五聖戦記エルファリア

第三章 その名は疾風<5>



『厄介だな……』
 思わず、小さく呟くフォーゼルとタスク。報告内容は、彼らにとっては最悪の来訪だった。
 ギアスはGAMS軍時代のフォーゼルの上官であり、タスクの顔も知っている。もしフォーゼルが脱走兵だと分かれば、いかに『東』の各軍が相互不可侵体制を結んでいるとは言えども処分される。脱走とは、それほどの重罪なのだ。
「やはり、軍がらみの方でしたか」
 報告を聞いていた部隊長は、静かにそう言うとフォーゼルたちに向き直った。苦虫を噛み潰したような表情で頷くしかないフォーゼルの方を、部隊長がゆっくりと見る。何故か、その表情は僅かに笑っているように見えた。
「つまらない男に捕まったものですね……。君個人のデータは、陸空軍で高く評価されていたと言うのに、あいつのせいで届いていない」
 かすかに笑う部隊長に、フォーゼルと巴の表情が思い切り変わった。
「……何で、そんな事が?」
「脱走以前のデータは目にしています。小隊長としての模擬戦の戦績、実験部隊での個人戦闘能力。そして、発進準備していたあの黒いGAMSを、唯一操縦できる可能性を持ったGAMS操者。ギアスが目をつけなければ、後一月もせずにお呼びの声がかかったはず」
 フォーゼルの問いに、あっさりと答える部隊長。それは、とどのつまりこの基地が『東』の情報をしっかりと盗み見ている事に他ならない。規律違反を平然と行い、脱走者を目の前にしながら平然と微笑むその姿に、フォーゼルは内心苦虫を噛み潰す想いだった。
「ここは交換条件と行きましょう。船とあなた方の安全を保障し、修理素材と技術者を提供します。その代わり……」
「この基地の人間に、GAMS操縦技術をレクチャーしろ、と?」
 ふう、と僅かに息をついて言うフォーゼルに、微笑してちょっと首を振る部隊長。
「それも魅力的な条件ですが、実際には50点ですね。あなたと、そしてタスク博士に尋ねたい事です……」
 意味ありげな沈黙が流れるなか、タスクは小さく頷いた。
「いいだろう。あの話の中に出てたものに関する事なら、俺個人としても興味がある」
 もう一つの条件は、タスクが個人的に聞いていたらしい。とんとん拍子に進んでいく交渉と、状況の変わりように唖然とするしかない巴を尻目に、一同が一気に動きを見せる。
「とりあえず、まずは彼らをどうにかせねばなりません。私が話をつけますから、あなた方はまず実験機格納庫の方へ。こちらをやり過ごしたら、向かいます」
 道案内に立つ兵士たちにそう告げる部隊長。それについて歩きだすフォーゼルたち。僅かに送れて追随する巴。緩やかに髪をなびかせていたその足並みが、不意に止まった。
「……こんなところにいたとはな……」
 響いた声。それは巴には聞き覚えが無く、フォーゼルたちにとってはもっとも聞きたくない者の声だった。
「総員、至急捕らえろ」
 最前列にいる兵士に、ギアスが命じる。しかし、空軍兵士は動かなかった。
「GAMS軍中佐の命令は、聞く権利がありません」
「ここは空軍基地です。ご自分の立場を弁えたらいかがですか?」
 空軍兵士たちはそう言って、ギアスの命令を突っぱねる。兵士たちとギアスの間で、僅かな沈黙が続き……。
 不意に聞こえた銃声が、それをこなごなに粉砕した。ギアスの横にいる兵士たちが、紫煙の上がる銃口をフォーゼルに向けている。
「さて、おとなしくしてもらおうか」
 兵士二人を撃ち殺し、平然と告げるギアス。いつもなら拳銃の一丁も持っているが、正装に着替えたフォーゼルたちには自衛手段など無い。
「ずいぶん無茶をしてくれる……。相互不可侵ってのは知ってるだろ?」
 苦笑を浮かべるフォーゼル。ギアスは何も言わず、銃口を付きつけたまま。
「お前たちを殺す事が、俺に課せられた役割なんでな……。今は、他の事を考える余裕はない」
 静かにそう言うギアスに、フォーゼルはただ黙って足を踏み出した。握られたのは左の拳。酷く緩慢な一撃に、ギアスは何事も無かったかのように避けて見せ、そして沈黙した。
「世の中には、フェイントって便利な言葉があってね……」
 右手には、どこから取り出したのか分からない拳銃が握られている。それを相手の腹に付きつけ、フォーゼルは薄く笑って見せた。
「親子の絆、と言うべきじゃないのか?」
 事切れた兵士の手から軽機関銃を取り、タスクはそう言って薄く笑う。見れば、兵士が差している筈の拳銃が無い。あの状態から、タスクがそっと渡したのだろう。親子間の会話はない、と前にタスクは巴に言っていたが、決して中が悪いわけではなかったのだ。
 いや、むしろ逆。これほどまで息のあった二人には、会話の必要すらないのだろう。
「まあそんな細かい事はさておいて。今は引かせてもらう。銃を出してもらおうか」
 静かにそう言い、銃を付きつけようとしたタスクの頬が、唐突に引き裂かれた。視線の先には、銃を構えた一群がしっかりと身構えている。
「お前たちは、ここで死ね」
 にやりと笑って言うギアスの顔は、酷く禍禍しく見えた。




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