオルガンはありませんでしたが…
でも10年間、結婚生活を送ってきたけど、主婦という自覚がないんです。
隊長: と言うことは、スウィート・テンなんてものを貰ったんですね!
米沢: いえ、そんなもの…。そうそう、婚約の際、結納品はチェンバロだったんです。 
給料3ヶ月分の指輪なんて、私には猫に小判ですもん。
目録には「チェンバロ」って書くのも変なのでクラブサンと読める様に
当て字で「久楽舞讃」って書きました。父が考えたんです。いいでしょ。
隊長: へぇー、おしゃれですね!
と言うことは今でも御自宅にあるんですね?
米沢: えぇ、それを含めて2台あります。1台はそれで野神俊哉さん製作の物、
もう1台は武久源造さんから譲り受けたキース・ヒルの弟子フィリップ・
タイヤー製作のジャーマン・2段鍵盤ペダル付きです。
隊長: チェンバロも弾かれるんですね。
米沢: チェンバロ、フォルテピアノは武久さんに師事しました。
隊長: 武久さんの演奏は定評ありますね。
米沢: 彼の表現力は、とても素晴らしいんです。オルガン、チェンバロ、クラヴィコード、
フォルテピアノにリードオルガンまで、目の前にある楽器に生命を吹き込み、
自由自在に歌わせることの出来る方ですね。
隊長: 米沢さんのオルガン演奏も素晴らしいと思いますよ! 決して派手ではないんです。
曲にもよりますが、素朴で暖かみのある音栓を選びますね。会堂に適した音を。
そして1音1音を丁寧に表現しているのが伝わってきます。
人間味のある音なんですよね。聴いていて心が安まり、そして幸せを感じる。
それは今のお仕事でもある音楽療法士と何か関係がありますか?
米沢: 私が仕事しているホスピスという現場は「一期一会」という言葉が
とてもあてはまるんです。
患者さんに残された時間には限りがありますから… 
患者さんやご家族にとって思い出の曲や、大切な曲を演奏することが多く、
「今」という時間の大切さを思うと当然、一つ一つの音がとても
愛しいものとなります。
「来週はもう会えないかもしれない…」という思いも、常にあります。
演奏会の時は、特別に意識しているわけではないのですけれど、
そういう環境に身を置くうちに音の捉え方は変わってきたかも…。
あのー、ワインがもう無いんですが…
隊長: 失礼しました。 
(店員に向かって)すいませーん、ワインお代わり下さい!
ありきたりの事をお聞きしますが、ご趣味はなんですか?
米沢: 夢日記を書くこと。これはその日に見た夢を綴って仲間同士で
「こんな夢を今日見ましたよ」ってパソコン通信で語り合うんです。
単行本も出てますよ。『夢の解放区』(パロル舎、1900円)っていうの。
それから、ポストカードやグリーティングカードを収集すること。
(ほら綺麗でしょ、とバッグから取り出し見せてくれました)
隊長: メルヘンチックですね。私は「お酒を飲む事」かと思いましたが・・
米沢: それは生活の一部です!休肝日を設けるのに苦労してるのよ〜。(笑)
隊長: みょーに納得。最後に、これからの夢はなんでしょうか?
米沢: 夢ですかあ…。う〜ん、そりゃあ共演したいアーティストは何人もいますし、
弾きたいオルガンもあるし、八丈島にも住んでみたい。中世美術が好きなので
ロマネスクの教会を訪ね歩く巡礼の旅もしてみたいなあ。でも「究極の夢」は、
バッハの『ゴールドベルク変奏曲』のように生きて、あの曲のように人生の
最後を締めくくりたいということでしょうか。私、自分で納得のいく最期を迎え
られるならば、別に長生きしなくてもいいと思っているんです。
第30変奏曲に「ああ、生きてきて良かった!」と弾いていて思える箇所があるん
ですよ。「この瞬間を迎える為に、これまで私は生きてきた…。いろんなことが
あったけれど、ここまでこられてホントに良かったね」と。それを自分の人生に
重ねられたら…って思う。そして最終のアリアは私にとっては「時の滴」が一滴
一滴落ちていくような感じ。あんな風に一生を終えられたら…。
夢が「死ぬこと」なんてと思う? でも結局、いかに生きるかってことでしょ。
隊長: 最終のアリアをサラリと弾いてしまう演奏家がいますが、
私は好きではありませんね。米沢さんのイメージ通りに弾いてくれると
私も非常に感動するのですが…
今日はどうもありがとうございました。
米沢: あれ、もう終りなの? もう一軒行こーう!(赤ら顔)
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