海宝戦隊ダシレンジャー
第一話『出撃! 海より来る戦士達』


 心地の良い潮風が、頬をなぶって通り過ぎてゆく。たとえ陸に続く道がコンクリートで固められていても、その先に広がる青い海は、未だに人々の心を強く掴んで離そうとしない。
 失われてしまった、ロマンを求めるからだろうか。人の心に、この海の威容と言うものはそれほどに深く刻まれている。
 しかし、その底に何があるかを知る者は、意外と少ない。それどころか、いないと言い換えてもいい。深い海の力、水圧に耐えられるだけの船舶が、まだそれほど発達していないせいだ。
 それゆえに、彼らがそこにいる事は、知られていない。例えそれが、地球の平和を脅かす存在だったとしても。
 しかし……。いつの世の中にも、“例外”というものは存在するのだ。

 午前四時。まだ、周囲が宵闇に包まれ、朝日を待つ最も暗い時間。そんな時間に、頑張って働く人々がいる。この古くからの港町、浅木市でもそれは例外ではない。
 いくつもの船が出払った港の一角。濃い潮の香りを胸に吸い込み、タオルをバンダナのように頭に巻いて、一人の男が悠然と釣糸をたれていた。着ているのは白のTシャツに、やや色の落ちたジーンズ。夜中にするには寒そうな姿である。
 傍目には、趣味で釣りをしている男に見えるかもしれない。しかし、こんな時間からする必要がどこにあるだろうか。
 そもそも、海釣りをするならば乗り合いの漁船に乗せてもらうのが普通である。例外として磯辺と言うパターンもあるにはあるが、それにしたってこんな時間にこの場所で、と言うのはどうにも解せない。最近はやりのストーカーと言うのが一般的な見解だろうが、それを否定する材料は、しっかりと彼の足元にあった。
 白と黒、二色でペイントされたクーラーボックスである。やや大き目の、どこにでもあるデザインのものだ。そして、そこが少し開いて、中から魚の尾びれらしきものがのぞいている。
 不意に、男の右手が動いた。リールのついていない、まっすぐな竿がその手に握られている。夜の空気を、小気味いい音が引き裂き。男の目の前に、青々とした魚が釣果として現れる。
 やや小ぶりではあるが、立派なアジだった。男はそれに何の感慨も抱くことなく、あふれかけたクーラーボックスの中に押し込む。不思議なことに、こんな場所でアジを釣ることが可能らしい。

「……そろそろ、かな」

 男はそう呟くと、竿をしまってクーラーボックスを担ぐ。水平線の先が、ほんのりと赤く染まり始めていた。
 まもなく、夜明けが来る。その時には別の仕事が待っている。それまでにここの存在を隠しておかないと、厄介な事になりそうだ。男は薄く笑いながら、ゆっくりと自宅に向かって歩き出す。
 そんな男を、じっと見詰める影があった。まだ薄暗い時間ゆえに、その姿形ははっきりしない。だが、どうやら複数であることだけは分かる。頭数から言って、大体二、三人ほどだろうか。釣果のほうには目もくれず、その視線はただ、男に注がれている。
 良質のアジが取れる隠れた釣り場よりも、男のほうに注目が集まるらしい。

「……オーシャン・ウェーブを感知……。間違いない、五人目です」

 男とも、女とも取れぬ声で、どこかに向かって呟いた。



 時間は午前七時。朝日は完全に昇り、港は活気に包まれる。
 帰ってきた漁船から次々に魚が下ろされ、すべてが競り落とされて食卓に、料亭に、加工場へと運ばれる。生鮮漁場の最先端だ。
 そんな中を、くるくると忙しく働く姿があった。
 朝方、アジを釣っていた青年だ。年の頃は大体二十歳過ぎ。短く刈った黒髪に、作りの荒い顔立ち。前を見据える瞳には、強い意思が乗っている。折れども曲がれども、我が道を行く。雑草のたくましさを全身で体現しているかのようだ。
 着ているのが魚市場にありがちな、ゴム長靴とエプロンなのも、それを後押ししているのだろうが。
 エプロンの隅に付いた小さな名札には、『倉田 武』とあった。

「はい、アジはこっち! 鮪は船橋の料亭! そこの鰹はミナモの大将!」

 次々に、やってくる発泡スチロール入りの魚を、正しい場所へとさばいてゆく。
 その様は手馴れているから周囲によくなじんでいて、しかしあまりにも若すぎるその姿はとても異常だった。
 手並みの鮮やかさ、魚に対する眼力。その保存方法の細やかな気配りと、年経た船乗りが舌を巻くような手並みの冴え。ここまでの手並みになるには、天賦の歳と不断の努力を重ねても、もう十年は必要だろうに。
 しかしかきいれ時のこの場所は戦場。猫の手だって役に立てば歓迎される。そんなわけで、人々はこの異常な青年を異常と感じず、むしろなくてはならない存在として歓迎し。男もその期待にこたえるかのように、周囲に存在感を振りまく。
 ややあって、漁船から水揚げされた魚達がそれぞれの場所に運ばれ、港はその役目を静かに別の者達へとシフトしていく。武もようやく一息つくかのように、ゆっくりと息を吐き出した。

「倉田の。今日午後からちょいっと出掛けねえか?」
「その辺の時間から出れば、良いホタルイカが取れるぜ?」

 なじみらしい年経た漁師が、にっこり笑いながら声をかけてくる。下町の人情味があふれる光景に、倉田と呼ばれた青年は肩をすくめ、にっこりとわらう。やんちゃ坊主をそのまんま巨大化させて大人にした、そんな表現がぴったり来る。

「悪いけど、今日はアジの面倒があってね。干物作んなきゃならねえんだ」

 次の機会に、とやんわりかわす武をみて、漁師達は仕方ないとばかりに笑みを浮かべた。しかし決して嫌味にならない辺り、彼らの人柄を雄弁に語っている。
 仕事とあっては、漁師達も引っ込むしかない。海の仕事だけが、彼らのやることではないからだ。網や船の手入れ、副業をやっている者達にはそっちの都合もある。どんなに釣果が良くても、それは全て海の機嫌に左右されてしまう。
 漁師の仕事と言うのも、案外バクチなのである。船が持てないとなると、なおさらだ。

「……船舶免許、取らないとな……」

 呟きながら、大きく伸びをする。朝が早い代わりに、夜も早いのがこの仕事。ともあれ、食事にしようと歩き出す。足に履いたゴム長靴は多少歩きにくいが、慣れてしまえばそれだってたいした支障にはならない。だが、港の端っこにいる、黒いものを見てその足が、止まった。

 人生とは、時としてどうしようもない運命と言う時流が存在する。
 彼が『それ』に気付いてしまったことが、全ての始まりだったのかも、知れない。

 それは、黒い全身タイツのようなものを纏った姿だった。黒一色の、つなぎ目のない衣類。巻かれたベルトは銀白色で、ブーツと手袋も同じ色。
 そして、顔はつるりとした仮面で覆われていた。黒いベレー帽を申し訳程度にかぶっている。

「何だ、あれ……?」

 あまりの光景に、思わず足を止める武。それに気付いたのか、黒タイツの集団がいっせいにこちらを向いた。顔に当たる部分には、目を示すであろう穴の上にゴーグルのようなものをつけ、無機質な印象をさらに強めている。なにやらやっている様子だが、贔屓目に見てもまともな奴らには見えない。

「何だお前らは!?」

 声を荒げる武。それに対し、びくりと背を震わせる黒い姿の一群。彼らは次々に身構えると、ただ一言。強く強く叫びを上げた。

『ゴッパー!』

 そのまま、くるくると周囲を取り囲むように移動を開始する。皆一様に構えは低く、武術に心得がない武にも、相手が何を目的にしているかは容易に知れた。
 奴らは、俺を捕まえようとしている。それを感覚的に知った武の行動は、速い。

「……海の男をなめるんじゃねえっ!」

 まだ身構えている黒タイツの一匹を選び、おもむろに踊りかかる。握った右の拳を、呆気に取られた相手に叩き込んだ。妙な面はどう見ても金属製だった事から胸を殴りつけたが、殴った拳に帰ってきたのはまるで鉄板を殴ったかのような感触だった。

「いてえな……。この変質者がっ!」
「ギッ! ギギッ!」

 感触はどうあれ、体重そのものは人間と大差ないのか、渾身の一撃を食らった黒タイツの一匹はぐらりとよろめく。そのまま、武は体勢を立て直すのではなく、逆に肩口から踏み込んだ。
 連続攻撃と言うには稚拙なタックルで、どちらかと言うと急いでこの場を離れるためではあったが、それが逆に黒タイツには意外だったようで、包囲網を抜けることには成功した。表面は如何に硬くても、体重そのものは常人と大差ないことが、武にとっては幸運だったといえる。

『ゴッパー!』

 怪しげな動きをしながら、こちらを追跡してくる黒タイツ。振り返ることなく走る猛の視界の端に、目にも鮮やかな影が躍った。ぱっと見で細かい所までは分からなかったが、どうも色合いは白と、黒。そして青の似たようなタイツ姿だった気がする。
 もっとも、それに気を取られている暇が武にはない。視界の端、ちょうど曲がり角から飛び出してくるようなタイミングで、もう一つの人影を目にしたからだ。
 年の頃は十代後半から二十歳にかかりかけ。少年と青年の間を行く、どこか幼さを残したひとなつっこい顔。昼前の時間にこんな場所にいる事は奇妙ではあったが、それでも彼の姿が猛の頭を現実に引き戻したのは確かだった。そこにいるのは、彼の知り合いだったからである。
 
「……明!」
「武さん、こっち!」

 黒タイツに怪しい面をつけた一団に追いかけられると言うある種現実とは思えない光景を前にしているにもかかわらず、青年の言葉は落ち着き払っている。武はそれに特に疑問を覚えることもなく、青年のいる角の方に半ば転がり込むような感じで入り込む。

「急いで! しばらくは大丈夫だろうけど……」

 何かを知っている風の明の言葉が気にならない訳ではなかったが、それ以外に取る方法も見つからない。何より、知り合いと怪しげな黒タイツと言う二択で、どちらを取るかなど愚問に過ぎない。考えている暇があるならと、武は自分の両足に力を込める。そして、そこにぴったりと明も追走してくる。

(こいつ、こんなに体力あったっけ……?)

 口をついて出掛かった疑問を、あわてて封殺する。何かしゃべると、体力を余計に消耗するからだ。
 何も言わず走る二人の前に、見慣れた建物が見えてくる。白い塗装のなされた、無味乾燥な建物と赤いのれん。入り口に半ばめり込んだショーケースに並ぶのは、赤い丼に入った深い色のスープと黄色い麺。何も考えず、開いていた入り口に滑り込んだところで、武はそこが確か自分が行こうかなと思っていたラーメン屋だったことにふと、思い当たる。

「お前の家に走りこんでどうするって……?」
「わめいてる暇あったら急いで! ……きたっ!?」

 武の言葉に声を上げた明の目の前、唐突に飛び出してくる黒い姿。それが先ほどの連中である、というのはすぐに分かった。

「こいつらっ……! しつけえんだよっ!」
「こう、なったらっ……!」

 苛立たしげに似たようなことを口にする猛と、明。武はそのまま店に突っ込み、明はその場で足を止めた。

「明!?」
「いいから中に! 早く!」

 何か言いたそうな表情の武を問答無用で黙らせて、明はまっすぐな視線で武を見返す。
 その表情に何かを思ったのか、武はそれ以上振り返ることも無くまっすぐにラーメン屋を目指す。
 少し立て付けの悪いはずの引き戸が、何の抵抗も無くすっとひらき。

「……あれ?」

 そのまま、武は何もないラーメン屋、というひどくシュールな現状を思う存分味わった。
 無論、そこには彼を支えてくれるはずの床も、無かった。

「おわああああぁぁぁぁぁ…………」

 ドップラー効果で小さくなる武の悲鳴。それが小さくなる最中で音も無く閉まった引き戸を見ながら、明は両の袖をまくった。その手首に、何か巨大な時計のようなものがくっついている。

「あの人を……、いや。五人目が来るまで、俺がここで粘ってみせる!」

 そして、手につけた器具を操作し、声を上げた。

「海宝覚醒! オーシャンチェンジャーッ!」

 そして、五色の光が、明を包んでゆく……!


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