キリマンジャロ登頂記
(2004年6月18日(金)~6月28日(月)

東アフリカ(タンザニア)キリマンジャロ山(標高5895m)

参加者:鈴木岳彦、瀬戸環、清水正広(3名)
 亀戸なつかし会「山の会」の清水君が、アフリカ大陸最高峰「キリマンジャロ登頂記」を送ってきました。命がけの大変な山行だったようです。
 山の会「すかんぽ」の瀬戸さん、鈴木さん、大変お世話になりました。



キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)登頂記

 俺は一足早い夏休みと称し、親族、家族、そして親愛なる友人に多大なる心配を掛けながらも、憧れたる山・・・アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ、「無謀」の声も黙殺しつつ挑戦しました。そのズッコケ?キリマンジャロミッション登頂記をここに掲載します。
 それは一枚のお誘い電子メール(3/10)から始まった!ズバリ、現役サラリーマンでも行ける!平日5日間の休暇で9日間の旅!・・・とのコピーに、はまったのだった。
 送り主は・・・杉山事務局長の参加する山の会「すかんぽ」の瀬戸環女史(通称:タマラ~と呼んでいる)からだった。すかんぽの皆さん~!アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロに登りませんか~?根性と高山適応性があれば登れる6000m峰同志募集~って、俺を誘ってる~!
 登山歴たった3年のこの俺が・・・富士山にも登ったことのないこの俺が・・・でも登ってみたい・・?家族をどう説得するのか?実現するには突破する壁は険しく厳しいナ~、と頭をよぎるのだった・・・!
それから三ヶ月、入念なるミッション計画を策定し、キリマンジャロミッションの挑戦が始まったのである。
 本仁田山単独山行!両神山訓練山行!みずがき・金峰山訓練山行!自宅から都立小金井公園(往復10㎞)へジョギング?早歩き訓練敢行!
 旅費と登山道具(主に厳冬用のもの)の軍資金調達!山岳保険は・・・三社に拒否され、やっと一社を見つけて加入(なんと契約は出発2日前だった!)事務的には安価に上げるため、ビザの取得や予防接種(黄熱病・コレラ等)も個人個人で念入りに進める。準備期間は3ヶ月であるから、若葉マークが取れたばかりのこの俺は、必死だったので~す。
 ビザの申請書類等は当然イギリス語、俺はまったくチンプンカンプンであるから・・・・?娘に恥ずかしくも指導を仰ぎ・・・・タマラーに英訳を頼み・・・・本当に大変だったのだが・・・・!そして、出発当日を無事に迎えたのであった。
 最終的に参加者は3名となったのであります。(無謀?なる計画に賛同する輩は・・・居なかったのです)すかんぽの鈴木岳彦氏(ベテラン登山家・隊長)すかんぽの瀬戸環女史(発案・計画・引率・通訳)そして、なつかし会3人だけの山の会所属・・清水正広(カメラマン兼トラブル(処理?)メーカー担当)

 6月18日にエミレーツ航空という聞いたこともない航空会社の便で日本を出国する。(最後の晩餐と称し、羽田空港での廻らない寿司は美味かったナ~)アフリカ(タンザニア)は本当に遠い国で、距離は12000㎞あり登山口まで丸2日を要した。

 6月20日(登山1日目)
 モシ市内のYMCAモシホテル(宿泊)を、キボハット旅行社手配のジープでマラングゲート(登山口)に向かう。このゲートで入念なる登山手続きを済ませて登山開始。ブルーモンキーと呼ばれる猿に歓迎され、足下にはホウセンカ?が咲くなだらかな道をゆっくり歩く。
 この辺りはジャングル(熱帯雨林)で気温は40度あるが、湿気が少ないのかそれほど暑く感じなかった。そう、キリマンジャロに登るにはガイド・ポーターを雇うのが義務となっている。我がキリマンジャロミッション隊(3名)は、ガイド・ポーター・コックを合計8名雇った(後で正確な人員が判明した)のです。本当に大名登山となったのです。(コックはアフリカ料理を美味しく食したいとの一念からだったのですが・・・・?)
マラングゲートは標高1800mで、高山病に細心の注意を払いながら、ゆっくりゆっくり歩くのが基本です。ガイドは、イギリス語・ドイツ語・フランス語・現地語(スワヒリ語)を駆使して俺たちに説明します。「スローリー・スローリー」「ポレ・ポレ」と繰り返し、ゆっくり登れと何度も指導されました。(これがのちに威力を発揮する事になる)挨拶は「ジャンボ!」とのスワヒリ語で、会う人・すれ違う人に声を掛けます。(おはよう・こんにちわ・こんばんは・元気等の概念包有)4時間ほどで初日のキャンプ地マンダラハット(2727m)に到着した。
 マウディー・クレーター(噴火地)を散策。高山病の症状なし。
 雲海の中の山小屋マンダラハット泊
 6月21日登山2日目)
 6:00マンダラハットを出発。よく整備された登山道を樹林帯から草原帯にポレポレ歩く。草原帯に入るとようやく念願のキリマンジャロが顔を出す。(でかい山だから全体像はなお見えず)左手には岩峰マウエンジ峰も見える。中間地点で昼食(弁当:カサカサのパン・生のキュウリ・にんじん・チキン・オレンジ等)を美味しく?口に押し込んだ。
 第2キャンプ地ホロンボハット(3720m)に到着。
徐々に高山病の症状たる頭痛が始まった。
 ホロンボハット泊

 6月22日(登山3日目)
 今日は高度順応を図るため、ゼブラロックス(4500m付近)というポイントまで軽トレッキングを行い休養日とした。プロテアという花が咲き、カメレオンも生息して、首のところに白い羽をまとったカラスもいたヨ!ジャイアントセネシアという珍しい植物は必見。
 ホロンボハット泊。

 6月23日(登山4日目)
 ホロンボハットから急な坂を登る。この辺りで富士山の高度を抜くことになり、みんなで新記録万歳を叫ぶ。尾瀬のような湿原を横切れば、ラストウォーターポイントという最後の水場だ。ここを過ぎると風景が一変。赤みを帯びた土と岩で植物もほとんどない砂漠だった。高山病の症状が現れ始め、頭痛・倦怠感がひどく、持参した抗生物質等を飲む。
 キボハット(4725m)に苦しみながら到着。
食事もほとんど喉を通らず、ひたすら水を飲んで高山病の症状の緩和に努めるが・・・?現地時間の午後11時に起床し、頂上たるうフルピークを目指す。
 キボハット泊
 6月24日(登山5日目)
 キボハットを午前0時に出発。いよいよ念願たる頂上を目指してアタック開始。気温0度と寒い!火山礫と砂地のカール状のガレ地をジグザグにひたすら登る!身体が冷えるので止まらず歩く(登る)が、酸素が薄いので一歩一歩が本当にきつい!
 5:56最初のポイント(頂上)ギルマンズ・ピークに、息も絶え絶え、寒さに震えながら、苦しみ抜いて到達した!
感動よりも苦しみで一杯の気分に複雑な心境だった!ご来光を見るため暫し滞在・・・・強風で手足痺れ、顔は凍傷?で痛い痛い!ここでガイドが、我が隊の状態を判断して下山を勧める。
 タマラ~は寒さで体力を使い果たし、ここで下山を決意するが、俺は諦めきれない・・まだ最高地点は先にある。目の前で氷河が見たい、触れたい、体感したい。必死にガイドへアドベンチャーイギリス語で、ボディーランゲージで説得を試みるが、ガイドは無理・無謀・命(ガイドには無事に下山させる責任がある)を保証できないとこれまた必死に止める。確かにお前は登れると思うが、下山できなくなる。それが現在の体力であるとの結論なのだ。
 しかし、何としても登りたい、アフリカの最高地点に立ちたい!懇願・脅し・諫め、あらゆる手段を講じる。そしてついにガイドも折れてじゃー一緒に挑戦しようと、説得に成功!そこからサブガイドにタマラー(ここで下山する)を預け、鈴木岳彦氏と共にガイドと三人でピークに向かう。
 最高峰ウフルピークへの道は、稜線を岩場や氷河を回り込みながら進む。
もうほとんど体力はない。気力と根性のみの苦しい登り(実際はなだらかの稜線)で息も絶え絶え、意識も薄れている。頂上間近から見るクレーター(火山)は青白く林立する氷柱群や白い大雪原に覆われている。
 ウフルピークが見えた手前約200メートルの地点で、もう体力の限界。
ガイドにもうダメだ!歩けない!ここで断念する旨伝える。しかしガイドは、お前もう見えるじゃないか!頑張れ!一緒に登ろう!と俺の頬を殴る!(眠らないための手段である)何度も何度も殴られたが、痛くもないし痒くもない、疲労凍死寸前だったのだろうと思う。
 ガイドの優しさに感動し、体力の限界を超えた、ただ気力だけの歩みをはじめるが・・・!一歩一歩が苦しい、たった200メートルを何時間かかったのか定かではないが?ついに、頂上に到達!アフリカ大陸最高峰たるウフルピーク(5895m)に立ったのだ。(ヤッター!)現地時間8:10、気温マイナス10度(体感温度マイナス20度?)・快晴・強風。
 アフリカ大陸でこれ以上高い地点はないのだ!
氷河を見ながら、雲海の切れ間からアフリカのサバンナが見え隠れする、地平線の広がる荒涼たる風景。河に触れてアフリカ大陸最高峰に登ったことを実感。
 されど感動よりも苦しみ多く・・・・!
記念写真(俺のデジカメは凍り付き撮影不能)を撮って下山開始。ガイド・ポーターのサポートがなければ?感謝の気持ちで一杯でした。ギボハットで、暫しの休息(ひたすら寝て過ごす)したのち、高山病の症状をやわらげるべくホロンボハットまで下山。
 ホロンボハット泊
 6月25日(登山6日目)
 ホロンボハットで、ガイド・ポーター・コックの面々と記念撮影をするべく集合。何と総勢8名も現れるではないか?本当にこんなに雇ったのか?疑問がよぎるが・・・・!一人一人に感謝を込めて握手で挨拶。チップと共にお菓子を手渡す。チョコレートを渡していたが、途中から隠し持っていたカキピーをよこせと言う。タンザニア人はカキの種が好物なのか?人気はカキの種の疑問は最後までわからなかったが・・?ちなみにチップは80ドルを支払った。(三人で240㌦の要求だったが妥当と判断する)本当によく働いてくれたもの・・・ガイドは命の恩人だ~!
 下山開始し、マンダラハットで休息。ここでコカ・コーラ(1㌦)でガイドと共に乾杯!一気にマラングゲートまで早足で下る。マラングゲートでは、ガイドが登山事務所に登頂報告。登山証明書の発行を受ける。待ち時間を利用して、みんなでキリマンジャロビール(何と甘いビールである)で乾杯!ジープでYMCAモシホテルへ向かう。心地よい疲れが全身を包み込み、達成感は格別なものだった。シャワーを浴びて、お世話になったガイドを招待して、タクシーでチャイナレストランで打ち上げ!
 YMCAモシホテル泊
 6月26日
 5:00起床。YMCAモシホテルをシャトルバスで出発。アルーシャ市内で乗り換え、国境を越える。ケニアで入国審査を受けてナイロビ国際空港まで、7時間のバスの旅だ。ひたすらまっすぐの道を地平線のサバンナを眺めながら疾走するバス。時速は常に100㎞を超えている。野生のキリン・バッファローに遭遇する。野良キリンだ~(野良猫をもじって?)
 夕方16:30発の便が遅れているらしい?結局ナイロビを21:00テイクオフ!

 6月27日
 ドバイ深夜2:00到着!何と乗り継ぎ便が待っていない!(信じられない)抗議して交渉するも・・・・ドバイを8:45をシンガポールに向け飛び立つ!シンガポールを22:40の便に乗り継ぎ、目指すは成田国際空港に変更!

 6月28日
 6:35成田国際空港に何とか無事に到着!(やっと帰国した~!)地球を半周したのではないかと思うほどの長旅になった。入国審査を受けて、成田エクスプレスで帰宅。キリマンジャロミッション隊解散!
 皆々に心配を掛けて挑戦した、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5895m)!は本当に素晴らしかった。キリマンジャロ最高地点たるウフルピークに無事到達した達成感は計り知れず。
 ほぼ赤道直下にありながら氷河が存在する、地球的にも珍しい地点。
近年地球温暖化の影響でこの氷河が縮小し、あと10年で消えると予測する研究者がいるほど異変が始まっているキリマンジャロにどうしてもこの眼で氷河を見たいとの一念でアタックした。
 山麓の気温45度の熱帯雨林から高山病の恐怖と闘い、往復100㎞の行程を登り切った満足感・達成感。これもひとえに、同行者の岳さんやタマラーとガイド・ポーターのサポートのお陰と感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。そしてひたすらお世話になりました。
 帰国後約一ヶ月にわたり、高山病?の影響からか無気力・倦怠感に襲われ、仕事をこなすのが精一杯にて。体重も8㎏ほど減り、体力貯金も使い果たし・・・やっとこの頃元気を回復してきました。
 生涯のよき想い出(体験)になったことは間違いなく、素晴らしい経験を素晴らしい仲間とともに得られたことは、人生後半戦に有意義に生きるものと確信しております。次回はどこに登ろうか?などと考える余裕も出てきました。
 拙い雑文をお読み頂き感謝致します。キリマンジャロミッション成功に万歳!

 参考資料

 アフリカタンザニアとの時差はマイナス6時間です。旅費総額35万円(登山装備は別)  
(清水)

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