魔弾の射手〜Der Freischutz〜(後編)



 憤怒の相を浮かべたまま、闇夜に両手を広げるヴィクラウド。どこからともなく羽音のようなものが聞こ えたかと思えば、その身は宙へと踊っている。もちろん、ワイヤーなどこの場には、ない。

「おのれ、貴様……。婚礼を邪魔するだけでなく、この私を愚弄するか!」
「愚弄される原因は己におありでしょう? 自業自得ですよ、蝙蝠男爵。ペルソナネットワークから追い出 されただけでは、まだ飽き足りませんか」

 憤怒の声にも、御剣はひるまない。静かな声をヴィクラウドに投げかけながら、もう一つの人影へ顔を向 ける。

「お嬢様、すぐに室内へお戻りください。お引取りを願いましたら、すぐに私も参ります」

 主へ声をかける行動を、己への愚弄と判断したのか。空中を思い切り滑空し、御剣に向かい突っ込んでゆ くヴィクラウド。銃弾で牽制を仕掛ける御剣をあざ笑うかのように全て回避してみせ、ほっそりとした手で 首筋を捕まえる。その手にこもる力の程は、ぎりぎりと周囲に響く骨のきしむ音で知れた。

「貴様は、この場で殺してくれよう。姫君との婚礼に、生贄の一つも捧げぬのは無粋であったな!」

もはや先ほどまでの威厳など欠片もない形相でそう言い募ると、ヴィクラウドはその手を大きく振りたてる 。まるでゴムボールか何かのように御剣の体は宙を舞い、テラスの窓を突き破って室内へ転がり込む。盛大 な物音とガラス片の乱舞は、階下で祝賀式典に参列していた一同の注目を大いに集めた。

「御剣さん、大丈夫なの!?」
「御心配には及びません。ですが……」

 心配だったのか、すぐさま駆け寄った美弥に対し、御剣はそう言いながら立ち上がる。不思議なことに、 彼の体からは一滴の血も流れてはいなかった。暗闇を見据える御剣の目にあるのは、覚悟と憐憫の色。

「出来うるならば、お嬢様には知らぬ人であって欲しかった。ですが、こうあっては仕方ありません。命に 勝る宝などありませんからな」
「御剣さん、何を言って……?」
「お嬢様、落ち着いてお聞きください」

 体を心配しようとする美弥の言葉をさえぎり、とうとうと語り始める御剣。その手に握っていた、二丁の リボルバー拳銃をその場に捨て、闇夜の一点を睨みつける。

「この世界は、かのような魔性が跳梁跋扈しております。それを知られぬように、人知れず生きる半端者… …。半魔と言う存在のあるおかげで、一部を除いてその事実は公になっておりません。例えばそう……」

 御剣はそう言いながら、何も持たぬ右手を虚空に、向けた。手首だけが90度回転したかと思うと、次の 瞬間軽い音が連続して響き渡る。右腕の中から四角い鉄塊が顔をだし、ピン、と音を立てて弦が張られる。  その時間わずか一秒にも満たず、右手は最早一張の弓、クロスボウへと変貌していた。

「私のような」

 そのまま、一条の光が闇夜に走る。躊躇も逡巡も、ありはしなかった。美弥が思わず目をしばたたかせて いる間に左手も変形し、虚空に無数の矢を放つ。元々クロスボウと言う武器は命中精度と飛距離を向上させ た弓で、連射には全くと言っていいほど不向きな弓である。そのはずなのに、御剣の両腕からせり出したそ れには、どうやらその常識は通用しないらしい。
 そもそも、普通のクロスボウであれば光など放てはしないのだが。

「貴様……。そうか、貴様があの捨てられた弓、ルルカジュナか!」

 全身に光の矢を生やし、ヴィクラウドがテラスの前に降り立つ。最早その顔は人のものではなく、大きく 翼をマントのように広げたその様は、まるで巨大な吸血蝙蝠のそれであった。
 キシャア、と大きく声を上げると、そのまま御剣が大きく吹き飛ばされる。わずか遅れて聞こえたあまり の音に耳をふさぐ美弥ではあったが、それでも数秒、痛みと共に何も聞こえなくなった。超音波だとしても 、ここまでの破砕力があった場合、まともに食らえば命さえ危うい。

「ルルカジュナ……?」
「人の命を矢とする魔弓が、己を使うために与えられた鋼の体……。私はそれでも道具の性を捨てきれず、 人に使われる事を求めるのです。愚かしいと笑われても結構。私が使い手を殺す弓であることは事実。なら ばせめて、人として人の役に立てればよいのですから」

 周囲の瓦礫を払いながら、御剣はゆっくりと立ち上がる。呆然と呟いた美弥の言葉に答えながら。しかし その様に、ヴィクラウドは蝙蝠の顔を大きくゆがめ、美弥もまた大きく目を見開く。

「そして、私はこの姿が。命を奪い取るための魔弓たる己が何より嫌いなのですよ……。さあ、覚悟はいい だろうな蝙蝠! 有象無象の区別なく、我が矢は獲物を貫くぞ!」

 立ち上がった御剣は、朗々と声を上げる。肩から三本の鋭利な棘を生やし、両腕は二張の巨大な機械弓へ と変貌していた。最早、弓をとる手は矢を放つ引き金を引くためだけにあるようにさえ見える。
 キシャア、ともう一度大きく声を上げる蝙蝠に、御剣の左手に備わった弓が弦をしならせた。先ほどに数 倍する光がはじけて消え、周囲には静寂が訪れる。

「……ナ、ンダト……!」
「言ったはずだ、我が矢は全てを貫くと。波長さえ分かっていれば、超音波であろうとも射抜くことはでき る……。逆向きの音をぶつければ、音波は消せる」

 事も無げに言う御剣ではあるが、実際にそれを成そうとすれば相手の攻撃を完全に見切る必要がある。ど うあっても神業級の腕であることに間違いはない。何しろ、恐るべき勢いで近寄ってくる音を見ることなど 出来ない。少なくとも人間には。

「破壊する対象を選び取ることのできる、指向性の音声衝撃……。確かに見事ではあるが、物を狙ってくる と分かってさえいれば、見切ることなどたやすい。合理的に考えたのが裏目に出たな?」

 にやり、と。野生の獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべる御剣。その形相にわずか後ずさりし、ヴィクラウ ドは階下へと飛翔を始める。その背中に向かって御剣が光の矢を射掛けるも、空中で華麗にロールする蝙蝠 に一打として有効打を浴びせることが出来ない。超音波によって物体の場所を知る蝙蝠に、直線的な攻撃で は存在を察知されてしまう。巨大化し、良好な視力を獲ているであろう相手であってもそれは当てはまるよ うで、その飛翔たるや見事なものだった。

(思ったとおりだ。奴はここでは思い切った手には出れん。ならば階下の連中を楯に……!)

 思考するヴィクラウドの耳に、一発の乾いた銃声が轟く。慌てて身をひねれば、パーティーの参加者であ ろうタキシードの男が、黒光りする銃を手にこちらへと狙いを定めていた。いや、それは一人ではない。参 加者達のほぼ全員が、大小は別として銃で武装し、こちらへと狙いを定めていた。

「ああ、言い忘れましたが……」

 空中で静止したヴィクラウドに向かい、静かに声をかける御剣。獲物としては彼のものが最も剣呑ではあ るのだが、無数の銃口と言うのはこれはこれで脅威である。

「この祝賀の参加者の皆様は、全て警視庁死霊課の面々で固めさせて頂きました。銃弾には法儀式済みの純 銀を使用しております。存分に御堪能ください」

 慇懃な口調に、こもるは侮蔑の響き。そう、ヴィクラウドはいまや完全に追い込まれていた。逃げ場だと 思っていた場所が、まさか狩場であったとは誰が予想しえたであろう。しかし、己の愚を悔いる時間さえも 、彼にはありはしなかった。無数の銃声が下方から、御剣の矢が背後から。文字通り逃げ場さえ与えぬと言 わんばかりに迫り、彼を滅しようとしていたのだから。
 ヴィクラウドは身をひねり、そのまま矢の如く急降下を開始する。銃弾の全てを回避しきり、御剣の矢を 数本受け、翼をわずか破られながら。それでもヴィクラウドは止まらない、彼の目は、ある一点だけを捉え ていた。
 漆黒のイブニングドレスを一分の隙もなく着こなす美女。シンプルなはずのそれはまるで彼女専用にあつらえたかのごとく映え、大胆に入ったスリットからのぞく脚線美は人目を取らずにはいられぬほど。巧妙に配したアクセサリーの類もまた、品のよさと危険な美を両立する。怪しいほどの美しさと、火傷しそうなほどの危険な香り。男であらば視線を注がずにはいられない、まさにこのような鉄火場には不似合いたる存在であった。
 腕を組み、どこか退屈げな視線を空に投げていた彼女は、今になっても拳銃を抜いてはいない。銃を持っていないのならば、いかに死霊課であろうと女の腕力ごときねじ伏せられる。そしてあの美しさたるや、血を啜って眷属にするには最適。大きく口を開き、ヴィクラウドは階下に存在するその女に、牙を突立てんと襲い掛かり。

「ガ、ハ……」

 そして、大きく息を吐いた。上がる言葉は苦悶の呻き。ドレスを着た女性の右足が、その腹に深々と突き 刺さっている。見事な脚線美から繰り出されたそれは、文字通りの一撃必殺。

「目の付け所はいいと誉めてあげる。けれど私を相手にするには、無礼な上にあまりに無粋すぎるわ。そうは思わないこと……」

 は、と。快活たる声を上げる女性。そのまま邪魔なものを振り払うかのように右足を振り回すと、ヴィク ラウドがほとんど同時に天に舞おうと羽ばたき。
 そして、見た。

「―――ねえ、御剣クン?」
「ええ、全くその通りかと」

 こちらに向かい、宙を舞いながら狙いを定める、タキシードを纏った巨大な弓の姿。肩にはまった棘の一 つがするりと抜け、矢として番えられる。

「ルル、カジュナアアァァァァァッ!」

 ヴィクラウドの絶叫さえかき消す、轟音一閃。御剣の両手から放たれた二本の矢が、飛び立とうとしたそ の頭と腹を、一切の容赦なく撃ち貫く。それでも獲物に食いつこうと、牙が数度かみ合わされ。弱弱しくそ の動きも途切れてゆく。
 その様子をつまらなそうに見やる女性、神宮寺千景(しんぐうじ ちかげ)。どこか不満そうな表情なの は、恐らく自分でトドメを刺したかったのだろう。だが、一階の床に着地した御剣の姿を見ると、ふ、とど こか危険な笑みをその顔に浮かべた。

「ずいぶんと手こずったようね。あなたがその姿までとるなんて」
「申し訳ありません、千景様。少々手間取りまして」

 事も無げに言ってくる千景に、肩をわずかすくめながら答える御剣。そのまま、二階のテラスを見上げる 。心配げに見詰める美弥と目を合わせ、寂しげに一礼。

「私めがいては、このような魔がいつ来るかも知れません。類は友を呼ぶ、と申します。このまま、お暇を 頂ければと存じます」

 反論は許さない……。決意に満ちたその奥にある、ほんの僅かにこもった寂しげな響き。美弥は凛とした 御剣の声に、そんなものを感じていた。ぱちりと一度瞬きをし、目の奥にたまったものをふるい落とす。

「そう、ですわね。短い間でしたけれど、お元気で」

 できるだけ凛とした空気を、大人としての女性の雰囲気を纏わせようと努力しながら、美弥はそう声を上 げた。そうでなければ、自分が何を言い出すかわからない。
 両手を元に戻した御剣は、その言葉を聞きながら一度だけ、本当に綺麗な礼を返す。そのまま、振り返る 事無くその場を後にしていった。自分を護るために引き連れてきた、死霊課の刑事とやらと共に。

「今度会う時には、もう少し大人になっておきます」

 聞こえることなどないであろう呟きを、美弥は夜の空気に残した。



「……よかったの?」

 死霊課とは別の、自分専用の車に乗り込みながら。千景は運転手にそう、声をかけた。

「私は、執事でございます。二人の主に使える事など出来ません。それに……」

 ハンドルを握った御剣は、そう言いながら滑らかに車を動かしてゆく。渋滞を避け、横道をうまく使うそ の姿は、まるで地元民のようでさえある。無論、初めての道であろうとそうするのが執事たる者の運転術で あることは言うまでもない。

「それに?」

 運転するその背中を見ながら、問いかける千景。御剣はそう言いながら、僅かに目を細めた。赤信号に捕 まり、ブレーキを踏んで滑らかに車を止めながら。

「私は、弓でもあるのです。異なる世界より巡り着た、二つで一つの双天弓。それさえ認める主など、千景 様を置いて他にありますまい」

 それだけ答える。御剣の答えに迷いはなく、言われてしまえば千景もまた、答える言葉を持たない。
 信号がゆっくりと、青に変わった。



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