No.017
2024年09月27日


望東尼(博多人形)

老尼を目覚めさせたみやこ
  野村望東尼伝を執筆するにあたり、彼女が尊王攘夷に目覚めた京の都の場所を目に焼き付けようと出かけました。今回改めて、尼の京都での出会い、目撃した朝廷と幕府の対立の現場の様子など、その時のことがよく想像できます。

歴史の証人京の牢獄

中京区六角通

 今回の京都取材で、場所探しに苦労したのが「六角獄舎」である。望東尼伝では欠かせない存在の、平野国臣が処刑された牢獄の跡のこと。だが、タクシーノの運転手でもなかなか探し出せなかった。ややこしいのは、六角通という地名に建つ「六角堂」というお寺さんがあるからだ。だが、獄舎は関係ない。
 六角獄舎は、平安時代に造られた「由緒ある」京都の牢屋で、江戸末期まで存在したとのこと。江戸末期に逮捕された尊王攘夷派の福岡藩士平野国臣は、ここで処刑された。跡地には立派な石碑も建っている。平野国臣の行状については、本文でご確認ください。

伏見の川港

 望東尼が淀川を遡って伏見の川港に上陸した現場が伏見の川港です。なるほど、この町には、月桂冠や黄桜など、今も昔の面影を残す酒蔵が建ち並んでいます。その場所は、「大蔵谷回駕」と称される事件を、老尼が実感した場所し、目覚めていく所なのです。
宇治川からひかれた川港は、坂本龍馬などが活躍したり、薩摩藩士が倒幕のために意気盛んだった様子も、自分がその場にいるかのような想像も出来る場所なのです。
ボクがサラリーマン時代、月桂冠本社に出向くためによく降車したのが、京阪電車の中書島駅でした。その駅も40年前と同じです。違うのは、あの掘に再現した十石船が現れたことくらいかな。

川港公園に出現した三十石船

遊覧が出来る十石船

龍馬とお龍を繋いだ寺田屋

 

上立売通

 京都での最初の取材先は、望東尼が初めてみやこ(京都)に足を踏み入れた上京区の上立売通であった。資料によれば、この通り一角には、福岡藩京屋敷と望東尼が宿舎にした大文字屋があったはず。なるほど、薩摩藩邸など大きな屋敷跡や商人の住む街の面影は残っている。石碑など、何か印になるものはないかと捜すが見つからない。商店主やお寺のお坊さんにも尋ねたが、「薩摩藩なら分かるが・・・」と言うだけだった。
上立売通周辺には、同志社大学の本館と別館が幅をきかせているだけ。狭いとおりに商家が立ち並ぶ風景を連想するだけの取材であった。

かつて豪商大文字屋があったあたりだが、石碑などは見えない




長州決戦の蛤御門



葵祭の再現(出町柳駅コンコース)

目次へ   表紙へ    


No.017
2024年09月27日


望東尼(博多人形)

老尼を目覚めさせたみやこ
  野村望東尼伝を執筆するにあたり、彼女が尊王攘夷に目覚めた京の都の場所を目に焼き付けようと出かけました。今回改めて、尼の京都での出会い、目撃した朝廷と幕府の対立の現場の様子など、その時のことがよく想像できます。

歴史の証人京の牢獄

中京区六角通

 今回の京都取材で、場所探しに苦労したのが「六角獄舎」である。望東尼伝では欠かせない存在の、平野国臣が処刑された牢獄の跡のこと。だが、タクシーノの運転手でもなかなか探し出せなかった。ややこしいのは、六角通という地名に建つ「六角堂」というお寺さんがあるからだ。だが、獄舎は関係ない。
 六角獄舎は、平安時代に造られた「由緒ある」京都の牢屋で、江戸末期まで存在したとのこと。江戸末期に逮捕された尊王攘夷派の福岡藩士平野国臣は、ここで処刑された。跡地には立派な石碑も建っている。平野国臣の行状については、本文でご確認ください。

平野国臣像(福岡市西公園内

伏見の川港

 望東尼が淀川を遡って伏見の川港に上陸した現場が伏見の川港です。なるほど、この町には、月桂冠や黄桜など、今も昔の面影を残す酒蔵が建ち並んでいます。その場所は、「大蔵谷回駕」と称される事件を、老尼が実感した場所し、目覚めていく所なのです。
宇治川からひかれた川港は、坂本龍馬などが活躍したり、薩摩藩士が倒幕のために意気盛んだった様子も、自分がその場にいるかのような想像も出来る場所なのです。
ボクがサラリーマン時代、月桂冠本社に出向くためによく降車したのが、京阪電車の中書島駅でした。その駅も40年前と同じです。違うのは、あの掘に再現した十石船が現れたことくらいかな。

川港公園に出現した三十石船

遊覧が出来る十石船

龍馬とお龍を繋いだ寺田屋

懐かしい月桂冠酒造の煙突

 

上立売通

 京都での最初の取材先は、望東尼が初めてみやこ(京都)に足を踏み入れた上京区の上立売通であった。資料によれば、この通り一角には、福岡藩京屋敷と望東尼が宿舎にした大文字屋があったはず。なるほど、薩摩藩邸など大きな屋敷跡や商人の住む街の面影は残っている。石碑など、何か印になるものはないかと捜すが見つからない。商店主やお寺のお坊さんにも尋ねたが、「薩摩藩なら分かるが・・・」と言うだけだった。
上立売通周辺には、同志社大学の本館と別館が幅をきかせているだけ。狭いとおりに商家が立ち並ぶ風景を連想するだけの取材であった。

かつて豪商大文字屋があったあたりだが、石碑などは見えない

左:面影だけが残る上立売通 右:同志社大学の正門



対立する幕府の本拠二条城



御所の表門・堺町御門

長州決戦の蛤御門



葵祭の再現(出町柳駅コンコース)

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老尼を目覚めさせたみやこ
  野村望東尼伝を執筆するにあたり、彼女が尊王攘夷に目覚めた京の都の場所を目に焼き付けようと出かけました。今回改めて、尼の京都での出会い、目撃した朝廷と幕府の対立の現場の様子など、その時のことがよく想像できます。

歴史の証人京の牢獄

中京区六角通

 今回の京都取材で、場所探しに苦労したのが「六角獄舎」である。望東尼伝では欠かせない存在の、平野国臣が処刑された牢獄の跡のこと。だが、タクシーノの運転手でもなかなか探し出せなかった。ややこしいのは、六角通という地名に建つ「六角堂」というお寺さんがあるからだ。だが、獄舎は関係ない。
 六角獄舎は、平安時代に造られた「由緒ある」京都の牢屋で、江戸末期まで存在したとのこと。江戸末期に逮捕された尊王攘夷派の福岡藩士平野国臣は、ここで処刑された。跡地には立派な石碑も建っている。平野国臣の行状については、本文でご確認ください。

平野国臣像(福岡市西公園内

伏見の川港

 望東尼が淀川を遡って伏見の川港に上陸した現場が伏見の川港です。なるほど、この町には、月桂冠や黄桜など、今も昔の面影を残す酒蔵が建ち並んでいます。その場所は、「大蔵谷回駕」と称される事件を、老尼が実感した場所し、目覚めていく所なのです。
宇治川からひかれた川港は、坂本龍馬などが活躍したり、薩摩藩士が倒幕のために意気盛んだった様子も、自分がその場にいるかのような想像も出来る場所なのです。
ボクがサラリーマン時代、月桂冠本社に出向くためによく降車したのが、京阪電車の中書島駅でした。その駅も40年前と同じです。違うのは、あの掘に再現した十石船が現れたことくらいかな。

川港公園に出現した三十石船

遊覧が出来る十石船

龍馬とお龍を繋いだ寺田屋

懐かしい月桂冠酒造の煙突

 

上立売通

 京都での最初の取材先は、望東尼が初めてみやこ(京都)に足を踏み入れた上京区の上立売通であった。資料によれば、この通り一角には、福岡藩京屋敷と望東尼が宿舎にした大文字屋があったはず。なるほど、薩摩藩邸など大きな屋敷跡や商人の住む街の面影は残っている。石碑など、何か印になるものはないかと捜すが見つからない。商店主やお寺のお坊さんにも尋ねたが、「薩摩藩なら分かるが・・・」と言うだけだった。
上立売通周辺には、同志社大学の本館と別館が幅をきかせているだけ。狭いとおりに商家が立ち並ぶ風景を連想するだけの取材であった。

かつて豪商大文字屋があったあたりだが、石碑などは見えない

左:面影だけが残る上立売通 右:同志社大学の正門



対立する幕府の本拠二条城



御所の表門・堺町御門

長州決戦の蛤御門



葵祭の再現(出町柳駅コンコース)

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