2004.07.16
郷土の文化を子孫に残そう 【朝倉町生涯学習講演原稿】
日時:平成16年7月16日(金) 13:30〜15:00 場所:朝倉町民センターAVホール 演題:朝倉町周辺の筑後川にまつわる伝説 キャラクターたちは人間に何を伝えたいか 対象:朝倉町で募集した一般参加者 約45名
自己紹介と挨拶 私は6年前にRKB毎日放送を定年退職して、現在民話を収集したり、郷土の歴 史を調べたりしながら、新しいものを見つけるたびに歓声を上げている66歳の青 年です。 定年間際には、郷土の民話をラジオドラマにして2年間放送しました。会社にとっても貴重な財産となっています。また、毎日新聞と西日本新聞で「筑紫次郎の伝説」を長期連載する傍ら、郷土の先人たちが苦労して九重高原の湿原を開拓する実話を単行本にしました。 その後は、久留米の織物を特産品として創り出した埼玉の女の一生を執筆中です。 「朝倉」に対する認識 私にとって朝倉は、いろいろな意味で縁が深く、興味をそそられるところです。家内の実家が吉井ということもあり、筑前と筑後を結ぶ恵蘇の宿橋を何十回渡ったことか。 私は筑前福岡に住んでいますが、実家は筑後の久留米です。歴史的にはいろいろあった筑前と筑後を、公平な目で観察するのも楽しいものです。 川の名前が「筑間川」と呼ばれたこともあるそうですが、双方譲らない意地のようなものが垣間見えます。 また、朝倉が斎命天皇の最期の土地だと聞くだけで、歴史好きの私の足は自然に止まります。 そんな由緒ある土地柄ですから、本題の伝説のタネも豊富なわけです。
人々の営みと「伝説」 ご案内のように今日は、筑後川周辺に伝わる伝説についてお話しようと思います。 「伝説」とは何だろう、と思ったときから、私の筑紫次郎との付き合いが始まりました。何十年、何百年かけて人の口から口へと伝えられたお話には、それなりの普遍的な意味があるはずだからです。 先に申し上げたように、定年間際になって「ふるさと意識」に目覚めた私は、まず手始めに、カッパについて調べました。そうしたら出るわ出るわ、筑後川の源流から下流まで、カッパのいない場所がないくらいに。カッパに限らず、伝説に欠かせないキャラクターたちがウヨウヨひしめいています。 正直、それまでは、伝説に登場する「人物」は、カッパのほかには神宮皇后か弘法大師くらいにしか思っていなかったもので、恥ずかしいやら目移りするやら、途端に忙しくなりました。
伝説紀行に登場するキャラクターたち 僕の収集した伝説には、数限りないキャラクターが登場します。姿を見ただけで噴出しそうにおかしな奴、見るからに身の毛もよだつ怖い奴、それぞれです。 おなじみのカッパ、天狗、キツネ、狸、鬼、山姥・龍や大蛇などは、どこか怖いようで可愛い奴です。 人が苦しんでいる時に必ず登場なさる弘法大師や伝教大師、役の行者や行基僧、観音さまなどの神様・仏様も欠かせないキャラクターです。 そのほかたくさん登場するのが各地に君臨した長者どんや、日本人の判官贔屓からか、「平家落人伝説」です。また菅原道真さんのように、歴史上の人物もいます。 彼らはみんな、現代の人間社会に何か大事なことを伝えようと必死に活躍します。 筑後川伝説の特徴
国土交通省に言わせると、筑後川の水源は黒川温泉の上流あたりで、流れ着く場所は有明海だそうです。 筑後川の概況は、 ということになります。 温暖で豊富な水量が保障されている筑後川流域には、古くから人が住んでいました。 しかし、よく観察すると、その土地土地で、少しずつ違います。伝える側が受ける側により説得力を持たせるために、リアルに話を作り替えているからです。筑後川流域に伝わるお話も、概ねそんなところで共通しています。
特徴的な伝説 いくつかの特徴的なお話を、朝倉方面の伝説から拾ってみます。
カッパについて
鉄腕アトムの手塚修虫先生が描いたどてらを着たカッパ。 おなじみ相撲をとるカッパ。清水昆の囲碁カッパ。など、カッパくらい楽しくてユニークなキャラクターはいないのです。これらの絵をご覧いただきながら、私流に作り上げた筑後川周辺に棲むカッパの正体と性格などを紹介します。
標準的カッパ像とは・・・ 背丈は1メートル少々。年齢は人間の10歳くらいに見えるがはっきりしない。性別もあるのかないのかはっきりしない。 食べ物は、普通は川にいる小魚類ですが、陸に上がった折などは、畑の胡瓜やナスなどを失敬して食します。そのせいでしょうか、カッパに近づくと、えもしれぬ生臭さがあたりを覆うといいます。
カッパの性格と人間との関係 カッパの好物に人間の子供の腸(はらわた)があると唱える人もいますが、私はその説には屈しません。何故なら、カッパは人間との友好関係をもっとも欲している妖怪だからです。水泳ぎをしている子供を溺れさせて、腸を抜いて食べるなんて実しやかにしゃべる人は、本当はカッパのことが何もわかっていないのです。 また、カッパは変な神通力を持っていて、気に食わぬ人間の体に侵入して頭脳と体を麻痺させます。そのほか、骨接ぎなど東洋医学の名手としても知られています。 もう一つ加えると、カッパは人間の女性に惚れてしまうだらしなさも兼ね備えているといいます。要は助べえなのであります。そこが、私が彼らと共有できる楽しい場所なのです。
カッパの個性 以上は、誰でも知っている一般的なカッパ像です。でも、これだけでは、カッパは伝説上の主役にはなれません。筑後川のカッパは、住んでいる場所で、それぞれの個性を発揮して初めて愛するキャラクターとして認められるのです。 まず、ご当地朝倉のカッパは、ずるがしこい人間にこき使われる哀れなものです。 朝倉に水車ができる前、人が桶に汲んで水田の水を賄っていた時代のことです。悪さをして改心させられて、田んぼの見回りをしたり、水不足が生じるとカッパ総出で堀川の水をくみ上げたりさせられました。 次に上流の小国町のカッパ。孝行娘が、死にかけている父親を助ける薬を探していることを知ったお人よしカッパが、誰も知らない滝の裏側に生息する薬草の在り処を教えます。病人を救う親切なカッパもいるのです。 日田の大行司のカッパは、神馬に取り付いたために、陸に投げ飛ばされ、頭の皿が乾いて死に掛かったとき神様に助けられます。カッパたちは、お礼にいつまでもへんちくりんな踊りを披露します。とりわけ踊るカッパとでもしておきましょう。 お隣の吉井町の高橋カッパは、恐れ多くも高橋大明神に相撲を挑みます。お決まりのコースで、神様の頭脳が勝りますが、神様の戦術がフェアじゃなかったために反省されて、その後もカッパに奉仕されます。 このままだと、カッパの話で終ってしまいそうです。最後に柳川のカッパを一つだけ。こともあろうに、厠に忍び込んで奥方のお尻を撫で回す助べえです。気丈な奥方に片腕を斬られたカッパは、毎晩手を返せとうなって、裏庭で踊りまくります。斬られたカッパの手は、その後数奇な運命をたどります。
カッパ以外のご当地伝説 カッパのことはこのくらいにして、ご当地に伝わるお話をします。勿論私はよそ者ですから「それは違う」といわれる方、どうぞここは辛抱して聞いてください。 いわずと知れて、朝倉は1300年以上も昔に、時の女帝が仮御殿を築かれた場所です。斉明天皇はこの地で亡くなられました。 従って、斉明天皇や後の天智天皇(中大兄皇子)にまつわる伝説が数限りなく存在します。また、外伝として「綾の鼓」などは、全国的にも有名です。 そこは、朝倉町在住の山崎長太郎先生にお任せして、私は別の話しをします。
≪筑紫山地の山姥(やまうば・やまんば)≫ 深山に住む「山姥(やまんば)」とは、怪力を持った伝説上の老婆で、村人は彼女の出現に恐れ慄いていた。山を荒らしたりすると、山姥が里に現われて人間社会に災害をもたらすと言われていたからである。 ポーン太の森の山姥は小石原村の伝承です。 星丸の迫に棲む山姥は杷木町に伝わっています。
≪四大大堰の人柱≫ 人柱に登場するキャラクターは水神様です。水神様はことのほか自然を壊すものが大嫌いな神様です。川の姿は自然に任せるべきで、人間の都合で流れを変えたり、洪水防止のためにダムや堰を築くことに抵抗されます。それでも工事をしたければ、人柱を出せとおっしゃいます。 つまり、人は暮らしやすさを求める時、将来にわたってのリスクを負わなければならないということです。 例として、朝倉の対岸の童子丸池は、神の遣いの童が、人間の子供の人柱の代役を果たすことで、大人たちに川の有り難さを知らしめる話しです。 大刀洗町の床島堰のおさよと草野又六は、会場脇を流れる桂川が、やがて筑後の領域にかかったところで、洪水対策として堰を造ろうとする住民への人柱要求となります。 ≪大膳崩れ≫ 黒田騒動の前哨戦の話ですが、ここでも自然の中に生息する大亀を殺した福岡藩の家老栗山大膳が、その後厳しい黒田騒動に巻き込まれます。そのときを語るものとして、高山の形があり、現存する楠の大木(大膳楠)で、現実味を持たせています。
≪逃げた大蛇≫ 最後に、筑紫山地の塔の池に棲んだ大蛇の話。 農業用水を管理する塔の池の大蛇に、青年が悪戯したために起こった騒動です。
結論(伝説に登場するキャラクターたちが教えるもの) テレビ等の影響もあって、最近では、お祖父さんやお祖母さんが孫に対して昔 話を語ってあげることがないように思います。 昔話が消えていくのに合わせて、先祖や先輩から受け継いできた技術やしきたり・しつけなども消極的になりました。 「むかし、むかし・・・」の語り口で始まる昔話こそ、実はお祖父さんやお祖母さんが、大事な孫たちに、人間社会を行きぬくための知恵と力を授けるものだったのです。 カッパの伝説を語るとき、「深いところで泳ぐと、カッパに引きずり込まれてジゴ抜かれるけん気をつけろ」といって教えたのは、そんなことです。 そんなの面倒だからというわけじゃないでしょうが、子供は町が造ってくれたプールで泳ぐことに慣れてしまいました。お陰で、川に生息する生き物を捕まえたり観察したりする機会もなくしました。 お話が消えていけば、村のコミュニケーションを保つ上で必要不可欠な「お祭り」の形も変わっていきます。村の鎮守の神様や、田んぼを潤す堀川にも、道端の祠の中の地蔵さんにも、どれにでも謂れがあるものです。そんな話を通して、先祖が苦労して守ってきた堀川や、水車のありがたみも分るというものではないでしょうか。いくらかずつを持ち寄って準備を重ね、家々ではご馳走を作って親戚を招く。浴衣を着てうちわを持って出かけた祭りは、人々がそんな大事なものを受け継いでいく最良の場所だったのです。 「キツネの嫁入り」を目撃したという話も、最近では聞かなくなりました。「空は晴れているのに雨が降る」。「山伝いに提灯の行列が続いている」。「洪水で湖面化したから、裸になって渡ったら、そこは一面真っ白な蕎麦畑だった」などなど。人間が持つ精神のぶれが起こす錯覚をキツネに例えた話には、子供心に身を乗り出して聞き入ったものです。 山の神や水の神が怒ったときの、神隠しや人柱・人身御供など、「強く正しく生きろ!」という、先祖から子孫への伝言にほかならないのです。 「テレビを見るな」、「ゲームをするな」というだけでなく、お祖父さん・お祖母さんは、その誘惑以上に耳を傾けてくれる工夫をして孫に話しかける必要があります。 「そんなの面倒だ」と言ったら、祖父母失格です。その面倒を克服する時、最近気になる、嫌な事件もなくなっていくのではないでしょうか。 |