療養所の明日を開くために署名運動を

 

ハンセン病西日本弁護団 弁護士 国宗直子

 

 今年の夏、「ハンセン病問題基本法」(仮称)の制定を求める署名運動が開始されました。

 なぜ今「基本法」なのか。

◆ 奄美和光園の話

 私は、裁判の頃から、弁護団の中で鹿児島県奄美市にある奄美和光園を担当してきました。奄美和光園は国立ハンセン病療養所の中では一番小さい療養所で、裁判の頃には100名を超えていた入所者が、現在では60名を切ってしまいました。

 これからの生活や医療がどうなるのか、和光園のみなさんは口々に不安を述べておられます。けれど、和光園のみなさんと話して感じるのは、生活や医療への不安だけではありません。人数が少なくなってきてみなさん、本当にさびしくなってこられていると思います。和光園のある入所者は、「厚労省は最後の一人まで面倒を見ると言うけれど、私は最後の一人になりたくない。」と言われました。さびしくなっていく療養所に一人で残されるということを思うと、私もその切なさに胸が詰まる思いがします。

 こうした状況を切り開く方法のひとつとして大事なことは、療養所を市民に開かれたものにして、療養所が、医療施設、あるいは福祉施設、教育施設、保健施設などとしてここを一般の市民にも利用できるようにすることではないかと思ってきました。施設としての実質や、医療の水準を保っていくには、そういう対策が必要だと思うからです。特に和光園の場合は、これまで都市部である名瀬市街地とは山を隔てた谷奥にあったのですが、今はその山にトンネルができて、市街地まで車で5分行けるようになり、市民との交流にも大きな条件が開かれていると思うのです。

 奄美市も和光園の将来構想を市の取り組むべき課題と考え、国立の長寿検証センターを奄美和光園に併設する案を国に対して提案してきました。

◆ 厚生労働省の考え方

 私たちは、これまでに何度か、厚生労働省と、ハンセン病療養所の将来構想の問題を話し合ってきました。その中では、他施設の併設の可能性などを話題にしてきたのですが、厚生労働省は、一貫してその考え方を否定してきました。

 私たちは、せめて、今奄美和光園で行われている一般診療について、入院制度を認めてほしいと言いました。和光園の皮膚科の外来は、奄美群島では定評があり、多くの患者さんが通院しておられます。その中には離島から来られる方もあり、奄美市内に宿泊してそこから通ってこなければなりません。入院できればとても楽になります。和光園での診療の幅が広がれば、それだけ和光園の医療の水準が維持されることになります。しかし、それもできないと言われました。

 厚生労働省の基本的な考え方は、自分たちの責任は最後の一人の入所者までだ、それ以後にも残るような施設の検討はできないということです。その責任さえ果たせば、最後に残る人たちがどんなにさびしかろうがそれは厚生労働省には関係ないということです。

 けれど、厚生労働大臣は、統一交渉団との協議で、「社会の中で生活するのと遜色のない水準を確保するため、入所者の生活環境及び医療の整備を行うよう最大限努める。」と約束しました。それは、たとえ最後の一人であっても、まわりの人とのかかわりをもって、さびしい思いをせずに、人らしく生きることができるということを意味しているはずです。

 それでも、厚生労働省は、今の法律の枠組みではそんな検討は不可能だと言い放ちました。今の国立療養所の存在の法律上の根拠は、「らい予防法廃止法」です。この法律に書いてないことはできないというのです。「らい予防法」を廃止するためにできた「らい予防法廃止法」は、当面「らい予防法」を廃止するために必要な暫定的なことしか書いてありません。しかし、その後、熊本ハンセン病訴訟の判決があり、また厚生労働省との協議の成果としての確認事項があります。それらを、法律という形にまで高めて、もっと療養所が市民に開かれたものとできるようにする必要があります。

 だから、私たちは、今、新しい「ハンセン病問題基本法」という法律の制定を求めるのです。

◆ 入所者は併設案を求めていない?

 他の施設の併設や基本法の話をすると、入所者は外の人が入ってくるのを嫌うのではないか、他の施設の併設や開かれた療養所など望んでいないのではないか、と言われることがあります。

 私も、裁判を始めた頃に、和光園で聞き取りをしたときに、私が「和光園はハブが出るのでこわくないですか」とたずねたら、ある高齢の原告の方が、「ハブより人の方がこわいよ」と言われたことを鮮明に思い出します。けれど、周りの状況は本当にいろいろ変わってきたと思います。

 2005年夏に、奄美和光園でアンケートを行いました。ほとんどの入所者の方が、他の施設の併設を希望されていました。その理由には次のようなことが考えられます。

 まず、何よりも、和光園がさびしくなってきてしまったということです。「ほかの施設が併設されて一緒にカラオケでもできたらいいなあ」と、カラオケの大好きなHさんは言われました。

 和光園の周りの状況も変わってきました。2001年の熊本判決の年に、和光園のある地域の町名変更がありました。このときは、地域の住民のみなさんに、どんな名前を希望するかというアンケート調査が行われました。その結果、「和光町」がいいというのが一番多かったそうです。ここには、和光園があるから「和光町」がいいと。それで、この地域は「和光町」となりました。今では新興住宅地となっています。

 2004年から和光園では「ふれあい和光塾」というのを始めました。入所者が少なくなったり高齢化したりで使われなくなった畑を、地域の子どもたちに開放したのです。ここでは、入所者と親と子どもたちが一緒になって野菜作りをします。塾長は自治会長です。畑の作業の先生は入所者です。子どもたちに農作業を教えます。先生になっている入所者は子どもたちに大人気です。収穫の時期には収穫祭も行っています。子どもたちにとって、和光園は楽しい場所になりました。

 先日、和光園に行ったときに、畑で入所者ではないお年寄りが畑の作業をされていました。お孫さんが育てている野菜を、平日には来られないお孫さんに代わって、おじいちゃんがお世話をしに来ているのだそうです。

 入所者のみなさんも、塾生の子どもたちが来るのをとても楽しみにしていらっしゃいます。

 2005年12月、名瀬の市街地と和光町をつなぐトンネルが完成しました。トンネルの名前は「和光トンネル」と言います。このトンネルを抜けて名瀬市街に入る道を「和光バイパス」と言います。「和光」という名前は、奄美市民にしっかりと根付いているように思えます。

 「人はそんなにこわくないかもしれない」。変わってきた状況が入所者の人たちをそんな気持ちにさせてくれているように思います。

 軒を貸して母屋を取られるのではなく、お互いを尊重しあって生活することができるのではないかと、私もそう思い始めているのです(もちろん母屋が取られることのないように弁護団は頑張ります)。

◆ 署名運動を広げよう

 新しい法律を作ることはそう簡単ではありません。だから、私たちは、もっともっといろんな人に療養所のことを知ってもらって、この署名運動を大きく広げる必要があります。署名の目標は100万筆です。大変な目標です。

 これを達成するために、私たちは、熊本県や熊本のすべての市町村にもこの署名を広げていきます。かつて、自治体は「無らい県運動」を展開しました。今度は私たちが、この署名運動を通して、全県に振り撒かれた負の遺産を壊してまわろうと思います。自治体のみなさんにも、かつての強制隔離の責任をこの署名に取り組むことで果たしてもらいたいと思います。一般の市民のみなさんにも、ハンセン病療養所とは何だったのか、そしてこれからどうしていくのかということを、一緒に考えてもらいたいと思います。

 この運動を通してこそ、療養所の新しい未来が開かれていくように感じています。


(2007年9月13日菊池恵楓園での学習会で話した内容を後にまとめたもの。「菊池野」2007年12月号掲載)