研 究 室    

授業つくりを考える会・・・・・はじめ、教科研の「授業づくり部会」に入っていましたが、「授業づくり部会」の方向性がおかしくなったので、 退会して、かってに、『考える会』をつくりました。その後、「授業づくり部会」も教科研から脱会しましたが、私は、一人の教師として、『授業」にこだわりつづけたいと、「授業づくり通信」を出し続けています。例の藤岡信勝との交流は、ここが基盤でしたが、彼との出会いは、彼からの長文の抗議文に始まる。

数学教育協議会・・・・・・東海地区協には、ゼロ回から参加しています。全国大会の初は、佐賀県嬉野大会です。このとき、歴教協大会の道後温泉から広島に渡り、そこから夜行列車に乗ったのです。この列車には、遠山啓先生も乗っていた(寝台車ではない。固い座席でしたよ。)。この時、私を遠山先生に紹介してくださったのが、静岡大学の馬場先生でした。下車後、共に食事をとったのですが、このときの遠山先生の印象が、私を数教協にのめりこませたと言ってもよい・・・・

歴史教育者協議会・・・・・新卒2年目くらいから、東新町の喫茶店で、あの小出隆司さんとサークルをしてました。2人きりだったこともあったっけ。全国大会の最初は札幌の大会だったかな。独身でした。作文の会も出でたっけ。いや、この時は大江志乃夫氏の講演を聞いただけ。帰りには東京での科教協にも行ったよ。歴教協は、札幌、沖縄、道後、名古屋の大会ぐらいで、すっかりご無沙汰です。でも、今も例会にたま〜に出たりもしているけど・・・・・・。

教育科学研究会・・・・・全国大会は犬山大会だけでなく、何回か参加した記憶があるけど・・・。普段は、愛知教科研にできるだけ参加しているけど、近年、例会日を、算数サークルと違えてもらえたので、せっせと参加するようにしている。                                                                                           
授業のネタ研究会
・・・・・日書の瀬谷さんに誘われて?創設期から参加している。参加しているといっても、会費を納めているだけ。 第1回のネタ研大会では、パネラーとして参加したが、会に貢献するようなことはできていない。一応、地方理事とかに今もなっているのかな?

近現代史授業つくり研究会・・・・・初期からずっと参加し、最新の貴重な資料を提供してもらっていたが、活動の中心が中学校のため、退会した。  でも、資料は膨大で、ダンボール4箱くらいある。 どなたか引き取ってくれませんかね。

極地方式研究会・・・・・・発会当初から会員になっていた。高橋金三郎に惚れてのことです。当時、愛知県には会員が3名しかいませんでした。極地研の主催する研究会には1回しか参加していない。大阪・門真市での全授研との共同大会でした。北大グループの面々が理論を展開していて、若かった私はチンプンカンプンでした。

日本作文の会・・・・・民間研究団体との出会いの最初は作文の会になると思う。新卒の年、地域のサークルに出かけて取り組んだのが、文集づくりでしたからね。石黒勝さんの手ほどきを受けた。 ただ、私の小学校(楠小)時代は、全校で日記を書くことをしていた。生活綴り方の流れにあったようだ。酒井育三という校長のときだ。 この方、全校の子の日記に毎学期赤ペンを入れていた。 後に、教師になり、開学百年誌を作るとき、尋ねたことがある。

学校体育研究同志会・・・・・もともと体育が苦手でしたが、松永道雄さんや堤吉郎さんとのつながりで関心をもつようになり、例会にも足を運んだりした。まあ、出原泰明さんのおだてに乗ったところもある。いずれにしても、体育会系と感じない体育教師が多いことに驚いたものです。

日本生活教育連盟・・・・・個人的な付き合いから出かけるようになったと言えようか。初めて愛知で全国大会を開く予備会議に若狭蔵之助が来るというので出かけた記憶にある。 ただ、2度の全国大会ともお手伝いをするような雰囲気でありながら、結局 本番では手伝えず、借りを作ってしまった状態にある。

科学教育協議会・・・・・全国大会へは3度くらいかな。 新卒2年目で、理科の指定校になったため、必死に学んだのが、科教協でした。

仮説実験授業・・・・・・指定校になった年、研修で、東京の成城小学校に出かけました。夜行バスでね。この時、庄司和晃や上迫氏の最先端の仮説の授業を見た。また、この時、初めて板倉聖宣に出会った。迫力がありましたね。以後、ずいぶん、仮説にはお世話になった。

日本文学教育連盟・・・・・私の出会った民主教師・田辺晃さんの影響で、文教連関連の書籍をよく読んだ。鳥羽での大会に出たことと、岩井氏の実践に心を引かれたくらいかな。

児童言語研究会・・・・名古屋児言研の伊能利夫さんとのかかわりが始まりかな。教科書学習会といえば、国語は伊能、算数は渡辺と、いつも顔を合わせた。文学教材は文教連方式、説明文は児言研方式と使い分けていたので、児言研の全国大会には参加したことはない。名古屋での集会だけです。

子どもの本研究会・・・・田辺さんから読書指導の手ほどきを受けた。大学時代まで、児童文学なんてほとんど手にしたこともなかったが、学習会にレポートをもってよく出かけた。子どもの本研究会自体は、名古屋に会が設立するまでの、準備段階での活動であったが、地元のいろんな文学者に出会うことができた。しかたしん・岸武雄・北村けんじ・赤座憲久・などなど みんな現場との結びつきを大切に活動していた。

全国教研・・・・・・オブザーバー参加。岐阜、岡山、水戸、大津、蕨、???    一番印象に残っているのは、八鹿高校事件のあった年に『民族分科会』に出かけたら、こわくて、足がすくんで立っていられなかった。あまりにも強烈でした。いつまでも忘れることはありません。