No.016
2024年09月02日


望東尼(博多人形)

野村望東尼とは、どんな人物?
1806年~67年を生きた人。 幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士の妻。夫の死後仏門に入る。本名はもと子。大隈言道に和歌を学ぶ。高杉晋作・平野国臣ら志士の活動を援助した。歌集「向陵集」。 (教研出版刊 日本史辞典より)

友人からの姫島レポート

この度、本サイト「野村望東尼伝」を応援してくれる友人から、次のような嬉しい便りが届きました。忙しく、猛暑の中、望東尼が島流しを食らった姫島を尋ねた感想と写真です。気持ちの入った内容で、受け取った私も感動しました。
 お早うございます
残暑厳しい毎日ですが、お元気の事と思います。
 昨日は猛暑の中、「姫島」を訪れて「望東尼」の遺徳を忍んできました。
岐志から早朝の渡船に乗り、8時過ぎに上陸しました。
先ずは島のシンボル「鎮山」に登ろうと思い、少々荒れた山道を踏み分けなが歩き、約40分で山頂に着きました。
目前に広がる広大な玄界灘を暫し眺めていましたら、「望東尼」を乗せた小舟がこの海を乗り越えて、下関へと向かった様子を思い浮かべました。
何もない海原で、舩を操った水夫たちの力量を感じてしまいます。
持参したコーヒーを最高の気分で飲んでから、かつては段々畑だった様な山道を一気に下山して、「望東尼」獄舎を目指しました。
木漏れ日の中に時を刻む獄舎や遺品からは、更なる遺徳を感じ暫くたたずんでいました。
 その後は、島内のあちこちで時間を費やし、野良猫とも交流をもって、14時20分の渡船で引き上げました。
島の風景や「望東尼」獄舎のたたずまいは、古賀さんの小説で描写された通りでしたから、「姫島」初上陸とは思えない、懐かしささえ感じてしまいました。
証拠写真を数枚添付します。次回の探訪先は下関ですね。機会をとらえて行こうと思います。
 以上、「姫島」行きの報告でした

後方姫島の漁港を出る渡船
復元された獄舎と向き合う望東尼像

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