レボリューション〜The deadman crown〜
テーマ『王族』
お題「宿命」「血」「戦乙女」「誇り」「社会」



 AM09:30『警視庁特命調査室』


 第一報が出回ってから、ここは休みなく動いていた。警察と言う組織は官僚社会である以上キャリアと呼ばれるある一定の試験をパスしたものが上にいけると言うどうしようもない抜け道があり、そのせいか内部でも汚職やら天下りやらが起こりやすくなっている。
 だが、いつの世の中にも例外と言うものは存在する。
 警視庁の一角、通常の操作体系から切り離された部署があることを知るものは少ない。

「……例の件ですが……。いくつか絞り込めました」

 制服警官の一人が、資料を出しながらため息を吐く。緊張と言うより、何かに恐怖している、と言うほうが正しい有様だ。
 資料を受けとるのは、柔らかい手。長く伸ばした髪を後ろで結び、フレームレスの眼鏡の奥には深い知性をたたえた瞳。全体的に柔らかなつくりの表情をしており、均整の取れた体つきは警察などと言う部署にいるのが信じられないほどである。
 しかし、彼女はそこに凛とした存在感を放っていた。荘厳な鎧兜に身を包んでいれば、戦乙女と形容されてもいいほどに。

「遺留品などから割り出せたのは、これで全部ですか……」
「はい、中沢警視……」

 制服警官のたどたどしい返事に、中沢はゆっくりと表情に笑みを浮かべた。それだけで、張り詰めていた空気が和らぐかとも思えるほどのものでさえあるが、がちがちに緊張していた警官の方にはそれを感じ取る余裕がない。

「特命調査室は、警視庁からは一応外されてますから……。いいですよ、階級はなしでも」
「ですが、階級は階級です。では、これで失礼します」

 その言葉に、制服警官の方は一度びしりと敬礼をしてから歩き去る。彼が堅物と言うのではなく、警察とは文字通りの縦型階級社会である。この辺り、彼を責めるわけにもいかない。
 去ってゆく警官を見送り、分厚いジュラルミン製のドアが閉まってから資料をテーブルに流す。一緒に入っていたフロッピーをパソコンにセットし、データを読み込むと中央部のディスプレイに同じものが表示された。

「……これで、表向きの調査データは集まりました。これから絞り込みに入るわけですが……」

 中沢がそう告げると、それぞれ作業中だったものたちが中央デスクに集まってくる。
 これで捜査に進展が出る、とはいえ。まずは何からしたものか。それを決める会議がこれから行われようとしていた。

 

 AM10:20『文月 漣』

 あの戦慄の夜から一夜明けて……。
 どうにか非日常の世界から脱出した漣は、一人いつもの日常に帰ろうと大学のキャンパスを歩いていた。肩に筆禍糧いるリュックはいつもより巨大で、重い気さえする。まあ、今日は教科書を使わない授業しかないのでこんなものを持ってくる意味はそもそもないのだが、それでも何故かリュックを担がないと落ち着かなかった。

「……何、なんだよ……。あれは……」

 小さな声で呟く。昨日はどこか理性のねじがぶっ飛んでいたせいで理解する前に体が動いたが、改めて落ち着くと恐怖が染み出てくる。自分は異形の生物になってしまい、そんな怪物はごろごろいるのだ。恐らくは、自分がそうされたあの場所から生産されるだろう。おまけに、狙われる原因は自分が持っている。これ以上ないくらいに詰みの形である。
 最悪なのは、この状況を他人に告げたところで周りの様子がまったく変らないと言うことだ。むしろ、巻き込む形になる分悪くなると言うほうが正しい。誰かに相談できるわけでないし、ため息しか出ないと言う現状にもまあ頷くほかない。
 一応食堂も兼ねているカフェテリアに落ち着き、リュックサックから取り出すのは小瓶。ガラス製で色は褐色、よく栄養剤とかが入っていそうなものだ。胡散臭さではこれを上回るものは早々ないだろう。

「……多分、この中に入ってるのは……」

 瓶をじっと見詰めながら、呟く。昨日の蜘蛛の言い分からして、この中に入っているのが例のセルと言うことは疑いようがない。しかし、護身のために全部担いで着ているとは言っても、これをどうしたらあの姿になれるのだろうか。自分から進んでなりたくはないが、知っておかないと何か危ない気がした。何せ、相手は人ではない妙な生命体なのだ。

「警察に言うわけにも……。だよなあ……」

 唐突に思いついた妙なアイデアに、思わず笑ってしまう。もし通報したとして、警察機関がこういう物で頼りになるのだろうか。治安維持をする期間であり、自分が日本の国民であるとはいえ、彼らは怪物の存在など知らないのである。

「せいぜい虚言癖と思われるのが落ち、か……。証拠も揃ってるけどな……」

 はは、と浮かぶ乾いた笑み。頭を振りたてて周囲を見やると、そこで眉をひそめた。
 そろそろ昼時で、大学の食堂も兼ねるここにはかなりの人が入ってくるはず。いつもは人がごった返し、座席の確保にも一苦労するのがここの通例だ。だが、今日に限って何故、俺一人なのだろうか……?

「……曜日でも間違えたか?」

 右手にはめた時計を見るべく視線を落とし、今日が平日であることを確認すると改めて顔を上げる。外には無数の学生がうろうろしており、漣は安堵の息を吐きかけて、そのまま硬直した。
 うろうろする学生の足元、アスファルトであったろうそこはバケツで染料をぶちまけたかのように、赤い色をしていた。


 AM10:25『中沢 綾乃』

 奇妙な通報があって、人出が足りない。中沢が前線に駆りだされる理由はそれだった。パトカーを降りて見れば、鉄錆にも似た特有のにおいが鼻に付く。

「これは……! すぐに警官を下がらせて、危険よ!」

 そのにおいだけで、彼女は何が起こっているかを察知した。しかしその命令が周囲に出回る前に、前線ではすでに行動が開始していた。警官達が列を組み、ジュラルミンの楯を構えてじりじりと前進する。足元を染め上げる赤いしずくが足元を濡らし、ズボンの裾を真っ赤にしてゆく。

「あ、ご、ぎ、がぁぁぁぁぁぁっ!」

 近づいた警官の一人に向かって、男子学生が飛び掛った。助走なしで、おおよそ五メートルを飛び上がる。文字通りの奇襲だが、それ以前にそんな筋力が通常の人にあると思うほうが難しい。焦点の合ってない目を動かし、腕を振り上げての打撃を見舞う。それだけでジュラルミンの楯はへこみ、警官達は次々に倒されていった。その動きは緩慢であったが筋力は強く、訓練されているはずの警官が蹂躙されると言う一種奇妙な光景が目の前に展開されていた。

「……なんてこと……」

 中沢はそう呟いて、数歩下がる。状況から彼らが『死んでいる』事は分かっていたのだが、まさか自分達を凌駕する運動能力まで持ち合わせているとはまったくの思考の範囲外だったのだ。それでも息を吸い込み、残った警官達に檄を飛ばす。

「……彼らは恐らく、何らかの薬物で筋力のリミッターを外されていると思われます。一人に対し複数で対処! 確実に……」
「サセルカ」

 不意に、声が響いた。地上からではない、空から。そのまま首を上げると、そこには鮮やかな黄色の何かがいた。空の上を動いているらしいが、余りにも移動速度が速く、黄色いしみにしか見えない。
 ぶぶぶぶ、とどこかハエが飛ぶのに似た音と、甘い香りが周囲に落ちてくる。くらくらする頭を振り立て、中沢は拳銃を引き抜いた。状況が把握できないが、恐らく空にいる何かがこの状況を起こしている事は否定できないのだから。

「いくら速くったって……っ!」

 シリンダーが回転し、銃弾が次々と放たれる。しかし、相手の速度が速すぎるのか、あるいは別の要因かは分からないが弾丸は空をえぐってゆくばかり。その銃撃に敵意を見たのか、黄色いものがそのままこちらに向かって突っ込んでくる。
 やられると体が理解し、覚悟を決めた瞬間。眼前にあったカフェテリアのガラスが、吹き飛んだ。


 AM10:30『戦場』

 眼前は、文字通りの地獄絵図だった。ふらふらと歩く生徒達と、それに対抗できずにやられてゆく警官達。これを誰が起こしているか、などと言うのは考えなくても分かった。
 そして、誰を狙っているのかも。

「……また、かよ……。くそ、くそくそっ!!」

 ひとしきり毒付くも、それで状況が変わるわけではない。漣はぎゅっと目を閉じ、深呼吸を二回行う。
 自分があんな体になったことに、もしも意味があるのなら。そういえば、あの研究者は俺がそれを選ぶべきだとも言っていた。今が、選択の時なのかもしれない。

「自分が傷つくのか、それとも見てみぬふりをするのか……」

 自分の両手を、見る。あの力を使えば、間違いなくこの状況をある程度好転させることが出来るだろう。その代わりに、多くのものを捨てることになるが。
 また、ここで知らぬふりをすることも自由だ。その代わりここにいる人々はみんな死んでしまう。がたがた震える手が、瓶の王冠をきちりと、回した。

「もし、俺がああなったことに意味がなかったとしても……」

 そこから先は、言葉にならなかった。水にも似た味の液体を一気にあおり、声を上げる暇もなく体が変革してゆくのを、感じる。
 筋肉が、細胞が、身体が。自分の恐怖と言うものを覆い隠すかのような鎧となる。そして見据えれば、目の前にあったのは空から警官隊に向かって迫ろうとする、黄色いヴァースドの姿だった。
 自分と似ているが、どこかスマートな体。背中に生えているのは、四枚の透明な羽。右手が巨大な槍のようになっており、顔つきはどこか女性的なものを連想させた。
 そして、外に漂ってくる匂いの粒子。それが相手の正体を、悟らせた。

「女王蜂の、ヴァースド……。ハンターレディ……!!」

 分かってしまえば、後は簡単だった。そのまま助走をつけて、ハンターレディへと飛び掛る。こちらに届く高さに来てくれたのは幸運だった。飛び出す瞬間にガラスを突き破ろうとも、強化された体にそんなものが刺さるはずもない。

「キサマ……。プロト・ヴァースド!」

 体をひねりながら、飛び掛ってくるプロトの存在を認識し、声を上げるハンターレディ。目標をこちらに切り替えてのタックルをまともに受け、プロトは声を詰まらせた。二つの影はそのままカフェテリアの壁に激突し、ハンターレディは右手の巨大な針で次々に突きかかってくる。プロトは転がりながらその間合いを脱出しようとするも、上になっているハンターレディに機動力で劣っている点、そして行動を読まれて逃げ道をふさがれているせいで攻勢に出ることが出来ない。

「コノママ、シネェッ! ソシキヲウラギッタキサマハ!」
「勝手に人の体をいじったのは……。そっちだろう!」

 顔めがけて突き出される槍を、プロトは右手で掴んで止める。筋力の方では拮抗しているらしく、それで相手の動きがしばらく止まる。そのまま、プロトの左掌打がハンターレディの顔をとらえた。逃げようと数歩後ずさるハンターレディを、槍を押さえたプロトが逃がさない。

「俺の日常を……。かえせぇぇぇぇっ!」

 怒りのこもった声とともに、両手で槍を掴み。プロトはそのままハンターレディを持ち上げ、地面にたたきつける。空中での機動力を重視しているためにかなり体重の軽いハンターレディは、プロトの手に抗する事が出来ずに数度地面を跳ねた。そのまま手を離し、倒れている隙にプロトは右手から鞭を引き出す。立ち上がったハンターレディを追いかけようと走り出したプロトを、先程まで警官達の死骸を殴打していた人々がさえぎった。

「これは……。女王蜂のフェロモンかっ!」
「ワタシノ『デッドマン・クラウン』ニカカッタコトヲ、コウエイニオモイナサイ……」

 蜂は一つの巣単位で生存し、その奥にいる一匹の女王蜂を守るために無数の働き蜂が死ぬことをもいとわない。女王蜂のヴァースドであるハンターレディは、彼女のために動く兵隊を生み出すことを能力としていた。体から噴出される特殊なガスにより、死んだ人間をマリオネットのように操ることで。
 死んでいるからこそ、痛覚もなく四肢が引きちぎれるまで戦い続ける。死骸の王国に輝く、狂った女王となる能力であった。それを楯に利用し、逃げ去ろうとするハンターレディ。羽を振るわせて飛び去ろうとしたその背後で、轟音が一つ轟いた。

「……このまま、逃がしてたまるものですか……」

 肩で大きく息をしながら、大型の銃を持った中沢がゆっくりと息を吐き出す。羽の一枚に穴が開き、飛ぶ方向を乱されてハンターレディの体が大きくかしぐ。
 その一瞬、死骸を飛び越える姿があった。剣のごとく尖らせた鞭を、ハンターレディに深々と突き刺すプロト。悲鳴を上げる暇も与えずに回転し、血で赤く染まったアスファルトに叩きつける。

「……消えろ」

 そのまま、小声で呟かれた命令。最後を告げる言葉を鞭は正確に実行する。死滅命令を出され、ハンターレディの体がぐずぐずに崩れ始めていた。後はこのまま、朽ち果てていくだろう。
 最後を見送る事無く立ち上がり、ゆっくりと歩き出すプロト。ともかく、今後のためにセルだけは確保しなくてはならない。壮絶たるここから一刻も早く逃げ出したい、と言うのもあった。

「……待ちなさい」

 リュックサックを持ち上げたところで、わずか聞こえた声。振り返るプロトにひるむ事無く、声を上げるのは中沢。数歩近寄り、見上げてくる。

「貴方は一体……、何者なんですか?」

 声をかけてくる中沢の前で、プロトが膝を突く。そのまま全身を震わせ、プロとの装甲とも思える表皮が剥がれ落ちてゆく。急激な進化は一時的なもので、変異溶液の効果が切れれば人間の姿に戻る。漣は感覚でそれを知ってはいたが、そんな状況にはじめて出会う中沢は表情を怪訝そうに引きつらせた。
 変異した細胞がまるで表皮のように剥がれ落ちて、中からゆっくりと現れるのは、文月漣。

「……人間……。なの……?」

 目の前で起こった理解不能の状況。そして気を失ってしまった目前の人。余りにも理解不能な状況を前に、中沢は頭を抱えるほかなかった。



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