テリブル・ブルー

 かつて、最強と謳われた者がいた。空のごとき衣を纏い、幾戦、幾万の戦場を駆け抜けた。
 その走る様は風のよう、繰り出す一撃は雷のよう。幾戦の敵を相手にし、決してひるむこともなく。むしろ笑いながら敵と向かい合ったと言う。
 返り血に決して染まる事無く、その姿はいつまでも透明で、青いままだったと言う。
 その男の名は……。

「シャド! シャド! 何をやってるんだ、さっさと支度をしないか」

 横に並ぶ男から声がかかり、シャドは息を一つ吐いていつも通りの身支度を始めた。
 右手に持つのは、1メートル80センチほどの槍。無論両手で扱う代物だが、こんな武器今頃使う奴を自分以外に知らない。間合いが広い事は有利だが、そんなものを埋めてしまう方法などいくらでもある。

「……ったく、お前のそれ、いつになったら治るんだ?」
「ほっとけ。命を落とすのは俺の勝手だ」

 彼の武器選択に肩をすくめるのは、シャドにとっては腐れ縁とも言うべき相方のヴィシャズ。彼が使うのは、最近主流になってきた50センチほどの片手剣。楯を持たず、それを両手に持つのが流儀らしいが、少なくとも二刀がまっとうに機能した事をシャドは見たことがない。
 まあ、昔は片手剣に楯と言うスタイルだったのを、楯がもらえないから無理やりに編み出している辺りで無理があるのだが。

「まあ、そうだけどよ。こんな最悪の環境下じゃ、愚痴の一つも言える相手がいないのは惜しいじゃないか」
「……分かるよ。けど……」

 ヴィシャズのぼやき戸も言える呟きに、ため息をつきながら答えるシャド。服装のほうは二人とも似たようなもので、砂色の長いシャツに革のベストとズボンと言うシンプルなスタイル。足回りも平凡なブーツで、背格好が似ている二人を首から上で判別するのは難しい。
 周囲の連中からの見分け方は、髪と目の色。ヴィシャズは銀髪に赤い瞳で、シャドは黒髪に黒い瞳。着飾れば二人ともそれなりに輝きもするのだろうが、ここではむしろ無個性になるかのような着こなしをしていた。最も、ここではしている、と言う表現は正しくない。彼らが選ぶ権利があるものといったら、自分が扱う獲物ぐらいのものだ。

「死ぬなら、自分が納得して死にたい。だろ? あの人を追いかけるのもいい加減にしとけよ?」

 ヴィシャズはそう言いながらも、決してシャドのスタイルをああしろこうしろと指図したりはしない。自分が生き残るのに手一杯だからではなく、彼の言い分をどこか信じたい節もあるのだろう。
 二人が生まれ育った国には、ある伝説が存在する。青い鎧を身に纏い、しかし決して相手の返り血に染まることのなかったと言う騎士の伝説。戦いに敗れ、剣奴として戦う今とあっても信じていたいと思う彼の気持ちを組むことが、自称紳士の自分にとっては義務だ、と何度も語っている。槍の事がヴィシャズにとって聞き飽きているのと同様に、紳士的振る舞いについて語る彼の言い分をシャドは聞き飽きていた。

「……テリブル・ブルー、か……」

 ヴィシャズが最後に一つ呟き、今日の糧を得るべく二人は歩き出す。
 最強の騎士、戦慄の蒼穹。太陽の光さえ満足に浴びる事を許されぬ二人にとって、この名は羨望と言うより、一つの呪縛にさえ思えた。
 


 万雷の歓声が轟き、今日何度目かにならない死体の運び出しが終わる。石造りのスタジアムは壁や観客席の一部にまで赤黒い血がこびりつき、ここが何であるかを如実に語っている。元は集会場だったのをニーズに応じて使い方を変えたものなのだが、一月足らずで闘技場になってしまうと言う事実が、シャドにとっては空恐ろしく感じられる。
 シャドたち剣奴のいた国は、一月ほど前に戦争に敗北した。形式上はそういうことになっているが、あれが戦争と言えたかどうかは怪しい。何の宣告もなしに市外を取り囲み、宣戦布告が届くと同時に町や城に火を放つなどと言うのが戦争なのだろうか。少なくとも、彼らにとってはそれが正しいことのようである。
 言語の体系が違うせいで雑音にしか聞こえない前置きの言葉が終わると、横手にいた完全武装の兵士達がシャドたちの背中に槍を突きつけた。言葉が通じなくてもどうにかするための一つの方策で、要するに前に進めと言うことである。

「さて、今日も生き残るとしますか」
「……そうだな」

 何と戦わされるか分かったものではないが、それでも二人でどうにかすればいけると思う。薄い笑みを浮かべあい、ゆっくりと二人は闘技場の中へと足を運んだ。熱狂する観衆の声が耳に届くが、それさえも聞き流して二人は前を見る。彼らの前には、豪奢であったろう鎧を血に染めた、異様な風体の男が立っていた。手にしているのは剣と言うよりはむしろ鉄塊とでも言うべき巨大な野太刀で、技量などと言うものがいかに暴力の前に無力かを、その姿と一緒になって語っている。

「あーあ。大物って感じだな……」
「勝ちすぎた、って事かね……。もしくはあいつの暇つぶしか」

 語り合うヴィシャズとシャドを尻目に、一つ巨大な物音が響いた。鐘にも似ているがもう少し濁った、雷に似た物音を響かせるそれが、決闘の合図である。ヴィシャズはそれと同時に走り出し、シャドはゆっくりと間合いを詰める。ヴィシャズが撹乱と一撃離脱を繰り返してかき回し、そこをシャドが突くと言うのが二人が組めた時の基本戦術である。二人の行動に対し、赤い鎧の男はただ動かず、その様を見守っているようですらある。
 自分の間合いに到達したヴィシャズが、右から剣を抜いて斬りかかる。相手はまったく動こうとしない。鎧を着ているからといってそれが刃を防ぎきれるかといえば、一概にそうとも言いがたい。イカに鋼で身を固めていても、関節などに隙間を作らなければ動けなくなる。そこをつかれれば傷を負うし、鎧を着ることで動きが鈍りもする。そして、ヴィシャズの得意な戦術は、文字通り隙間を縫うことなのだ。
 そして、派手な金属音が響いた。たいまつの光を反射し、きらりきらりと回転する何かが空中を踊る。それがヴィシャズの持っていた刃だと判断するより先に、シャドは一気に間合いを詰めていた。視界の端で、吹っ飛んだヴィシャズが空中で受身を取ろうと身をひねっている。

「おおおおおおおおっ!」

 強く声を上げながら、前へと出る。右手を槍に巻きつけ、加速の勢いさえも一撃に篭めるつもりで。

「りゃああああっ!」

 裂帛の叫びに答えたのは、高い金属の響き。いつの間に動かしたのか、太刀が槍を受け止めている。ありえない速度だった。ついさっきヴィシャズの刃をへし折ったのは、それでは一体なんだったのか。

「……惜しいな」

 くぐもったように響いた声は、間違いなく自分の国の言葉だった。続けざまに振るわれた刃を、文字通り転がるように回避する。ぶん、と恐るべき勢いで振られたそれが、剣風だけでシャドの髪を数本持っていった。
 おかしい。シャドはそう判断していた。剣風が髪を逆立てるのはよくあることだが、髪を斬るような剣風など聞いたことがない。だが、一体何がそれを起こしているのか。
 続けざまに放たれる攻撃を回避しながら、シャドは状況を整理してゆく。剣は縦横に振り回され、向こうが懐に入れないように必死になっているさまが見て取れた。ヴィシャズはといえば、剣と一緒に吹っ飛ばされたのか少しはなれたところで苦しげに息をしている。
 攻撃としては、でたらめな相手の動き。本来なら切れるはずのない刃から放たれた何かは、自分の髪を鋭利に断ち切った。分かっている事を必死に整理するなかで、相手の攻撃が不意に止まった。距離にして、大体二メートルほど。

(距離によるもの……? あれは距離があったら届かないのか?)

 そこまで考えて、シャドの耳に嫌な音が響いた。見れば、いつの間にか自分の槍の刃が折れている。剣に当たってもいないのに、だ。そのまま足元を見れば、何とも分からぬ小さな跡。

「……そういうことか」

 シャドはこの時、からくりをすべて悟った。ヴィシャズが立ち上がらないのが気にかかるが、それでも今、自分が行かなければ二人ともやられるだけだ。刃を失った槍をもち、ゆっくりと間合いを詰めてゆく。走るのではなく、歩いて。ゆっくりと歩を進めていけば、風を切る音が空から、聞こえた。

「そこかっ!」

 だん、と真横に切り返すと、さっきと同じ跡が今まで自分がいた場所に刻まれる。目には見えないが、憶測があっていることはこれで、分かった。あれは確実に、空から降ってきている。

「剣奴は空なんか見ない。だからそういう技が通用する……。けれど」

 シャドはそう言いながら、ゆっくりゆっくりと近寄ってゆく。何が何だか分かっていないのか、鎧の男は動かない。いや、動きたくても動けないと言うほうが正しいかもしれない。どうにか動こうとはしているようだが、何かに邪魔をされているような。

「俺達は、空と同じ名の英雄を、知っているから」

 一言の呟きの後、俺は思い切りその鎧を蹴り倒した。鎧の方は抵抗もする事無く後方に動き、がしゃんと音を立てて倒れ、バラバラになる。赤い鎧と太刀の大きさに騙されてはいたが、その中身はがらんどうだったのだ。だから、単純な動きしか取れなかったし、そこから前に出ることも出来なかった。

「……ったく、最悪なトリックだったぜ」

 言いつつ、ゆっくりと起き上がるヴィシャズ。ぎゅっと握り締めた手の中には、透明な輝きがこぼれる。恐らく、あれがあの鎧を動かしていた糸なのだろう。トリックさえ分かってしまえば単純なものだが、気付かなかったら最悪ともいえる。攻撃しているのが、別の奴だということが分からなかったらどうなっていたことか。

「さて、後は……」
「もう一人を潰すだけ、か」

 シャドとヴィシャズはそう言いながら、観客席を睥睨する。熱狂とも落胆とも取れる声が響くなか、ある一点が赤々と、燃えているのが見て取れた。

「あれは……?」

 その奇異にヴィシャズが眉根を詰めていると、さらに変異が起こる。こちらの戦いは終わり、次の戦いに備えて会場を整理する奴が来るはずが、いつまでたってもやってこない。それどころか、闘技場の扉さえ開いたまま。
 逃げろと言うことなのか。状況が読めない二人の耳に、ゆっくりとしたひづめの音さえ聞こえてくる。

「……これは……?」
「遅くなったな!」

 通路の奥から、響いてくる声が一つ。聞くだけで疲れが癒え、希望がわいてくるような強い声。
 その声が一体誰から放たれているのかを、二人ともよく知っている。

「陛下も無事に助け出した。反撃ののろしをここより上げるぞ! 戦えるならばついてこい!」

 もはや、確定事項のように言ってくれる。さっきまで剣奴として戦わされていたものを相手にずいぶんな言い草ではある。それでも、体の方が勝手に動いてしまうのはどういうことなのか。

「あれは、まさか……」
「だが、そんなはずは……」

 動き出そうとする体をどうにか理性で押さえつけつつ、通路の奥に悠然と立つ騎士に視線を送る。外から差し込んでくる太陽の光がその色を失わせ、シルエットにしか見えない。もう一歩を踏み出せば、その色は明らかになるだろう。
 かの騎士の、正体を知らねばならない。そもそもここに居続けることに利益などない。シャドもヴィシャズも、その事は承知していた。前へと歩を進める二人の目の前、闘技場の外では無数の騎士が戦っていた。
 鈍い銀色の鎧姿が闊歩する中で、ひときわ強く目立つのは。まるで空から色を落としたような、鮮やかな蒼。その手の槍が空を切り、馬が首をめぐらせるたびに、一人、また一人と騎士が倒れてゆく。
 それでも、その鎧に返り血はなく、青いままで。

「まだ動けるか、シャド=グラハム。闘志に陰りはないな、ヴィシャズ=モーガン! この場を切り抜けるぞ、ついてこい!」
『承知しています、この命が尽きるまで!』

 もはや、何を疑うことがあるのか。二人は同時に声をあげ、群がる敵軍めがけ自分の獲物を躍らせる。目指す蒼は、手が届きそうな場所にある。
 天に広がる空が、何色になっているかなど分からない。見上げている暇に、敵に殺されるのが戦場だ。だから、こう信じていればいい。自分の鎧の色こそが、今の空の色なのだと。
 空を纏った騎士を追い、二人は再び戦場へと、走り始めていた。



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