信濃札所第三十一番
  慈眼山 広福寺
住所 上水内郡中条村御山里
寺名碑と観音堂
お堂の山号額と寺名額
虫倉山と山里風景
広福寺観音堂
長野市の西方、虫倉山の山麓の中条村御山里集落にあります。地名の通りの山里です。
創建は不明ですが古くから高福寺という寺が有ったそうです。、寛永5年(1628)隣村の和尚が中興開基し広福寺に改名したようです。
江戸時代の弘化4年(1848)に長野市付近を中心とした大地震が起き、この山地には4万箇所を越える山崩れが発生、犀川の水をせき止め、谷間の集落20ケ村が水没、やがてこの水が氾濫し鉄砲水となって善光寺平を襲い、死者2270余人を出す大きな被害をもたらしたと伝えられています。この地震は弘化の大地震(善光寺地震)と呼ばれています。
虫倉山にも大きな山崩れが起き、村落の多くの家屋が押し潰され、寺も押し流されてしまったということです。
その後、村人の努力で再建され「乳出し観音」と呼ばれ厚く信仰されていたようですが、戦時中に荒れ果ててしまい、今の寺は最近信者の方々が浄財を集め再建したそうです。
今は無住寺ですが、こじんまりとしたお堂が建っていました。

広福寺観音堂
寺名碑と観音堂
お堂の山号額と寺名額
虫倉山と山里の風景
コース6の5番 32番札所椿峯山西照寺へ進みます
信濃32番札所 椿峯山西照寺へ