第1週 対馬の動植物
日本列島が、大陸から切り離されたのは、今から約1万年前といわれます。一方、日本列島が大陸と切り離された後も、対馬はしばらく大陸と陸続きであったようです。そのため、対馬の動植物相は、日本本土とは異なる例が多く見られ、かなり色濃く大陸系の特徴を残してきました。その状況を示す一例をあげると、お隣りの壱岐の島には生息するタヌキは対馬にはいませんが、大陸系のベンガルヤマネコの亜種とされるツシマヤマネコは、対馬にだけしか生息していません。
また、対馬に住む鹿は、日本本土に住む鹿よりやや小型のツシマジカですし、テンも同じくホンドの種とは異なるツシマテンが生息しています。同じように植物にしても、チョウセンヤマツツジなど本土種とは異なる大陸系の植物が多数自生するなど、対馬の植生には大きな特徴があります。このように、対馬は古来独特の自然環境を持った島なのです。
つい最近まで対馬は中世が生きているといわれるほど、開発が遅れてきたという環境が逆に幸いしてか、このような大陸系の動植物が現代まで生き延びてきたのでしょう。しばらくは、この欄で、これらの動植物にスポットをあてて紹介していこうと思っています。
第2週 キタタキ …対馬の動植物@
キタタキは、鳩よりやや小型のキツツキの仲間です。全身は黒い羽毛で覆われ、頭は真紅の毛、腹は純白、一目でキツツキの仲間とわかるこの鳥の枯れ木をつつく音は、つつくというより、たたくというほうがふさわしいぐらい力強くて、その音は近くの森に響き、その居場所がすぐにわかったといわれるほどだったそうです。かつては全島に生息していたらしいのですが、近代以降はわずかに上県の御嶽に生き残っていました。
しかし明治後半から急速に進んだ森林伐採と人工林の増加による環境変化に適応できなくなったのであろうか、大正年間に捕獲された1羽を最後に、絶滅したと思われます。現在は、厳原の郷土館に剥製となって保存されているその1羽で、かろうじてかつての姿をみることができるに過ぎません。
昭和40年代後半以降、全島での道路開発や港湾整備、さらには耕地の区画整理等などによる自然環境の変化は、対馬の動植物に大きな影響を与えて続けているようです。実際、見に見えないところでの環境破壊はかなり深刻な状況ではないかと考えています。地域開発と自然保護の問題は、その地域に住む人々にとって永遠の課題ではありますが、これからの時代、共存の視点で考えることがますます重要になっているのではないでしょうか。
第3週 ゲンカイツツジ…対馬の動植物A
対馬の山野に自生するツツジは3種類あります。その中で早春の3月初旬から咲き始めるのがゲンカイツツジです。葉が出る前の枝に薄いピンクの花が咲きます。ほぼ全島に自生していますが、まだ新緑には遠い冬枯れの山々に、いち早く咲くゲンカイツツジはとても風情があります。ちょうど学校の先生や公官庁の職員の転勤時期となるころ満開となるゲンカイツツジのピンクの色は、転勤族にとってなつかしい思い出の花でもありました。
特に、渡海船でわたる浅茅湾の岬々に咲くゲンカイツツジは風情がありましたが、縦貫道路が完成して上下島を陸路で行き来できるようになって、すっかり人の目に触れられなくなりました。そして近年は、上対馬町の大増を中心にゲンカイツツジ祭りが始められ、そちらのほうがよく知られるようになりました。
なお、他の2種は、4月ごろに咲く九州本土でも一般的なコバノミツバツツジ、そして一番遅く5月初旬に満開となるチョウセンヤマツツジで、このツツジは日本では、対馬にだけ分布する種です。ゲンカイツツジよりやや紫がかった濃いピンクの花を咲かせます。
第4週 ツシマヤマネコ…対馬の動植物B
近年、ツシマヤマネコは、イリオモテヤマネコと並んで日本に生息する野生のヤマネコとしてよく知られるようになりました。地元ではその毛並みの特徴から虎毛(トラゲ)とも呼ばれ、かつては対馬全島に生息していました。しかし、島内の自然林の減少と道路開発の進展とともに次第にその生息数が減少し、現在では約70〜80頭と言われるほどになり、種の保存が危ぶまれる状態にあります。そのためツシマヤマネコを実際に見たことがない人が増え、地元の人でも野良猫と区別できないほど珍しくなってしまいました。
現在、地元では「ツシマヤマネコを守る会」が結成され、ツシマヤマネコの保護のため食料不足の時期の給餌活動、生息域の環境保全に取り組んでいます。一方、行政サイドでも、ようやくツシマヤマネコの種の保存のため人工繁殖などに取り組み始めました。
しかし、毎年のように輪禍に遭い死亡するツシマヤマネコの報告が絶えず、すでにその生息数は自然の中での種の保存は危機的な状況と言われます。加えて、人工繁殖のために捕獲された個体がネコエイズに感染している事実が確認されるなど、ツシマヤマネコの将来は予断を許しません。21世紀の遠くない時期に、絶滅種と記録されることがないように願わずにはいられません。
第5週 ヒトツバタゴ…対馬の動植物C
上対馬町の鰐浦に自生するヒトツバタゴも対馬を特徴付ける大陸系の植物です。五月始め、鰐浦の集落をとりまく山々に白い花が咲き乱れます。それが海に照り映えるところから、地元の人々は「海照らし」と呼び習わしてきました。何とも風情を感じさせる表現です。また、その花弁の珍しさから「ナンジャモンジャ」と言ったり、この木が枯れると鉈の刃も立たないほど硬いことから、「ナタオラシ」とも呼ばれたりします。ヒトツバタゴは雌雄異株で、そのどちらも花をつけますが、種子が結実するのは雌木だけです。ヒトツバタゴの自生地は昭和3年に国の天然記念物に指定されました。地元の鰐浦では花が満開になる5月初旬にヒトツバタゴ祭りを行って、その保護に力を入れています。
ところで、鰐浦は朝鮮半島とはわずか50キロ足らず、文字通り指呼の間にあります。鰐浦の集落の外れの高台に韓国展望台があり、そこから晴れた日にはくっきりと朝鮮半島の山並みを一望できます。条件が良ければ、釜山の市街地を遠望することもできます。また、足元には航空自衛隊のレーダーサイトが置かれている海栗島、少し東に目を転じると対馬の最北端となる三島灯台が飛び込んできます。この海域は、古来海の難所として知られ、藩政時代、朝鮮の譯官使という使者が遭難、多くの犠牲者を出した海域としても知られています。
第6週 ツシマテンとツシマジカ…対馬の動植物D
対馬で国指定の天然記念物となっている動物と言えば、その両横綱にツシマヤマネコとこのツシマテンがあげられます。
さて、そのツシマテンですが、日本本土で見られるテンとはいくつかの点で異なっているとされます。ツシマテンは、夏の間はつやのある黒褐色ですが、冬にあると全身黄褐色となり、特に頭部は真っ白となります。そして餌を求めて人家近くまで出没するため、人目に触れやすくなります。頭たけが白く眼がくるっとして愛らしい姿に、地元では「ワタボシカブリ」と呼んで親しんできました。
一方、ツシマジカは、やや小型のキュウシュウジカと大型のニホンジカの中間ぐらいの大きさで、学術上も貴重なシカとされます。そのため最近まで天然記念物であったのですが、近年、ツシマジカは増えすぎて、角を研ぐのに植林されたばかりの苗木や幼木を傷つけたり、杉の皮をはいだりするため林業被害が深刻となってきました。そのため、現在は種の指定が外され、地域指定によってその保護が図られるようになりました。
第7週 琴の大銀杏 …対馬の動植物E
古来、対馬の親木として民謡にも歌い継がれた琴の大銀杏は、目通りで約12.5メートルある巨木で、樹齢は1200年とも1500年とも言われます。日本では、岩手県にあるイチョウについで2番目に大きいと言うことです。この大銀杏ですが、現在は残念ながら、昭和初期の台風とその後の落雷とによって中心の幹は折れて中は空洞となっています。しかし中心の幹を囲んでいた大きな支木が生き残り、成長を続けています。今も残る幹の大きさ、それを取り巻いて繁る樹勢さかんな支木はかつての親木を髣髴とさせる迫力です。
島内にはこのイチョウに限らず、よく知られた巨木が散在しています。イチョウでは豊玉町千尋藻の六御前神社のイチョウ、同町廻の大蘇鉄などいくつもあげられます。特に、対馬宗家の菩提所、厳原の万松院の境内に残る数本の巨大な杉は、うっそうと繁ったその姿で御霊屋にふさわしい雰囲気をかもして、対馬の観光名所の一つとなっています。昨年は、厳原で全国巨木フォーラムが開催されましたが、こうした巨木は島の大切な遺産として次代に残していきたいものです。
第8週 アキマドホタルとチョウセンケナガニイニイ…対馬の動植物F
対馬に生息する大陸系の昆虫として、よく知られているのがアキマドホタルです。アキマドホタルは、本来、朝鮮や中国に生息するホタルで、日本では対馬にだけしか生息しません。日本で一般的にみられるゲンジボタルやヘイケボタル等との一番の違いは、その出現時期で夏も終わる8月末から9月にかけて現れます。ところによっては、11月ごろまでアキマドホタルが飛び交うのを観察することができます。
また、その大きさも体長が訳2cmと普通のホタルより一回り大きいこと。雌は羽が退化して飛ぶことができないと言った特徴を持っています。対馬全島に生息していますが、特に厳原の阿須川流域が有名でこの一帯はホタルとともに県の天然記念物に指定されています。
一方、チョウセンケナガニイニイというセミも、対馬に生息する大陸系の昆虫として知られるようになりました。このセミも普通のニイニイゼミと違って、秋も深まる10月から11月にかけて出現、その時期に鳴声が聞かれます。また、体表が長い毛で覆われているのも特徴の一つです。筆者は佐護の林の中で観察しましたが、下のほうでは上見坂や内山盆地でよく観察されるようです。
第9週(3/25) 対馬の自然
◎ 対馬の地形: 対馬は南北に細長い2つの島からなっています。この二つの島は、明治35年、万関瀬戸が掘りきられるまでこの狭い地峡によってつながっていました。総面積709平方キロメートルの面積の大部分は山地で占められ、耕地となる平地は全体の約3%に過ぎません。一般に下島は500メートル級の山地が広がっていますが、対馬中央部の浅海湾付近では平均200メートル内外の低い山地で溺れ谷を形成し、上島では400メートル級の山々が分布します。
また、分水嶺となる山々は、島の東寄りを南北に走るため、東海岸は山地が急に海に落ち込む地形となり、水深の深い良港が発達していますが、西側は比較的出入りの少ない地形で良港には恵まれていません。しかし、対馬の大きな川は西側に集中し、その流域には農耕地となる平地が発達しています。
◎ 対馬の原生林: 近代まで開発が遅れた対馬には、今も残る原始林が見られます。厳原町にある龍良山(内山側)、内院〜浅藻の間に伸びる神崎、それに美津島町にある白嶽の三ヵ所です。なかでも龍良山や神崎は、シイ、アカガシなどの大木、地表にはその大木にからみつくつる性の植物、地表のシダ類などが繁り、うっそうとした森林を形成しています。
美津島町の白嶽は、その山頂は石英斑岩の屹立した奇観を呈し、古くから神山して信仰されてきました。ここにはケヤキ、エノキなどの大木や、ダンギク・ケイリンキボウシ・チョウセンキスゲなどの草木が繁ります。
一方、上島方面はクヌギやカシワ等の落葉広葉樹が優勢であるため、季節によってその景観が大きく変化します。そして冬の山々は一面冬枯れて丸坊主の林となるため、初めて対馬の冬を過ごす人は、まるで東北地方の山々を見るようだといいます。
◎ 浅海湾: 浅海湾は、対馬の下島と上島の間にある深い入り江を持った日本有数のリアス式海岸として知られます。浅海湾は、浅茅湾とも表記されてきましたが、「あそう」は浅い海の意で、浅海と表記するのが正しいとされます。本来、湾は西に向って開き、東側は閉ざされていました。湾奥の東の海に接する地峡部にある小船越は、文字通り、舟を人力で地峡部を越えさせたところでした。
現在は、江戸時代に開鑿された大船越瀬戸、日露戦争前夜に完成した万関瀬戸によって、対馬海峡と朝鮮海峡間は浅海湾を通って行き来できるようになっています。
また、浅海湾は内海で水深の深い小さな入り江が無数に発達するため、豊かな漁場であるとともに真珠養殖の適地となり、湾内のあちらこちらに養殖のいかだをつるす黒い玉ウキが見られます。この浅海湾で生産される真珠は、長崎県の真珠生産の中心となっています。
一方、この浅海湾沿岸の岬々には、おびただしい数の石棺や古墳が分布しています。弥生時代から古墳時代にかけて、対馬人の生活の中心が浅海湾一帯であったことを物語っているようです。