「空々と」に載せた小説とも呼べない文章です。
 これを三杉・弥生本に載せるか、私。
 タイトルは完全な造語。昔はこういう言葉遊びを良くやってたものです。

 web上に載せる時はどうしようもないので横書きにしてますが、
 読む時は縦書きが好ましいので、一○郎でもワ○ドでも貼付けて頂いて、
 縦書きにして読んで下さると嬉しいです。変なこだわり。

 
 母は僕が買ってきた金色の鈴がお気に入りだった。
 暇さえあればその鈴を手の中で鳴らしていた。
 鳴らし方によって、りいん…とも、りん、とも、り…ともつかない涼しげな音がする。僕が一度、そんなにその鈴の音が気に入りましたか、と訊ねると母は口の端をほんの少しだけあげた柔らかな笑顔で、いいえ。この音はそんなに好きじゃぁないわ。でも。あなたが買ってきてくれたものですもの、と答えた。


離胤離胤・凛−りいんりいん・りん−


 幼い頃、僕は心臓が良くなかった。走ったり、大きな運動をするとすぐに息が上がって左胸にキリキリと痛みが走る。
 学校にはあまり行かず、家で寝ていることが多かった。
 そんな時はいつも母が枕元にいてくれて、あの独特な低めのソプラノで子守歌を口ずさんでいた。
 ぼんやりとそんな母の姿を眺めながら、一体この時間は何時まで続くのかと思った。
 僕の父親という人は体の弱い人で−僕は彼のその遺伝を受け継いでしまったらしい−今では写真でしかその顔を見られなくなっている。母は彼の写真を見ながら、もう少し。もっと長く。一緒にいたら。もしかしたら愛せたかもしれない人よ、とつぶやいた。だから僕は長い間その人が自分の父親だということに気付かなかった。
 気付いたのは高等学校に入学した年、母が着てみなさい、と言って持ってきた揃いのスーツに袖を通した時だった。
 鏡に映った僕は写真のその人に生き写しだった。
 僕が驚きに声も出せずにいると母はいつになくうんざりした様子で、あなたはどんどんお父様に似てくるのね。そうしていつかは私のもとから離れていってしまうのだわ、と怒ったような、泣いているような声でつぶやいた。
 それ以来、母が父親のことを口にすることも、僕がそのスーツを着ることもなかった。


 そのことを切り出したのは、いつものように母が窓際のソファーで鈴を鳴らしている時だった。
 許しませんよ、と変わらぬ笑顔で母は言った。
 僕ももう二十歳です。一人暮らしを始めてもおかしくはないと思いますが、と僕は落ち着いた声で言った。
 一人暮らしをする理由が何処にあるの?この家はそうじゃなくても広いのに。あなたの部屋には鍵だって付いてる。お互いのプライバシーは守られてるわ、そう言いながら母は相変わらず鈴を鳴らしていた。
 それですよ。その鈴なんです。その音が僕を自由にしてくれない。この家の何処にいたってその鈴が追い掛けてくる。僕はこの家から出たいんだ。その音の聞こえないところに行きたいんです、僕の声はだんだんと荒くなっていったようだ。
 それでも母は鈴を鳴らし続けていた。
 そうでしょうねぇ。そのつもりで鳴らしていたのですもの。
 くすり、と母の紅をひいた唇が動いた時、僕は母に飛び掛かっていた。母の手から鈴を奪い取るとそれを床に叩きつけた。金細工の小さな鈴は跳ねてテーブルの下の絨毯の中に潜っていった。りいんと音をたてながら…。

 母は鈴が消えていった辺りを見ながら、あの鈴はまだ鳴るかしら、と言った。
 もう鳴らないと思います、と僕が答えると、それじゃこの家を出て行く理由がなくなったわね、と母は笑って言った。
 少しの間この家から音がなくなった。それを破ったのは僕だった。
 一つだけ教えて下さい。あなたは亡くなった父の代わりに僕を愛したのですか?長い間の疑問を僕は口にした。
 母は笑いだした。可笑しくて仕方がない、というような笑い方だった。
 馬鹿ねぇ。そんなことあるわけがないでしょう。あなたとあの人をどうして同じに見れるの。あの人と私は血なんか繋がってないのよ。
 そうして母はまた笑いだした。その声はまるで鈴の音色のようだった。


 次の日、僕は母に金色のもっと丈夫な鈴を買って来た。
 鈴は母のお気に入りのソファーの上に置いておいた。
 僕は、その日のうちに家から出て行った。


 それ以来母とは会っていない。
 時折、鈴の音が聞こえるような気がするが、きっと空耳だろうと思う。

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