第 4 章



 
参考書を一冊買おう

 なんとなくhtmlの正体が分かっているつもりでしたので、「なんとかなるだろう」と、自分では思っていました。なんともなりませんでした。

 随分手を入れてはいますが、それでも初期のコンテンツがそのまま残っている場所もありますので、気が付いていた方もいるでしょう。僕は何の予備知識もなくジオに登録し、アドバンスエディタでホームページを作り始めたのです。アドバンスエディタとは、htmlソースをそのままジオのサーバーに書き込んで作る方式です。

 登録から初アップまで2週間という時間制限がジオにはあります。今なら、「時間がないのなら、タイトルと目次だけでもアップしたら」とか、「それも無理なら、テキストでズラッと『こんなホームページを作りたい宣言』だけして、大きく『工事中』と書いておけばいい」なんて、アドバイスもできますが、当時はかなり焦っていました。

 なぜなら、「なんとなくhtmlの正体が分かっている」だけでは「なんともならなかった」からです。

 htmlの正体は、僕流に解釈すると、「指示言語」です。何を、どのように表現するかを指示しているわけです。従って、指示は制作者からブラウザに伝えられ、ブラウザは指示通りに画面に表示します。その段階(指示を守った)で、htmlの役割は終わったわけですから、htmlの指示自体は消滅して、画面には表示されません。指示の結果だけが表示されます。

 では、どんな指示があるのかを知らなくては、見栄えのいいページを作ることが出来ません。どんな指示があるかわかれば、次はどのうように指示するべきかを知らねばなりません。これらの知識が僕には全くなかったのです。

 それで、早速書店へ行きました。近所の商店街の書店です。マンガとエロ雑誌及び文庫本が中心の品揃え。コンピューターコーナーなどあるわけもなく、「ホームページの作り方」なんて本がも見当たりません。インターネットに関する本と言えば、「インターネットとは?」とか「簡単接続」とか「エロサイトのアドレス紹介」とか、せいぜいその程度。その中に、「ホームページデザイン」という本格的な本があり、巻末にタグリファレンスがあったのでこれを買いました。

 タグリファレンスにはごく基本的なタグしか載っていませんがこれで十分でした。

 この号の特集が「ダイナミックhtml」。まだ、htmlのhすら理解していないのに、いきなりDHTMLの本を買うとは大胆であります。今でもこの本の本文は役に立っていませんし、理解できません。これほど高度な本が一冊だけ小さな書店にあったのはなぜでしょうか?

 やがて、初心者向けのホームページの作り方というような本や、web作成ソフトとFTPを購入、その後に「CGの描き方」(付録CD−ROM付き)、CGIに関する本、そしてJavaScriptの本と、買いそろえていきました。

 ずっと後になって、オンラインタグ講座があちこちにあるのを知りましたが、やはり基本的に参考書は一冊買いましょう。そして、次のように使って下さい。

 こんなことをしたいが、どうすればいいのだろうと辞書を引くようにタグ解説を読む。のではなくて、「どんなことが出来るのだろうか」という軽い気持ちで、ざっと目を通す。

 紙にフリーハンドで好きなことを書くのなら、どんなデザインだって出来ますが、webページはブラウザに左右されます。すなわち、タグで定義された使い方しかできないわけです。だから、「どのようにしたらどうなる」ということを習得する必要はなくても、概念として「こんな事をしようと思えば出来る(または、出来ない)」を知っておいて下さい。

 とりあえず、今必要でなくても、頭の隅に置いておきましょう。

 そのうち「あ、そういえば、あの本のどこかに、こんな事が出来ると書いてあった」と、思い出せればしめたもの。この段階で初めて辞書的な使い方をすればいい、というわけです。


他人のソースをカンニング

 これまで漫然とページを眺め、お気に入りのページをブックマークして何度も訪れたり、リンクをたどってみたり、訪問者として楽しんできたwebページですが、ホームページを作り始めると、ふと気になることがあるはずです。

 このページって、どうやって作っているのだろう。

 どうやって記述したら、こんな風に画面上で表現されるのか。これは実はブラックボックスに入っているわけでなく、もとのhtmlで記述したソースを簡単にカンニングできるのです。「表示」→「ソース」を選べばいいんですね。もしこの時、ソースの文字が文字化けしているとか、容量が大きくてメモ帳で開けませんというメッセージが出るとか、いまはページの閲覧中だから余計なことをしたくないとか、そういうことであれば、いったんHDDに保存しましょう。「ファイル」→「名前を付けて保存」を選びます。名前は適当に付けましょう。そして、言語に「日本語JIS」を選んで下さい。

 インターネットエクスプローラーの場合、バージョン5から、保存状態を聞いてくるようになりました。「Webページ完全」を選ぶと、画像なども一緒に取り込んで、それ専門のフォルダ(ディレクトリ)まで作り、HDDに取り込んだファイルを開くだけで画像その他全ての要素が再現できるようになっています。だから、画像の場所を示すタグまで書き換えてしまいます。しかし、カンニングには「Webページ、htmlのみ」で十分でしょう。

 こうしてあとでゆっくりカンニングするという寸法です。

 もちろんこの中には、理解できないものも含まれていると思います。大ざっぱに言えば、テキストを開始タグと終了タグで囲んであるのが、htmlです。それなのに、細かくあれやこれやとアルファベットで記述され、セミコロンや色々なカッコまで登場し、どうもこれはhtmlタグでないなと思ったら、例えばそれはJavaScriptだったりします。

 これはれっきとしたコンピューター言語のひとつ(C言語を勉強したことのある人は取っつきやすいときいたことがあります)であり、そう簡単に理解できませんので、とりあえず諦めましょう。

 あ、あきらめましょうって、そんなんで、講座がつとまるのかと怒られそうですが、そう思う方はご自分で勉強して下さいね。まあいいじゃないですか、勉強するより先にページをアップしちゃいましょう。

 なんとなくわかるようでちょっとわかりにくい。htmlのようで、そうでないような気もする。こんな場合はスタイルシートかもしれません。スタイルシートはWebのデザインに関わるもので、完全学習できなくても、必要な部分だけをかじって応用する、というのが比較的容易です。

 ところで、このカンニング泣かせなのが、フレームページです。フレームページの構造は、「どんな風にフレームで画面を分割し、それぞれ分割された画面には、どのファイルを表示しなさい」ということが書かれているだけで、実際に目にした画面のソースを直接見ることが出来ません。では、どうすればいいか。分割された画面に「このファイルを表示しなさい」という指示がありますから、そのファイル名を直接アドレスに記入して、フレームのないそのページを呼び出してから、ソースを見るということになります。え? 何を言ってるかわからない? ご自分でフレームページを作ってみればわかりますよ。


自分流html−ファイル名のつけ方

 webページに付けるファイル名は、基本的に自由です。

 自由といっても、決まりがいくつかあります。

 ひとつは拡張子です。拡張子とは、ファイル名のあとにつける数文字のアルファベットです。これは、ファイルの種類を表します。webページの場合は、htmまたはhtmlという拡張子が付きます。あるいは、shtmlという名前のものも時々見かけるでしょう。ファイル名と拡張子の間には、点「.」が入ります。

 さて、解説は以上で終わりなのですが、ここで既に失敗するかたがいらっしゃいます。どんな失敗でしょうか。

 表紙ページが表示されません。
 これもよくある質問です。普通、一番最初に見てもらうページは、indexというファイル名を付けます。このファイル名であれば、ホームページアドレスだけを入力して、ファイル名を省略しても、きちんと表示されるのです。これはWebページの決まりです。もし、index以外の名前のページを表紙ページにするのであれば、アドレス+表紙ページのURLを閲覧者に告知しなくてはなりません。

 さらに、もうひとつ決まりがあります。ジオの場合は、indexのページの拡張子は、必ずhtmlにしなくてはなりません。htmだと認識してくれないのです。サーバーによって、indexに関してのみファイル名は「html」でなくてはならない、というところが結構あるようです。おそらく何か理由があるのでしょうが、僕にはわかりません。

 表紙ページが表示されない理由は、表紙ページをindex以外の名前にしているか、拡張子に制限があるのに、それが守られていないか、このどちらかであるばあいがほとんどです。

 表紙以外のページは、htmでもhtmlでもどちらでもいいのですが、ぼくはhtmlで統一しています。このページはこれ、あのページはこれ、としていると自分でも混乱してわからなくなってしまうことがあり、そうなるとせっかく作ってアップロードしたページを見ることが出来ない、ということになりかねません。

 なぜなら、ファイル名は常にリンクにつきまとうモノであり、中間ページにおいて、「最初のページに戻る」はhtml、次のページに進むがhtmでは、ややこしくてしょうがありません。

 少なくともジオの場合は、htmで統一することが出来ませんので、それならばhtmlで統一しようと思ったわけです。

 web作成ソフトを使った場合、拡張子を特に指定しなければ、自動的にhtmと記述してしまうことがあるので、注意が必要です。これも「ページが表示されません」の理由の一つで、寄せられる質問の代表的なものです。

 ジオの場合、EZファイルアップロードツールを使うと、htmをhtmlに変換してアップロードするという機能があるので、僕は必ずこの機能を使うことにしています。こうすればうっかりファイル名の拡張子がhtmになっていても、アップロード後は統一された形になるからです。


自分流html−ファイル名のつけ方2

 ファイル名のつけ方は基本的に自由だと書きましたが、それなりに整理された形で考えないと、後でわけがわからなくなってしまいます。

 僕の場合この講座は、homepage01,homepage02と、順に番号が増えていく形にしています。ファイル名はだいたいABC順で整理しますので、それに番号を振っておけば、そのとおりに並んで表示されるから後でラクなのです。

 ホームページ作成講座のディレクトリは「homepage」で、その中のファイルのほとんどは、「homepage番号」という名前の付け方になっていますが、同じディレクトリに系統の全く違うファイルが混じっていても、こういう名前の付け方をすれば楽です。料理に関するファイルが同じディレクトリにあり、そのファイルを、ryori01,rori02としておけば、アルファベット順に整理したときに、homepageとryoriがそれぞれ固まって表示されるので、とてもわかりやすくなります。

 ちなみに、どうして、1,2,3,ではなく、01,02,03なのかと言いますと、最初にゼロをつけずに10以上のファイル名を並べると、1、11、12・・・19、2、20、21・・・29、3、という順番に並ぶからです。文字は左から読んでいくために、「2」よりも「11」が、「3」よりも、「11」や「21」が先だと判断されてしまうのです。ですから、同系統のファイルが3桁になることが最初から予想される場合は、001、002とファイル名をつけるといいでしょう。

自分流html−ファイル名のつけ方3

 さきほどは、htmlで統一していると書きましたが、さらに僕は小文字で統一しています。

 僕のソースを見ればわかるのですが、最初の頃はかなりの部分をweb作成ソフトに任せていたのと、その後、自分で手直しもしていますので、小文字と大文字が入り乱れています。<br>も<BR>も、同じですから、僕の場合は特に意識をしていません。その後、完全に自分でhtmlを書くようになってからは、その時により異なっているという無茶苦茶かげんです。

 しかしファイル名においては、大文字と小文字は基本的に別のものであると認識されますので、ここには神経を使わなくてはいけません。僕は拡張子を含めて全て小文字で統一しています。

 なぜ小文字なのかというと、タイプライターを打つときのことを思い出して下さい。何も操作をせずに打てば小文字で、大文字にするときはシフトキーを押しながらタイピングをしますよね。ワープロもPCも、そうですし。だから、小文字なんですよ。

 それともうひとつ、ジオの場合はEZファイルアップロードツールに、「大文字を小文字に変換する」という機能があり、これを使えば、web作成ソフトが「拡張子だけ大文字」というようなファイル名を作ってしまっても、「最終的に全て小文字になるのだから」ということで、リンクの設定や画像の張り付けを安心して小文字に出来るわけです。

 で、理想を言えば、タグは大文字で書き、ファイル名は小文字で書くなど、区別をするとなおいいわけです。ただし、タグには慣例的に大文字小文字をこのように使いましょうというのがあります。web作成ソフトでは大抵その慣例に従います。他の人がソースを見るときも、慣例に従っている方がわかりやすいし、慣例を無視していると「こいつはわかってない」と思われるかも知れません。僕はもう面倒くさいので、これに関してはweb作成ソフト任せです。自分で作るときは全て小文字です。こんなヤツが解説書作ってどうしようというのでしょう。


こんなことはやっちゃいけない

 「言論の自由」「表現の自由」と言い切ってしまうには、インターネット(というかwebページ)はあまりにも怖い、無法地帯です。ここには公的な検閲制度がいっさい通用しません。公的、というのは、必ずしも官憲ということではなくて、例えば業界の自主規制などもそれです。

 今、世界中には、一生かけても見ることが出来ないほどの、ものすごい量のwebページがアップされているといいます。匿名性も高く、どんな悪事でも働くことが出来るというのが現状でしょう。犯罪行為として成立すれば、本人を捕まえて罰することもできるでしょうが、犯罪行為が成立するまでに多くの被害者が出てるはずですし、僕がここで問題にしたいのは法的な問題とか、犯罪として立証できるかとかそう言うことではなく、ひとの心の問題です。

 「特定の個人・団体を誹謗中傷する内容の書き込みを禁止します」
 「著作権を侵害する内容の書き込みをしないで下さい」
 伝言板などによくこういう注意書きを見かけます。ホームページ製作者は伝言板のみならず、本文コンテンツにおいてももちろんこれらに注意を払わねばなりません。

 誹謗中傷をするなという伝言板の注意書きをあちこちで見たとき、何故そんな注意書きがわざわざ書かれているのか、少し理解に苦しみました。ネットサーフィンを続け、自分でもHPを持つようになり、そして考え、少しだけ理解できたと思っています。

 webページはきわめて簡単に持つことが出来ます。そして、そこには自分ひとりの意思で、特定の人のスキャンダルを流したり、名誉を毀損したり、誹謗中傷することが出来てしまうのです。特定の人とは、有名人・著名人の場合もあるでしょうが、そういう人たちには守ってくれるものがあります。(だからいいというわけではないですよ) しかし、僕たち個人ページの著者が、それぞれのページを通じて交流している場合は、どうでしょうか? 僕たちはここでは心の交流をしているわけであり、その交流の場(伝言板やチャットなど)で、ひどく罵られて、傷ついてしまったりします。本人は罵ったつもりなど無く、通常の会話であったのに、その受け手だけが精神的にひどくダメージを受けることがあります。

 対面しての会話でなら、表情もわかるし、声のトーンもあるし、ボディランゲージもあるしで、ニュアンスが正しく伝わり、それほど傷つかないでしょう。あるいは、後で電話をかけてフォローすることもできます。でも、web上だけで交流している人たちが、その唯一の交流の場で傷ついてしまったら、救いがありません。それでネットを去っていった人を僕は知っています。文字だけの交流なので、特に気をつけて言葉を選ばないといけないのです。

 特定の業界や企業に対してボロクソに書かれたページを見たこともありますし、わたしの仕事に関することもありました。馬鹿馬鹿しくて反論もしていませんし、書き方がなってない(批判ではなくて誹謗中傷になっている)だけで、当たっている部分もあります。

 もちろん、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・書籍などあらゆる媒体で、特定のどこかをボロクソに書いていることはあります。しかし、これが僕が2番目に言いたいことなのですが、そういったマスコミは、世間に流れるまでに多くの人の手と目を経ている、つまり事前のチェック機能がある程度働いている、ということです。

 僕も愛読しているある作家の単行本に、僕の所属する業界のことをボロクソに書いているものがありますが、こういう本の場合は、「嫌なら読まなければいい」という要素もありますし、組織対組織で法的に対決することもできます。でも、ただの個人がボロクソに書いて、それで多大な影響が出たとしても、犯罪として立証できなければどうすることもできません。プロバイダ契約をキャンセルされれば、クレームのメールすら出せなくなってしまいます。だから、伝言板の書き込みはもちろん、僕たちがwebページにアップするときには、細心の注意が必要なのです。

 多くの人の手と目を経てきた一般的なマスコミでさえ、時々大失態を演じて、謝罪したり損害賠償に応じたりしています。ましてや個人で勝手にページをアップするわけですから、慎重を要するのは言うまでもないことです。

 第3に、日本人の特性なのかも知れませんが、批評・批判があまり日常生活になじみ無く、誹謗・中傷との境目を一般論として理解している人が少なく、また、境目が慣習としてはっきりしていない、という点が上げられるでしょう。誰かが自分のことについて何か書き込みをしたとします。それが、一般的に見て正当な批評であったとしても、僕自身それを批評として受け止められるかどうか自信がありません。誹謗と受け取って深く傷つくかも知れません。批判しなれていないと言う面に加えて、批判されなれていないと言うことが言えるわけです。

 これも、素人とプロの違いがあるのでしょうが、プロなら自分の作品に対してボロクソに言われることになれていても、また「それは君の受け止め方が間違っているよ」と自信を持って笑い飛ばすことも出来ますし、さらに反論する機会も与えられるでしょう。

 第4に、ネットサーフィンの特性として、望まないページを目にしてしまうことがある、ということです。ゴシップやスキャンダルばかり取り上げてる雑誌がありますし、そのうちある程度の割合ででっち上げや嘘が含まれていることも、我々は知っています。そういうのを承知の上で、好きな人はお金を払って買えばいいし、嫌な人は買わなければいいわけです。ところが、リンクを辿ってのサーフィンでは、ページを開くまでわかりません。

 第5に、これが一番怖いのですが、こういったインターネットの特性を理解している人がまだまだ少ないのではないだろうか、ということです。みんなが理解していれば、ひどいことを書いてもいいとは言いません。が、仮に自分自身に対してひどいことが書いてあっても、「インターネットとはこういうものだから、いちいち傷つかなくていい」と割り切れます。頭の中でのそういう理解でなく、本当に心の底からそう思えなければ、やはり傷ついてしまいます。それらが理解される時代が来るまでにはまだまだ時間がかかると思います。

 偉そうなことを書きましたが、翻ってそう言う自分自身はどうなんだと問うた時、僕は自分に自信がありません。気を付けてはいますが、誰も傷つけていないという保証は何処にもないからです。かといって、細心の注意をいつも最大限払って、などという気も実はあまりありません。神経質になりすぎては楽しめないからです。交通事故が嫌なら、外に出るな、という極論に近づいてはいけません。個人ページを媒体とした交流とは、気軽で楽しいものでなくてはならないはずです。僕がいいたいのは、そういう怖い面があるのですよ、ということを多くの人が理解して初めて、状況が変わってくるだろう、ということなのです。

 そういう時代を迎えるために、神経質になりすぎるのも良くないけれど、充分気を付けてこの時代をのりきろうではありませんか。


劣化しないコピー

 カセットテープでもビデオテープでも、ダビングを続ければどんどん音質や画像は劣化していきます。複写機を使っても同じ事で、孫コピー・曾孫コピーと複写を続ければ、文字はどんどん潰れ、逆に白いはずの場所に黒い点やらシミがどんどん浮いてきます。

 webページやEメールの場合はどうでしょうか。
 全く劣化しないわけですね。これが。

 冷静に考えれば(考えなくても)当然のことですが、改めてこのことに気が付いたとき、僕は結構カルチャーショックを受けました。つまり、誰かが撮った写真や描いたCGや創った音楽を、そのままの状態で複写して自分のHDDに取り込み(ここまでは認められた行為)、これを自分のページにアップしたりメールでばらまいたり(これはしてはダメ)することが可能なのです。

 もちろんテキストならなおさらです。

 お気に入りの画像をネットサーフィンで見つけたとき、それをダウンロードして個人的に楽しむことは、法的に認められています。しかし、再配布はしてはならないのです。自分のページ上で公開することも、再配布にあたります。もちろん、素材としてフリーでご利用下さい、と言うような場合は例外ですが、それも認められるのは、自分のページで公開するところまで。そのページを見た人が同じ素材を欲しいと思ったら、直接その素材を提供しているページをまず訪れるべきです。すなわち、フリー素材を使っている方は直接そのページへ行くためのリンクを設定しておくとか、アドレスを公開しておくとかの方法を用いて、その出典を明らかにしておくのが好ましいと考えます。

 ただし、法律の解釈としては非常に難しいでしょう。

 僕たちは個人ページを趣味で作っているのであって、著作権でいうところの「個人的に楽しむ」範囲内にあると考えられます。誰かが誰かの著作物を無断で自分のページに転載したとして、「個人的に楽しんでいるだけだ」「商用に使っていない」という主張をすれば、それも一理あるでしょう。一方、商用であろうと無かろうと、不特定多数に対する「放送」であるという解釈も成り立つでしょう。僕はここでは、法律などと無関係に、「そんなことはモラルとしてやってはいけません」と、主張します。

 自分の著作物が無断で転載されたりしたら、自分自身はどんな気持ちがするか、そう思うとするべきではありません。逆に、「転載させて下さい」というメールのひとつでも来たら、こんなに嬉しいことはありません。自分の作品が認められたということですから。

 僕はこのような場合、「商用ページでないこと」「出典を明らかにして再配布を禁じる旨明示してもらうこと」を条件に、喜んで転載を認めようと考えています。もっとも、そんな依頼のあるページを作る実力があれば、とっくにプロになっているでしょうけれどね。

 もちろん、自分から差し上げたものに関しては、差し上げた方の自由にしてもらおうと思っています。しかしこれらの条件は人それぞれ考え方次第ですから、各自どのような態度をとるか、決めておくといいでしょう。「いっさいの転載は認めない。必要ならリンクを貼って下さい」というのも立派な態度です。

 これらのことに関する考え方の基本、というか念頭に置いておくべき事は、「いっさい劣化することなく限りなく複写できる」という特性についてでしょう。

 さて。引用についてはどうでしょうか。

 僕はあるページで「歌詞をそのまま紹介という形で転載している」のを見たことがありますが、感心しません。ファン心理として、一人でも多くの人に良さを伝えたい、というのはわかりますが。

 インターネットはまだ新しいメディアであり、法の解釈としても慣習としても、はっきりした見解が出ていません。見解が出ていない以上、「やりたい放題」などと思ってはダメで、「慎重にやりましょう」ということになります。

 僕も沢田聖子さんのファンですから、その詩の全部を引用して彼女の紹介をしたい気持ちはあります。しかし、いま先走ったことをしてしまうと、将来巡ってくるかも知れないそのチャンスさえ潰すことになりかねません。今、自粛しておくことで、将来ある条件(商用ページでないとか、紹介を目的にしているとか)下で認められるかも知れませんし、一切認められないかも知れません。それら検討がなされる前に先走ったことをしては取り返しがつかないことになるでしょうし、そればかりか著作権使用料を請求されるなどと言うこともあるかも知れません。


「重い」とか「軽い」とか

 「重い」というのは、ページが表示されるのに時間がかかる、ということです。

 この原因はいくつかあります。

 まず、自分のパソコンのスペックの問題。新しく高性能なパソコンに買い換えればいいわけですが、そう簡単にはいきません。パソコン本体の問題ならせいぜいメモリやハードディスクを増設するくらいでしょうか? モデムの能力も関係あります。モデムなら比較的容易に高性能のものにすることができるでしょう。

 次に、NTT回線の問題。ひとつのアクセスポイントにたくさん集中すれば、限られた能力をみんなで分割して使うわけですから、当然「重く」なります。また、災害時に電話が通じなくなったり、チケットの発売日に「ぴあ」などに電話が殺到すると、NTT回線そのものがパンクしてしまうように、インターネットだけではなく、電話回線全体の問題もときには発生するでしょう。

 そして、プロバイダ側の原因。アクセスポイントから先の回線も、やはり限られた能力をみんなで分け合うわけですから、脆弱な環境では「重く」なります。環境の改善を申し立てる方法もありますが、実情に応じて改善してくれているのは事実ですから、要はその「実情」の認識と「改善」への取り組みのスピードと内容が問題で、最悪プロバイダを乗り換えるという方法をとらなくてはなりません。一般論として、無制限よりも従量課金製の方が良い環境を提供してくれるでしょう。

 最後に、サーバーの問題。あなたのコンテンツを置いているサーバーがアクセス負荷に耐えられなくなり、アクセス不能状態になったり、繋がりにくくなったりします。これもサーバーを増強してもらうより方法がないのですが、最悪の場合は、引越しでしか対処できません。

 我々がこれらに対処する一番手っ取り早い方法は、軽いページを心がけるということです。

 軽いページ作りの方法には、いくつか定説がありますが、まずは画像の処理でしょう。色数を落として画像を劣化させることでページを軽くさせることが出来ます。どの程度の劣化なら許せるか、というのが思案のしどころです。見本画像を設置し、見本は本物の一部だけを取り出したものにすれば、劣化させずに軽くすることも出来ますし、見本画像をクリックすれば別のブラウザが開いて本物を表示するようにしておき、本物の方は、ある程度重いことを覚悟してもらう、というのもひとつの方法でしょう。

 また、画像を設置する場合に、タテとヨコのサイズをピクセルで書き込んでおくのもよい方法です。これがなければ、ブラウザは画像を全て読み込むまで先に進んでくれませんが、タテヨコのサイズを記入しておけば、その部分のスペースを空けて、先にテキストを読み込んでくれます。このとき、画像に代替テキストを書き込んでおくと、そこには本来何が表示されるのか読者に伝わり、さらに読者のいらいらは軽減されるでしょう。

 前ににも書きましたが、デザインを整形するために表組みを使うときは、細かく区切ることをお勧めします。表は全てを読み込んでからしか表示してくれませんので、テキストのように読み込んだ順に即表示してくれません。重厚長大な表は読者をいらいらさせます。

 それと、最後に、僕独自のこだわりを書きます。

 一般的に、Webの1ページはA4一枚程度の大きさにすべきだ、という意見をよく聞きますが、僕は反対です。情報量が同じであれば、一ページが小さければ小さいほど、クリックする回数が増えるのです。その度に新しいページが読み込まれるのを待たなくてはいけません。
 僕は出来るだけ多くの情報を1ページに詰め込んで、タテスクロールで見るページつくりを心がけるべきだと思っています。なぜなら、ページは上から順に表示されるので、最初に表示された部分を読んでいるうちに、下の方も順次読み込まれていくからです。

 「クリック」(ページの切り替え)回数を少なくするということは、階層の浅いホームページ構成を工夫しなくてはいけません。「とらおランド」はさほど偉そうなことはいえないのですが、自作長編小説専門サイトとして開いている綾綴人形は、一部の例外を除き、「表紙(目次を含む)」→「本文」という、クリック1回で本文コンテンツが読める構造にしています。そのため、表紙ページが長くなっていますが、僕はその方がいいと思っているのです。



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