佐渡2006  奮戦記
                                              

    第1章   5月28日(日) 福江島

                                 

 

夢にまで見たゴールまで、残り32キロ。制限時間までは、4時間少々でした。
キロ7分のペースで走れば、なんとか、まだ間に合う事は分かっていました。
幸いにも、心配していた右の腰や右ヒザの痛みも、ありません。

 

10キロのエイドステーションのイスに座って休み始めてから、5分以上経過していました。
しかし、どうしても走り出す気になりません。
頭の中では、
「リタイア、リタイア、もう、止めよう!」の繰り返しでした。しばらくして、
エイドに来た収容車に向かって力なく手を上げました。

 

こうして、自分のアイアンマンジャパン初挑戦は、
10年間にわたるレース出場
経験で初めての、
ゴール制限時間前に途中棄権という形で終わってしまいました。

車で会場まで送っていただき、体育館の中で、お湯入りペットボトルをワキにはさみ、
毛布にくるまって横になっていましたが、低体温症だったようです。

 

これまで、制限時間内に完走していない大会は、富士登山競走、野辺山ウルトラ100キロマラソン、
富士チャレンジ200、そして、練トラ100本スイム!?

の超難関4大会ですが、どれも制限時間ギリギリまでは、頑張ってきました。
それが、今回はまだ4時間近くも時間が残っていながらの途中リタイアでした。

 

翌日、一緒に参加した村田さんが、最後まで走り切り、見事にフィニッシュされたことを知り
「すごい根性だな!」と、大変感心しました。
それと同時に、「自分は
なぜ、あそこで止めてしまったのか!」、と、かなり落ち込んでしまいました。

 

家に帰ってからも、しばらくの間、「D・N・F!D・N・F!」コールの嵐でした。
さらに、「去年の佐渡Aタイプ完走は、まぐれじゃなかったの?」という、
屈辱的な
疑惑も発生してしまいました。そこで、それらのモヤモヤを払拭するために、
急遽、
今年の大会出場予定を変更しました。
(幸いにも?7月開催の皆生大会の選考には、
外れていました。)

 

「しゃあない!!今年は佐渡Bタイプで、のんびり楽しもうと思っていたけど、
Aタイプに出て、もう一度完走してやるぜ!!」
「それに、自分がゴールするところを、絶対に見てもらいたいからね。」


     

こうして、9月に開催される、佐渡国際トライアスロンAタイプの完走にむけて、
辛く、厳しい練習の日々??がスタートしました。
(正直な所、8割がワクワク・ルンルン気分、残り2割がドキドキ・ヤバヤバ気分)

 

 

  第2章   9月2日(土) 大会前日

 

午前中は、3週間前に納車されたものの、
まだ2回しか乗っていないニューバイクの
ポジション調整をしました。
黒のカーボンフレームで、すごくカッコは良いのですが、

ハンドルも、レバーも、サドルも、なかなかシックリきません。
DHバーも新しい物に
換えましたが調整する箇所が多く、いまひとつの感じでしたが、
こちらも適当に位置決め
をして、「パンクさえしなければ、まあ、良いか。」って感じで、調整を終えました。

 

午後からは、会場に練トラのメンバーが集まり、選手受付や情報交換をした後、
近くの
食堂で昼食をとりました。とても変わった店でしたが、
いつも一緒に練習させてもらって
いるメンバーと、
ワイワイ・ガヤガヤやりながら、楽しく過ごすことが出来ました。


 

昼食後、佐和田の街で買い物をしてから宿に戻り、レースウェアの準備等を終えた後、
相川の街へ夕食に行きました。
ガイドブックに出ていたお鮨屋さんで、地魚の握り鮨など
を食べました。
味は良いのですが、店の中は煙草を吸うお客さんだらけ、
しかも、なんと
板さんまでも吸っていました。
当然の事ながら、お酒は飲みませんでしたので、
早々と
宿に帰って、お風呂に入り、補給食の最終チェックをして、
10時に寝ました。

 

ちなみに、昼間会場で買った補給食(小型のフルーツケーキ!)の袋の中には、
手書きの
応援メッセージが入っていました。
「最後まで頼れるのは、2本の脚と、自分を信じる心」

と、書いてありました。泣けました。

 

すぐに寝付けましたが、やはり緊張していたせいか、12時過ぎに起きてしまいました。
しかたなく、ベランダに出て夜空を見上げて見ると、満天の星空です!!
まさにプラネタリウムの様です?!天の川も見えます!!(もしかしたら、雲だったのかもしれませんが。)

応援団長を起こして星空を眺めていると、な、な、なんと、流れ星がスーっと見えました。
「完走出来ます様に!トラの神様、どうか、お願いします!」と、本当は祈りたかったのですが、
「完走出・ 」の所で、流れ星は消えてしまいました。    「まあ、良いか。」 

 

 

第3章                     9月3日(日) スイム

 

午前5時、最終受付とナンバリングをしてもらい、スイム会場へ向かいました。
府中の
鈴木さんと、久しぶりにお会いしました。
「去年、ゴールした後、テレビのインタビューを
受けていたでしょう。家のテレビで観ていたよ。」と言われました。
確か、「今の気持ちは?」
と聞かれ、
「もう死んでもいい位に、うれしいです!!」と叫んでいました。

 

その後、宮本さんご夫妻、大野さん、原さん達と、記念撮影をして、
昨年のクラゲ刺され
事件の話しなどをしているうちに、スイムスタート時間が近づいてきました。
スタート前には、Bタイプ出場の谷口さんも応援に駆けつけてくれました。

ついに、スタートです。

「絶対にゴールしますから、待っていて下さい!!」心の中で誓いました。

 

第4章                     9月3日(日) バイク

 

1時間37分でスイムをフィニッシュ、
バイクトランジッションでは、スタート直前の
原さんに会えました。
自分以外の3名は、もうバイクスタートして、会えないだろうと、
思っていたので、
原さんに「来ましたね!」と言われた時は、とても嬉しかったです。

 

更衣室でバイクジャージとバイクパンツに着替え、バイクラックの前で、一休みです。
今朝から食欲が無く、朝食は、ゼリー1袋と蒸しパン2個でした。
これでは絶対に足り
ないので、コンビニで買ったお握りを1つ食べました。
海苔を巻くのに手間取り、直巻き
お握りにすればよかったかな、
と反省しながら食べている姿を、オフィシャルの方は、

「この選手、何のんびりとお握りなんか、食べてんの?!
それも、ラップを取ってから、
海苔を巻くやつ?!」って、呆れた感じで、こちらを眺めていました。

 

口の周りについた海苔をバイクグローブで拭いながらバイクスタートです。
佐渡の自然は
本当に綺麗でした。
天気も最高でして、空の青、雲の白、海の藍、畑の緑、稲の黄、等々

色とりどりの景色を楽しみながら、佐渡を1周しました。

 

コンパクトギアの効果は絶大で、去年1度走っていることもあり、
大きな坂もあまり気に
なりませんでしたが、
大佐渡前半の向い風は厳しく、まったくスピードが出ませんでした。

大佐渡後半は、追い風を利用しましたが、30キロ超がやっとの状態で、
目標タイムを
大きく下回ってしまいました。

 

両津では、アストロガールズ(妻と宮本さんの奥様)の二人に応援してもらいましたが、
「どうしたの、こんなに遅くて!!パンクでもしていたの?」って、言われた程でした。
「大丈夫、大丈夫」と笑って答えましたが、
応援団の目にも、いつもと違い、かなり調子
が悪そうに見えたそうです。

 

それでも、エネルギー切れにならないように、トップテン2本(飲み難かったです!)
を時々飲みながら、最後の難関である小木の坂を上り切ることができました。
村山ASを
過ぎてからは、ウォークマンで中島みゆきの「ファイト」を聴きながら、
冷たい水の中を
震えながら上っていく魚の気持ちで、暑く長い道の上を汗を流しながら漕いでいきました。

 

バイクタイム8時間28分、
この後のラン42.2キロに残された時間は、5時間25分。

「やっぱ、駄目かな。」と心の中では思いながらも、
アストロガールズの前では、笑顔で
「行って来ます!!」と、元気な振りを。
しかし、脚の方は上がりませんでした。

 

(ちなみに、アストロガールズ1号も、「いつもと違うな。完走は厳しいかもしれない。」
と、この時思っていたそうです。見破られていたのか。なかなか、やるなあ。)

 

 

 

 

第5章                     9月3日(日) ラン その1

 

ランスタート5キロの金丸AS手前で、バイクで応援に駆け付けてくれた、谷口さんとお会いしました。
Bタイプを7時間少々で見事完走、ランも調子良かったそうです!!

(これで、来年のアイアンマンNZは、バッチリですね!)

 

自分が最後で、前に大野さん、宮本さん、そして、トップに原さんがいることを伝え、
記念写真を撮っていただきました。ここでの応援は、とれも元気付けられました。
この時、「谷口さんの乗っているバイク貸して下さいよ!」と言ったのは、
冗談ではなく、
本当に脚が動かない状態でした。谷口さんも、後ろから見ていて、判ったと思います。

 

左にコースが曲がり、長い上り坂が始まった辺りから、ついに歩き出してしまいました。
ジャパンの時と同様に、脚や腰の痛みは全然無いのですが、全身に力が入らず、
走ろうと
する気力が出ない状態でした。それでも、立ち止まることはせずに歩き続けました。

 

沿道の方も、「楽しそうじゃないか?もっと頑張れ!」と声援してくれました。
なんせ、
顔はニコニコと笑っていられる状態でしたので、休憩でもしていると思われたのでしょう。

 

その先でも、「お兄ちゃん、おばさんが握手してあげるから、頑張りなさい!」と
暖かい
手を出してくれました。しっかり握手していただくと、
「おばさんのパワーあげたからね!
絶対に戻ってくるんだよ!ここで待っているからね!!」と、
言ってくれました。(泣く。)

 

どうしても、ここで止める訳には行きませんでした。
「せめて、宮本さん、大野さん、原さんに会うまでは頑張ろう!」
と補給食のゼリーを無理やり流し込み、8キロの宮川ASで
暖かいお茶を飲み、
何とか再び走り出すことが出来ました。
時間内に完走する事は、ほぼ
絶望的でしたが、
「最後まで頼れるのは、2本の脚と、自分を信じる心」のメッセージと、

掲示板でも紹介した、「壊れたバイクを担ぎながらレースをする選手の姿」を思い出して
のろのろと走り続けました。

 

神社を左折して、15キロの皆川WSを通過した後、
ようやく、向こうから折り返して
来た、宮本さんとお会いできました。
「自分は駄目ですが、絶対にメダル取ってください!」
との掛け声に対して、
元気良く「はい、頑張ります!」と答えていただきました。

宮本さんも、膝の故障が心配でしたが、かなり調子良さそうでした。

 

その後、続いて大野さんにも、お会いすることが出来ました。
辺りは、だいぶ暗くなって
いましたが、
いつもの一点を集中して見ながら走る姿で、直ぐに大野さんだと判りました。

「ジュンペイさん、頑張って下さい!」と言うと、やはり元気に答えてくれました。
宮本さんと大野さんの二人に、お会いできたので、ホッと一安心しました。

 

この先17.7キロ地点の金井ASまでは、非常に長く感じる所ですが、
MTBに乗った
男性の方が、「もうすぐ折り返しです、マイペース、マイペース」と、声を掛けて下さり、
なんとか第1折り返しまで、たどり着くことが出来ました。


第6章                     9月3日(日) ラン その2

 

コースを左に曲がると、まわりが急に明るくなり、金井ASに到着しました。
去年は、
スタッフの方に、トイレの案内等で大変お世話になったASです。
今年も、ここで少し
休もうかと思った時、「関門閉鎖まで、あと2分です。」のアナウンスが聞こえました。

 

実は去年完走していることから油断して、今年はランの関門時間表を持たずに走っていたため、
金井ASが18時30分で閉鎖されることを、すっかり忘れていました。

仕方なくトイレ休憩は諦めて、ドリンクとバナナをもらい、直ぐにスタートしました。

 

スタッフの方に「次の関門は何時ですか?」と訊ねると、
「皆川WS20.4キロ、
19:00ですから、キロ10分でも間に合いますよ!」と教えて下さいました。
次の関門は何とかなりそうですが、
ここから約25キロを3時間は、キロ7分ペース
でギリギリです。
10キロ折り返しの畑野AS付近の長い上りを考えると、
絶対に
時間内完走は無理でしたが、とにかく、トボトボと走り始めました。

 

金井ASを出てから、しばらく走るとハザードを点滅させた車と、
その前を走る選手に
すれ違いました。
恐らく、最終ランナーと収容車だなと思いました。
自分の位置から、
かなり近い距離でしたが、
まさか、あの収容車と15キロもの長い距離を、
ずっと一緒に
走ることになるとは、この時は夢にも思いませんでした。 

 

皆川WSを無事通過して、次の瓜生屋WSを過ぎた辺りで、再び宮本さんに、お会いしました。
先ほどよりも、さらに好調な走りでした。「頑張って下さい!」の呼びかけにも、

とても元気に答えて下さり、「これで宮本さん、ロング初完走は確実だな!」と思い、大変嬉しくなりました。

 

しかし、自分と宮本さんとの距離は、先ほど、すれ違った時より開いており、
「この先の
潟上ASの第2折り返し地点で関門アウトだな。
まあ、ジュンペイさんにも、もう一度
会えればいいかな。」と、
考えながら、暗闇の中を走り続けました。

 

沿道からは、「折り返しまで、もう少しですよ。頑張って下さい!!」の暖かい声援。
しかし、「今年は残念だったけど、来年、また来いよー!」の超現実的な声援もチラホラ。
まわりは暗くて、時計も良く見えないため、とにかく諦めずに走り続けていると、
「この先
折り返しです!」の声と共に、エイドの明るい光が見えて来ました。

 

潟上ASでは、ドリンクをもらい、直ぐに折り返しました。
制限時間の19時30分の
2分前でした。
この時、収容バスの中に途中リタイアした大野さんがいて、
隣に自分の席
を準備してくれていたことは、レースの後にうかがいました。
ジュンペイさん、本当に
感謝です!!
(来年は、皆生は休んで、佐渡A一本にしぼれば、絶対に完走ですよ!)

 

 

 

第7章                     9月3日(日) ラン その3

 

潟上ASを出ると直ぐに、1台の自動車が、自分の後ろにピッタリと付いてきました。
「早く、抜いて行ってくれないかな?」と思いましたが、なかなか、抜いて行きません。
それどころか、自分のペースに速度を合わせて走っています。
それも、黄色いハザードを
ピカピカと点滅させながら。
そうです、これが例の最終ランナー監視車だったのです!!

 

次の27.9キロ瓜生屋WSまでは、とにかく、この車が気になって、気になってしょうがありませんでした。
「早くリタイアしろ!とでも言いたいのか!」と、振り返って文句を
言いたかった位です。
「せめて、もう少し、離れて走ってくれないかな?」とも思いました。

仕方なく、「前のランナーを抜いて、この苦しさから逃れよう!」と考え、
なんとか
頑張って走りましたが、かなり前の方にも、全然他のランナーは見えませんでした。

 

瓜生屋WSの制限時間は19時50分でした。
ここを時間1分前に通過すると、
後ろから
「皆さん、大変ご苦労さまでした。それでは、エイドの撤収を始めます。」との声が、
聞こ
えてきました。
沢山のボランティアの皆さんが、こんなに遅い自分のためだけに、
今まで
待っていて下さったのだと分かり、とても申し訳ない気持ちになりました。

 

そう考えると、自分の後ろにずうっと付いて、
キロ7分から8分、時速7キロから8キロ
といった超低速度の運転で、
付いてきてくれた最終ランナー監視車のスタッフの方にも、

感謝したい気持ちで一杯になりました。本当に、有難うございました!!(反省)

 

この頃になると、沿道の応援の数も、めっきりと少なくなり、
交差点の交通規制をして
いる役員・ボランティアの方々だけになりましたが、
自分が最終ランナーだと分かると、

「最後まで頑張って下さい!!」と、たくさんの熱い声援を送ってくださいました。

 

29.7キロの大野WSを過ぎた頃から、監視車の後ろに、さらに広報車の車両がつき、
「地元の皆さま、佐渡国際トライアスロンの競技は、すべて終了いたしました。
ご協力
と、たくさんの応援、ありがとうございました!」などと、
アナウンスをしながら走って
いました。「自分は、まだまだ終わっちゃいないぜ!!」と、
怒りのパワー?を、走りの
パワーに変えながら、
32.3キロの畑野ASまでの、長い上り坂を走っていきました。

 

坂の途中で、一人の選手に追いつきました。
しばらくの間、2人で並走していましたが、

その方も、ぴったりと後ろについた車が気になるらしく、
「まったく、嫌な感じだよね。」
と言った後、
ペースを上げて先に行ってしまったため、再び、自分一人の旅が続きました。

 

去年は苦しくて、途中歩いてしまった上り坂でしたが、
今年は何故か、歩くことも無く
上りきることが出来、
20時20分が関門時間の畑野ASにやっとの思いで到着しました。

 

ここで、惜しくも宮本さんが途中リタイアされていたそうですが、
まったく気が付きませ
んでした。
(宮本さん、残り10キロを70分は、自分でも厳しい状況でした。
でも、最後
の力を振り絞り、あの坂を上り切ったことは、さすが立派です!来年は絶対完走です!)



      最終章   9月3日(日) フィニッシュ

 

後日、大会のHPで調べたところ、20時35分に、34.2キロの宮川ASを通過していました。
ちなみに、ここの関門時間は、20時35分です。まさに、危機一髪でした。

 

この頃は、お腹も多少すいてきましたが、
ウエストバックに残っている補給食は、カロリ
ーメイト(ブロック)だけでした。
普段は結構、美味しく食べられるのですが、この時は
口の中がカラカラでした。
それでも、ここまできてガス欠では、泣くに泣けません。
(と
言いながら、結構泣いていましたが。) 仕方なく、口の中に放り込みましたが、
案の定、
口の内側にひっついてしまい、呼吸困難な状況になりました。
しかし、ここで吐き出して
は、ガス欠になる恐れがあるので、
口をパクパクさせながら、なんとか喉を通っていくの
を待ちながら走りました。
(今だから笑えますが、その時は、本当に必死でした。)

 

次の37.1キロ、金丸ASの通過時間も関門時間と同じ21時ちょうどでした。
ここで
水をいただき、口の中に残っていたカロリーメイトを流し込み、
さらに、バナナを一切れ
もらって食べ、ついに痙攣をし始めた、
両脚にスプレーをしてもらいました。
実は、この
スプレーの臭いが大の苦手でして、
いつもは、これを付けている選手の側には、近づき
たくない位なのですが、
その時は、背に腹は替えられませんでした。

 

金丸から、残り5.1キロを30分と言う事は、キロ6分以内で走らなければなりません。
どう計算しても、何度計算しても、絶対に間に合う時間ではありませんでした。
それでも、もう最後まで走るしかありませんでした。
果たして、今の自分の速度が、キロ
何分なのかが分からずに走り続けるのは、
精神的にも肉体的にも、非常に厳しかったです。

 

八幡館の前の道を、大きく右に曲がると、フィニッシュの会場まで、ほぼ直線コースです。
最初は歩道の上を走っていましたが、段差や凹凸があるため、車道の左端を走りました。
「そのペースを落とさなければ、間に合うぞ!!」佐和田の街が近づくにつれて、
再び
沿道から声援を送っていただける様になりました。本当に有り難かったです。

 

しかし、38.7キロの八幡WSを過ぎた頃からは、応援の方に、お礼を言う余裕も無くなりました。
ただただ、ひたすらに走り続けるだけでした。苦しかったです。

 

ここでも、例の「二本の脚と自分を信じる心」を頼りに頑張りました。
そして、「原さん、
宮本さん、大野さんがフィニッシュしているのに、
自分ひとりだけがDNFじゃ、シャレ
にならないぜ!!!」と、
とっくに限界を超えてしまった身体に、ムチを入れながら走り
続けました。
まさに、気力だけで走っている感じがしました。

 

そんな我慢の走りを続けていると、遠くの方に佐和田商店街の明かりが見えてきました。
沿道の皆さんも、「まだ走っている選手がいたのか?」って感じで驚いていましたが、
「まだ間に合うぞ!!絶対に諦めるなよ!!」と声援を送って下さいました。

 

 

アーケードの手前で、「ゼッケンナンバー1433番、埼玉県の山崎哲哉選手です!」と
自分を紹介してくれるアナウンスが聞こえました。
その先では、黄色いポールを振り回し
ながら、飛び上がって応援してくれている、
練トラ応援団とアストロガールズの姿が、
はっきりと見えました。
その時、すごくうれしかったのですが、涙はもう出ませんでした。

 

アーケードの中では、コースの撤収作業が、既に始まっており、
一瞬もう終わったのかと、
思いましたが、
「頑張れ!!まだ間に合う!!まだ間に合う!!行け!!行け!!」の声援
を信じて走りました。
(あの時に、あれだけ速く走れたのは、応援してくださった皆さんの、

すごく熱い気持ちが、自分を走らせるパワーになって身体の中に入り込んできたおかげだと、
今でも信じています。トライアスロンの神様って、本当にいるんですよ!!)


 

練トラ応援団の前でも、皆さんの方に顔を向ける余裕さえもありませんでした。
突き当り
の角を左に曲がると、会場の明かりが見えました。
少し先を、女性の選手が、仲間の方に
囲まれながら走っている姿がありました。
その選手に必死で追いつこうと走りました。

 


メイン会場に入り、「制限時間まで、あと1分30秒です!!」のアナウンスを聞いた時、
今朝スタートしてから初めて「もしかしたら、完走できるかも知れない。」と思いました。
そして、前の選手に続き、自分の目の前にフィニッシュテープが張られ、
ようやく完走
する事ができました。フィニッシュタイムは15時間29分07秒でした。

 

完走メダルを頂いた後、練トラの皆さんから、祝福の言葉をいただき、握手をしてもらいました。
すぐにカウントダウンが始まり、花火が打ち上げられ、長い一日が終わりました。

 

四人揃っての完走が出来なかったことは大変残念でした。
特に、宮本さんと大野さんの
お二人が、最後の最後まで頑張って走って下さったお蔭で、
自分もゴールまで気持ちが
切れずに走り切ることが出来ただけに申し訳なく思います。
本当に有難うございました。

 

そして、トライアスロンに憧れて、練トラで練習を始めてから、
ちょうど4年目になる
この大会で、
スイムがゼロだった自分を、ロング完走まで育ててくれた谷口さんへの、

感謝のしるしとして、どうしても自分がロングの大会でフィニッシュする姿を、
実際に
見てもらいたかったのですが、どうにか、その願いをかなえることもできました。

 

谷口さん、練トラの皆さん、そして、アストロガールズのお二人も、
本当にありがとう
ございました。心より感謝いたします。

  

 

(これからも、練トラのオトボケオヤジ?として掲示板の方でも頑張りますので、
スイム
やバイクのご指導の程、よろしくお願い申し上げます。)