江戸期後半の百姓一揆
享保・宝暦一揆
伝説紀行第200話「後ろ向き地蔵」引用 


西暦 
 和暦  月日 出来事 
1717   享保02   06月   洪水。耳納山筋山汐。筑後川・巨瀬川氾濫。被害多し。
12月   草野又六による領内土地測量。
1719  享保04  夏   風害にて凶作。当時の狂歌「百姓と鮎のわたこそ似たりけり女房うるか子うるか」
1720  享保05   06月  享保の大洪水。上三郡被害甚大。
頃   財政方に登用された本庄主計が、藩主の衣を借り年貢検見に不当な効率を賦課し、また夏麦に重課税を課す。
1721  享保06   06月  洪水。
1724  享保09  この年     豊作。
 1725  享保10  夏作凶作。
1726  享保11   大洪水、凶作。
1728           享保13           02/09 享保02年の測量によって正徳の政も止み、年貢反につき1斗ないし2斗増加。02月の農民蜂起となる。
 郡方総裁判本庄主計を通じ、夏作年貢は収穫の10分の1から3分の1へ通達。
02月   上三郡農民各地に集合。増税反対。万事正徳2年以前への復帰を要求。享保一揆始まる。
01/10   藩主江戸へ出立。
03/05   諸家老・本庄主計連判、農民要求受け入れ申し渡す。
03/07   動揺北野・府中などに及ぶ。本庄主計は在方騒動の責任を問われ拘束。
05/22   江戸にいる藩主と連絡をとり、夏年貢の像税撤廃、秋作検見の適正、農産物流通税と馬売買運上銀の廃止。万事正徳改正以前復帰は拒否。
 08/18  回答に不満の3郡農民、「寄り合い極書」を作り、善導寺に集合。
08/23   府中切り通しに進み、城下進出を決定。
藩庁、表方家老・稲次因幡の決断で、10石につき1石1斗の年貢減免を申し渡す。
農民鎮まり居村に帰る。処刑者なしに事件落着。
11/03   本庄主計及び藩主側近の久米新蔵刑死。連座した主計の子平右衛門は、梅林寺・善導寺の嘆願により15歳になるまで処刑が延期さる。
11/--   大坂堂島米仲買人ら、米相場会所に反対して請願繰り返し、会所廃止となる。
 1729  享保14  07/06  藩主則維隠居。
農民一揆への対応、本庄・久米の処刑などで稲次因幡ほか国元重臣と軋轢。
1730  享保15  04/27   暴風・洪水・麦不作。
1731   享保16  この年気候不順。五穀稔らず。
1732      享保17    05月   大雨・洪水。
6月~7月   気候不順、蝗大量発生。領中飢餓。
09月  幕府から1万5千両借金。
家中扶持人に至るまで上米命じる。
この年  年貢、平年の5分の1に。
餓死者、1万198人。死馬4000頭。 
田畑位付春免物成帳作成完了。
城下町人の地主化し、瀬下町木屋は竹野郡早田村の農地50%を保有。
 1733  享保18   01月   五穀高値。米価銀48匁、銀札150匁となる。
秋   豊作。米価正銀で10匁下がる。
1734   享保19 08月   家老稲次因幡、知行を奪われ蟄居命じられる。
1742   寛保01  06月  5月末から大雨。
上妻筋山潮。その後大雨・洪水続く。
1745   延享01 07月   洪水、長野水道を壊す。
1746  延享03  02月   飢餓のため在方へ救米1万俵出る。
1747   延享04   02月   うち続く損耗により、物成を2万俵減石。
 11/23  東海道諸河川普請手伝いで幕命。家中は米1万俵、在町とともに畝掛り・小間掛り人別銀を徴収。
 1749 寛延02  05/13   洪水。享保5年の山汐から4番目の大水。
 1751 宝暦01   09月  盛徳院、津福村に池青寺を再興。
1753   宝暦03 11/22   幕府から困窮時のため囲米を命じられ、2万1000俵を貯穀する。
 1754               宝暦04               02/22  家中・寺社・在町一統へ人別銀課せられる。在町は1人銀札6匁、家中は100俵につき10匁。
03/07   徳雲寺虎堂、人別銀反対の意見書を上程。
03/27  筑後川八幡河原に上三瀦・御井・御原農民6万人集合。
03/28   上妻郡農民6000人、吉田山に集合。
03/30   三瀦郡田川原に3000人集合。
所々で大庄屋・庄屋・酒屋・富商宅を打ち崩す。
   03/30までに、総郡農民、人別銀反対など20数項目の要求書を藩に提出。
3月下旬   久留米城下三国屋へ藩札引き替えに1500人が押し掛け混乱する。
04/02   月末からこの日、家老有馬石見ら3人連署で、各地農民に「願いの通り詮議する」旨の書付を発し、農民ら居村に引き上げる。
04月   5月下旬にかけ、各地で村役人の不正追及と地主への小作条件改善の要求が起こる。
06月   一揆指導者たちへの詮議開始。捕縛300人、8月20までに終了。
08/27   首謀者ら18人、二つ橋で死刑執行。その他、郡追放39人、村払い32人、科料47人。
 10/05  一揆の際の「骨折り」に対して、被差別部落民へ寺社祭礼の節「物真似芸」を許される。
10/27   第2次処分、19人が死刑。
10/29   領内一向衆寺院、一揆の時の「徒党同然の仕形」を咎められ、府中町永福寺・野中村了徳寺は閉門に。
1755    宝暦05     03/26  城下御用聞へ銀札200貫課す。
 06/05  筑後川洪水、宮地で1丈8尺。
12月   盛徳院、津福村池青寺門前に水茶屋を取り立てる。
1756   宝暦06  04月  藩庁、在町御用聞60人に銀調達を課す。
1765   明和01 この年   連年の筑後川洪水で領民窮乏。
1773    安永01   09/27   宝暦一揆の処罰者58人、大赦される。
 
1831  天保02  01/15   家中へ人別銀、在方へ畝掛り・町方へ小間掛り、合計1万7446両課される。
       
       
       
       

参考資料

タイトル  発行所  著者・編集者   
 久留米市史第6巻    久留米市  
 久留米藩宝暦一揆
享保・宝暦・天保騒動
 実行委員会  今村猛氏ほか  
       
       

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