No.018
2024年11月03日
望東尼(博多人形)
平凡な江戸末期の尼僧が、晩年になって日本の政治態勢を転換させる事件に関わった。これが、ただ今本サイトで掲載中の「平尾山荘物語」の野村望東尼です。彼女の意識の変化に大きく関わった人物が何人かいます。その中の一人が、ここで紹介する平野国臣です。平野の人物像は、下記平野神社の説明文をそのまま書き写しましたのでご参照ください。 生誕地である平野神社は、福岡市営地下鉄の唐人町駅近くにあります。そこはソフトバンクホークスの舞台に通じる美しい花道です。野球見物の機会があったら、平尾山荘物語を参考にして頂ければ幸いです。 |
国臣は文政11年(1828年)福岡藩足軽平野能栄の次男としてこの地に誕生、国学を学び、武術・短歌にも優れた才能を開花しました。安政5年(1858年)幕末動乱の世を案じ、国家統一・勤王の志を抱いて脱藩。各地の同士を訪ね、尊皇攘夷運動への結集を図りました。 文久3年(1863年)但馬生野で倒幕挙兵をするも失敗。翌年京都六角獄にて刑死、37年の生涯でした。「我胸の燃ゆる思いにくらぶれば烟(けむり)はうすし桜島山」は国臣が詠んだ有名な和歌です。 |
平野国臣像(福岡市西公園内) 平野国臣生誕の地(平野神社) |
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地下鉄からドームに通じるホークス通り |