No.7 2001年3月30日 |
弁護団つうしん | 発 行 ハンセン国賠訴訟西日本弁護団 熊本市京町2−12−43 TEL096-322-2515 FAX096-322-2573 |
光明園・愛生園検証報告
たちまちによみがえる被害
弁 護 士 久 保 井 摂
岡山県の南、邑久(おく)郡虫明(むしあげ)、陸に接した小さなひょうたん型の長島に、光明園と愛生園、ふたつの療養所があります。
1月30日に光明園の、2月25日に愛生園の、岡山地方裁判所による現地検証が行われました。
光明園の検証は、寒風の中雪が舞い踊る、被害を再現するには絶好の天候の下行われました。
まず、釣り船を使い、職員とは別の患者収容桟橋から収容される、かつての収容風景を再現するところから、検証はスタートしました。
光明園には、隔離の歴史をそのままに示す古い施設が沢山残っています。海抜ゼロメートル地帯につくられ、神経痛を抱える入所者達を湿気や冷えで苦しめた夫婦舎。終生隔離の象徴である火葬場、残骨墓地、そして納骨堂。昭和四〇年代まで精神科病棟がなかったため、心を患った入所者を閉じこめた静養室の、ものものしい木の格子。
中でも、今もその姿をとどめる監房、その壁に残された恨みの言葉は、この国のハンセン病政策が何だったのか、改めて私たちに突きつけてきます。
愛生園は、日本のハンセン病政策を誤らせた学者の筆頭、光田健輔の影を色濃く残す、国立第一号の療養所です。ここでも当時の収容風景を追体験する形での検証がなされました。
収容桟橋から、収容所と呼ばれた仮収容施設に連れてこられた患者達は、身ぐるみ剥がれて消毒風呂に入れられ、監房を目の前にして、恐怖に震えました。
消毒風呂
愛生園に収容されると、まずこの風呂で消毒された
検証は、要所要所での弁護団の分かりやすい説明と、歴史的スポットを明示するプラカードや立て札、そして何よりも、各所で原告のみなさんが実体験を生の声で語ることにより、臨場感あふれるものとなっていました。
光明園でもそうでしたが、今は昔日の姿をとどめない監房や、少年舎、報国農園、十坪住宅などが、原告の指示説明により、当時の姿を蘇らせ、私たちにあたかも病み棄てられた時代を追体験させるかのようなのです。
裁判所は、どちらの検証も大変熱心に見聞きしていました。愛生園の少年舎跡では、原告が入所したばかりの幼いときに運ばされたという重い飯盒について指示説明した際、国の代理人に「どれだけ重いか持って下さい」と呼びかけ、国の代理人は当然にこれを無視したのですが、なおも呼びかける原告を裁判長が制し、自ら飯盒を持ってみていました。
裁判所の胸にも、原告の皆さんの指示説明は確かに響いたのではないでしょうか。
新良田教室跡
岡山県立邑久高校の分校として愛生園の中に
造られた新良田教室跡に今も残る建物
原告数700人突破! ひ ろ が る 提 訴 者 弁 護 士 国 宗 直 子 2月14日、3月9日と続けて、12次、13次の追加提訴を行ないました。 |
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