#8 ラスベガストリップレポート part1 - DEPARTURE -


2001年10月9月、午前8時50分、ひとりマッカラン国際空港へと降り立つ。
なんだか歩調がおかしいのは、胃の中でたっぷたっぷと踊る奴らのせい。狭い機内に閉じこめられ、ひたすら水分を与えられれば、全身にむくみを感じて気分が悪くなるのも当然であろう。緑茶にミネラルウォーター、それからJAL特製というキウイ風味の怪しげな液体まで、あらゆるものが体内で上手い具合に撹拌されて、生ぬるいスペシャルミックスジュースが出来上がっている。よく、この挙動不審な歩き方でストップをかけられなかったものだ。

タクシースタンド。 わたしはまず、アメリカのタクシー運転手について2つのことを知った。ひとつは、彼らは必ずしもこちらの都合に関わらず勝手に喋りかけてくるわけではないということ。そしてもうひとつは、声に出して頼まなければ何もしてくれないということ。

「この荷物をトランクに入れてくれますか」

強い日差しの降り注ぐラスベガスの大地で最初に発する言葉としては、些かドラマ性に欠ける。

タクシーは無言のまま高速道路をひた走り、わたしはじっと車窓を見つめていた。ストリップの巨大ホテル群が次々と流れてゆく。でも、わたしの向かうホテルはここにはない。目指すはオーリンズ、そこは華やかな大通りストリップから離れた場所にある。決して、初めてのラスベガスを過ごす旅行者たちが好んでチェックインするホテルではない。
20分少々で、タクシーはオーリンズのフロント側玄関前に止まった。彼は、わたしを降ろすことに専念するあまり、腰を落ち着けたままの荷物にまでは気が回らないらしい。いや、間違いなく気が回らないふりをしているだけだ。この国では無償で他人に肉体労働を求めてはならない。〆て25ドル。強く握手を交わして別れる。

玄関から一歩足を踏み入れると、そこはもう確実にラスベガスだった。
目の前に広がるスロットマシンと、カップを持ちながらさまよう連中。フロアもでかけりゃ奴らもでかい。左手を見ればコーヒーショップ「シアトルズベスト」、そして右手にフロントがある。もちろん、わたしの向かうのは右。そのフロントへと歩きながら、わたしは見た。スロットマシン越しに光る "POKER ROOM" のネオンサインを。
チェックインを済ませて、指示された通りエレベーターホールまで向かう。この角を曲がればエレベーターホールまですぐという通路の脇で、わたしは立ち止まった。頭上には大きなネオンサイン。そう、目の前に広がっているのは、たしかに夢にまで見たラスベガス、しかもオーリンズのポーカールームなのだから。
しかし、その夢のような光景であるはずのオーリンズのポーカールームを目の当りにして感じたのは、ある種の違和感だった。なにかが違っていた。そしてそれは、タクシーに乗った時からずっと感じていたのと同じものだった。これは一体なんなのか。
セキュリティを抜け、エレベーターに運ばれながら、ひとり腕を組む。

隔離された空間、グリーンフェルト、そして鋭い目つきのプレイヤーたち。これがわたしのイメージするポーカールームだった。その点において、オーリンズはすべてを裏切っていたといえる。
隔離された空間ということから言えば、そこはただ、ワインレッドの綱がめぐらされている程度で、他のフロアと明確に仕切られていないようにみえた。すぐそばには耳障りな音を発するスロットマシンが置かれ、まるでスロットマシンのフロアの一角にポーカールームの居場所が与えられているような印象さえ受ける。一方、テーブルをみれば、ポーカーテーブルというと真っ先に思い浮かべるあの緑、グリーンフェルトはどこにも見当たらず、そこにあるのは小豆色を基調とするしっとりと落ち着いたテーブルばかり。
しかし、わたしが覚えたのは、こうした構造上の違和感だけではない。そこでは、おそらくいつも通りのゲームが行われているはずだった。とくに賑やかでもなく、とくに殺伐としてもいない。わたしが来る来ないに関わらず、当然のことながら、ポーカールームはいつでもそこになにげなくあって、そこは毎日仲間と会話を楽しむために、または軽い娯楽のために、あるいは単なる時間つぶしに、地元の常連客たちがぶらりとやって来る場所であるはずだった。一瞥したところ、目つきの鋭い殺気だったプレイヤーなどひとりもいないようにみえた。
ずっと今回の渡航を心待ちにし、そして期待に胸膨らませて旅立った自分。ある種、ラスベガスという場所そのものを聖域化しすぎてしまっていたのかもしれない。もっと、人びとが非日常を楽しんでいるところであってほしかったのである。だが、彼らは違っていた。そこには紛れもなく、変わらぬ日常の風景が広がっていたのだった。
今見た光景と、タクシーの運ちゃんの顔が明滅する。空回りする気合いが虚しい。

「おまえはここで何をしている?」

12階を告げる音とともに、思考はそこで途切れた。


1206号室。
ホテルの外観に負けず劣らず、その部屋も広かった。清潔感漂うオフホワイトの室内に入ってからまず目に飛び込んできたのは、でんと構える立派なベッド。枕なんか3つもある。そして上を仰げば高い天井。スーツケースをソファの脇に置き、カーテンを思い切りよく開け放つと、疲れたからだには少しこたえる強い日差しが窓の外からこぼれてくる。
その大きな窓からは、ストリップ沿いに立ち並ぶ巨大ホテル群を望むことができた。タクシーからみた時にはあれほど巨大に感じられたその建物も、一歩離れたここオーリンズから見ると、まるで子どもの遊ぶミニチュアのようだ。不意に「虚構」という言葉が脳裏をよぎる。
心配していた風呂場、もといバスルームも見たが、排水はとくに問題ないようだった。ひとつ難を言えば、シャワーの着脱が出来ないこと。隣り合う洗面所には、事前の情報とは違ってドライヤーもあり、上々である。
ずっと機内に詰め込まれていたためか、広いバスルームを見るや居ても立ってもいられなくなり、羽織っていたデニムのジャケットとラグランTを脱ぎ捨てた。目をつぶって熱いシャワーを浴びながら、重たかった意識が徐々にはっきりしてくる。からだの汗と一緒に、さっきまでの感傷や違和感も流れ去っていくのを感じる。
今日から、わたしにとって素晴らしい休日が始まるはず。次第にそんな気がしてきた。スケジュールは何も決まっていない。決める必要もない。ただ、好きなポーカーをすればいい。そんな生活。
コックをひねり、シャワーの勢いを上げた。


カウンターで手続きを済ませ、隣の窓口でT/Cをチップに交換してもらうと、ようやくポーカールームにいる自分を実感することができた。そこは、部屋へ向かう途中に見た時よりも人が増え、活気づいているようにみえる。20以上あるテーブルのうち、半分程度は埋まっているのが分かった。数人の順番待ちがあったので、自分の番が呼ばれるまでは壁に取り付けられているハウスルールに目を通し、ポーカーに興じる人たちを見て回ることにした。
この日に開いていたゲームは、オマハハイローがワンテーブル、残りはすべてテキサスホールデムであった。レートは6-12がショートで行われていただけで、あとは4-8しかない。広告では多くのレートを宣伝していただけに、少々裏切られた気持ちがしないでもないが、始めから高めのレートに手を出そうとは思っていなかったし、なにより好んでオーリンズにしようと思ったのは他ならぬわたし自身である。甘受すべし。

4-8のテキサスホールデムに入るため、ミニマムバイインが40のところを、300バイインしてみた。すべて茶色の縁取りがほどこされてある1ドルチップにしてもらうと、ラックにして実に3ケース。なめられないためにも気合いを入れてみたのだが、こうして実際に持ってみると多すぎるような気がしないでもない。
ほどなく、カウンターにいるフロアパースンに呼びかけられ、指定のテーブルへと歩を進める。各テーブルには通し番号がつけられており、わたしのテーブルは2番。待ちに待ったラスベガスデビュー。白のG-SHOCKは、10時半をさすところだった。


ゲームはフルテーブルで行われていた。両隣のプレイヤーに軽く挨拶してから、チップをすべてラックから外し、積み重ねる。その間、1人挟んだ左隣に座っているディーラーから、ブラインドを次のゲームでポストするかと尋ねられたので、ボタンの過ぎた位置でポストすると告げ、しばし待つ。待機している間も、テーブル上はオンラインとは違って退屈しない。なにしろ、すべてに動きがあるのだから。中でも、近くにいた本場のディーラーの動きは新鮮で、しばらく楽しませてもらうことにした。
まず、彼らはみな、小豆色に濃いストライプが入ったユニフォームを身につけている。このテーブルで出会った最初のディーラーは、チップを受け取る時の仕草に愛嬌のある、寡黙な年配のかたであった。鮮やかな手さばきでカードを操り、手際よくチップをまとめていく。すると、わたしのすぐそばで、金属製の落としぶたが開かれ、その上にのっていたチップが一瞬にして吸い込まれていくではないか。レーキ徴収の決定的瞬間である。テーブルの下に埋め込まれている箱の中に、こうしてチップが蓄えられていくというわけだ。
ふとレーキが気になったので、立ち上がって、通し番号とは別にはめこまれている細長いプレートをみる。これはストラクチャを示すプレートである。ブラインドは$1-2、レーキは5%(MAX $3)とあった。妥当な線といって良かろう。
カードが、小豆色のテーブルを滑る。外から見た時には気付かなかったが、生地にはカードのスーツが織り込まれている。よくよくみると、悪くない。

テーブルを見るのに飽きると、視線を上げてプレイヤーの観察へと移る。
すぐ右隣にいるのは中東系の顔立ちをした色の浅黒いがっしりした陽気な青年で、喋る英語のイントネーションに特徴がある。よく目立つ典型的なルーズアグレッシブで、このテーブル一番のやんちゃプレイヤーだ。とはいえ、きちんとセオリーを押さえているのはすぐ分かった。なめてかかると手痛い傷を負うことになろう。
彼の隣にはラフな格好をした無口な親父。ルーズで、しかも人を見てつけこんでくるところがある。この手のタイプには、決して弱気を見せないことだ。また、コールすると決めたら徹底的にコールしてくる打たれ強いタイプだから、ブラフは下手にせぬほうがよいかもしれない。
その隣には、親しげにジョークを言い合ったり、カクテルガールやフロアパースンに対して頻繁に注文をつけたりしている常連客らしき老人たちが鎮座していて、このテーブルの和気藹々とした穏やかなムードづくりに一役買っている。プレースタイルは基本的にタイトでパッシブだが、とりわけ口数の多いばあちゃんがスーパーABCタイト。彼らは、お互いに勝つためではなく、楽しい時間を気のおけない仲間と一緒に過ごすためにやって来ている。いきおい、ソフトプレーに走ることになる。セットであっても、ヘッズアップで打たれたらck-call。勿論、リバーでのチェックレイズなどは一切してこない。こんなプレー、常連じゃないこちらからみたら、まるで間の抜けたホームドラマに無理矢理つきあわされているみたいで、面白くもなんともない。彼らにぶつかっても、10や20の小さいポットを争うことになるのが関の山である。打たれたら、さっさと降りてやることにしよう。
打って変わって、わたしの左手につけるのは、ぶつぶつとぼやきの多い初老の白人男性で、さきほどのご老人たちと同じく、この時間 -平日の午前中-にぴったりはまるタイプのプレイヤーである。ルーズなくせに自分はタイトだと思いこんでいる典型で、ck-call ck- call ck-foldを繰り返し、かなり負けがこんでいる。財布から取り出す50ドル札はこれで何枚目になるであろうか。
そのぼやきじいさんの隣には、ディーラーを挟んでサングラスをかけた無口なタイトプレイヤーが2人並ぶ。とくに後ろのプレイヤーは、地味ながらも勝っていて、このテーブル一番の要注意人物とみた。ポーカーではこうした地味なプレイヤーが一番怖い。なるべく直接対決はしないほうがよさそうだ。
彼らのすぐ隣にはアジア系と分かる険しい表情をした兄ちゃんが座っている。彼も、さきほどのやんちゃ兄ちゃんと同じくルーズアグレッシブだが、ひとつだけ違うのは、感情の起伏が激しいことである。気に入らないゲームがあると、早口でまくしたてるという癖があった。ただ、彼の性癖に周りは慣れている様子で、格別不愉快さを漏らす人はいない。
その彼の隣には、同じくアジア系のプレイヤーが座っているが、おこりんぼ君と違い至って無害。年齢不詳の彼は、自慢の黒髪をオールバックにしているのが特徴だ。
わたしの初めてのラスベガスにおけるライブポーカーは、こうしたプレイヤーたちのいる中で始まったのだが、その記念すべきテーブルで交わした最初の会話は、左隣のじいさんのぼやきに対する慰めの"That's too bad."だった。折角なら、もう少し明るいプレイヤーとましな会話を交わしたかった、などとは言うまい。

カットオフからブラインドをポストした後、わたしはなるべく目立たないように、徹底してタイトにプレーしていた。30分ほどで、勝負にいったのはAKの1度だけ。全体的にルーズで、ポジションによってはコール出来る手札もまわってきたが、生真面目なほどすべて降りた。
メンバーもぽつぽつと入れ替わるなどして小1時間ほどが過ぎたとき、ボタンでJJが入った。アーリーからおこりんぼ君がワンレイズ入れてきたのでコールし、フロップは6d-7-Jd。彼がベットしたが、コーラーが2人ついてきていたのでフラットコールにとどめる。ターンはAで、再び彼がベット、挟まれた2名がともにコールしたのを見て、レイズ。すると、彼がリレイズしてきた。ついてきたコーラーは耐えられずにすべて降り、さらにかぶせてヘッズアップ。リバー、ダイヤの7。最後までベットをやめないため、ここはAAを確かめるために「お伺いレイズ」をすると、彼は若干間をおいてリレイズしてきた。この瞬間にAAはないと判断し、もいっちょレイズ。結果、やはり彼はAAなど持っていなかった。その代わりに見せられたのが、もっと悪いペア。7と7。

スーパータイトなばあちゃんが去った後に、のばしかけの口髭がおとなしそうな印象を与える青年が入ってきた。その彼が入ってすぐ、待ち望んでいたAAがsbで入る。リンパーにしっかりレイズしたが、bbと合わせて4名コール。そして迎えたフロップはすべてローカードのレインボー。ここはチェックレイズを無理に狙わず、だましのつもりでストレートに打ってみた。すべてのプレイヤーにコールされてターン、K。理想的。ここでチェックの小技を使うと、隣のじいさんはチェックしたが、サングラスがベットしてきた。髭コール。ひとり降りて、わたしのアクションはチェックレイズ。サングラスを含めた3人すべてコール。リバーもローカードで、もちろんベット。じいさんが降り、サングラスはしばし動きを止めたがコール。髭はフォールドした。AAを開くと、相手は頷きながらKを1枚だけ開いて、マックした。


夜、メンツはすっかり様変わりしていたが、引き続き基本から外れないプレーをし、運にも助けられて、当初300から入ったチップを大幅に増やすことに成功した。テーブルには、よくヤフーで見かけるようなルールも知らずにプレーする輩はひとりもいなかったものの、特別に上手いプレイヤーもおらず、活発に会話の飛び交うタイト目で和やかなムードである。始めは決してやらなかったポジションレイズまでかまして、目下やりたい放題。なにせ、目の前には25枚ずつ積まれたチップの束が20本以上あるのだ。アグレッシブにもなろうというもんである。何度か、1日3万稼げるならこの世界でやっていける、と本気で思った。
ゲームだけではなく、周りのプレイヤーとの会話も楽しいものだった。品のいいご婦人に、2度3度と「いい小遣いを持って帰れるわね」と手を握られたのに気を良くして、これまでつとめて話しかけるのを避けていたわたしも、周りのプレイヤーとコミュニケーションをとり始める。
見慣れぬ黒髪の若造がこんなに稼いでいることに対して素朴に興味を持った、彫りの深い精悍な顔立ちの白人青年から「このゲームをどこで覚えたのか」と尋ねられれば、テキサスホールデムは主にネットや書籍で学び、自分に限らず日本でも少しずつシリアスなホールデムプレイヤーが出始めていると答える。いくつか本の名前を出すと、いたく関心している様子だった。
また、さっきからずっと左隣に座っていてこうしたやりとりを聞いていた恰幅のいい中年女性に「日本のどこからきたの?」と流暢な日本語で話しかけられれば、面食らいながらも素直に答える。しかし、彼女が日本語を上手く操るのは当たり前。ゲームについてこれまでずっと英語で喋っていたから、てっきり現地の人かと思ったが、れっきとした日本人だったのである。そのWという彼女からは、ベラージオのポーカールームを強く勧められた。近くそちらにもプレーしにいくつもりだと言えば、あそこはたばこの煙もなくてきれいで、ポーカーをするのに最高の場所だ、と屈託のない笑顔。
そう、すべてが良い方向に回っているようにみえた。

だが、そんないいことが続くわけはない。この国の諺にもある通り、"All good things must come to an end."である。
明け方の4時頃、フロアパースンがコンプの管理をするプレイヤーズカードをつくらないかと勧めてきた頃には、徐々にだが確実に押されていた。テーブルも、チャイニーズの多いややアグレッシブな傾向へと転じ、間歇的に訪れる救いがたいほどの眠気と重なって、手持ちのチップも500前後まで削られてしまい、事態を打開する手がかりをなかなか掴めずにいた。その隣で、いつの間にか戻ってきた中東系の陽気な兄ちゃんが、うたた寝しながらレイズしている。ほとんど夢遊病者に近い。

その兄ちゃんとのヘッズアップ。手前すべてのプレイヤーが降りて、ボタンの彼がレイズ。sbにいたわたしは、bbを落とすためにAKでリレイズ。なんとかbbにいた小太りのチャイニーズの親父を降ろしてヘッズアップにこぎつけたが、出たフロップは忘れもしない3-4-Q。ck-bet、Qなどないとみたなごやんはコールで応じ、ターンはQ。この瞬間、アクションは決まった。チェックすると、予想通り兄ちゃんが再びベット。これに対し、わたしはフォールドではなくチェックレイズ。すると、彼はさらにレイズをかぶせてきたのである。こうなっては寒すぎてコール出来ないので、「Q持ってたんだね」と言いながら手札を捨てると、嬉しそうにA7oを見せつける彼。
つまり、こういうことである。彼は、相手をブラフと読んで入れたこちらのチェックレイズをブラフと読み切り、さらにブラフのレイズを仕掛けることによって、こちらがコール出来ない状況へと追い込んだのだ。この状況下ではコールしても自分に分がないと直感した上での苦肉の策といえよう。まんまと一杯食わされた。
こんなプレーの出来る人は、これまでわが国にいるときにはお目にかかったことがない。振り返れば、この男、手に何もない時ほど強気に打っていた。You're going to get it!

次に見過ごせないほどの被害を受けたのが、明け方の6時すぎ。メリハリのある上手いプレーをしていた白人の兄ちゃんがアーリーでレイズしてきたことから、その悲劇は始まる。第1の恥は、普段ならばまずあり得ないはずが、眠気と疲労がたたったのか、ボタンとはいえA9oのような中途半端な手でコールしてしまったこと。
フロップ 2-6-9 でベットされ、わたしのアクションはレイズ。ターン、6。今度はチェックしてきた。そこで勇ましくベットしてしまったのが第2の恥。彼、少しこちらを睨んでからレイズ!そして最後の恥は、これに対し明らかなコールドコールをしてしまったことである。リバーは何か覚えていないが、兄ちゃんがTTのワンペアで勝ったことだけは覚えている。もはや、90年のツナ・ランドを馬鹿にすることはできない。


結局、ポーカールームをあとにしたのは10日の午前11時半。その間、水分ばかり摂っていたのにも関わらず、トイレすら行かなかったという。もちろん、食事などまったく摂っていない。ただひたすら、丸1日以上も同じ席に座ってポーカーに没頭していたのである。これぞ堕落の極致。
とはいえ、気分は悪くない。初日を148ドルのプラスという結果で終えることができたのだから。ポケットの中に詰め込んだ大量のクオーターを含めると、150ドルは優に超えているはずだ。

部屋に戻るや否や、ホテルの白いカードキーを投げ捨て、ラングのジーンズに現金を突っ込んだままベッドに埋もれた。


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