五聖戦記エルファリア


第三章 その名は疾風<1>




 目を、開ける。
 開くのではなく、開ける。
 ともすればぱりぱりと音を立てそうなほどにへばりついた両のまぶたを引き剥がし、周囲の様子を、ひいては自らの置かれている状態すらも確認する。
 周囲の様子、見覚えのない部屋。どうやら大型の輸送機器の内部。
 任務、未入力。
 状況、栄養素の枯渇を確認。至急栄養分摂取の必要あり。
 それだけ確認すれば十分。いや、それ以上に確認できないと言うべきか。
 ともかく、自己の運動能力確保のために最優先された行動を取る。
 要するに、食料を求めて。

 ちょうどその頃、ミドガルズオルム内部の食堂にて。
「エンブレム?」
 持ってきた自分の食事を書きこみながら、オウム返しに聞き返すフォーゼル。テーブルマナーがどうこうではなく、軍隊の規律によって産み出された早食いの賜物である。
 必要最低限のマナーを護ろうとしてぎりぎり失敗している事からも、その辺のつつましい努力がうかがえる。
「ああ。専用機って事じゃねーけど、分類にゃあちょうど良いだろ。肩とかそう言うとこにマーキングするのって、アイデアだと思うんだがな」
 食後の茶をすすりながら言うジレット。フォーゼルと同じ時間に食事を取っていた彼だったが、速度の変わりにマナーをかなぐり捨てたその食事方法は苛烈極まりないものだった。周りにいる人間が、思わず後ずさるほどに。
「でも、やる必要あるか? 俺のシヴァルツヴォルフもお前のファイアガンナーも、実質専用機だろ? 俺たち以外に転がせる奴がいない、問題だらけのGAMSなんだし」
「そこが甘いんだよ。一流の騎士ってのは紋章を持ってるだろ? そう言う表現だよ」
 最後の生野菜を口に含みながら問うフォーゼルに、指を左右に振りながら答えるジレット。顔に浮かんでいるのは不適な笑み。俗に言う、悪巧みの顔と言う奴だ。
「……まあ、考えとく。あんまり敵さんたちにとって、脅威とか二つ名とかつけられるのは趣味じゃないんだけどな……」
 呟きに図星を付かれ、思わず後ずさるジレット。なし崩し的に参戦した立場とはいえ、この内部の情報を手土産にすればまだ復帰は聞く。それどころか、功績によって階級の特進も考えられるのだ。
 『東』の軍勢をあそこまで破壊しておいて無償でと言う事にはならないのが常だが、とてもそんな事にまで頭が回っていないジレットであった。
「でも、エンブレムってどう言うのをデザインするんだ? 名前なわけはないし……」
 首をひねるフォーゼル。話に乗ってきた彼に、ジレットは指を振りつつ、
「基本はどう言うのでもいいんだよ。イニシャルの最初の文字をデザインするとか、機体名から連想するモチーフを使うとかな」
 と、自慢げに説明する。この手の事は基本的な物なのだが、そう言う事も知らないで軍隊に入ったフォーゼルには新鮮な知識に聞こえた。
「機体名、か……。狼とか……」
 なにやら真剣に考えるフォーゼルをよそに、ひょい、と首をめぐらせるジレット。その視界に、見なれない影が移った。白い服を着て、小柄な……。
「……待てっ!」 
 どう見ても見覚えのない影に向かって、地をすべるように追跡を開始するジレット。人気のない食堂でも、その足に衰えはない。見る見るうちに侵入者らしきそれを追い詰めて、さあ捕まえようと両手を開いて掴みかかる。
 瞬間、人影の方はその手を捕まえて軽快なステップを踏んだ。軽快な歩調がジレットのバランスを崩し、ひょい、と倒してしまう。
 足を払う事無く相手を倒す。柔道で言う隅落とし、空気投げと呼ばれる技だった。
 その物音に気がついて慌てて生野菜を飲み下したフォーゼルは、始めて奇妙な光景を目にする。
 もう一度掴みかかったはずのジレットが、逆にあっさりと投げ飛ばされて宙を舞う様を。
「……今度の侵入者は、ずいぶんと活きが良いらしいな……」
 とにもかくにも立ちあがり、ジレットをあっさりと投げ捨てた元へと視線を送るフォーゼル。
 水色のボブカットを揺らす、小柄な影。鋭い印象を受ける相貌は琥珀色。口を真一文字に引き結んだその顔は真剣さにあふれ、研ぎ澄ました刃のような気配すら放つ。
 見たところ腕力はなさそうだが、ジレットを投げ飛ばした腕のほどを見る限り油断など出来るはずもない。第一人が集まる食堂をルートに選ぶなど、よほどの自信がなければ出来る物ではない。たとえ、パイロットの特定人物の暗殺が潜入の理由だったとしても、だ。
(なかなかの手腕を持った侵入者だな。しかし、なぜ食堂に……)
 腑に落ちないのはそこだった。これほどの腕だったら、そんな事をしなくても任務達成などできるはずである。食堂を通るなど、一流になればなるほど分かりやすい愚だろう。
 ならば、目の前にいる彼女はなぜ食堂へ? それほどの理由があるのか、はたまた一流ゆえのこだわりか……。
 考えるより先に、目の前の少女が動いた。前や後にではなく、その場にへたり込み。
「この状態で……。この匂いは酷です……」
 声と同じに、腹の虫らしき物音が鳴り響く。
 この瞬間、フォーゼルの頭からは彼女は有能なエージェントであると言う印象はきれいさっぱり雲散霧消していた。




続きを読む

書斎トップへ