Lost Angel〜黄 九城〜



 崩れかけた町に、今日も日が沈む。一日の終焉。
 世界が定めた生命のサイクルに、従わなくては生きていけない街。それを捻じ曲げ、生活しようとするからこそ、人間の世界は混沌としているのかも知れない。
 そして、そんな世界が生んだ歪みの中でしか、生きられない者が数多いのも、また事実だ。

「……ったく。また、か」

 手元には、新聞。両手一杯に広げて姿を隠した向こう側から、なんとも言えないだらけた声。時刻は夕暮れ、場所は喫茶店。構図からすればありきたりなのだろうが、間違いなくその存在はこの店の中では浮いている。
 170センチ後半の、中肉中背と体格は比較的普通ではある。黒のシャツとズボンと言う、服装には気を使っていないとさえ言える格好。しかしそうとは感じさせないのは、人を選ばない色を選んでいるからではなく、それをしっかりと着こなしているからだろう。
 肩辺りまで伸ばされた髪は赤く、金色の鋭い眼差しを新聞の上に注いでいる姿も、これと言っておかしいところは無い。最近は、カラーコンタクトや髪を染める事など普通である。20代前半に見えるこの男の年齢からすれば、こういうファッションも許容されるだろう。
 見た目には、おかしさは感じられない。鋭い眼差しを中心に組みたてられた、どこか東方系の香り漂うシャープな顔立ちは、美の一言を冠してもおかしくない程だ。だが、近寄ってみればその異常さにすぐに気がつく。いや、気がつかされる、と言った方が正しい。
 原因は、彼が放出する気配にあった。周囲にプレッシャーを与える類の、気勢。それを常時放っている辺りからして普通では無いが、新聞に目を通していると言う仕草でさえ、周囲にしっかりと気を配っているように見えるというのは常人に出来るものでは無い。
 いつでも戦う準備の済んだ野生動物が、人の姿をして身構えている。彼を見たものは、等しくそう思うだろう。
 住む世界が違う。あまりにも、奴は危険過ぎる。そう相手に感づかせるように気配を放っているのは、不用意に相手をおびえさせるための虚勢か、必要以上踏み込んで来させない優しさかは微妙な所だが。

「まあ、そう言うな。だからこそ、君達の仕事も増える。ありがたいくらいだろう?」

 のんきに答える声。新聞を広げる男の向かいに腰掛け、アイスコーヒーの浮かんだ氷をストローでつついて遊んでいる。気配を感じているのかいないのか、あまりにも日常的に過ぎる姿だ。
 白の、仕立ての良いスーツに身を包み、きっちりとネクタイまでつけている。一流所のビジネスマンと言うべき姿の上に、温和そうな表情が乗っかっていれば疑いようはない。しかし、殺気にも似た鋭い気配を放つ男を前にして、温和な表情と気配を放ち続ける辺りただ者ではあるまい。
 そして、彼に視線を送っていれば、首をかしげる者もいるはずだ。
 金髪碧眼の、穏やかな顔。西欧系の、これまた作りの良い顔に問題は無い。180を越す長身はスマートで、無駄な肉が見えないのは日頃の鍛錬の成果なのだろう。
 挙動そのものは普通である。アイスコーヒーの氷をつつき、思い出したかのようにそれを飲み。普通の人と何ら代わり映えは無い。
 だが、その行動は、予定調和のように見えて、実はほんの僅か、早い。
 常人が気付くタイミングで、その男はすでに行動を終えている、といえば分かりやすいだろうか。
 気配と、行動。
 その二つのせいで、この二人は明かに周囲の空気から浮いていた。

「たまには休ませろ」

 ぼそりと呟かれた赤髪の言葉を、スーツの男は綺麗に無視。そんな事など知らないとばかり、優雅な仕草でコーヒーを飲む。その行動には、君の都合など意に介さないと言う無言の解答がありありと溢れていた。
 周囲の空気が引きつるような、微妙な緊張感に包まれる。一瞬喫茶店の中が静寂に覆われるが、すぐさま赤髪のほうが諦めたように息をはいた。こんな問答など、日常的に展開されているのだろう。それでも男は動じないと言う事は、変える気など毛頭無いと言う事だ。
 意味の無い問答を諦めた赤髪は、別の論点から攻める事にする。

「……あいつらは、絡んでるんだろうな。R」

 赤髪の男は、そう言って新聞紙を叩く。粗い作りのタブロイド紙はがさがさと言う音を立てながら彼の手の中で変形。浮かんでいた皺を無理やりに伸ばされる。対して、Rと呼ばれた白スーツの男は、不敵としか言いようの無い表情のままアイスコーヒーを静かに、かつ優雅に飲みながら。

「今まで、この手の情報で君の期待に添わなかった事があるかね? まちがいなく、君の仕事だよ。頑張りたまえ、黄 九城(ホワン ガウルン)」

 と、さも当たり前のように言ってのける。そして、両手を組み合わせて悠然と微笑むRと、その表情をいらだたしげに見据える黄。しばし、その視線が交錯し……。席を立ったのは、黄。

「……ここの払いは任せる」

 そう言って、つかつかと出て行く。Rはその仕草を見て薄く笑うが、やがてやってきたウェイターが見せた領収書に、その表情を引きつらせる。
 メキシカンピラフセットにタンドリーチキン、そしてアイスコーヒーが二つ。
 どうやら、黄はRが来る前にしっかりと飯を食っていたらしい。ここで。

「やれやれ。抜け目ないと言うべきか、意地汚いと言うべきか……」

 呟いている言葉とは裏腹に、Rの表情には笑みがあった。



 出来そこないの摩天楼。黄がこの街に下している評価はそれだった。
 かつて、世界全土にひしめき合っていた妖怪や化物、天使などと言ったオカルト的存在。それは、自分の居場所を科学に奪い取られ、やがて一つの場所に、逃げ込む様に押し込まれた。
 そして、人々は全ての怪異を収め、孤立させた場所に名前をつける。廃棄都市“逢坂”と。そしてその表記通り、この街では無数の怪異に逢う事が出来るのだ。
 町の人口を数えれば、まともな人間などそうはいまい。自分を含めて。

「……ったく、さっさと仕事を終わらせねぇとな」

 頭をばりばりと掻きむしりながら、嘆息。どうも自分は、Rに躍らされている気がしてならない。まあ、彼と自分の利害関係は厳密には一致しているのだが、あのいつでもどこでも余裕綽々、と言う態度がどうあっても気に食わないのだ。
 まあ、それくらいの余裕と肝が据わっていなければ、この街で生き続けて行く事など出来はしない。それを、他ならない黄自身が知っている。

「……さて、あそこだな」

 小さく笑うと、黄は目的地を見上げる。
 比較的くすんだ灰色が多いこの街のビルの中で、真っ白に染め上げられたこじゃれたビル。
 周囲に注目してくれとオーラを放っているようにさえ見えるその場所に、ポケットに手を突っ込んだまま悠然と歩み寄る。入口の前には警備員らしき男たちが鎮座しているが、そんな物はお構い無しだ。

「ここは私有地です。紹介状はお持ちですか?」
「無い」

 穏やかな態度で聞いてきた男の言葉を一蹴すると、そのままつかつかと中へ歩み入ろうとする。
 当然、その行動は止められる。肩を掴む手によって。
 
「ただ今、当方は儀式の最中でして。部外者の立ち入りを制限させて頂いて下ります。お引取りを」

 下がらなければ殺す、そんな匂いをぷんぷん漂わせる男の台詞に対し、黄は逆に、にやりと笑って見せた。この場に似つかわしく無い、まるで玩具を与えられた子供のような鮮やかな笑み。

「……わからねぇかな? だから来たんだよ」
「まさか、貴様……!」

 黒服達の間に動揺が走る。その一瞬の隙をついて、右にいた男の側頭部目掛け、吸い込まれるように黄の右回し蹴りが叩き込まれた。バランスの良い体から放たれた蹴り足は鞭のようにしなり、男の一人を昏倒させる。
 顔色を変えたもう一人が慌てて動こうとした所で、黄の体が飛んだ。右足を地につけざま、倒れようとする男に左の突き蹴りを放ち、そのまま宙に浮く。
 空中で身をひねり、背後にいる男に向かって繰り出されるのは、体全体をコマのように回転させながらの蹴り。俗に言うローリングソバットを受け、もう一人の男も沈黙する。
 そのまま、何事もなかったかの様に襟を正すと、ビルの中へとゆっくり足を踏み入れる。ビルと言うのは見た目だけで、すぐさま中の様子は明かになるのだが。
 入ってすぐの場所にあったのは、巨大な拭き抜け。いや、この建物自体がビルの形をした囲い。周囲にこの光景が、広がらない為のカモフラージュ。
 そして、目の前には祭壇があった。十字架に吊り上げられた一組の男女。それを囲むように、天井を見上げる人々。そして、十字架に吊るされていない者達には、一つの共通点があった。
 その背中を覆う、真っ白い翼。

「……ったく、こんな所に道作って、なに企んでやがる? 上役でも降ろす気か、天使ども!」

 男達に聞こえるように、わざわざ大声を張り上げる黄。よく通る上に大きなその声を聞き、それまで天を見上げていた者達が、一斉にこちらを見た。
 対する黄はと言えば、刺すような視線の群れを受けても、一向に身じろぎしない。それすら予想通りであるかのように、右手を振る。

「お前らがそんな面倒してくれる御陰で、こちとら不眠不休でその馬鹿見張って潰さなきゃなんねえんだ……。手加減なんざしねえ。素直に儀式止めて逃げるなら良いが、それ以外は生きてた事後悔するぐれえに殴り倒してやるから覚悟しやがれ!」

 ぶん、と右手を振る。それに答えたのは、天使達の右手。背中から羽根を引きぬき、黄の方へと飛ばして来たのだ。ふわり、と羽根が舞い、やがてそれは一条の光となる。慌てて横っ飛びに回避する黄の目の前、今まで居た場所は白い光に次々と貫かれ、穴だらけにされていた。
 そこを一瞬だけ見て、黄はこらえきれないと言う風情で薄く笑う。野生の獣を連想させる、獰猛な笑み。そのまま、伸びた右手が松明の中にくべられた、一本の木切れを掴んだ。

「そう来なくっちゃ嘘だぜ……。来れ、皇たる翼よ!」

 かざした松明が、黄の一言で爆発的に燃え上がる。周囲を真紅に染め上げる炎は形を取り、そして見る間に一つの剣となった。刃渡り120センチ、分類すればグレートソードに相当する程の、巨大な代物。それを片手で、まるで重さなどないかの様に振りまわす。
 その間に、天使たちもその姿を劇的に変えていた。今まで着ていた様々な服を脱ぎ、その衣装を白い貫頭衣へと一新している。そして、手には剣か、弓。その数ざっと見て18体。剣が9に弓が9と言う構成だ。それぞれに翼を広げ、舞い上がる。弓を持つ天使は矢をつがえ、剣持つ天使は振りかぶり。
 対する黄は薄く笑うと、おもむろに間合いを詰める。天使達が翼を傍めかせて降りて来ようとする前に、自分から跳躍。防御しようとした天使の剣に、荒々しく両手剣を叩きつける!
 瞬間、悲鳴が上がった。黄は剣を振りぬき、防御したはずの天使の体には、剣が通りぬけた軌跡そのままに、炎が灯っていた。体を焼かれる感触に、羽ばたくのも忘れ身をよじる天使。墜落してゆくそれに、黄は足をかけた。落下しきる直前、全ての衝撃を足元の天使に叩き込む。

「言い忘れたがな……」

 ぶん、と剣を振り回す黄。剣が空を切り裂くそのたび、軌跡を追う様に炎が走る。

「俺の相棒。緋誓剣『皇翼』は、純粋な炎の塊みたいな物だ……。そんじょそこらの剣と、いっしょにしてもらっちゃ困るぜ?」

 剣を肩に担ぐように構えての、宣言。挑みかかるような口調を前に、天使達の顔に一瞬動揺が走る。戦場の中に生まれた、空白の一瞬。それを埋めるように動いたのは、黄。身構えるのが僅か遅れた天使の一人に、皇翼の突きを叩き込む。止める事も出来ず肩を貫かれ、炎を上げて燃え始める天使。
 慌てたのは天使達の方だ。訳の分からない剣を前に、弓を持った天使が出来たのは一斉に矢を放つ事しかなかった。しかし、しっかりと狙いをつけずに放たれた矢は、その姿を光へと転じながら明後日の方向を次々に射貫く。結局九条の光の内、黄目掛けて撃ち込まれたのは三つだけだった。
 黄は慌てる事もなく空中で身を捻り、襲い来る光のうち二つを剣ではじき、一つを立てた剣の腹で防ぐ。そのまま、押されるように地面に激突しかけ、慌てて剣を横に振る。が、と鈍い音を立て、その場で止まる体。

「ち、数が多いな……!」

 編成の妙味を見せる天使たちの攻撃を前に、僅かな舌打ち。しかしそれ以上の余裕があるわけでもなく、すかさず壁面を走るようにして床へと降りる。今まで彼が居た場所を、天使達が弓から放つ光が通過し、穴だらけに変えてゆく。どうにか地面に到着し、天使達が矢をつがえるより速く。

「飛び道具ってんなら、こっちだって……。無いわけじゃねえ!」

 気合一閃。天に向かって振り抜かれた黄の剣から、まるで衝撃波のように炎が舞う。全てを飲み込み撃ち砕く、そのためだけの赤い衝撃。それは、弓をつがえた天使の一人を、見る間に焼き尽くしていった。

「……ほう。流石は音に聞こえし神剣、レーヴァティン。人の身が使っても、それ程の力を持つ、か」

 不意に聞こえた声に、第ニ撃を放とうとした黄の手が止まる。声の主は、目の前。二人を磔にした、十字架の前で声を放っている。それを確認した次の瞬間、声と共に黄が踏み込み、一撃をその男の向かって叩きつけるように放つ。
 目の前の全てを打ち砕かんとする斬撃を、男はその手にした剣で受けとめた。

「確かに、大した力だ……。だが、この私には通用せんぞ!」

 炎に照らされ、男の容姿がようやく分かった。金髪碧眼、作り物と形容した方がしっくり来る整い過ぎた顔立ちに、均整の取れた体つき。白を基調としたローブの上に、白銀の鎧を身につけている。

「……この分だと、ここのボスって奴か。さしずめ第七位、権天使(プリンシパリティーズ)ってとこだろ」

 皇翼を両手で保持したまま、噛み付かんばかりの声で吼える黄。それに対し、男は悠然と頷いた。

「その剣を使っても、君ではせいぜい天使を落とすのが関の山だろう。この私に、君の力の一切は通じん!」

 もはや勝負は決まっているかのような、断定口調。そのまま剣を振り抜くと、全体重をかけて剣を振り下ろしていたはずの黄が、逆にふっ飛ばされた。そのまま白い翼を広げ、権天使はさらに剣を振りかぶる。
 体を捻って体勢を立て直す黄に、権天使の容赦無い一撃が飛ぶ。慌てて振り回した剣で防御するも、無理やり地面に落下させられた感は否めない。膝を落として衝撃を殺すと、すぐさま黄は横に飛んだ。彼が今まで居た場所を、権天使が左手より放った光が行き過ぎる。それは地面に穴をあけるだけでは留まらず、まるでバターでも斬るかの様に地面を斬り、その痕は壁にまで達した。

「どうした? レーヴァティンを持ってその程度か?」
「うるせえ! ここからが本番だ!」

 余裕を言葉尻に漂わせる権天使と、それに苛立たしげに返す黄。膝を使って飛んだ黄にすぐさま権天使は追いつき、剣の一撃を容赦なく叩きつけた。
 剣を立てて止める黄に、左手からの光が追い討ちをかける。二重の衝撃を受け、黄の体は壁に叩きつけられた。背中を打ちつけ、一瞬息が詰まる。
 そして、壁に叩きつけられた黄が体勢を立てなおすより早く、権天使の剣は黄の喉元に突き付けられた。動けば、死ぬ。極限の緊張感の中で、穏やかな表情を浮かべた権天使が口を開く。

「君が罪を悔い改め、改宗するとすれば許してやらん事もない。神の愛は何よりも深く、偉大なものだよ?」
「俺は神も仏も信じねえ性質でね」

 権天使の言葉に、おどけて笑いながら答える黄。天使はそれを聞くや、喉元に突きつけた剣を突き入れんと僅かに引く。
 その一瞬、黄が体を右に捻った。目標がいなくなり、壁に突き刺さった権天使の剣を確認するより速く、息を吸い込み、声を上げる。

「加護もくれねえ神様に、てめえの無力をなすりつける気はねえ! 俺の一生は俺だけのものだ! 俺は。夢も、希望も、絶望も! 自分で感じて、自分で手に入れる!」

 文字通りの、咆哮。あまりにも強い声の力に、一瞬だけ権天使ですら、気圧される。
 そして、変化はその一瞬で起こった。吼えた黄の背中に、新たな色が走る。
 それは、何もかもを焼き尽くす炎。強すぎる情念の、赤。

「ば、馬鹿な……。人の身で、炎を操るとでも言うのか? ありえん!」

 権天使の声に、驚きが混じる。声の驚きに異常を感じたのか、天空で控えていた天使達が、思い出したかの様にその矢を射かける。矢はすぐさま光と化し、今まさに立ち上がらんとする男を貫かんと迫る。
 しかし、それが黄を傷付ける事はできなかった。光として撃ち出された矢は、黄の体に届く直前、一つの物に阻まれ消える。
 彼を護るように展開されたのは、炎。赤い防護壁はゆっくりと左右に割れ広がると、そのまま一つの形となって、立ち上がった黄の背中にぴったりと収まった。
 抜き身の剣を携えて立つ、黄の背中に生えるのは四枚の翼。二つは大きく横に広がり、もう二つは、まるでマントのように背中を護っている。文字通り真紅の翼を背に生やしたその姿は、天使達のような神々しさこそないが、それをむしろ自らの色とするかのように、目前に立つ天使達を鋭い眼差しで睨みつける。

「さあて、ここからが本番だぜ!」
「赤い……翼だと! 貴様、人の身でその様な……!」

 抗議するような権天使の言葉などお構いなし。とん、と軽いステップを踏んで地を蹴ると、黄の姿が一瞬で加速する。真紅の尾を引きながら剣の範囲内に到達すると、両手に持った皇翼を大上段から叩きつける。慌てて剣を振り、赤い一撃を防ぐ権天使。
 次の瞬間、彼は右脇腹に衝撃を感じてたたらをふむ。空中で体を捻った、黄の蹴りが脇腹を捉えたのだ。翼を得たその体は、空中で停止する事も出来る。この程度の芸当など造作も無い事だった。
 慌てて光を射かける天使達。黄はその光を見るや、ばさりと翼を閃かせると、炎の尾を引きながら空へと舞い踊る。数条の光が体を掠め、一条は右肩を浅く薙ぐがこれを無視。

「前に出る気概も、意思も持たない奴らが……。邪魔するんじゃねえ!」

 声を放ちながら、皇翼が全てを薙ぎ払わんと振るわれる。剣本体に切り裂かれ、放たれた炎に焼き尽くされ。天使達はその体を焔に包み、声すら上げる事を許されず、文字通り屠られてゆく。

「貴様……。我が同朋、神の僕をよくもおおおおおっ!」

 真下から、声を上げながら上昇して来る権天使。黄はそれに対し、両手で皇翼を保持。そのまま一気に振り下ろす。繰り出された権天使の剣と、皇翼。互角に見えたつばぜり合いは一瞬の事。すぐさま、翼をはためかせた黄が権天使を押し始める。
 元々重力というものは下向きに働いているが、それだけではない。黄は翼から炎を上目掛けて放ち、急降下の形で権天使の剣に対抗していた。先程、黄の剣を片手で止めた権天使でも、重力のくびきを断ちながら、加速し続ける黄を止める事はできない!
 真紅の尾を引きながら、地面に向かって落ちてゆく白と赤。地面に叩きつけられたのは白い影、権天使。地面に半ばめり込みながら、苦しげに声を放つ。

「この力、まさか……。我々と同じ……っ!」

 その言葉の続きを放とうとした刹那。上にいる黄の翼から、真紅の羽根が数枚抜け落ちる。その意味を一瞬にして察し、慌てて体を引きぬいて逃げようとする彼の体に、赤い剣が容赦無く叩き込まれた。
 胴鎧を砕かれ息を詰まらせ、言葉を中断させられた権天使に、黄は言葉を投げかける。叩きつけるように荒々しく、断定的な台詞を。

「俺は、俺だ。てめえが何を思おうと、俺は黄 九城。その事実を、誰にも曲げる事など出来ねえんだよ!」

 咆哮と同時、剣が炎を解き放つ。権天使のまぶたに、せまり来る炎のシルエットが焼き付き……。
 次の瞬間、猛烈な火柱が巻き起こった。
 彼の翼には、強い炎の力が宿っている。それが皇翼の放った炎に引火し、強烈な火柱を引き起こしたのだ。 

「てめえの送り火にゃ、丁度良いだろ。せいぜい、向こうで大好きな神様でも拝んでな」

 背中に起こる火柱を見もせずにそう言うと、そのままゆっくりと十字架に向かって歩み寄る黄。磔にされた男女は、衰弱はしていても生きてはいるようだった。両者とも驚きに目を見開き、何をする気かと黄の方を凝視している。

「相変わらず見事な腕だ。後は私に任せておきたまえ」

 背後から聞こえた声に、黄は思いきり皇翼を横薙ぎに振り抜きながら振り返る。振り抜いたその後には、何事もなかったかのように立つ白いスーツの男、Rの姿があった。

「気配もなく背後に立つんじゃねえ。いつから居た?」
「君が権天使と戦っていた所からだ。相変わらず、君は加減を知らないな。捕らえられた人が怯えているぞ? もっとスマートに振舞いたまえ」

 噛み付かんばかりに声を上げる黄と、それを冷静にいなすR。二人の様子を、磔にされた二人はまるで珍しい物でも見るかのような目で眺めている。
 その様子を見るや、黄は一度、二人に向かって息を吸い込んだ。

「この廃棄都市は、どんな場所よりも物騒だ。自分の身は、自分で護るしかない。誰かに頼るな、頼ろうと思うな。大切なものを護りたかったら、強くなれ。何よりも、誰よりもだ!」

 それだけ言うと、右手一本で構えた皇翼を、まるで血潮を振り払うかの様に振り下ろす。役目を終えた赤い刃は、それだけで僅かな炎の残滓と消えた。黄はそのまま背を向け、振り返りもしない。

「後はあんたらの仕事だ。これで残りは62匹。108匹天使を落としたら、元の世界に返してくれるって約束。忘れんじゃねえぞ、R」

 不機嫌そうな黄の言葉に、Rはむしろ笑って。

「分かっている。しかし、君には言った筈だ。カウントするのは第八位、大天使からだと。その換算方法で言えば……。君が倒しているのはこれで5匹目だ」

 と、至極丁寧に答える。黄はそれに対し、うんざりしたような顔を浮かべた。無論、それは磔にされた二人からは見えはしない。
 彼が浮かべた感情は、全て背を覆う赤い翼が隠してくれる。やがて大仰にため息をつくと、負けたとばかりに手を振った。

「……ったく、帰れるのはいつになる事やら」

 うんざりしたように息を吐くと、そのままポケットから煙草を取り出す。
 銘柄はマルボロの赤。何故か知らないが、これ以外を吸う気がしない。翼に煙草を当てて火をつけ、紫煙を吸い込む。その一瞬、脳裏を霞める面影一つ。
 辛い時、哀しい時、ふとした弾みに思い出す面影。自分の胸くらいの背丈、さらさらとした銀髪をポニーテールにした少女は、こちらに向かってにっこりと笑っている。
 微笑む、と言うより、元気全開にしたような笑顔。こちらを見て何事か口を動かすが、その言葉は聞こえなかった。

「……っち、またか」

 ばりばりと頭をかきむしり、記憶に思いをはせる黄。しかし、そのイメージが浮きでたのは一瞬の事で、何を言っていたのかさえ、思い出せない。
 こちらに来た時、以前いた世界での記憶は全て失った。何でも、世界を越えてやって来るのには、多大な衝撃が伴うのだ、とRは言っていた。それが事実である事は、過去の記憶のほとんどが吹っ飛んだ黄自身が良く知っている。
 思い出せるのは、戦い方と赤い翼。背に生えたこれを忌み嫌っていた事。
 そして、一瞬脳裏を霞める、銀髪の少女の面影。
 彼女は誰だっただろう、自分とはどういう関わりだったのだろう。確実なのは一つだけ。
 まるで幻影のように浮かぶ銀髪の少女こそが、今まで自分が向こうにいて、そしてこれから帰ろうとする『理由』なのだ。自分にとって、心の大事な個所を占めていたのは間違いない。
 だからこそ、彼女のイメージだけは脳裏から離れなかったのだろう。記憶をふっ飛ばす世界移動のさ中でも。黄の心を構成する、大事なパーツだから。

「……必ず帰る。待っててくれ……。ティセ」

 呟いた名前が本物かさえ、分かりはしない。だが、本能的に黄は彼女をそう呼んでいた。そのまま振り帰る事も無く、歩き出す。背中に翼をぶら下げて。

「待ち人か?」

 何時の間にか隣にいたRが、そう声をかけてくる。黄はそれに対し、ただ小さく肩をすくめて見せた。表情に浮かぶのはシニカルな笑み。

「俺の故郷に、待たせてる。とっとと迎えに行かなくちゃな」
「そう思うなら安心だな。さて、次の仕事だが……」
「待て、ちょっと待て! R、てめえ怪我人に傷を治す時間さえ与えないつもりか!?」

 二人は言い合いながら、ゆっくりと夕闇迫る街を歩いて行く。夜の帳が下りようとする最中、騒がしい街の喧騒の中に、その姿はゆっくりと消えてゆくのだった。


あとがきへ



書斎に戻る