五聖戦記エルファリア


第三章 その名は疾風<3>



「この音は……!」
 『東』の基地で過ごした日常の中で、日常的に耳に届いていた音声。久しぶりに耳にしたそれにも、やはり良い印象は持てる物ではない。
 まして、『東』の基地から逃げ出した今とあっては。
「親父っ! これはどう言う事なんだっ?」
 艦橋に転がりこむように入りながら、金切り声じみた叫びを上げるフォーゼル。
「どうした? 『東』の空軍基地に行くのがそんなに不安か?」
「不安だっ!」
 灰色のスーツ(ネクタイはない)姿のタスクに、黒のズボンとカッターシャツと言う私服に着替えたフォーゼルがすぐさま突っ込む。元々軍基地から脱走してきた以上、基地にはその手の事例等が出回っている可能性が高い。彼の目には、タスクの行動は自殺行為にしか見えなかった。
「まあ黙っていろ。絶対に大丈夫だ」
 謎の自信を持つタスクに、不承不承頷くフォーゼル。信頼できないのではなく、心配だから、と言う理由でごねているのである。こうと決めたら一歩も引かない父親の性格は知っているから、止めるだけ無駄なのは分かり切った事実。
 ただ、目の前にある空軍基地は曲がりなりにも『東』の軍属。分の悪い賭けには違いなかった。
《こちら4Th.East、ベルスタッド空軍基地。貴船は当基地の索敵管轄内にいる。直ちに船名、所属などの詳細情報を公開せよ。されなかった場合は、『西』の工作船として破壊するものである》
 決まり切った警告音声が一度きっかり流れた所で、タスクは自分から通信マイクを掴み、通信網を開くように指示する。回線はフルオープン、つまり一切の秘匿をしない公開放送。
「こちらタスク=エリオンド所持の私用船、ミドガルズオルム号。現在、戦闘の被害を受けて航行が困難な状況にある。修理のため、ドックの一次借用をお願いしたい」
 それだけ言って、反応を待つ。当初からリスクの高い何かをやろうとしているとは踏んでいたものの、さすがのこの台詞には一同の間にざわめきが起こった。
「俺たち、『東』に追われてるんだよな……?」
 呆然と尋ねるジレットに、ただ頷くしかないフォーゼル。
「さすがに、この手段は思い切り過ぎだと思いますが……」
 シャツにジーンズと言うラフなスタイルの巴も顔色を変えているし、タスクの表情からも緊張が抜けていない。ただ一人、カスミだけが来た時と変わらない、感情の見えない人形のような顔をしていた。何を考えているか分からないその表情は、油断を許さない現状とあいまって周囲に不安をばら撒いている。口々に登るそれよりも強く、ミドガルズオルムのクルーたちは不安と言う得体の知れない恐怖と戦っていた。
《船体コードを確認した。これより誘導ビーゴンを出す。三番ドッグに入航せよ》
 しばらくしてからやってきた通信に、一同の表情が一気に安堵へと切り替わる。しかしそれも一瞬で、すぐさま新しい疑問が湧き上がった。
 『東』に在籍している以上は、素性が判明したらお終いである。このまま行けば、先ほどまで追跡してきた軍隊に捕まった挙句、全員死刑と言うのがオチである。
「……タスク船長。俺がこの船の方針をあーだこーだ言える立場じゃないが、『東』の基地に入って大丈夫なのか……?」
 思わず表情に疑問を貼り付けて尋ねるジレット。その言葉は、その場にいる一同の意見を代弁していた。それに対し、ゆっくりとタスクは振り返り、
「心配するな、大丈夫だ」
 と、軽い受け答えを返す。あまりにも能天気なその解答に一同が頭を抱えていると、それまで動かなかった影がゆっくり、動いた。
「心配いりません。最前線の基地では、戦闘によって傷ついた艦を『保護』するようにと言う共通ルールがあります。それに、『東』の軍事システムは各個独立の形式をとっており、それぞれの組織が対等である事と、その方針に対する相互不可侵が厳命されています。空軍が私たちを受け入れれば、その時点でGAMS軍に狙われる心配は皆無といっても良いでしょう」
 まるで軍事教練のマニュアルを読むかのように、すらすらと答えるカスミ。表情に変化は見受けられないが、淡い水色のワンピースと言ういでたちは彼女に良く似合っていた。
「なるほど……。断った時点で、『東』の信用は地に落ちる。基地に入れば、相互不可侵で保護される……」
 顎に手を当てて、しきりに頷いているジレット。確かに、この船は戦闘に巻き込まれているし、修理が必要なのも事実だ。発想の転換を用いた思い切った作戦に、一同はしきりに感心している。ようやく肩の荷が下りた、そんな表情だ。
「まあ、理屈にかなっちゃいるが……」
 しかし、そんな中でもフォーゼルは心から安堵する事が出来なかった。
 かつてルールを捻じ曲げてまで、とことんまで軍属としての正義を追求し、そして今も正義と言う我欲とすれすれの部分を走る男の事を思い出す。目前には確かに希望の灯が見えてはいるが、同時にそれはどこか、不安のヴェールを厚く纏っているような気がした。




続きを読む

書斎トップへ