レボリューション 〜Bloody resolution〜
テーマ:「香水」
お題:「花」「逃避」「サムライ」「アルコール」「雫」



PM12:40『警視庁特命調査室』

 巨大な組織ほど、その内部で何をしているのか当人に分からない場合は数多い。働いている当人が、上の思惑を知らなかったり、その逆なんていうのはザラにあることだ。だが、会社と言うのは摩訶不思議なもので、時折企業の中にさえ、その存在さえ知らないなどといった怪しげな部署が存在していることもある。
 そういう物事は、大概は見て見ぬ振りをするのが通例である。自分に関係のないことであれば、無視して自らの業務に励む。それが正しい世渡りの法則でもある。詮索屋は嫌われるものだ。それが国家の誇る治安維持組織、警視庁であろうとも例外ではない。

「……すごいですね、これは……」

 コンピューターをいじくっていた男が、そう呟いて息を吐く。着ているのは白衣だが、胸元のポケットに付けられた身分証明が、この部署にいるべき存在である事実を悠然と語っていた。

「どう、大谷君?」

 静かな声が背後からかかる。大谷と呼ばれた青年は首を回し、背後にいるのが誰かを確かめた。それが自分の同僚たる中沢綾乃である事を確認すると、表情に興奮の色をにじませてあごで画面を指し示す。相手がそちらに注目を向けたのを確認すると、我慢できないとばかりに口を動かし始めた。

「すごい、なんて物じゃありませんよ! こいつには個人のDNAの中からその特徴が強いものを誘発し、今の自分と融合させる作用があるんです。遺伝子組み換えなんてメじゃない……。新生物の創造です!」

 変なスイッチが入ってしまったな、と中沢はため息をつく。大谷陣伍は特命調査室、つまり一連の化け物事件専門部署の中でも変わり者で、一種の天才である。
 生物学のプロフェッショナルである彼は、常々奇妙な生命体である存在に並々ならぬ興味を示していたのだが、そのサンプルを見ただけでここまでとは……。

「つまり、人間と他の存在のあいのこ、みたいな感じなのね?」
「まあ、そういうことですね。こんなものを作り出すなんて……。一体これはどういう仕組みなんだか……」

 標的を見つけたハンターの如く、文字通り存在に夢中になってしまった大谷を止める方法を、少なくとも中沢は持っていない。かといって、このまま奇妙な会話に付き合うのも流石に辛い。理由を一つ考えて、すぐに思い至る。

「じゃあ、大谷君。もう少し調査のほう、お願いね?」
「任せておいてください」

 言葉を一つ継げて、中沢はその場を後にする。行く先は決まっていた。


 AM12:55『文月 漣』

 どういう経緯で、自分がここにいるのか。とりあえず気を失った後の状況が分からないまま、漣は周囲を見回してみる。暗い灰色のコンクリートの壁、高い位置にある小さな窓には鉄格子、中央には飾り気のないスチールのテーブルと、パイプ椅子が2脚。唯一の飾りのように置いてあるのがデスクライトだが、それは自分のほうに向いている。典型的な取調室、といわんばかりの状況がそこにはあった。
 いくつか予測できる部分はあるが、とりあえず他にすることもないので考えてみる。あの時、周囲には警官隊がいた。俺は変異の限界時間を迎えて、誰かの前で気絶して……。
 そこまで考えて止めにした。どう頑張っても精神的に面白くない話だし、そもそもタオル一枚と量販店で買ったようなシャツにズボン、スニーカーまでそろえられている状態から考えてそれ以外が思いつけない。もちろん、裸でいるほうがアレなのでありがたく服には袖を通したが。

(俺は、どうなるんだろう……?)

 平凡な日常は、最早はるか彼方にぶっ飛んでいる気さえしてくる。まあ、そもそも変異溶液を飲めば即座に変身可能な人間を捕まえて、平凡な普通だと言う方がおかしいのかもしれない。
 しかし、漣は人間である。肉体は別でも、精神はそのつもりだ。だから少々話がややこしくもなるのだが、問題は他の人がそう思うか、だった。人類が自分と比べて異質な存在に対してどういう対応をするか、知らないほど馬鹿な大学生ではない。
 自己嫌悪に陥りかけたところで、ちゃっと小さな音を立ててドアが開いた。思わず身構えかけるが、こんな場所に来るのは警官しか居ないだろうと己を納得させる。自分はよくよく考えれば被害者のはずで、警察に泣き付いてもいい立場のはずだ。まあ、その後正当防衛で二匹ほど生物兵器を殺しはしたが。

「そんなに硬くならないでいいわ、文月漣君。私は、警視庁特命調査室の中沢 綾乃。階級は、いらない部署だから省くけど……」

 眼鏡にちょっと手をやりながら、入ってきた女性は告げる。ふわり、とスミレに似た花の匂いがかすかに漂う。あの戦いのとき、最後に目にした人の顔だと、漣はすぐに思い出すことができた。


 PM01:25『中沢 綾乃』

「……それで、自分が何をされたかは覚えてないのね?」
「はい……。あの溶液だけを持たされてました」

 問いかけた中沢の言葉に、少しだけ考えてから素直に答える漣。意外なことに、自分を助けてくれた大学生は捜査に協力的だった。彼の前には、先程食事とした食べた幕の内弁当の残骸が転がっている。命を助けた礼が食事と衣類で済むのなら安いものだし、それがいい印象を与えているのならばなおよい。
 彼の話を総合すると、要するに体を改造された方法までは分からず、持っていた無数のガラス瓶と魔法瓶に詰まった変異溶液は自分を改造した誰かに持たされたものらしい。そして、それを狙って謎の組織から生物兵器が追っ手としてやってくる……。考えてみれば、彼もまた被害者であった。普通と違うのは、追っ手に対抗できるのが彼一人、と言う状態なのだが。

「現状から言うと、追っ手に対抗できるのは君一人だし……。しばらく、身元は預からせてもらうけれど、いいかしら?」

 問いかける理由はない。このまま拘束することも警察としては可能だ。それをあえて問いかけるのは、命を救ってもらった恩義もあるし、彼が捜査に協力的であることも理由になる。被害者に優しくするのは中沢の流儀だが、協力的な相手に対して融通を聞かせるのは警察の手法でもある。どちらの理由から言っても、高圧的になる理屈がなかった。

「あの、理由はわかるんですけど……。でも」

 僅か、漣が言いよどむ。眉間にしわがより、象る表情は困惑のそれ。調書をとっていれば、その理由は思いつく。
 自分をかくまえば、生物兵器がここを襲撃する……。大学まで血の海にされている分、彼の心にあるガードはかなり固い。それに対しては、中沢も強くはいえなかった。そのまましばし無言の時が続き、ふっと顔を上げて……。目を、疑った。
 鉄格子に、黒い何かが絡まっている。先ほどまでは何もなかったはずで、ツタの類でもない。と言う事は……!

「漣君!」

 声を上げ、中沢は漣の手を引いて横に転がす。抵抗もなく横倒しになった彼が今までいた場所を黒いものが通過し、スチールの机に突き刺さる。見たところ管のようではあったが、嫌な予感が抜けてくれない。
 程なくして、スチールの机に穴が開いた。しゅるしゅると音を立てて、それは窓のほうへ戻ってゆく。

「相沢さん! 薬を!」

 転がって立ち上がりながら、漣が声を上げる。中沢がポケットをあさり、茶褐色の瓶を取り出したとき、轟音を立てて鉄格子ごと、壁が吹き飛んだ。
 そこにいたのは、黒光りする装甲を鎧のようにまとう姿であった。各所には隙間があって行動には支障がなさそうに見え、鈍重そうに身構える姿には隙がない。中世の全身鎧のようにも見えたが、頭部中央に陣取る巨大な角と、その横にはえている2本のしなやかな触覚が、彼女にあるものを連想させた。

「まさか、カブトムシの……」
「……多分」

 相沢の声に、漣はそう答えつつ。茶褐色の瓶をひねって口にする。最後の一滴まで飲み終えると、彼の体がぶるりと一度、震えるように見えた。


 PM01:40『ケツイ』

 漣がプロト・ヴァースドになる様を、相沢はじっと見ていた。目を離すのがいけない事のように感じたからだ。うずくまった状態から立ち上がるまで、相手もじっと待っていた。まるで、それが流儀であるように。

「お前は……。カブトムシのヴァースドだな?」
「ソウダ。ナハジェット・リッパー」

 プロトと、ジェット・リッパーはそう名乗ると同時、動き出した。プロトが前蹴りを繰り出そうとしているのを見越し、ジェット・リッパーは頭をさげた。そのまま、金属がこすれるような音を立てて頭の角が伸びる。身をひねって回避したプロトの横で、金属製のドアがまるで紙のように貫かれた。

「そいつが……!」
「ソウ。オレノ『ブラッシュ・サーベル』ダ!」

 サーベルを戻しながら告げるジェット・リッパー。近遠に対応する、と言うよりも威力の向上のために加速しているであろう角を振りかざし、突っ込んでくる。刺し貫かれることだけは避け、相手の頭を右脇に抱える。そのまま右手で頭を締め上げるプロトだったが、相手の突進はそんなものでは終わらなかった。すぐさま壁に叩きつけられ、体から一瞬力が抜ける。

「オオオオオオオオッ!」

 吼え声と共に、ジェット・リッパーは更なる気合を込めた。プロトごと一度身を引き、壁へと叩きつける。再度の打撃でコンクリートの壁をぶち砕き、廊下の壁に叩きつけた。
 そのまま次の目標目指して突き進むジェット・リッパー。相手の狙いを理解し、右手を離すプロトだったが、すぐさまその胴体に、角の脇に生えていた二本の触手が巻きついた。頭の触覚で完全に体を固定し、もう一撃とばかりに頭を振り、廊下へプロトを叩きつける。

「この、おっ……!」

 押さえられた状態をどうにか脱出しようと、首筋を狙って右肘を落とすプロト。それでも駄目と見るや、次々に打撃を叩き込む。だが、どれだけの打撃を叩き込もうとも、全身を堅牢な装甲に護られたジェット・リッパーには効いた様子がない。逆に体を振り回され、床といわず壁といわず叩きつけられる。
 相手の動きが多少弱ったと見るや、ジェット・リッパーは再び走り始めた。見たこともない警視庁の内部を真っ直ぐに突き進み、破壊する。邪魔するものなど許さない、嵐のような行軍であった。

「いつまでも……。調子に乗るなあっ!」

 だが、プロトもやられてばかりはいない。時折壁に叩きつけられる衝撃に耐えながら、右手を振り、鞭を引きずり出す。そのまま背中を数度叩くも、ジェット・リッパーの体には僅かな傷がつくだけで、ダメージを負った様子はない。

「オワリダ、シネェェェェッ!」

 壁を何枚ぶち抜いた頃だろうか。強く声を上げて、ジェット・リッパーが突っ込んだのは窓だった。ガラスを砕きながら、二つの影が空へと躍る。このまま地面に叩きつけられれば、いかに強化されているとは言えただではすまない。

「死んで……。たまるかあっ!」

 プロトは声を上げながら、右手を天へと振り回した。が、と僅かな手ごたえと共に、鞭の先端が警視庁ビルの外壁に突き刺さる。ずるずると手の中から鞭が引きずり出され、二メートルほどの処でとまった。どうやら、これが限界の長さらしい。
 体勢を直していなかったのが、ジェット・リッパーにとって仇となった。固定するために触角を胴に巻き付けてはいたものの、それは体をその場に固定するだけで行動阻害の役には立っていなかったのである。
 二人分の重量を受けて、一瞬だけ鞭がきしむような音を立てた後。プロトとジェット・リッパーを繋いでいた触角が、中ほどからぶちりと切れた。重力に導かれ、黒い鎧甲が地へと落下してゆく……!

「オオオォォォォ……ッ!」

 ズン、と重い音がこだました。プロトは外壁から鞭を引き抜き、そのまま自分も自由落下を開始する。足元には、ジェット・リッパーの姿があった。

「クッ……!」
「でえりゃああああっ!」

 衝撃の余り僅かなめまいを起こし、首を振っていたジェット・リッパー。その状態の彼に、急降下しながら仕掛けるプロトの蹴りを逃れる方法など、なかった。ばがん、と鈍い音がこだまし、背中の装甲が砕け散る。

「あんたみたいな敵ばかりだったら……。俺もひっそりと生きる道を選んだかもしれない。けどな……!」

 プロトはそう告げながら、装甲の隙間に鞭を突き刺す。細胞死滅命令を出され、ジェット・リッパーもぶすぶすと煙を吐き出し始める。やがて、こいつも灰になるだろう。その様を見詰めながら、思う。
 自分の身を守るためには、もうこれしかないのだ、と。

「逃げられないなら、自分を信じて戦うだけだ。真っ向から戦ってくれるとは思わない。侍みたいな奴が、そんなに多いとは思わないからな……」

 あんたみたいに、とは口の中で呟き、プロトから漣へと体が戻ってゆく。戦闘状態の終結が、肉体が元に戻る条件のようだ。
 背後から響き渡るサイレンや足音を聞きながら、漣はゆっくりと決意を固めた。それが血潮の川だとしても、渡るより他ないのだと。



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