眼病封じのお三夜さま
月読神社由来
久留米市田主丸町
月読神社
田主丸町中心部の国道を一筋北に入ると、「月読神社」がお迎えしてくれる。「お三夜さま」の愛称で親しまれるこの神さま、目を患ったお方には大変ご親切だそうな。そのためか、祭礼日には近郷近在からの参拝客でごった返すほど。
さて、「お三夜さま」の愛称がどこから始まったのか知りたくなった。
母の眼病を治したくて
天文年間というから室町時代後期のこと。屏風のように山襞が美しい耳納の麓の竹野郡二田村(現久留米市田主丸町石垣)でのこと。
ニ田村から見上げる耳納山
このところの次郎兵衛は、母親の体の具合が気になって仕事にも身が入らない。命より大切な母の目の病気のことである。近所の観音さまにお願いしたり、街の薬師に診てもらったりするのだが、いっこうに良くなる気配はない。それどころか、最近では手元のものさえ見えないほどに悪くなっている。
「今朝のお山さん、ご機嫌はどげなふうかいの?」
母は、目を患うまで、耳納連山の景色を眺めながら大自然に感謝することを日課にして暮らしてきた。次郎兵衛は、そんな母の「もう一度この目でお山を拝みたい」との願いを叶えてあげたいと切望するのだが・・・。
「そんなら、川ん縁に祀ってある神さんば拝まんね」
村人の悩み事を一手に引き受ける富蔵爺さんが、次郎兵衛に知恵を授けた。
「薬師でんどんこんならん(どうにもならない)病気が、野っ原の神さんに治せるもんでもなかろう」と首を傾げたものだから、富蔵爺さんが怒ったこと。
「何ば言いよるか。あん神さんは『月読の神さん』ち言いなさって、天照大神の弟君ぞ。兄さまが昼間のお天道さん(太陽)なら、弟さんは闇夜ば照らしてくださるお月さまたい。努々疑うでない、この罰あたりめが!」
拝んでいたら見えた
その翌日から、次郎兵衛の月読祠詣りが始まった。文字通り、雨の日も風の日も欠かさずに。梅雨の時期、大雨が降って祠が水没してしまう出来事が起こった。
「これじゃ、神さまが寒かろう」と考えた次郎兵衛は、水が引くとすぐに、祠ごと自分の家の座敷に運び込んだ。「これなら、どげん大水が出てもお詣りができるけん」と、母親ともども喜んで拝んだ。
「次郎兵衛、お前の顔が見ゆるごつなった!」
二田の月読神社
ある朝、目覚めた母親が甲高い声を更に張り上げた。母親は、座敷の神さまに手を合わせた後、裸足のままで家を飛び出し、南の山を見上げた。
「鷹取の山(802b)がはっきり見えちょるたい」
母親の興奮は収まりそうにない。
「月読の神さんが、わしにもう少し生きろと言ってくれよりなさる。今日この日は、死んでも忘れんばい。それで…、今日は何日かいの?」
「今日は天文3年の正月23日たい。忘れんごと、祠に彫り込んでおこうない」
それからである。話を聞いたあちこちの目を患った人々が、毎月「3」のつく日に、「お三夜さんにお詣りせにゃ」と、次郎兵衛の家を訪ねてくるようになった。
殿さんまで信仰なさって
時を経て享保18(1733)年。両目の視力を失った柳川の人が、失意の中で不思議な夢を見た。夢枕に立たれた神さまが、「再び己の目で世間を見たければ、東の二田村を訪ねるがよい。そこに怖れ多くも月読の神が鎮座されるによって、祈願するがよかろう」と言って姿を消された。
耳納連山
藁(わら)にもすがる心境のそのお人は、早速お供え物を満載した荷車を牽いて竹野郡を目指した。不思議なことに、そのお方の眼病も間もなく治癒し、この世のすばらしい景色を満喫できるようになった。
その話を聞きなさった柳川のお殿さま。目を患っている姫君を案じて、二田村の次郎兵衛宅に行列を仕立てて出かけられた。そんなこんなで、粗末だった次郎兵衛の屋敷は、いつの間にか立派なお社に様変わりしてしまったとか。
更に時は下って、明治の世(明治13年)に。ある篤志家が、二田村の月読神社を分祀してもらい、田主丸町(東町)の街中に祭った。それが今日もなお、「お三夜さま」の愛称で信仰を集める月読神社の由来だと。(完)
田主丸の月読神社脇を流れる雲雀川は、欄干で多様なポーズをとるカッパたちで賑やかなこと。カッパ博士(故人)で有名な「河童洞」や、久留米商人の原型といわれる手津屋正助(林田)の屋敷が、今もこのあたりに保存されている。
大祭中の植木市
境内は別世界に迷い込んだように静かである。孫をお守りしているお年寄りに話しかけた。
「お三夜さんのお祭りは大変賑わうそうですね」と。すると返ってきた答えが面白い。
「はい、ご祭神のお三夜さんは目の神さまでっしょが。目は(木の)芽に通じますけん、この日ばっかりは境内狭しと芽を大事にする植木屋さんがよけい並びよりますと」だって。
因みにお三夜さんのご祭礼は、1月23日から25日まで。午前8時から賑わうそうです。(以上2008年6月10日)
夏も盛りの頃、二田集落の中にある月読神社を訪ねた。参道のさくらの木には、場所を取り合うようにしてアブラゼミやクマゼミがウヨウヨ。“蝉時雨”なんてロマンチックなもんじゃすまない五月蝿(うるさ)さだ。東町のお三夜さんに比べて、本家のお宮さんは、まさしく村の鎮守の威厳を保っておられる。人っ子一人いない境内を歩いていると、南の耳納山が覆いかぶさってくるような恐怖さえ覚える。やっぱりお三夜さんには、耳納の山肌と柿の木畑が似合う。(以上、2008年08月03日)
月読神について
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