#10 ラスベガストリップレポートpart3 - 砂の街は鴇色にけむり(後編) -


午前6時。
さっきからずっと布団にくるまっているが、一向に寝つけそうにない。羊を思い浮かべようとしても、出てくる奴らといったら、ぐるぐると輪になって笑いながらポーカーをしている姿ばかり。このままでは、いつまで経っても素直に飛びはねてきてくれそうにないので、わたしはもぞもぞとベッドから這い上がり、そばのテーブルに腰掛けると、これまでの出来事をざっと書き留めておくことにした。
やがて、一心不乱にペンを走らせていたわたしの手を止めたのは、やわらかな朝日ではなくて、ぐうという腹の音。そういえば、今日で滞在3日目になるというのに、まともに食事をしたのはただの1度しかない。昨日食べたアロズ・コン・ポイヨの記憶がむくむくと蘇ってくる。少し疲れを感じてはいたが、頬をぴしゃりと叩くと、手早く着替えて階下へ急いだ。

朝から、バフェ"French Market"は混雑していた。
前回は、ここでミルクを注文して懲りたので、今度は係員に選択の余地を与えないオレンジジュースを頼むことにした。まさか、ここでもホットかアイスかを尋ねてくることはなかろう。とはいえ、昨日の勢いからして、オレンジの銘柄まで尋ねかねない雰囲気はあったから、彼女たちが笑顔で"Enjoy!"と言ってくれるまで油断は出来なかった。
朝の部は、昨夜入った時と違って、きちんとブレックファーストにふさわしいラインナップである。多くの皿に目移りする中、まず総菜にスクランブルエッグとポテトのパンケーキ、そして主食にダニッシュペストリーとクロワッサン、チョコでコーティングされたドーナツをそれぞれひとつずつ取り、あとはレタスのサラダと生のパイナップルをたっぷり盛って席に戻った。
テーブルには、すでにオレンジジュースが置かれていた。赤いグラスと黄色の液体とが妙なコントラストを醸し出してはいたものの、味は紛れもなくオレンジジュースである。ぐいと勢いよく飲み干すと、同じ係員の女性に追加を頼んだ。すると今度は、同じグラスが2本運ばれてきた。いちいち呼ぶなという意味であろうか。

ゆっくりと朝食をとったわたしは、満ち足りた気分でバーバリーコースト行きの無料シャトルバスを待っていた。
ここオーリンズは、同じ系列のバーバリーコーストとゴールドコーストとを結ぶフリーのシャトルバスを、朝から晩までひっきりなしに走らせている。おかげで、ストリップまで出るのに余計な気を回さずに済む。とりわけ、今から向かおうとしているベラージオは、バーバリーコーストから目と鼻の先にあり、そこまでいくにはうってつけの移動手段といってよい。
ベンチに座っていると、強い日差しが肌につき刺さってくる。10月も半ばというのに、砂の街ラスベガスは暑かった。アスファルトからの照り返しもかなりきつく、サングラスは手放せない。
バスを待って5分ほど経った頃であろうか。わたしの前を、巡回中の警備員が通り掛かった。わたしがつとめて友好的に挨拶をすると、彼は自転車を止めておもむろに近づいてきた。そして、暫し談笑。会話は、シャトルバスはここで待てば良いのかということから始まって、このホテルに滞在していること、今回が初めてのアメリカ旅行で、滞在は今日で3日目になるということ、丁度バフェで食事をしてきたこと、またそこの料理が大変素晴らしかったこと(これには少々世辞がすぎたのか、苦笑されてしまった)、これからベラージオへ行ってポーカーをすること、などなど、どれも他愛のない、しかも彼にとっては明日の天気よりもどうでもいい話ばかりに違いなかったが、嫌な顔もせずに耳を傾けてくれた。彼は、ポーカーにはあまり興味を示さないらしく、わたしが「ポーカーをするために」日本から来たというと、ポーカーではなくて、日本というコトバにぱっと反応した。彼によれば、甥が日本で生活しているという。
そうこう話しているうちに、目的のバスが来た。数人の客とともに、わたしもその中へ乗り込む。窓はシェードがかかっていたが、外を見るのに支障はない。警備員の彼は、もういなかった。


戸外から続くエスカレーターに導かれ、長い舌のような通路を渡り、やがてあんぐりと開いた口から体内へ至るまでの間、わたしはずっとその建物を睨みつけていた。しかし、当然のことながらびくともしない。その威厳、その風格。欲望の殿堂、ベラージオ。
古着のTシャツにカーキのワークパンツ、それにネイビーのスニーカーという出で立ちの生っちろいわたしなんか、足を踏み入れた瞬間にたちまち消化されてしまいそうな勢いである。軽装をしてきたのは、単に外が暑かったからというだけではなく、この神殿に対するささやかな抵抗でもあったからなのだが、建物ひとつ見ただけで、やっぱりジャケットを羽織って来るべきだったか、とそわそわしてしまうあたり、まだまだ修行が足りない。
高級ブランドの立ち並ぶショッピングモールを抜けると、そこはもう外観を裏切らず立派なカジノ。仰々しい標識を頼りに、ただひたすらポーカールームのある奥を目指した。

「15-30にヤングプレイヤー1名!」

黒のスーツに身を包んだブロンドの中年女性は、快活にわたしを迎えてくれた。
ベラージオのポーカールームは、入り口とは別に、中央にもカウンターがある。一瞥したところ、どうやら入り口では比較的ローリミットのプレイヤーを、そして奥ではそれ以上のプレイヤーを管理しているようである。15-30をプレーしたい旨を告げると、入口のカウンターにいた男性のフロアパースンは、中央のカウンターで名前を記してもらうようにと指示してきた。先ほどのSなる女性は、中央のカウンターを担当するフロアパースンなのであろう。

外から見た時はさほどとも思わなかったが、いざ中へと通されてみると、その広さに思わず息をのむ。中央のカウンターを挟んで右側のフロアはテキサスホールデムとオマハ、左側のフロアはセブンスタッドに分かれている。そして、カウンターの奥には、数段高いスペースがあり、そこに置かれているのはハイステークスプレイヤー専用のテーブルだとすぐに分かった。あの場所で、生きるか死ぬかの勝負が日々繰り広げられていると思うと、なんだか胸が昂ぶってくる。そう、なにもかもがオーリンズのポーカールームとは違っていた。部屋の内装も、広さも、天井の高さも、そして、おそらくはプレイヤーの種類も。
登録は済ませたが、15-30は数時間待ってもらうことになりそうだと言われたため、それより早く空きそうな8-16のウェイティングリストにも名前を書き込んでもらい、自分の名前が呼ばれるまではじっくりと周りのプレイヤーたちの様子をみて回ることにした。

セブンスタッドのフロアには興味がないわたしは、もっぱら右側のフロアを眺めていた。わたしと同じように待たされている人も多いのか、ゲームの様子を観戦している人たちはけっこういる。
この日のレートは、一番高いテーブルがテキサスの30-60、次いで20-40、以下15-30、 8-16、 6-12、そして4-8だった。オマハハイローは20-40の1卓しかなかったが、常連ばかりのテーブルなのか、この中では一番賑やかである。
30-60のテキサスはかなりアグレッシブだ。みな、次々と平気な顔でレイズリレイズをかけてくる。もちろん、それだけのバンクロールがあるから出来ることである。わたしのバンクロールは、現金とT/Cとを合わせて3500ドル。とても30-60などで耐えきれる量ではない。
それにしても、いくら観戦するといったって、待てども待てども名前が呼ばれずにいると、さすがに草臥れてくる。結局、早く回ってくるはずの8-16でも1時間半以上待たされる羽目になってしまった。しかも、T/Cからチップに交換したい旨をSに伝えると、ここでは出来ないからカジノのメインキャッシュへ行ってこいという。重たい足を引きずって、ポーカールームから離れようとすると、こちらの心中を察したかのように、心配するな、席はとっておくからとウィンクされた。

メインキャッシュから1000ドルの現金を手にして飛ぶように戻ってきたわたしは、奥のキャッシュカウンターで1000ドルすべてを5ドルチップにしてくれと頼んだ。

「すべて5ドルですか…?」
「彼は直に15-30に移るから5ドルチップがこれくらいは必要よ」

すべて5ドルというわたしの要求に、キャッシャーの女性は少々ためらいがちな様子を見せていたが、Sのこの一言で彼女は頷き、わたしの目の前にチップを置いた。もしかしたら、4-8のプレイヤーと映ったのかもしれない。

こうして、ようやくワンラック500の2ラックを手にして8-16のテーブルへと向かったものの、ここではブラインドをポストしただけで、殆どまわらずに15-30へと移ってしまうことになったため、とくに取り立てていうべきことはない。わたしに関していえば、ボタンからのスティールと、sbからの77のフロップセットを取っただけである。あとは、とにかくタイトなテーブルだった、ということくらいであろうか。このテーブルは、待っている間に結構長く観察していたが、とくに嫌らしいプレーは見なかったし、まともなプレイヤーが多かった。次の機会には、じっくり腰を据えて取り組みたいレートである。
ひとつ、プレー以外の点で感動したことがある。それは、ここのポーカールームがきれいなグリーンフェルトを採用していたということ。やっぱりポーカーテーブルというと、この色なのである。ちなみに、チップの外観はというと、1ドルチップは白抜きの下地に青い縁取り、5ドルチップは赤い縁取りがなされていて、ともに洗練された印象を与える。

わたしはやおら立ち上がると、そこから目と鼻の先にあるテーブルへと移った。しかし、そこは同じテーブルとはいえ、これまでとは全く違ったテーブルだということを直感した。まず、人間の質が違うようである。顔つき、目つきが沈んでいる。互いに言葉を交わす様子も殆ど見られない。ただ、カードをシャッフルする音とプレイヤーたちがチップで手遊びをする音だけが響く。それになにより、スタックの違い。他のプレイヤーたちと見比べると、わたしのスタックは決して多い部類には入らなかった。

(一体、こいつら何者…)

なめるような視線。総毛立つような緊張感。
わたしにとって、今回の渡航一番の試練になるのは間違いなかった。


カードはすでに配られていた。
一度だけ、カットオフでスティールを決めて以降、入ってから40分ほどはひたすら黙って降り続けた。手がこなかったこともあるが、それよりも、このテーブルがかなりアグレッシブだったからである。

(長丁場だ。何も焦ることはない)

この時、わたしはまだ冷静だった。

しばらくして、sbでこんな手がきた。Qs9s。bbは比較的穏やかなプレイヤーとみていたので、アーリーからひとりリンパーがいたのを見届けて、わたしも同じくリンプインした。すると、ここで幸か不幸か、Qがヒットしてトップペアが出来てしまう。チェックで回すとアーリーのプレイヤーがベット。わたしは危険とは分かっていつつもコールし、bbはフォールド。ターンは3枚目のクラブが見えて、フラッシュの可能性がある。もちろん、わたしのほうにはない。今度はわたしから30ドルベットしてみた。相手は悩んだ末にフォールド。このくらいのレートでは、かなりポジションの力に左右されることを感じた。
その後、何度かポジションベットを仕掛け、そのどれもが効いた。周りも、明らかに手が入っていなければ、比較的素直に降りてくれる。そんなこんなで、さほどチップの量に変化はないとはいえ、まずまずの手応えを感じていたところに、ようやくKKが入る。わたしの位置は、この上ないビッグブラインド。
アーリーから、リンプ好きな小太りの兄ちゃんがまたもリンプし、ぎらぎらした瞳でこちらを何度も睨み付けてくる、髭の剃り跡の目立つ彫りの深い中東系らしき兄ちゃんがミドルからレイズしてきた。この男、無口なテーブルの中でひとりだけやたら口数が多い。自分は上手いプレイヤーだと言わんばかりにアクションもひとつひとつが派手で、負けた時は皮肉もきかせてくる。プレーはまともではあるが、ややルーズな印象を受けた。後ろのプレイヤーはすべて降り、わたしはもちろんしれっとコール。隣のお兄ちゃんも含めた3名が臨んだフロップ…

8-Qc-K

パーフェクト。
チェックチェックでレイザーがベット。ここはフラットコールして隣の地味なお兄ちゃんをコールさせる算段。ターンは4c。同じくレイザーの中東系兄ちゃんがベットしてきたため、わたしの方はバックドアフラッシュドローに見せかける狙いで初めてのチェックレイズ。すると、なんと隣のお兄ちゃんがコールしてきた。まさか、バックドア狙いはこいつ…?
リバーはダイヤの9で、セカンドナッツに転落してしまったが、JTは考えられず、30ドルベット。隣のお兄ちゃんはカードを手放したくなさそうに、それを何度も反り返らせる仕草をしながらフォールド。そして、レイザーの中東系兄ちゃんのみコール。こちらが手札を見せると、兄ちゃんは手札を投げ捨てるようにマックした。
彼は、この一戦が終わって間もなく、やつはトリッキーだと聞こえよがしに何度もつぶやいていたのであるが、このトリッキーという言葉は、その後も何度かわたしに向けられて発せられることになる。

さて、15-30に移って小1時間も経たないうちに、わたしのチップは200を超えた。それと同時に、緊張感も幾分とれてきた。ノーリミットのゲームを意識しながら手札を選んで勝負していけば、案外大勝ちできるかもしれない、という思いがむくむくと頭をもたげてきたのも、この頃である。
ほどなく、2度目のKKがアーリーで入ると、今度はきちんとレイズしてみたのだが、タイトの見本みたいなアジア系の兄ちゃんにbbをプロテクトされてしまう。

5-7-8

ヘッズアップで迎えたボードはこう流れた。
兄ちゃんのベットにレイズし、ターンに4。今度も彼からベットされてしまい、ここで素直にストレート完成と読むべきか悩む。しかし、6持ちは薄い、おそらく99とかTTあたりのオーバーペアの可能性の方が高いと読み、レイズ。すると、彼がさらにかぶせてきた。リバーは6がめくられて、兄ちゃん、同じく表情を崩さずベット。大した芸当だが、ここはこちらも迷わず"play the board"である。すると、彼の手からA6がでてきたではないか。
その青年が、誰にともなくこう呟いた。

「殆ど向こうはドローイングデッドだったのに」

たしかにその通りだ。彼の隣にいたディーラーが、逆にKKを持ったわたしを慰めるようなことを言ってくれたのは嬉しかったものの、読み切れなかったことに対する動揺と悔しさは残った。もしも負けていたら、この時点でかなりの痛手を負ったのは言うまでもない。自分の赤いチップをかき寄せながら、その量の多さに肝を冷やした。

ほどなく、こんな手札がカットオフ手前できた。K7。そして、手前はオールフォールド。わたしの直感はレイズだった。すると、今度はボタンとブラインドがコールしてきた。

A-2-5

見事にノーヒット、お疲れさまボードである。
しかし、ここがチェックで回ったことで、わたしの気持ちは変わった。ターンは6。再びブラインドが2人ともチェックしてきたのをみて、ベット。ボタンとsbが降り、リバーはQ。ただひとり残った中東系の彼だけは、どうやらAと思ってはくれなかったらしい。それでも、彼が再びチェックしてきたため、ここも押してみた。すると、彼を降ろすことに成功したのである。彼は、やっぱり駄目だったか、といった様子で笑いながら44を開いてみせた。その直後、よせばいいのに、無駄な挑発をしてしまった。彼を愉快に思っていなかったわたしは、ブラフの手札を開いてみせたのだ。
予想通り、彼はキレていた。と同時に、周りのプレイヤーたちの反感も買ってしまったようで、あからさまにぎろりと睨み付けてくるプレイヤーあり、眉間に皺を寄せて不平を漏らすプレイヤーあり、なにやら途端に険悪なムードの出来上がりである。この時、コトバでは言い表せないほど痛快だったことを、今でもはっきりと覚えている。だが、その痛快さと引き替えに、数ゲーム後、今回の15-30の結果を左右する決定的なゲームを逃してしまうことになろうとは、この時夢にも思っていなかったのである。


AA。
それは、すべてのテキサスホールデムプレイヤーの憧れ。かつて、この手札を拝むためにポーカーをプレーしている人もいる、という笑い話を聞いたことがあるほどだ。でも、わたしもそうした人たちの気持ちが分からないでもない。220回に1度しか配られない「究極の手札」であることは、間違いないのだから。それが今、わたしの手の中に隠されている。位置はアーリーだった。
手前にいたプレイヤーはすべて降り、わたしはレイズした。だが、sbにいた中東系の彼がリレイズするまでに、2人のプレイヤーにコールされ、しかもbbでフォーベット目が入り、突如としてキャップになってしまったのである。そう、一度目をつけられた人間がどうなるか、わたしはこの瞬間に初めて悟ったのだった。

6-7-K

それでも、天使はわたしに微笑んだ。
ブラインドがチェックしたのを受け、ベットした。プリフロップでノータイムコールしてきた目つきの悪いジャージ姿のじいさんは降りたが、その隣のサングラスをかけた顔色ひとつ変えない短髪の青年、そして中東系兄ちゃんにはコールされてしまう。ブラインドでフォーベット目を入れた一癖あるルーズなおっさんはフォールド。ポットは3名。

J

わたしは再びベットした。すると、サングラスの兄ちゃんはまたもあっさりとコール、さらに中東系の彼がレイズオールインに出る。卒かに色めき立つテーブル。もちろんコールし、ラストカードは7が落ちた。…いける…!
このボードなら十分勝てる見込みはあると思った。そしてその思いは、サングラスの兄ちゃんがコールし、わたしのポケットロケッツを見て首を横に振った時、確信へと変わった。わたしは、ここまで2時間あまりプレーし、400強勝っている。もし、このポットを取れば、悠々と席を立つつもりでいた。
いよいよ、オールインした彼が手札を示す番である。彼は、札をめくった。わたしは、その場で凍りついた。なぜなら、そこにあったのは、自分が数ゲーム前に彼をハメたK7oだったからである。

手許のスタックをみた。残酷な現実だけが、突きつけられていた。


その後は、あれよあれよと言う間に原点割れ。勝つのは難しいが、負けるのは早い。一度かち合うと、100や200は平気で吹っ飛んでしまう。5ドルの束がごっそり削られるのである。これはオンラインでは味わえぬ恐怖だ。しかも、じりじりと負け始めると、周りはその隙につけこんでくる。
とりわけ痛かったのはAK持ちで挑んだこの試合。

A-T-K

険しい顔つきをした、ルーズなアジア系兄ちゃんとのヘッズアップ。
普通ならトップツーペアがでた時点でチェックだが、なんとなくTTやQJのあたりも怪しかったので素直にベットしてみた。そのベットに、兄ちゃんはノータイムコール。
ターンは3。ベットベット!しかし、ここでの兄ちゃんのアクションは、レイズだった。とはいえ、こんな展開で降りる訳にはいかず、リバーがラグ(だったはず。はっきりと覚えていない)だったことを確認してから、兄ちゃんのベットにコールした。すると、出てきたのはこれ以上に嫌な札はない。33。
その後は、彼が同じようにレイズしてきた時、フェイスカードのトップペアがヒットしていたのにも関わらず降りてしまうなど、自分でも「何やってんだよおまえ」と突っ込みたくなってしまうような有様。

5時間半後。
AKを持っていたわたしは、ここがラストチャンスとみていた。QQとKKの両側から初手でまくられていた局面でコールし、ヒットしなかったフロップもべっとりと合わせた。しかし、ターンで救われるはずもなく、ポット獲得を断念する。
KKで最後まで打ち切って勝利したのは、カンに障る笑い声が特徴の、かなり慣れているとみえるアジア系の男だった。一方、ポケットQQで応戦したテーブル内唯一の若い女性は、相手の手札を見るや、汚い言葉とともに、自分の手札を思い切り投げ捨てていた。これを潮に、わたしはゲームを打ち切ることに決めた。

結局、一時は400以上勝ったチップも、手許に残ったのは575ドルのみ。かくして、わたしのベラージオ初体験は終わった。


バーバリーコーストの壁にもたれて、帰りのシャトルバスを待っている間、わたしはずっと鴇色にけむる夕焼けをみつめていた。この空を見上げていると、なんだか時が今朝まで遡っていくような、そんな錯覚に陥りそうだ。
時折、歩道橋越しに吹き上がってくる水柱をみた。そういえば、ベラージオでは噴水ショーをやっていると聞く。水の群れが、音楽に合わせ、色や形を変えながら舞っている。

赤、青、緑。 青、黄、紫。

次第に、夕焼けが濃くなってゆく。

赤、青、緑。 青、黄、紫。

ほんの少し、風はその勢いを増したようだった。


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