No.007
2023年04月02日

野村望東尼とは、どんな人物?
1806年~67年 幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士の妻。夫の死後尼となる。本名はもと子。大隈言道に和歌を学ぶ。高杉晋作・平野国臣ら志士の活動を援助した。歌集「向陵集」。 (教研出版刊 日本史辞典)


望東尼(博多人形)

望東尼終焉の地


正福寺の山門

 湯田の里(山口市)に滞留していた野村望東尼は、倒幕戦争に向かう長州藩士を見送るために三田尻(防府市)までやってきた。和歌の同友である荒瀬百合子の家から、毎日防府天満宮に祈願に出かけたのである。
 瀬戸内海に近い荒瀬の邸宅は、望東尼の終焉の地ともなった。正福寺の間近に立つ荒瀬宅は、静かな住宅街である。近くには、町民の心の支えになっている。朝晩眺める先には桑山が居座っている。山あり海ありの、人が居住するのに最適の場所である。
 お世話になる荒瀬家は、屋号を綿屋といった。望東尼が亡くなるまで、親類同様にもてなしてくれ、幸せな人生だと振り返りながらこの世にさよならをしたのであった。
   
正福寺本堂
 
町の中心を走る道
   
大楽寺山門
 
防府のシンボル桑山(くわのやま)

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