「死神神父エゼキエル」

テーマ「亡霊」
お題「見えざるもの」「過去」「学校」「導き」「洋館」「微笑」「なま暖かい」「幽体離脱」「声」「プリント」

使用お題「見えざるもの」「導き」「洋館」「声」





 夜の闇。本来は全てを黒く塗りつぶせばそれで済むと言う認識が強いが、実はそうではない。真の夜空と言うのは黒ではなく、深い藍色だ。人口の灯火が、夜を黒く濁ったものへと変える。そしてここの夜空は、幸運にも濁らされていない、深い藍色の空だった。人の手が入りきっていない証、ではある。
 虫の声、梟のさえずりだけが支配する静かな夜。それを破るかのように、数台のトラックが獣道に止まる。至極ゆっくりとした速度で、一定の車間を護った車両が、おおよそ三台。止まったと同時に、荷台から人影が次々と降りていった。一台につき、八人。24人がすべて降りたあと、一人の男が先頭車両の助手席から降り、ぴしりと並んだ一同の前に立つ。

「……三分後に、突入する」

 夜のしじまを破る、剣呑な声。黒一色、ボディースーツにベスト、手袋にマスクと言う怪しさしか見受けられないスタイル。手に持った剣呑な突撃銃が、彼らが何者であるかを告げている。個性と言うものを極限まで削り取り、換えの聞く歯車にまで自分の存在価値を落とした者達。兵隊、と言う言葉が何よりも似合う集団である。
 そんな一個小隊が、揃って一つの建物に目を向けていた。築40年は経っていそうな、古びた洋館。雨戸が閉められ誰も射ないと言う雰囲気に拍車をかけてはいるが、人の気配が感じられない癖に妙に細部の手入れは行き届いていた。アンバランスさで言ったら、これ以上のものには早々お目にかかれないだろう。

「……これより亡霊狩り作戦を遂行する。突入!」

 一言。落雷のごとき凛とした声が告げたと同時、黒い風と化した集団は門を蹴破り、庭を一気に走り抜けてそれぞれが所定の位置に付く。あるものは窓、あるものは玄関。裏口に至るまで完全に包囲し、突入のタイミングを待つ。作戦行動と言うのは、どんなことがあろうとも時間ぴったりに動いてこそ意味を持つ。24人が屋敷を包囲し、一人は現場判断のために門の外にいて情報を収集すると言う役割に付く。
 兵士と言うものの恐ろしさは、そこにある。自分の価値を極限まで落としこんでいる『本物の兵隊』は、自分の死よりも作戦の成功を重視する。無論、死なないように努力はするが、死んでもしょうがないと言う判断の元に任務を遂行する。簡単に言えば、己が死んでいるものとして振舞うのである。
 だからこそ、二龍の兵士は判断力さえも欠如し、一流の兵士はそれでも自分の中に判断力を残し、捨てない。明暗を分けたのは、この辺りのことだったのかもしれない。
 す、と黒い風が周囲を吹き抜けたかと思うと。そのまま数名の兵士が膝を屈し、そのまま倒れる。膝を屈した兵士はおおよそ四人。

「……な、何ごとだ!?」

 門の外にいた兵士が、声を張り上げる。門の外から見れば、いきなり兵士が膝を屈したようにしか見えなかったのだ。しかし、その後に起こった風景が、その兵士をも絶句させた。
 立ち尽くしている兵士立ち退いた辺りから、何やら次々に水しぶきのようなものが上がっている。そのまま横にゆっくりと倒れたところを見ると、どうやら首辺りの頚動脈を切り裂かれたようだ。

「ま、まさか……」

 声が、乾く。人間の反射神経では、事実上不可能な動き。しかし、現実に事態は起こってしまった。余りの状況に後衛の兵士は自分の仕事もわすれ、茫然と立ち尽くす。

「……総員撤退。これからは俺の仕事です」

 後衛の兵士が言うべき言葉を次いで、真ん中の車両の扉がゆっくりと、開いた。
 夜の闇をものともせず、歩いてくる男が一人。衣装こそ同じ黒ではあるが、彼の場合はロングコートにも似た上着にズボン。右手には黒い手袋をつけ、身分を示すかのように、胸元に光る銀の十字架。手に聖書の代わりか、細い棒のようなものを持っている。固まっている兵士が何も言ってこないのを気にするでもなく、そのまま前へ、前へと歩き。門をくぐった辺りで、声を上げた。

「俺は退魔士。名を江崎 徹……。正体を見せろ、魔性」

 よく響く声で告げ、ゆっくりと周囲を睥睨する。20人もの人が死んでいるにもかかわらず、その態度は堂々としたものだ。
 そのまま、徹に向かって迫る黒い風。何か分からないそれに向かい、棒を向ける徹。がきっ、と金属音が響き、風にしか見えなかったものは、ゆっくりとその正体を眼前にさらす。
 文字通り黒一色。炭をそのまま固形化して動かしたらこんな風になる、とでも言うべき姿。手は硬質化した鋭い爪。牙をむきだし低いうなり声を上げるその様は、到底普通の人とは思えない。人語を解するのかすら、怪しいとも思えた。

「すでに人であったときに記憶すらなくしたか……。哀れな」
「ガゲグギャアアッ!」

 静かな徹の声に答えるかのように吼え声を上げ、がちがちと牙を鳴らしながらさらに腕を振るう黒いバケモノ。魔性、と呼ばれたその存在は、一般的には認められていない。それを知るのは、軍部とごく一部の関係者のみだ。
 強い負の感情に飲まれた存在は、その姿を異形へと変えてしまう。世紀末より少しづつ見受けられていたその兆候は、『ディアボロス・シンドローム』と呼称されるようになった。治療法は見つかっておらず、人類は常に自らの感情と言う見えざる脅威とも戦わざるを得なくなったのである。
 ディアボロスと化したものに対して、対処方法はただ一つ。その肉体を復元不可能なまでに粉砕する、ただそれだけである。

「せめて、主の御許に汝を返そう……。A’men」

 短い聖句を唱える、徹。持っていた杖がぎしぎしと嫌な音を立てる中、徹は杖から右手を離し、体を右に回転させながら魔性を横へと払う。力の方向性を変えられた魔性はそのまま数歩たたらを踏み、再度目標へと飛び掛る。
 突っ込んでくる魔性の顔面に、徹の右拳がめり込んだ。そのままたたらを踏む魔性に向かって、再度踏み込みをかけて追撃する徹。牙をむいて噛み付きにかかる魔性の牙が、徹の右腕にめり込んだ。さらに食いつこうとする魔性だったが、一センチほど牙がめり込んだ辺りでその目つきを微妙に変えた。

「……残念だったな……。右でなかったら、まだ怪我もしたのに」

 徹は静かにそう告げて、右腕を振り上げる。そのまま大きく振りかぶり、右腕一本で持ち上げた魔性を地面にたたきつけた。衝撃でわずか離れた魔性の体を、踏みつける。そのまま大きく振りかぶり、倒れた魔性に更なる一撃を繰り出す。マウント状態から叩き込まれた一撃に、わずかなうめき声を上げる魔性。

「……ソ、ソノウデ……。マサカ!?」

 初めて、魔性が人のものらしき声を放つ。さらに振りかぶられた右腕を目にし、驚愕に見開きながら。ぐぐ、と握りこまれた徹の右拳からは、異様な音さえ響いてきそうだ。

「……そうさ」

 徹が静かに答えた後、彼の右腕が文字通りの変異を始める。右腕が袖の下でぼこぼこと異様な脈動を行った後、手袋を突き破って現れたのは、漆黒の刀身。右腕そのものが、鋭利な刃物へと変貌していた。最上段へと振りかぶったそれを、一切の躊躇なく振り下ろす。

「……俺とて、いつまで持つか分からない……。だが、それでいい」

 顔面を二つに叩き割られた魔性の死骸を見ながら、徹は静かに一人ごちる。今日の生存者は四人。後方に待機していた男は、恐らく恐怖に負けて使い物にならないだろうから除外する。右腕のみがディアボロス化していると言う稀有な例からか、徹は軍に監視される「兵器」としての扱いしか受けたためしがない。

「これもまた、神の導き……。だろうから」

 す、と十字を切り、静かに祈りをささげる。誰にも邪魔をされぬ、瞬間。ふ、と小さく息を吐いて、迎えが来るのを待つこの瞬間だけが、徹に許された唯一の自由。
 静かな夜の中、今日もまた魔性は生まれるのだろう。そしてその中に、もしかしたら自分と同じものがいるのかもしれない。それを神事、まだ見ぬ彼らの指針となるために自分がいる。
 そう思えるだけ、自分はまだ幸せなのだ。祈る間、徹はそう自分に言い聞かせ続けていた。





あとがきへ
 


書斎トップへ