明音寺は後の2世住職となった一峯慶文大和尚が錫を留めた地に松島城主小笠原政行(松島政行)が外護檀越となり大伽藍を建立し、静岡市真珠院3世大仲霊乗大和尚を勧請し曹洞宗として開山された。享禄3年(1530年)2月のことである。城主が深く崇敬されていた弥勒菩薩を当山の本尊とした。

本尊弥勒菩薩坐像(室町時代作)

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 徳川時代になると幕府より御朱印4石を与えられ、3世大光文岳大和尚は長福寺、正全寺、守桂寺を開山した。寛永3年(1626年)4世在天芳存大和尚代に火災に遭い伽藍を焼失、5世月心秀全大和尚は堂宇を再建し中興となす。

 

 元禄期、8世格門慈越大和尚は明光寺、真福寺を開山、庫裡や現存する箕輪町指定有形文化財の山門などを建立し重興となす。

 

 享保年間、小笠原(松島)氏の末裔である浜松城奉行小笠原源太夫基長が明音寺を訪れ、歴代の位牌を納め先祖供養を行った。

 宝暦8年(1758年)13世太陽寛光大和尚代に再び災禍に遭い、山門と宝蔵を残し焼失するも、宝暦14年(1764年)に本堂、明和2年(1765年)に庫裡を再建した。

 

 文政期、15世大旭寛豊大和尚代に鐘楼を建立、公家富小路家の御祈願所となり、多くの宝物を今に伝える。

 

 文明開化の明治期に入り、21世徳應海順大和尚は廃仏毀釈の多難な時期を乗り越え、農地開発に尽力した。また、松本安曇に転寺した守桂寺の法地開山となった。

 

 大正期、24世普山徳順大和尚代に位牌堂を建立、また、松島の大火を受け、秋葉寺を再興開山した。

 

 昭和に入り26世大忍徳隆大和尚代は戦時下の国難の中、学童疎開を受入れ、戦後は保育園を始める。

農地解放にて多くの寺領が失われたが、戦争で供出した梵鐘の再鋳造や山門を銅板葺きにするなど復興につとめた。また、曹洞宗宗議会議員として選出、曹洞宗財政部長の現役中に東京にて遷化した。


 27世大俊徳明大和尚は本堂を解体復元、客殿、庫裡を建立し再中興となす。

 

 現住は28世大輪徳俊であり、3年間に亘る諸堂改修工事を行い、平成27年10月に晋山結制を執り行った。

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明音寺歴代住職(世譜)

開山 大仲霊乗  2世 一峯慶文  3世 大光文岳  4世 在天芳存  5世 月心秀全

6世 潭心傳龍  7世 黙弾白峯  8世 格門慈越  9世 月嚢春光  10世 廓山要門

11世 観定門能  12世 大光寛慶  13世 太陽寛光  14世 大千寛積  15世 大旭寛豊

16世 東嶺豊州  17世 禅格関山  18世 大潮海津  19世 大嶺祖賢  20世 龍巌法泉

21世 徳應海順  22世 大底海麟  23世 雪岳玄峰  24世 普山徳順  25世 大心徳雄

26世 大忍徳隆  27世 大俊徳明  現住 大輪徳俊