北欧出張日記
トップへ
戻る
前へ
次へ

第4日目 オスロへ移動
(1) 移動

1) 08:30にホテルを出発し、バスでストックホルム空港に向かいました。渡欧時に一瞬会っ
たガイドが同乗し、ようやく名前を名乗りました(でも、名前を忘れた)。ようやく、スウェーデ
ンの概要についてのレクチャーがありました。
 スウェーデンの表面積の53%は森林で、10万個の湖が存在する。首都ストックホルムに
は、14の島と50の橋がある。スウェーデンの総人口は900万人で、そのうち50万人以上が
移民(首都圏に住む)。移民は、旧ユーゴスラビア、トルコ、ギリシャ、南米などから、第二次
世界大戦後の労働力不足を補うために受け入れた。スウェーデン人(土着民?)男性の平
均身長は180cmと高い。
 このような話は、到着時に聞きたかったものです。
 空港へ向かう途中、バスはビル建設現場横を通過しました。そこでは、深度1m以浅より
硬岩が露出しており、岩盤の上に薄い表土が被覆しているだけであることを実感できまし
た。

2) ストックホルム空港到着後、スウェーデン・クローネをノルウェー・クローネに両替しまし
た(ここでは、小銭も両替可能でした)。
 10:30出発予定のSK-485便は、10:45に離陸、またもや機体はMD81。機内食は、ベーグ
ルサンド(φ10cmのサラミハムとレタス、酸味のあるソース)で、ビールに良く合います(ま
た、飛行機の中でビールを飲んでる)。

3) オスロ市内視察
 11:34 オスロ空港に着陸。オスロ空港にて、日本円をノルウェー・クローネに両替しまし
た。ガイドはKさんという、髪の長い独身女性でした(今回、最も親切でサービスの行き届い
たガイドでした)。今回の研修でお世話になったガイドや通訳は、ほとんどが現地の男性と
結婚している日本人女性でしたが、彼女が唯一の独身女性でした。また、手書きの資料を
コピーして配るなど、最も丁寧なガイドをしてくれたので、メンバー全員が最も好印象を持
ったガイドでした(翌日も柏木さんが案内をしてくれました)。
 先ず、オスロ市内にて昼食を摂りました。内容は、小エビとアボガドの前菜、鶏肉とフライ
ドポテト、アイスクリームと苺・蜜柑のデザート+コーヒー。その後5箇所の観光・・・もとい、
視察を行いました。

(2) オスロの概要
 オスロの面積の60%は森林で、首都としては森林が多い都市です。オスロに入る道は全
部で21本ありますが、総ての道に料金所があります。これは、道路や橋などの建設費を回
収するために設置されているそうです。
 オスロには、紀元前5000年より、人が住んでいまし。起元1000年頃に、オーラブ1世〜2
世はオスロに首都を置きましたが、3世〜4世はベルゲンに遷都し、1299年に5世が再び
オスロに遷都しました。その時の居城がアーケシュワース城で、オスロ最大の建造物とな
っています(1300年建造)。
 1350年にペスト(黒死病)で人口が半減し、国力が低下しました。そこで、オーラブ7世が
デンマーク人の后をもらいましたが、王本人が死去してしまったため、デンマーク側に王位
継承権が移ってしまいました。ノルウェーは、以後300年間デンマーク領となり、その後200
年間はスウェーデン領となっていました。
 1905年に、ノルウェーは500年振りに独立しましたが、あいかわらず貧困な国で、北海油
田の発見・開発によってようやく裕福になったというところです。

(3) オスロ市内観光
1) 国立美術館にて、ムンクの「叫び」を見ました。非常に短時間しか取れなかったので、こ
の1作品に焦点を絞って見ました。郊外にムンク美術館もありますが、こちらはムンクの遺
言によってオスロ市に寄贈された2万点が収蔵されているそうです。ただし、最も有名な
「叫び」は、国立美術館に収蔵されており、門外不出なので、この場所へ来ないと見ること
はできないそうです。当然、「叫び」と並び同じポーズで記念写真を撮ってしまいました。

2) バイキング船博物館へ行きました。バイキングとは、VIKA(入り江)が語源で、VIKINGは
入り江に住む人という意味で、元々は貿易を生業ろする人々でした。ここでは、墓から掘り
出された3艘のバイキング船を見ました。8〜9世紀に建造された木造船なので、普通に
現存するものはなく、古墳の内部に埋設されていたものだけが残っていました。しかし、3
艘のうち1艘は、船底部のみしか復元できませんでした。これらのバイキング船の複製を
作成して試乗したところ、非常に安定性・機動性・積載能力に優れた船であることが判明し
たそうです。

3) コンティキ号記念館を見学しました。オスロの考古学・人類学者のトール・ハイエルダー
ル教授は、世界各地の古代遺跡にほぼ同じ形の帆船が描かれていることから、各文明の
交流があったという仮説を立てました。1947年に、バルサ材の筏(コンチキ号)で南米か
らタヒチまでに渡航し、文化交流があったことを証明しようとしました。この博物館には、こ
のコンチキ号が展示や、1970年に葦船による大西洋横断も果たした時の、ラー号の模
型およびラーU世号の展示がありました。この大西洋横断の模様は、25年以上前に日本
のテレビ番組でも紹介されたことがあります。この時のBGMが、ロス・インカス演奏の「コ
ンドルは過ぎゆく」であったのを記憶しています(後半のワイカの部分は省略されていまし
た)。

4) 車窓で、野外民族博物館のスクターブ教会がラっと見えました。本来は、ここを1日かけ
て散策したいところですが、時間の関係で、それは不可能でした。他にも、オスロにはアム
ンセンの南極探検に用いられたフラム号博物館や、「人形の家」の作者イプセンの家な
ど、見たいところがありましたが、半日の滞在では果たせなませんでした。

5) フルグネル公園を歩きました。この公園は、ノルウェーの彫刻家グスタウ・ヴィゲーラン
(1869〜1943)が、40年の歳月をかけて1人で作り上げた彫刻公園です。公園内にある
200点以上の彫刻は、総て彼の作品ですが、公園制作時から全体計画があったわけでは
ありません。最初に「噴水広場」を作成し、次に「モノリッテンの丘」、鉄の芸術による「門」、
ブロンズ彫刻群の「橋」と、どんどん企画を拡大しいき、彼が亡くなった1943年時点では、
公園プランは完成していません。しかし、未完成の状態で全体の統一が取れています。中
でも、人間が円柱状に積み重なった「モノリッテン」と、橋にある地団駄を踏んで怒る赤ん
坊のブロンズ像「怒りん坊」は、一見の価値がありました。

(4) 自由行動 〜夕食
 フログネル公園からオスロ市内まで、車で50分。17:00 にホテルに到着後、夕食の時間
まで自由行動となりました。

1) 先ず、王宮(現国王の居城)の外見を見に行きました。これは、1848年に完成したルネッ
サンス様式の建造物です。

2) 次に市庁舎の外見を見に行きました。これは、市制900年を記念して1950年に開庁した
もので、外壁の彫刻や、広場の噴水などが立派です。内部はムンクなどの作品で飾られ
ているらしいが、17時を過ぎているため、中に入ることはできませんでした。市庁舎の大ホ
ールでは、毎年ノーベル平和賞授与式が行われます。

3) 最後にアーケシュワース城へ行きました。この建造物は、1299年にオーラブ5世が築い
た城を、1648年にクリスチャン4世がルネッサンス様式に造り変えたものです。内部を見る
ことは出来ませんでしたが、中庭ではブラスバンドが演奏しており、騎馬兵が闊歩していま
した。(お馬のウンチが臭かった)

5) 市街地には、路面電車が縦横無尽に走っていました。線路の分岐点のポイントは、車
内からリモコンで切り替えているようです。冬季もオスロ市内は完全に除雪するため、路面
電車に不都合は無いそうです。また、住民も夏と同じ靴で歩けるそうです。
 ホテルに戻る前に、近くの日本語が通じる土産物店に寄りました。北海道でしか着れな
いような暑いセーターや、トナカイ柄のスカーフ、角のついたバイキングのヘルメットなど、
およそ日本人の感覚からかけ離れた土産物が置かれていました。ノルウェーは錫製品が
有名らしいので、必ず使うものとして、錫のコースターを購入ました。

6) 19:45 に集合し、ホテルにて夕食を摂りました。スープの後は、各自料理を取ってくるビ
ュッフェ形式で、サラダ、メインディッシュ、デザート、コーヒーがありました。メインディッシュ
は鶏肉とマッシュルームおよびサーモン、デザートはババロアやムース3種類とアップルケ
ーキでした。
 禁煙席なのに、店員に無理を言って灰皿を持ってきてもらい、同行者6人が煙草を吸い
始めました。「食後の一服は旨い」そうですが、せめて同席の全員が「食後」になるまで待
って欲しいものです。食事が不味くなってしまいます。
 食事中、ピアノの生演奏がありました。クラシックの断片やビートルズナンバー、ビリー・
ストレイホーンなど色々の曲を切れ間無く演奏していました。


トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ