#12 ラスベガストリップレポートpart5 ダウンタウンホースシュー(前編)
「コール」
ポットはすでに200ドルを超えていた。オマハハイローのテーブルに座り続けて15時間あまり、最後のベッティングラウンドを終えた時、わたしは5ドルチップ1枚を残して、手持ちのチップすべてを押し出していた。
女性のような白い指先に、長くとがった爪を備えた姿が奇妙な、東南アジア系と思われる短髪の若い男、フルテーブルの中で窮屈そうにしている、でっぷりと肥えた白人の中年男、艶やかな長い黒髪にすらっと伸びた身体、黒いスーツとサングラスがシックな印象を与えるアジア系の女性、この3人が、テーブルをここまでアグレッシブに変えてしまった元締めである。そんな坊主めくりに近いテーブルで、わたしはひたすら身を潜め、機を窺っていた。そして、ようやく訪れた攻めのチャンスに、これほどひどい出費を余儀なくさせられてしまったのは、彼らがひとり残らずポットに加わっていたからである。
プリフロップ、フロップとキャップが続いた。しかし、わたしに降りる理由は見つからなかった。フロップからのナッツロードローとナッツフラッシュドロー、ここでコールしなければ、いつコールするのか。ターン、そして、リバー。ナッツローはつくり損ねたが、赤いフラッシュは完成した。結局、わたし以外に残ったのは、リバーでオールインした白人の中年親父と、ターンの時点でオールインに追い込まれていた常連客らしい陽気な青年。
まず、青年が手札を見せた。それを見た中年親父はうめいた。わたしも震える指で手札を開いた。そして、ポットの山は、すべて彼の手許に押しやられた。そう、無造作にわたしの反対側へ。判定は、彼のナッツフラッシュによるスクープ。両者の手札を見比べて、スーツの勘違いをしていた自分に気付いたのは、それから数秒後のことであった。
フリーモント行きのバス、CATに揺られながら、わたしは昨日、一昨日とプレーしたオマハハイローのゲームを思い返していた。
この2日、わたしは続けざまに負けていた。200ドルバイインのうち、一昨日は22ドル、そして昨日は195ドルを失った。昨日のラストゲームなんて、救いがなかった。内容も結果もひどかっただけではなく、カウンターでプレイヤーズカードを提示し忘れたため、コンプさえも受けることが出来なかったのだ。泣きっ面に蜂。
それでも、一晩ぐっすりと寝たら、ポーカーなんてくそくらえという気持ちなんてどこかへいってしまい、こうしてホースシューへと向かっているのだから、つくづく自分というものが分からない。
ベラージオ付近のバス停から、2ドルの運賃を払っておよそ30分。終点フリーモントストリートに到着する。
フリーモントストリートは、ダウンタウンの目抜き通りである。幅の広い通りには、奇抜な装飾が目を引くカジノホテルを中心として、その間に土産物屋、雑貨屋などがゆったりと立ち並び、ストリップと比べると随分のんびりした所だった。ポストカードやアクセサリー販売をしている露店もあちらこちらで開いている。平日の昼ごろということもあってか、そこを行き交う人はまばらで、通りはまだ眠っているようにみえた。
歩き始めて間もなく、ストリップを歩いた時には感じなかった臭いが鼻をついてくる。饐えたような、人の生きている臭い。夜になれば、ここは音と光、そして熱気と歓声に包まれるだろう。そして、人はこんな生活臭に気付くことなく通りすぎるに違いない。
右手の一角、ひときわ派手なネオンサインがおいでおいでと手招きをしている。そこまで、歩き始めて10分とかからなかった。あまりにあっけなく、目指すカジノ、ホースシューは見つかった。WSOPで幾多の伝説が刻まれたこの場所、今回の渡航ではなんとしてでも訪れたかったカジノのひとつである。そのカジノを、自分が今こうして見つめているという現実に驚く。本当に、ふらりとここまで来てしまった。
ゆっくりと近づいて中を覗いてみると、外観の明るさとは対照的に、そこが驚くほど暗いことに気づく。光の加減で、時折人らしき物体がぼうっと現れては消えするため、そこで人々がスロットマシンに興じているであろうことが辛うじて推測できるのみである。一体、中で何が行われているのか、その様子をはっきりと外から窺い知ることは難しい。
中へ足を踏み入れてみて、その暗さが尋常ではないことを知らされた。いや、単に暗いだけではない。湿った空気が奥の方からなめるように押し寄せてくる。ここは、本当に人々が集う娯楽の場所なのであろうか。地球上の不健康な要素をすべて凝縮して吐き出したら、おそらくこんな感じの雰囲気ができあがるのではないか、と思わせるほど異様な空間が広がっている。まるで、絨毯の敷かれた洞窟といった体。
肩をすくませ身をかがめながら、覚束ない足取りでそろりそろりと歩いていると、突然そばからガシャガシャという金属音。驚いて振り向けば、丁度コインがスロットマシンから飛び出しているところだった。その台の前では、ご婦人らしき人間が座っているが、喜んでいるのか怒っているのか、表情はよく分からない。
次第に目が慣れてくるにつれ、周りの様子がおぼろげながら見えてくる。工夫を凝らした音色で、なんとか気まぐれな旅行者のハートを掴もうとするスロットマシンの誘惑から抜けると、今度はブラックジャックやクラップスといった各種テーブルゲームが行く手を阻む。
サイコロが、なんだかこもったような鈍い音を出しているように感じるのは、低い天井とじっとりとした空気のせいであろうか。無邪気な歓声、悔しげな呟き、服のこすれ合い、靴の触れ合う音、それらすべてが人びとの興奮をかたちづくっている。そんな熱気と興奮の渦に背中を押されて、さらに奥へ。
重厚なつくりの木製の囲み、ところどころから垂れ下がる照明設備、そしてそこにくっきりと照らし出される人間たちの表情が、この異質な空間を演出しているすべてだった。険しい顔つきをしてひとつのテーブルを囲んでいるプレイヤーたちの図は、まるで重症の患者を前にして面倒な手術に取りかからんとする医師たちの憂鬱を見ているようだ。それほど、暗いフロアに浮かび上がるポーカールームの光景は、ただならぬインパクトをもって迫ってきていた。ディーラーの真っ白なユニフォームが、ひたすら眩しい。
ゲームの手続きは、入り口付近に取り付けられた台−カウンターとはほど遠い−で行うことになっているらしく、その前まで歩み寄れば、ブロンドの髪にパーマをあてた、30代後半から40代前半と思しき豊かな体格をもつ女性が、丁寧な言葉遣いで新顔のわたしを迎えてくれた。
この日、ゲームはテキサスホールデム、セブンスタッド、そしてオマハハイと、3種類が開いていて、レートも4-8から10-20まで細かく揃っていた。わたしは、それでも無難なテキサスホールデムの4-8に入ることにして、自分の名前が呼び出されるまで、しばらくゲームの様子を見て回ることにした。
ホースシューのポーカールームは、予想以上に混雑していて活気がある。客層を見ると、30歳前後の、何をやっているのか分からない連中もちょくちょく混じってはいたが、殆どが年輩のプレイヤーである。よく磨かれた木製の囲みで仕切られたスペースの中には、15台以上のテーブルが所狭しと並べられており、近くで観戦するには少々不便に感じられる。
全体を軽く見て回ったが、この日はスタッドのテーブルが一番賑わっているようだった。オマハハイのテーブルも6-12のレートで開いていて、面白い。
指定されたわたしの席は、ディーラーのすぐ左隣、見ればフルテーブルだった。
ディーラーからバイインの額を尋ねられたので、その場でとりあえず100ドルのチップを現金と交換してもらう。きっちりとキャッシャーを通して両替するオーリンズなどと比べて、ややルーズな印象を受けた。
周りは、やはり殆どが親父ばかりで、暗い雰囲気に似つかわしく、皆むっつりと口をひき結んでいる。白いシャツに黒のリボンをつけた清潔感漂う格好の、それでいて愛想のないディーラー、使い込んで色褪せたグリーンフェルト、それをぽつりと照らす小さな電球、そしてなにより俯き加減で無口な常連客たち。こうした光景を、はじめは異質な、受けいれにくいものと思っていた。しかし、わたしが長年にわたって「ポーカールーム」というものに対して抱いてきた、ややダーティなイメージが、実はそれらの光景とぴったり符合すると分かった瞬間に、ポーカープレイヤーとしての本能が卒かにざわめきはじめる。
あとは、ベストを尽くして戦うのみ。派手なコスチュームで色気を振りまくカクテルガールも、ここにはいない。
AsQs。ホースシューのポーカールーム、記念すべき第一手はこの手から始まった。
ボードは8-Jd-Kd。UTGからチェックしたわたしに、4人ほどいたプレイヤーの誰からもベットが入らず、ターンにT。またもチェックすれば、さすがにボタンから1発打たれてスムースコール。その割に、コールしてきたプレイヤーは少なく、リバーにAdが落ちた時にはヘッズアップになっていた。8ドルベットし、相手はジャストコールでQT。貰ったチップは少なかったにせよ、初っ端からAQ、しかもポットを取れるとは、幸先の良いスタートである。
その後、何度かフロップを拝みにいくも、いずれもヒットせずにポットを断念、チップは徐々に削られていった。ここホースシューは、オーリンズと違って、2-4のブラインドストラクチャを採用しているため、フルテーブルといえども、1周回るたびに6ドル吸われてしまう。この額は、決して無視できない。この日は100ドルしかバイインしなかったこともあり、そろそろ勝負にいかねばと焦りはじめていた時、KKが入った。
アーリーからひとりだけ赤いポロシャツ姿のおっさんがリンプしてきただけで、sbのわたしまですべて降りていた。ここは、リー・ジョーンズの言葉に従い、中途半端な手札でコールしてくる者に「罰を与える」べくレイズし、チョップの意味も知らなかった気まぐれプレイヤーのbbを落として、赤シャツとのヘッズアップにこぎつけた。
7-7s-8s
ベットすれば、当然のようについてくる彼。
Qs
ここはチェックレイズしてみた。コールした瞬間に、単なるポジションベットと断定。
As
真っ黒なボード。しかし、わたしの手にスペードはない。ターンでのチェックが効くかと思ってチェックしたが、ベットされてしまった。相手はスペードのJ持ち。ちなみに、もう1枚はハートの9。
このゲームを落としてしまったことで、いよいよ後がなくなってきた。手許には50ドルもなく、40ちょい。次に勝負する時はオールイン覚悟で、しかもその勝負を落とすことは出来ないという切羽詰まった状況だ。
ボタンからQdJdが入る。決して良い手ではないが、ややルーズなテーブルだったこともあり、使い込んだキャップにチェックのシャツがよく似合う、立派な体躯をしたいかにもアメリカ人という格好のおっちゃん−決してキレのいいプレイヤーではなかった−がレイズしてきたのに対して、コール。場違いなフロアに紛れ込んだ東洋人を一蹴するまたとないチャンスと思ったか、隣のブラインドもともに合わせる。
5-J-Q
フラッシュの心配はない。レイザーのベットにきっちりレイズ、ここはそれ以外に選択肢はなかろう。コールは下策だ。おっちゃんが一瞬面食らったように自分の手札を見た瞬間、QQ、JJはないと判断。ひとりも落ちずに、ターンはT。
ブラインドのチェックチェックに、おっちゃんがここで8ドルベット。あるぞといっているのは間違いないが、残念ながらこちらもある。レイズで応じた。ここでブラインドが2人ともコールしてきたら厳しいと思ったが、ふたりともここでポットを断念してくれたため、だいぶ状況としては楽になる。最後は文句のないJ。彼のベットに対し、喜んでオールインする。AAを開く彼。なんとか首はつながった。
はじめのオールインを切り抜けたあとは、つとめて慎重にプレーしていたこともあって、悪くない展開が続いた。テーブルも、若干の注意すべきプレイヤーを除き、あとは分かりやすいプレーをするABCタイトか、単なるコーリングステーションだったため、出るときに出れば勝てるということが分かった。ここへ入る時には、これまで味わったことのない異様な威圧感に気負いを感じたが、それがプレイヤーから発するものではなく、単にポーカールームの持つものでしかないことに気づくと、随分と気が軽くなる。
コーリングステーションについて触れると、これぞその代表というべき青年が丁度わたしの右隣に座っていた。彼は、自分がコーリングステーションであることも、チルトになりやすい性格だということも自覚していなかった。或いは、普段はもっとまともに考えるプレイヤーなのかもしれない。この日はたまたま負けがこんで、自分でもどうしようもない心理状態に追いつめられていただけなのかもしれない。だが、プレイヤーに対する評価は、早い段階で定着してしまうものである。
まず、そんな彼とはチョップを拒否した。わたしがbbにいて、彼のところまでオールフォールドの時、彼の方からチョップを持ちかけてきたが、即座に断った。彼は、わたしがよもやこのような返事をしてくるなどということは夢にも思っていなかったらしく、わたしが躊躇いなく断ると−それでも、きちんと「すまないが」という言葉は入れた−、驚いたようにこちらを見つめ、カードを放り投げていた。ちなみに、その時の自分の手札が何か、未だに知らない。
次に、彼がポットに参加している時は、手が入っていれば下手にチェックレイズせず、素直にベットし、手が入らなければポジションにすがって、いずれにしても「見下ろす」姿勢を貫いた。ベットすれば、かなりの確率でコールしてくれること、そしてそのコールも、彼にとっては必ずしも特別な意味をもつものでないことに気づいたからである。
普通に考えれば、ついてくるということは何らかの手役を既にもっているか、はたまた高い手役の発展を狙っているか、そのどちらかであるが、彼はツーオーバーカードからのペアを引きにいったり、さもなければ、単なる相手の手札に対する好奇心から安易にコールしてしまうなど、あまりにひどいプレーが目立った。そして、それを周りも当然知っていたはずである。「今日、自分にいかに運がないか」を力説していた彼に対する同情も、その反応とは裏腹に、きっと心の中では彼を魅力的なお客のひとりだとみなしていたに違いない。ポーカールームとは、所詮食うか食われるかの場所でしかないのだ。
そんな彼との一戦。
A-8-K
sbの彼までオールフォールド、地味にリンプしてきたので、bbからレイズしてみた。手札は96。フロップは上のようにめくれて、彼のチェックにベットで応じる。
K
彼がコールした時点でターンがめくられ、ここはチェックで回した。
A
最後までチェックしたことで、彼の手の中にAもKも入っていないことは明らかだった。しかも、ベットするにはうってつけのボードの流れ具合である。たとえコールされる懸念があるにせよ、ここでチェックという守りに入ってしまえば、ほぼ100%このポットを彼にやってしまうだけでなく、その後の評判にも大いに影響する。そして、その影響は決して良いものではない筈だった。ベラージオのあの一戦を思い起こすまでもなく、勝負の行方はすべてのプレイヤーによってずっと見られているのだ。
危機を脱したわたしがすべきは、勝つべき時に勝つこと、それだけである。分かりやすいルーズなテーブルで、スパイスの利いた小技をかけて自己満足する必要などない。果たして、彼はフォールドした。
そのプレイヤーが、気にはなっていた。
周りからジョニーと呼ばれていた彼は、直に10-20のテーブルへと移っていったが、わたしがテーブルに入った時からそこに座っていて、たっぷり2時間はこのローレートでゲームをしていた。彼が、テキサスホールデムに慣れていることは、そのメリハリのある攻めを見てすぐに分かった。だが、妙に気になったのは、プレーの上手さというよりも、そのロゴ入りのキャップといい、口元といい、なんとなく見覚えのある風貌をしていたからである。そして、その勘は当たってしまった。気持ちがひっかかって、もう一度そのジョニーなる男のかぶっているキャップのロゴを見た。
(げ、シニアズかよ…)
シニアズというのは、世界戦WSOPの期間中に開催されている、年輩プレイヤー専用のトーナメント "The Seniors" のことで、それを発案したのがプロプレイヤーとして知られるオクラホマ・ジョニー・ヘイルである。お気に入りのマックス・シャピロのコラムでいつもいじられていたということもあって、名前と顔写真だけは知っていた。自分の本こそ持ち歩いてはいなかったが、間違いない。同じテーブルに、老練のプロポーカープレイヤーが座っていた。
また、彼の隣で親しげに喋っていたアンディなる初老の紳士も怪しいと睨んでいた。仕立てのいいシャツに真っ白なカウボーイハットをかぶったその格好からして、見るからに通常の社会人から一歩も二歩も離れた生活を送っているような人物である。プレースタイルは、OJHと同じく非常に地味だが、長時間のプレーにも関わらず、少しもチップが動いていない。直接対決は避けた方がよさそうだ、というのがこのときの直感。
プレーし始めて4時間半後、決して大きく勝っているとはいえないが、かといってさしたる被害もなく、わたしのチップは地味ながら漸増していた。時間が経ってもアクションの良さは変わらず、手応えは十分であった。事前に貰った情報では、殆どが常連客で勝ちづらいということだったのだが、この日は観光客らしき甘いプレイヤーが、入れ替わり立ち替わりゲームを楽しんでいたため、粘れば粘っただけ結果がついてきそうな気がした。ただ、今晩は夜から知り合い幾人かと食事をする予定になっていたので、早めにケリをつけて引き揚げなければならず、あとは時間との勝負であった。
タイムリミットが、残り1時間弱にまで迫った時、どう見てもポーカーをギャンブルとしかみていない若い女性ふたりが、揃ってテーブルに入ってきた。そして、彼女らが入った途端、ゲームはこれまでに輪をかけてルーズになった。なにせ、そのおとなしそうな外見に似合わず、殆どのポットにレイズで入り、トップペアがヒットしようものなら、とことん押しまくったのだから。
その様子を端からみていたわたしは、ひたすら撃って出るタイミングを見計らっていた。ひとたびそれを間違えれば、たちまちこちらがチップを焦がされてしまうことになる。ダウンタウンくんだりまで出てきて、ラスベガスへショッピングをしにきたついでに有名カジノでポーカーでもやろうか、といったノリのプレイヤー相手に返り討ちを食らっては、それこそ死んでも死にきれない。少なくとも、わたしには彼女たちよりポーカーを愛しているという自負がある。つまりは、愛好者としての沽券にかかわる。
はじめのうち、彼女たちは続けざまに大きなポットを取っていた。何人かの常連たちが焦ってフィッシングしようとしたため、足元をすくわれたのだ。しかし、こうしたヤフーレイザータイプのプレイヤーがたどる運命はすべて同じであるように、彼女たちも持っていた運をすべて使い果たすと、急速な勢いでチップを溶かしはじめた。発情期のコザクラインコさながらの奇天烈な歓声をあげながらポーカーを満喫していた彼女たちも、次第にその顔から笑いが消えていった。
彼女らに限らず、ギャンブラータイプの最大の欠点は、己の実力と引き際を知らないことである。負けたら、その分を必ず取り返そうとする。大きく負けた分を取り返すためには、大きく勝たなければならない。それを達成するためには、出来る限り多くのゲームに参加し、そのたびに大きく賭ける必要がある、という思考がはたらくわけだ。そして、そんなことで勝つのが無理であるということに、自分のチップをすべて失ってはじめて気付くのである。
その様子を見ていたわたしは、焦り始めていた。彼女のチップがすべてなくなろうと、その結果発狂して隣のプレイヤーの首を絞めようと、わたしにとっては明日の天気よりもどうでもいい話だが、彼女が興ざめして立ち去ってしまえば、この魅力的なポットを二度と取れなくなってしまう。チップがなくなってしまう前に、より正直にいえば、彼女たちがゲームに対してつまらないと感じてしまう前に、一度はおこぼれにあずからなければならない。
周りも、チップを吸い取ることばかり考えず、少しは彼女らにとって居心地のいい環境をつくろうとしたらどうだ、と自分の行動だけは棚において、ひっそりと悪態をつく器の小ささである。こんな暗くて薄汚いところでポーカーなんて不健全な娯楽に耽っていれば、自然と考え方もじめっとしてくるものかもしれない。
そして、とうとうぶつかる時が来た。例の如く、彼女がボタンからレイズしてきたとき、わたしはQJをもってsbに座っていた。初手のレイズがOJHやアンディならいざしらず、マニアックの女にやすやすとブラインドをくれてやるわけにはいかぬ。4人のプレイヤーとともに、わたしもコール。
9-9-T
彼女までチェックで回っても、フリーカードなど期待していなかった。100%彼女はボタンからベットを入れてくるに違いなかったからである。その直後がわたしの番だった。アクションはレイズ。これは、主に9を持つプレイヤーをあぶり出すためのチェックレイズだったのだが、これまで比較的タイトかつ素直にプレーしてきた甲斐あってか、彼女まですべてのプレイヤーがフォールド。しかし、彼女はリレイズをぶち当ててきた。これを柔らかく受け止めて、ターンはラグの2。わたしのチェックに、彼女はノータイムで8ドルベット。勿論、コール。
Q
ラストカードのクイーンは、わたしにとってはあまり良い知らせとはいえない。よって、先にベットした。すると、今までになく彼女が悩んでいる。結局、彼女が手札をマックしてゲームは終わった。
「クイーンには勝てないわ」
ポットはさほど膨らまなかったが、とりあえず目標は達成した。それにしても、しっかりとばれているのが気にくわん。
時計をみると、約束の時間が迫っていた。結果は86ドル50セントプラス。
ラックがないことに気付いたわたしに、この日一番勝っていた黒人の兄ちゃんが、これ使えよ、とテーブルの下からラックを取りあげてくれた。礼を言い、奥にあるキャッシャーまで、貰ったラックをもってゆく。
キャッシャーまでいくと、人のよさそうなおっちゃんが、今日は勝ったみたいだな、と言う。なぜかと問えば、そういう顔をしてるから、だと。あなたは、きっとポーカーに向いている。
外へ出ると、昼間来た時とは風景がまるっきり一変していた。どこを見ても、広い通りは人、人、人。人で埋めつくされていた。至る所でパフォーマンスを繰り広げている大道芸人たちが黒山の人だかりをつくり、明るい時には間抜けにみえたネオンサインも今はすっかり元気さを取り戻して、ラスベガスらしさを演出しようと全力で瞬いている。むっとするような人いきれと、スピーカーからきこえてくる大音量の音の渦に、気分は高揚してくるばかりだ。そんな、今にも大声で哮り出しそうな気持ちを堪えながら、CATのバス停へと急いだ。
夜はオーリンズへと戻り、レストラン"Courtyard Cafe"にて、現地のプロプレイヤーや、日本から来た知り合いとともに歓談した。非常に濃い会話だったため、ここで詳しく紹介するわけにはいかないが、わたしへのポーカーに関するアドバイスをはじめ、現地の人たちのプレースタイル、一部有名プレイヤー談義−殆ど批判的な内容−、それにポーカープロとしての生活などと続き、実に有意義な時間を過ごすことができた、ということだけ報告しておこう。ポーカープレイヤーとして食っていくのがいかに大変かということを、改めて実感した。
その後は、日本からきた友人がライブポーカーをやってみたいというので、付き添うことにする。カウンターで手続きを済ませ、キャッシャーに促そうとすると、どこからかハーイ!とねっとりとした聞き覚えのある声が。嫌な予感がした。見れば、テーブルで手を振っている女性がいるではないか。しかし、それは魔女だった。
爽やかな朝からこいつに出くわすのも遠慮したいが、床につく寸前に出会ってしまうのも、安眠を考える上で、決して歓迎できない。折角良い日だったというのに、彼女のおかげで今晩は悪夢にうなされそうだ。
それでも、ここはポーカープレイヤーとしての意地ってものがある。つとめて平静を装いながら挨拶を返すと、その素直な態度がお気に召したのか、再び甘い声が飛んできた。わたしは、自分の親切心を呪った。
「調子はどう?愛しの息子ちゃん!」
冗談じゃない。あんたの息子になるくらいなら、オオアリクイの家に婿入りした方がまだましである。それに、俺の調子がいいか悪いかなんて、あんたにとってどうでもよかろう。
このやり取りでどっと疲れがでたわたしは、自分の手続きをすぐさまキャンセルすると、友人の健闘を祈って部屋に戻った。
ラスベガス滞在も、明日でとうとう最後。明後日は、早朝にも空港へ向かわなければならない。
疲れ切って、寝る。